フィレンツェだより
2008年2月26日



 




夜のオンニサンティ教会
キオストロ



§ローマ報告は中休み - 日常に戻って


ポール・ルイスのピアノ・リサイタル(2/23)
 ローマから帰ってきた翌々日の23日はペルゴラ劇場にポール・ルイスのピアノ・リサイタルを聴きに行った.

 前半はモーツァルトの幻想曲とロンドの間にリゲティの「ムジカ・リチェルカータ」をはさみ,後半はシューベルトのピアノ・ソナタというプログラムで,若いのに,淡々とした弾きぶりだった.

 お客の入りは少なかったが,良い演奏会だった.買わなかったがロビーでCDを販売していた.多分ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の録音が現在進行中なのだと思う.この人のベートーヴェンを聴いてみたい.


小澤征爾指揮,オペラ「エレクトラ」(2/24)
 さらにその翌日(24日)はテアトロ・コムナーレで最後のオペラ鑑賞をした.小澤征爾指揮,リヒャルト・シュトラウス作曲「エレクトラ」である.

 この曲は,レーザー・ディスクの映像とCDでしか鑑賞したことがない.3組のLDを,授業でも時々部分的に見てもらっているが,オペラにもギリシア悲劇にも関心のない人も混じっている学生さんに全曲を聴いてもらうのは勇気が要るし,かといって部分的に見てもらうにはどこを切り取ったらよいのか悩む.

 大学院の「ギリシア・ラテン文学」で,ソポクレスの『アンティゴネ』と『エレクトラ』を扱った年度に,たった1度,全曲鑑賞してもらったことがあるが,その年の授業に出てくれていた福山さんがフィレンツェに留学中で,このオペラを見たのだから,奇縁というべきか.

写真:
古代彫刻
「エレクトラとオレステス」
アルテンプス宮国立博物館


 今まで見た映像や,聴いた録音の中で,今日の演奏が一番感動した.ライヴの魅力はもちろんあるだろう.簡素だが,本気を出した演出で見応えがあったし,多分,小澤はこういうテンションの高い曲は得意なのだろう.ブーイングが少しあったのは全体主義ではないのだから,賑やかしでかえって良いと思う.大絶賛の嵐の中,何度も舞台に呼び戻されて挨拶する足元が少しおぼつかないほどの年齢になったのに,気迫の指揮ぶりに思えた.

 正直な所,私は小澤征爾の指揮する実演を聴いたことがないし,あまり聴いてみたいととも思わなかった.録音でもほとんど聴かない.サイトウ・キネンが話題になるようになってから,ブラームスの交響曲全集などを買ったり,ストラヴィンスキーのオペラ・オラトリオ「オイディプス」をLDで買ったくらいだ.

 「オイディプス」は「エレクトラ」より短いし,音楽も分りやすく,さらに歌詞がラテン語なので,授業で重宝に使わせてもらっている.小澤の指揮だからではなく,他に選択肢がなかった(CDは腐るほどあるのに)からだが,指揮も演出も歌手も立派だ.



 今回の「エレクトラ」では,特にクリュソテミスを歌ったクリスティーネ・ゲルケ(と日本語サイトにあるのでこの表記にする)がすばらしかった.思うことは皆同じだったのか,特に主役と言うわけでもない彼女への拍手はすごかった.

 主役ではないかもしれないが,多分台本を書いたホフマンスタールが,これだけクリュソテミスを登場させたのは,エレクトラの「もう一人の自分」(アルテル・エゴ)としての彼女にかなりの力点を置いていたのではないかと思う.少なくとも演出と歌手の力によってそれを強く感じることができた.

 エレクトラのスーザン・バロックも破綻はなかったし,クリュタイメストラを歌った一番の大物であろうアグネス・バルツァも存在感を示していた.何と言っても,3人の女性が全篇を通じて叫びまくるという印象のある作品で,特にエレクトラを歌う歌手は大変だと思う.主役なのにバロックへの拍手はゲルケほどではなかった.しかし,超大物が歌う役を大過なくこなしたのだ.称賛に値するだろう.

 聴く方もかなり体力と忍耐を要求されるが,それを聴衆を退屈させずに聴かせ,ブラーヴィの嵐で終わらせたのは,やはり小澤征爾の力なのだろう.チョコマカとした小柄な老人になった彼が,オケからも聴衆からも大きな拍手を受けていたのを見ると,彼は海外では大スターなのだと思う.

 私は演出は成功していたと思う.そう思わない人たちも少なくなかったようだが,もともと音楽が主役のオペラで,文豪が書いた台本であっても,それだけでは演劇としては不満のあるものを,可能な限り,芝居として成功させていたと思う.

 悪役のクリュタイメストラとアイギストスだけが白装束だったのは,意図したほど成功していなかったかも知れないが,抽象に徹した舞台の作り方も良かった.オレステスがさっぱり若者ではなかったが,演出のせいではないし,オペラだから,そんなことは気にしなくて良いのだろう.

 多分,これが最後のテアトロ・コムナーレだ.小澤体験のない私にとっては,イタリアで聴くドイツ・オペラでもあるし,あまり期待していなかったプログラムだが,音楽が良かった,演出が良かった,歌手が良かった,演奏が良かった,指揮が良かった,劇場が良かった,何よりも素直に大喜びをする聴衆が良かった.

