フィレンツェだより |
テヴェレ川とシスト橋 ローマ |
§3度目のローマ旅行 - その4 トラステヴェレ
2日目(20日)の朝食後,トラステヴェレの4つの教会を訪ねるべく,宿を出発した.デッレ・ナツィオーニ・ホテルを出た所にある,同じくポーリ広場に面したサンティッシモ・サクラメント祈祷堂の扉が誘うように開いていたので,全く寄る予定がなかったが思わず入ってしまった. バロック様式の外観に,大きな祭壇画と豪華な装飾を備えており,祈祷堂(オラトリオ)というよりも教会(キエーザ)のように思えた. ナヴォーナ広場 トリトーネ通りに出て,首相官邸のあるキージ宮の前の,マルクス・アウレリウス帝の記念柱のあるコロンナ広場を突っ切り,下院の前の,オベリスクのあるモンテチトーリ広場を過ぎて,ナヴォーナ広場に向かった. 古代ローマのドミティアヌス帝が作らせた競技場跡にあるこの広場も,ベルニーニの彫刻で有名だ.北からネプチューン(ネットゥーノ)の噴水,四大河の噴水,ムーア人の噴水と3つの噴水があるが,このうちベルニーニが指揮監督して協力者に作らせたのが四大河の噴水である. しかし,広場の中央に聳えるオベリスクを囲むこの噴水は修復中で覆いがかけられていた.芸術的に優れたものではないかも知れないが,他の2つの噴水もそれぞれに味わいのあるものだった. ![]()
カンポ・ディ・フィオーリ広場 ナヴォーナ広場を南下してカンポ・ディ・フィオーリ広場に立ち寄った.花や野菜,果物,土産物を売る露店が立ち並ぶこの広場は,16世紀の思想家ジョルダーノ・ブルーノが火刑に処せられたことでも知られる.広場の中央には,19世紀に作られたものだが彼の銅像が立っている. 処刑は1600年2月17日に行われたということで,彼の死後408年と3日後に訪ねたことになる.グレゴリオ暦(ニュー・スタイル)の採用が1582年なので,正確にその通りだと思う.ここで小さな土産物と大きなシチリア・オレンジを4つ買った.
サン・クリソーゴノ教会 ガリバルディ橋を渡ってテヴェレ川を越え,最初に行ったのがサン・クリソーゴノ教会だった.ここでも見たかったのはモザイクだ. 後陣にあるモザイクは一部が四角く切り取られ,額に入れられた「玉座の聖母子と聖人たち」(聖人たちはクリソーゴノとヤコブ)だった.ビザンティン風の古雅な絵柄で,いかにもモザイクらしいものだった.意外に新しく14世紀のカヴァッリーニ派の作品らしい. あまり注目しなかったが,中央祭壇の天蓋はジャン=ロレンツォ・ベルニーニの作で,他に堂内の絵をエミリア・ロマーニャ生まれのグェルチーノ,父親がキケロの生地アルピーノ出身のカヴァリエーレ・ダルピーノ,サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ,ピストイアで出会ったジアチント・ジミニャーニ,と私たちにおなじみの画家たちが描いているらしい. 中央祭壇右横の礼拝堂でお祈りが行われていたので,それ以上の拝観は遠慮して辞去した.
サンタ・マリーア・イン・トラステヴェレ教会 次に訪ねたのが,サンタ・マリーア・イン・トラステヴェレ教会で,ここは大きく華やかな教会だった.ファサードにも,後陣にもピエトロ・カヴァッリーニ作のモザイクがある.
今回のローマ行で最大の学習項目の1つがピエトロ・カヴァッリーニだった.ジョットと同時代の人で,13世紀後半から14世紀前半のローマを代表する芸術家のひとりだ.今回,彼のモザイクとフレスコ画を諸方で見ることができたが,その中で一番見事で大規模だったのは,この教会のモザイクだろう. ファサードは「玉座の聖母子と女性の聖人たち」,後陣は「聖母戴冠と聖人たち」の大きな作品と,「受胎告知」など,聖母マリアの生涯の諸場面が描かれていた.
