フィレンツェだより
2008年2月25日



 




コーラ・ディ・リエンツォ通り
ピンチョの丘から



§3度目のローマ旅行 - その3

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会から,サンタ・マリーア・イン・ドムニカ教会(以下,ドムニカ教会)までは,サント・ステーファノ・ロトンド通りをまっすぐ行けばよい.


 教会はチェリオの丘の麓にあり,コロッセオに向かうクラウディウス通り(ヴィーア・クラウディオ)に面している.周辺には,サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会の他にも,サント・ステーファノ・ロトンド教会サン・グレゴーリオ・マーニョ教会,もう一つ名前はわからないがファサードにモザイクのある教会があったが,これらはいずれも拝観していない.

 4時半は少し過ぎていたが,ドムニカ教会の扉はまだ開いていなかった.もう一人案内書を手にした日本人の方がいらしたが,その方も4時にも一度来られて,付近で時間を潰していたということだった.

 3人で扉が開くのを待った.しばらくして,聖具室係の方が中から扉を開け,無事入堂することができた.

写真:
後陣のモザイク
ドムニカ教会


 後陣の半穹窿型天井のモザイクは8世紀のもので,5世紀のものというサンタ・プデンツィアーナ教会のモザイクよりは新しいことになるが,今回見たまとまった大きさのモザイクの中では一番古い感じがした.

 この教会にはガイドブックは無かったので,詳しいことはわからないが,玉座の聖母子を天使たちが囲んでいて,聖母の左下に四角い後輪(というのも変だが)がついている教皇パスカリス1世が描かれている.彼の存命中に作られたものであることを示すのは,前回見たサンタ・プラッセーデ教会の場合と同じだろう.

 この半穹窿型天井モザイクの両脇には聖人が1人ずつ(モーゼとエリア)いて,その上にはキリストを真ん中に12使徒が並ぶモザイクがある.ラヴェンナで見たモザイクのように,古拙に見えるほど素朴な絵柄に好感が持てる.

 この教会にはフレスコ画も多少あるが,むしろ天井の装飾に魅かれた.ローマの教会では天井装飾にも注目すべきものがあるように思える.



 ドムニカ教会を辞して,古代の遺跡を左手に見ながら地下鉄コロッセオ駅に向かった.

 再び緊張しながら地下鉄に乗ったが,無事フラミニオ駅に到着した.次の予定はサンタ・マリーア・デル・ポポロ教会(以下,ポポロ教会)だ.前回見られなかったカラヴァッジョの作品を見るための2度目の訪問である.

 この教会のあるポポロ広場は,ピンチョの丘(モンス・ピンキウス)の麓にあるが,ピンチョの丘はローマのいわゆる「七つの丘」には数えられない.つまり,ここは古代にはローマの周縁の地だったことになる.

しかし,ここにあったフラミニウス門(ポルタ・フラミニア)は,フラミニウス街道(ウィア・フラミニア)の起点として重要だった.


 フラミニウス街道は,北に向かい,スポレートゥム(現在のスポレート)を通り,ピサウルム(現在のペーザロ)でアドリア海に出て,そこからアルミニウム(現在のリミニ)に至る.リミニからはアエミリウス街道(ウィア・アエミリア)となり,ボノーニア(現在のボローニャ)を通って,現在の北イタリアであるガリア・キサルピーナ(アルプスのこちら側のガリア)を貫通する重要な幹線であった.

 フラミニウス門(フラミニオ門)は,今はポポロ門と言われているようだが,駅名にその名を残し,門をはさんでポポロ広場の反対側の広場もフラミニオ広場と呼ばれている.


サンタ・マリーア・デル・ポポロ教会
 教会の創建は11世紀なので,古代教会ではない.前回の拝観では,ピントリッキオのフレスコ画「イエスの礼拝」があるローヴェレ礼拝堂,ラファエロ下絵の天井モザイクとベルニーニの彫刻のあるキージ礼拝堂は見ることができた.