いつも感動を隠さない,すぐ後ろの席のシニョーラたちの,少しだみ声の「ブラーヴィ,ブラーヴィ,ブラヴィッシミ」と「ベッラ,ベッラ,ベッリッシマ」という声は一生忘れられないだろう.


オンニサンティ教会チェナコロのモストラ(2/23)
 23日にペルゴラ劇場からもどる途中,オンニサンティ教会の前を通ったら,修道院の「食堂」(チェナコロ)で,「超越的リアリズム アディ・ダ・サムライの芸術」という特別展をやっていた.抽象的な展示作品も興味深かったが,午前中しか公開されていない回廊(キオストロ)とギルランダイオの「最後の晩餐」が,夕方のその時間に見られることが魅力でフラフラと入ってしまった.入場無料だった.

 アディ・ダ・サムライ(と読むのだろう,多分)という人に関しては全く知らなかった.1939年生まれのアメリカ人で,フランクリン・アルバート・ジョーンズというのが元々の名前らしい.宗教団体の教祖のような人らしいので,その点はついていけそうもないが,作品はそこそこ良かった.

 彼の作品は2007年のヴェネツィア・ビエンナーレで特別展示されたとのことだ.見に来ている人も多かった.本来は5時までだが,初日なのでレセプションか何かあるのだろう,7時まで開いていたようだ.

写真:
会場風景
奥に「最後の晩餐」



サン・ジュゼッペ教会(2/25)
 25日の午前中は,サンタ・クローチェ教会方面まで歩いていき,サン・ジュゼッペ教会を拝観した.

 フィレンツェにはマリアの夫ヨセフの名前(サン・ジュゼッペ)を冠した教会が2つ,祈祷堂が1つある.教会の1つは,以前の寓居からほど近いサンタ・カテリーナ・ダレッサンドリーア通りにあり,古風な外観で,ファサードのリュネットには見事な「ピエタ」の浮彫彫刻がある.一度拝観させてもらったが,内部は簡素でつつましかった.

 サン・ジュゼッペ祈祷堂は,駅から中央市場に向かう途中のサンタントニーノ通りにあり,こちらも一度拝観させてもらった.

 もう1つのサン・ジュゼッペ教会は,サンタ・クローチェ教会の裏手の,その名もサン・ジュゼッペ通りにある.大きくて由緒ありげに見えるうえ,タッデーオ・ガッディの作品があるということなので,以前から是非拝観したいと思っていて,実際に一度訪ねたこともある.

 そのときは開いておらず,あきらめて帰途に着く途中に出会ったのがサンタンブロージョ教会だった.7月14日のことだから,もうだいぶ前になる.



 この日は,春めいてめっきり観光客が増えてきた街中を,大勢の日本人ツーリストとすれ違いながらテコテコと歩いて行った.今回は開いていた.

 結論から言うと,タッデーオ・ガッディの作品はなかった.教会内の説明板に「ここにある」と書いている礼拝堂には別の作品が置かれていて,何の断り書きも無かった.修復に出されたのだろうか.

 しかし,ラファエッリーノ・デル・ガルボの「百合の聖母」,サンティ・ディ・ティートの「イエスの誕生」と「パオラの聖フランチェスコの奇跡」,ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニの「受胎告知」が見られた.ロレンツォ・モナコ作とされている「キリスト磔刑像」もあった.

 ラファエッリーノの作品は真作であれば,フィエーゾレのサン・フランチェスコ教会,フィレンツェのサント・スピリト教会,サンタンブロージョ教会,サン・サルヴィ美術館などともに,彼の数少ない作品が見られる貴重な場所と言えよう.小さくて可愛い作品だった.

写真:
「百合の聖母」
ラファエッリーノ・デル・ガルボ


 サンタンブロージョ教会やサンティッシマ・アヌンツィアータ教会でフレスコ画を見ることができるルイージ・アデモッロが「聖ヨセフの生涯」のフレスコ画を描いており,「ヨセフの死」のステンドグラスもあったのは,サン・ジュゼッペ教会ならではだろう.

マリアとの婚約や,イエスの誕生,聖家族などの絵で老人に描かれ,イエスの父ではないことを強調されるヨセフの絵姿に関しては,時代によって異なる思想背景があり,それ自体面白いようだ.


 ヨセフの死をマリアとイエスが看取る絵や,子どものイエスに大工仕事を教えるヨセフの絵は諸方で見られるが,前者は17世紀以降,後者は現代のものが多いように思える.

 タッデーオ・ガッディの祭壇画「聖母子と聖人」が見られなかったのは残念だが,興味深い作品をたくさん見ることができた.雰囲気が良く,きれいで立派な教会であるサン・ジュゼッペを拝観できて本当に良かった.



 この教会の前の辻には,「聖母子と聖人たち」の大きなフレスコ画のあるタベルナコロがある.うまい下手を超えて見応えのあるものだ.このフレスコ画はニッコロ・ジェリーニに帰せられる作品だが,今見られるのはコピーだそうだ.

写真:
タベルナコロ
「聖母子と聖人たち」


 この近くに観光バスが停まれる大型駐車場があるそうで,中心部へ向かう海外からの団体客が列をなして歩いているのに遭遇する場所だが,陽が良く当たって,明るくて心地よい空間だ.うららかな日差しの中を,サンタ・クローチェ広場,シニョリーア広場などを通って帰宅した.





ステンドグラス「ヨセフの死」
サン・ジュゼッペ教会