フィレンツェだより
2008年2月24日



 




サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会
ローマ



§3度目のローマ旅行 - その2

テルミニ駅からホテルを目指して歩いた.


 まず,エスクィリーノ広場に出て,サンタ・マリーア・マッジョーレ教会の大きな後陣を仰ぎ見て,何枚か写真に収めてから右に曲がる.クアットロ・フォンターネ通りに向かって歩みを進め,左折してウルバーナ通りをほんの少し歩いたところにサンタ・プデンツィアーナ教会がある.

 この辺りは丘に向かって起伏があるので,通りから教会の敷地へは階段で降りていった.拝観を済ませて,クアットロ・フォンターネ通りを9月20日通りとの交差点まで歩き,左折してしばらく歩くと,通りの名前がクィリナーレ通りに変わり,やがてクィリナーレ広場に着いた.

 ここで持参の昼食を済ませた後,宮殿(大統領官邸)を右手に見ながら,階段をでクィリナーレの丘(モンス・クィリナーリス)を下った.

写真:
クィリナーレの丘を下る階段
後方は宮殿


 ダタリア通りを進み,右折してサン・ヴィンチェンツォ通りを少し歩くとトレヴィの泉に着く.泉に向かって左側の通りがポーリ通りで,ここをポーリ広場に向かって少し歩いたところに今回2泊した宿デッレ・ナツィオーニ・ホテルがあった.

 部屋がきれいで使いやすいので,幸運に感謝しながら,荷物を置いて,早速活動を始めた.



 前回のトラウマがまだ克服できていないので,地下鉄を使いたくなかったが,今回も初日だけは地下鉄を使わざるを得なかった.小銭入れに必要最小限のお金だけを入れ,気持ちを引き締めて,地下鉄バルベリーニ駅に向かった.

 宿のあるポーリ広場のすぐ前のトリトーネ通りは,すでに私たちにはおなじみの道だ.これを右に進路をとってバルベリーニ広場まで歩く.途中トリトーネ広場に出るが,トリトーネの泉はここにはなく,あるのはバルベリーニ広場だ.彫像はベルニーニの作である.

 この広場に面して,バルベリーニ家の家紋である蜂の模様を施した貝殻の彫刻がある「蜂の泉」がある.この彫刻もベルニーニの作だ.ここから湧き出ている水はいつも飲料水として重宝させてもらっていたが,今回は利用しなかった.

 地図で見たとき,今回のホテルから,なじみのバルベリーニ広場までは少し遠いと思ったのだが,歩いてみると10分ほどの距離だった.以前もバスと地下鉄の共通券を購入したタバッキで,切符を4枚購入した.

 この日の予定では,バルベリーニ駅からA線でサン・ジョヴァンニ駅まで行き,サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会を拝観した後,サンタ・マリーア・イン・ドムニカ教会まで歩いて移動し,拝観後,コロッセオ駅からB線に乗り,テルミニ駅でA線に乗り換えて,フラミニオ駅で降りて,ポポロ広場のサンタ・マリーア・デル・ポポロ教会を拝観することにしていた.

 前回,掏り被害に遭ったバルベリーニ駅とテルミニ駅の間は,多くの体験談でも要注意とされている区間で,緊張したが,今回は何事もなく目的地のサン・ジョヴァンニ駅に着いた.

 地上に出ると交通量の多い大きな道がある.アッピア新街道だ.高い松の木が連なる様は有名なアッピア街道(ウィア・アッピア=アッピウス街道)を想像させる.

写真:
アッピア新街道と
サン・ジョヴァンニ門


 大きな中世の城門サン・ジョヴァンニ門と城壁があり,門をくぐるとジョヴァンニ門広場で,左手に大きなサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会(聖堂)が見える.


サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会
 この教会の首席司祭は枢機卿が務めるが,本来はローマの司教座教会で,ローマ司教は教皇なので,フィレンツェや他都市で言えばドゥオーモやカテドラーレにあたる格の高い教会である.