ボローニャ出身のドメニキーノの八角形の天井画「聖母被昇天」もあった. ここでもコズマーティ様式の床模様が見事だった.教会前の,立派な噴水のある広場も美しい空間で,明るく居心地の良いこの教会は何度でも訪れたい所だと思った. サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会 次に行ったサン・フランチェスコ・ア・リーパ教会は簡素な教会だった.ここで見たかったのは,ジャン=ロレンツォ・ベルニーニの「福者ルドヴィーカ・アルベルトーニ」の大理石像だ. 17世紀に流行した,「法悦」とか「恍惚」と訳されることが多いラテン語でエクススタシスという一種の神秘体験を表現したもので,これは私たち異教徒だけでなく,カトリック以外のキリスト教徒にもわかりにくいだろう.現象としては多くの宗教に見られることかも知れないが,キリスト教のような影響力の大きい宗教で,その中心的権威の一つであるローマ・カトリック教会がそれを認めているところが,不思議に思われるのかもしれない. 作品は立派なものだった.大理石でこれほど見事に衣の襞の質感を出せるものかと思う.前回ローマに来た時にボルゲーゼで神話と旧約聖書を題材にした作品も見ているが,彼にとっては同時代の宗教的題材を扱ったこの作品もまた見事なものだった.
チェッキーノ・デル・サルヴィアーティの「受胎告知」もあったが,きれいな作品だ.ベルニーニの傑作のある礼拝堂の祭壇画はバロックの一方の巨匠バチッチャの「聖母子と聖アンナ」である. ![]() 13世紀末にはピエトロ・カヴァッリーニが「聖フランチェスコの生涯」のフレスコ画を描き,アッシジの聖フランチェスコ聖堂上部教会のジョット作の同主題のフレスコ画のモデルとなったと考えられている. 今はカヴァッリーニの作品は痕跡も残っておらず,教会自体も,それほど大規模なものではないが,トラステヴェレというローマの庶民の居住地にあったことは,この修道会の本来の趣旨に適うように思われる.フランチェスコ・ア・リーパ教会こそはローマにおけるフランチェスコ会の原点を示すものだろう. サンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ教会 トレステヴェレ探索で一番期待されたのが,サンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ教会で,この教会で最も見たかったのもモザイクだ. モザイクは後陣の半穹窿型天井にあり,後輪のある羊の周りに使徒たちを意味する12頭の羊が左右に配されていて,その上にキリストを中心に6人の聖人たちがいる.キリストの左脇には鍵を持っているのでペテロと思われる人物,それに対応する聖人として右脇にはパウロがいて,ペテロから左に聖ウァレリアヌス,聖アガタ,パウロから右に聖カエキリア(チェチーリア)と教皇パスカリス1世がいる. パスカリスは四角い後輪なので,多分存命中の作ということであれば,モザイクは9世紀のものということになり,サンタ・プラッセーデ教会,ドムニカ教会のものと同時期ということになる.上記の聖人のうちウァレリアヌスはなじみがないが,チェチーリアの夫ということだ. 後陣の前にアルノルフォ・ディ・カンビオ作の神殿型祭壇(テンピエット)があり,大理石の柱と天蓋が美しい.
バロック時代の彫刻で,ステファノ・マデルノ作の聖チェチーリアの大理石像が中央祭壇にあるが,斬首の刑で殉教した時の姿で表されており,首は切り離されておらず,刀傷がある. 堂内の礼拝堂にグイド・レーニの絵が2点あるはずだが,これは見ていない.
![]() ブックショップで英訳版のガイドブックを購入したが,かなりマイナーな作品まで写真と解説がある上に,薄くて参照しやすく理想的なガイドブックだった.
そこに行くには一旦教会の外に出なくてはならない.ファサードに向かって左側に扉があって,呼び鈴を押して開けてもらうと,そこは修道院の入口で,ここから教会のファサード裏の2階に上がることができる. 扉を開けて下さる修道女さんに1人1.5ユーロの拝観料を払って見られるのは,ピエトロ・カヴァッリーニのフレスコ画「最後の審判」(1/2/3)だ.大がかりな修復を経ているのだろう.美しい色彩の大きくて見事なフレスコ画だ.ジョットほどの芸術性や,後代への影響力はないかも知れないが,その時代にはトップを走っていた芸術家の1人であったことは間違いないだろう.すばらしい. アレア・サクラ(聖域) 再びガリバルディ橋を渡って,川に浮かぶ唯一の島ティベリーナ島を眺めながら,テヴェレ川を渡り,午前中に最後に訪ねたのがトッレ・アルジェンティーナ広場の前の古代遺跡アレア・サクラ(聖域)だ.ここには古代神殿の跡があり,フォロ・ロマーノにある後代の元老院(クリア)とは別に,紀元前44年の3月15日にユリウス・カエサルが暗殺された元老院跡もある.
現在は「猫の聖域(サンクチュアリ)」となっており,発掘された古代遺跡の中でボランティア(?)に世話をされた多くの猫がゆったりと暮らしている姿を路上から見下ろすことができる. 解説版でカエサルが暗殺されたと説明されている場所には白黒の斑猫が「眠り猫」のように安らいでいた. |
サンタ・チェチーリア・ イン・トラステヴェレ教会 |
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