 しかし,カラヴァッジョの絵があるチェラージ礼拝堂はお祈りの時間に入ってしまい,遠目にしか見ていない.今回は,まず奥の中央祭壇左隣にあるチェラージ礼拝堂へ向かった.

 どこの教会でもカラヴァッジョの作品がある一角は混みあっているが,ここもイタリアではよく見る熱心なガイドさんが団体を引き連れて熱弁をふるっている最中だった.それ自体は興味深いものだったが,狭い礼拝堂に他の人たちが入れない上に,大勢の人がいて外から眺めることも難しい.

 しばらくしたらガイドさんが長居を注意されて,ようやくそのグループが礼拝堂から動いた.その合間をぬって,私たちもようやく念願のカラヴァッジョの作品「ペテロの殉教」と「パウロの回心」を鑑賞した.

写真:
カラヴァッジョ
「ペテロの殉教」
ポポロ教会


 どちらかと言えば「ペテロの殉教」が私の心に訴えかけるものがある.逆さ磔にされる老ペテロの,皺が刻まれてはいるが力感に溢れた裸体と,刑を執行しようとする3人の男たちの衣服の下から見える手足や腰の筋肉がせめぎあっているように見える.

 ペテロの表情は,キリストの幻影との邂逅により,有名な「主よ,どこに行かれるのです」(クォ・ヴァディス,ドミネ)と言ってやり取りをした後,死を覚悟してローマに戻った確信に満ちた顔だろうか.それとも「鶏が鳴く前に,私を知らないと三度言うだろう」というイエスの言葉が実現したときのように弱い心を曝け出しているだろうか.

 そのどちらとも言えないところに神ではなく,弱い人間として信仰を守ったペテロの真実を画家は見事に描き出しているように思える.

写真:
カラヴァッジョ
「パウロの回心」
ポポロ教会


 伝説に基づく「ペテロの殉教」に比べ,『新約聖書』の「使徒行伝」に典拠のある「パウロの回心」の方は,光に目を眩まされて地に落ち,「サウロよ,サウロ,なぜ私を迫害するのか」(サウール,サウール,ティ・メ・ディオーケイス)という神の声が聞こえて回心したという緊迫感を感じることはできなかった.

 カラヴァッジョの特徴と思える,一瞬の静止の中に無限の動きを想起させるという点では,「ペテロの殉教」が勝っている.しかし,即断を避け,何度も鑑賞し直してみたいと思わせる魅力を備えている作品だった.

 カラヴァッジョの作品は左右の壁にあるので,遠目からは全く見えない.遠目に見える中央の祭壇画はアンニーバレ・カッラッチの「聖母被昇天」である.カラヴァッジョの作品がなければ,この作品がまず見るべきものとされるのであろうが,大天才の2つの作品の間に晒されて気の毒だった.

 前回鑑賞し,今回も翌々日見ることになるサン・ルイージ・デーイ・フランチェージ教会のマタイ三部作のように,1つの礼拝堂がカラヴァッジョだけの作品で飾られていたほうが,鑑賞する側も心静かに見られるように思う.華やかな色彩のカッラッチはカラヴァッジョとは調和していない.


ピンチョの丘で
 ポポロ教会を辞してピンチョの丘に登り,夕暮れのローマの街を眺めた.後方には満月が輝き,前方にはヴァティカンのサン・ピエトロ聖堂のクーポラがかすんで見えた.

 ポポロ広場からヴァチカン方面に向かうコーラ・ディ・リエンツォ通りを通る多くの自動車のヘッドライトが,ローマがまぎれもなく巨大な現代都市であることを物語っていた.

 通りの名前になっている,ペトラルカが期待をかけ,ワグナーの初期のオペラ「リエンツィ」の題材にもなった中世末期の悲劇の英雄も,自身は衰退したローマに古代の栄光を甦らせることはできなかったが,現在のこの繁栄を見たら,以て瞑すべしであろう.

 ポポロ広場から,カンピドリオの丘に真っ直ぐ伸びたコルソ通りを歩き,途中遠回りだが,ウミルタ通りの店で食事をして,トレヴィの泉に寄って宿に帰った.





トレヴィの泉