 ローマの4大総大主教聖堂の中でも,サンタ・マリーア・マッジョーレ教会(聖堂),サン・パオロ・フオーリ・ムーラ教会(聖堂),ヴァティカンのサン・ピエトロ教会(聖堂)の上位に置かれ,ヴァティカンの前にはこのラテラーノの地に教皇の居館があった.そうした由緒への期待を裏切らない大きな教会だ.

 ラテラーノの地は古代ローマの有力氏族の所有地だったが,ネロ帝によって皇帝の財産となり,コンスタンティヌス大帝によってローマ司教に与えられたとされている.教会の創建も324年ということなので,キリスト教公認が313年であることを考えると非常に古い教会と言える.

 ジョヴァンニの名乗りは,10世紀に洗礼者ヨハネに,12世紀に福音史家ヨハネに捧げられたことに由来するので,教会名としては1000年ほどの歴史だが,教会の歴史は約1700年ということになる.

 14世紀に教皇庁がアヴィニョンに移されたが,教皇庁のローマ帰還後,教皇はサンタ・マリーア・イン・トラステヴェレ教会,サンタ・マリーア・マッジョーレ教会と本拠を移し,最終的にヴァティカンに落ち着いて現在に至っている.



 この教会で見たかったのは,やはりモザイクだった.もともとの作者は,アッシジのサン・フランチェスコ教会の上部教会のフレスコ画,ローマのサンタ・マリーア・マッジョーレ教会の後陣のモザイクの作者とされるヤコポ・トッリーティ(13世紀末)のようだ.

 しかし,19世紀に内陣部分を拡張するために後陣自体を後ろに下げる工事が行なわれたため,モザイクはその際の破壊と修復を経ているらしく,見たところ大変新しいという印象を受けるが,果たしてどの程度原型をとどめているのか,私にはわからない.それでも,古風な絵柄のモザイクが金色に輝くのを見るのは,やはり良いものだと思う.

 十字架の周りに聖母と聖人がおり,聖母の脇に小さく教皇ニコラウス4世が跪き,古代の聖人たちの間に少し小さめの聖フランチェスコとパドヴァのサンタントーニオが描かれている.このモザイクを依頼したのがフランチェスコ会出身のニコラウス4世だからだ.絵柄によってもこのモザイクが古代のものではないことがわかる.

写真:
後陣のモザイク


 教会の建物は17世紀にフランチェスコ・ボッロミーニによって改築されているし,バロック風のファサードは有名なガリレオ・ガリレイと同じ一族に属するフィレンツェの建築家アレッサンドロ・ガリレイによる新しいものだ.

 堂内にはジョット作と伝えられる教皇ボニファキウス8世を描いたフレスコ画断片があるが,とてもジョットの作とは思えない.教会で買った簡便な英訳版ガイドブックも「13世紀のローマの無名の親方」としているが,この絵の下には2通りの説明がラテン語でされていて,どちらもジョットの作品としている.



 入場料2ユーロが必要だが,左側廊から中庭付き回廊(キオストロ)に出ることができる.大変美しく,古い彫刻や,モザイクが施された柱,浮彫付き石棺など興味深いものが見られる.

写真:
古風な佇まいの回廊


 回廊を半分進んだところに展示室があった.中に入ると聖具や聖職者の衣装などの他,ラファエロが描いたとされる「聖母子」の下絵などが展示されていたが,奥にあったガラスケースに意外なものを見つけた.パレストリーナの自筆楽譜だ.

 パレストリーナは,対抗宗教改革の時代のヴァティカンのサン・ピエトロ聖堂の楽長(マエストロ・ディ・カペッラ)として知られるが,一時期サン・ジョヴァンニ・ラテラーノ教会の楽長だった(1555-1560).

 今回のイタリア滞在で,日程や体力を考慮し後日の楽しみとして残したもの中に,クラウディオ・モンテヴェルディの故郷クレモーナと,ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナの故郷パレストリーナを訪ねることがある.

 先日偶然にも,ヴェネツィアでモンテヴェルディの墓に参ることができ,今回ローマでパレストリーナの自筆譜を見ることができたのは,天の恵みのように思えた.

写真:
パレストリーナの
自筆楽譜



コズマーティ様式
 他にもサン・ジミニャーノのコッレジャータ教会でフレスコ画を見たバルナ・ダ・シエナの絵なども見られた.しかし,何と言っても,コズマーティ一族によるモザイクの床装飾を見ることができたことは大きい.今回のローマ行で結果的に一つの大きな収穫となった.

 前回のローマ行でも,実はサンタ・プラッセーデ教会,サンタ・マリーア・マッジョーレ教会で見ており,妻は注目していたのだが,私は特に注意を払わなかった.しかし,今回その見事さにすっかり魅了されてしまった.この後訪ねる幾つかの教会でも見ることができたし,今後は多分コズマーティ様式ではなくても,教会の床装飾には注意を払うことになるだろう.


スカーラ・サンタ
 交通量の多い諸道の交差点になっているサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ広場を挿んで向かい側に「聖なる階段」(スカーラ・サンタ)と「教皇の礼拝堂」(サン・ロレンツォ礼拝堂)がある建物がある.

 その側面にも教会の後陣の半穹窿型天井のようになった部分にモザイクがあり,新しいもののように見えるが,作者と制作年代についての情報は今のところ得られていない.

「聖なる階段」は,キリストが裁判にかけられたとき登ったものとされ,エルサレムのピラトの宮殿から持ってきたものとの言い伝えがある.


 もちろん伝説であるが,信者にとっては一種の聖地のようになっており,跪いて登り,「キリスト磔刑」のフレスコ画の下で,ガラス越しに見える教皇の礼拝堂に1人ずつ祈りを捧げる風習があるようだ.この階段を跪いて登らない人のためには,「聖なる階段」の両脇に壁で隔てられた階段があり,歩いて上部にある教皇の礼拝堂の隣の礼拝堂に入ることができる.

写真:
「聖なる階段」
(スカーラ・サンタ)


 サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会に付属する洗礼堂にもモザイクがあるらしいが,これはすっかり忘れていて,拝観せずに,次の予定のサンタ・マリーア・イン・ドムニカ教会を目指した.

 この教会は『ワールド・ガイド』の情報に拠れば,3時半に昼休みが終わるということだったが,既に4時になっていたのに開いていない.扉近くの掲示板を見ると4時半から開くと書かれていた.そこで,今回は拝観しない予定だった近くのサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会(聖堂)に行ってみることにした.


サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会

 この教会の地下にはローマ時代の家の遺構があり,公開されているようだが,見学しなかった.教会の堂内に特にこれといった芸術作品があるわけではないようだが,この教会にフレスコ画を描いたニッコロ・チルチニャーニ,通称ポマランチョの絵は,この後ローマのあちこちで見ることになるし,コズマーティ様式の床装飾も見ることができたので,何も収穫がなかった訳ではない.

 堂内をずらりと囲むように飾られたシャンデリアが目をひいた.これらに明かりが灯されたら,さぞ豪華な雰囲気を醸し出すだろう.何よりも,ローマの「七つの丘」の一つチェリオの丘(モンス・カエリウス)の一角にひっそりと佇む落ち着いた雰囲気が好感の持てる教会だった.

 ポマランチョに関しては,教会の説明プレートではニッコロ・チルチニャーニになっており,英語版ウィキペディアはクリストフォロ・ロンカッリとなっているが,ニッコロの息子アントニオとともに3人とも現在はトスカーナ州に属するヴォルテッラの近郊のポマランチェの出身で同じ通称で呼ばれたとのことだ.

 予定外に拝観できたサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会を辞去して,もう一度サンタ・マリーア・イン・ドムニカ教会に向かったが,これについては,「続く」としたい.





コズマーティ様式
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会