フィレンツェだより
2008年2月14日



 




城壁の上の散歩道
ルッカ



§ルッカ再訪(後篇)

スピネッロ・アレティーノがルッカで仕事をした可能性があるのは1380年前後ということで,パオロ・グイニージが政権の座につく1400年よりも大分前ということになる.


 国立博物館で見た小三翼祭壇画の他にも,ルッカのサンティ・シモーネ・エ・ジューダ教会に彼の三翼祭壇画「玉座の聖母子と聖人たち」があったらしい.この作品は現在,切り離されてパルマの国立美術館とメキシコ・シティーにあるとのことだ.

 スピネッロが撒いた種が,14世紀の終わりから,グイニージ治世下の15世紀初めにかけて,地元出身のジュリアーノ・ディ・シモーネ,アンジェロ・プッチネッリ,フィレンツェの画家ゲラルド・スタルニーナの活躍につながった,という考えもあるようだ.

 しかし,現在ルッカで見られるスピネッロの作品は1作だけで,またスタルニーナの作品もいつ描かれ,最初はどこにあったかはっきりしない以上,有名な画家と地元の芸術家の名前をつなぎあわせた説という感はぬぐえない.

 それでも,スピネッロ・アレティーノの影響を受けたと考えられるジュリアーノ・ディ・シモーネの作品が,少なくともルッカのサン・ミケーレ・イン・フォーロ教会,サンティ・ジョヴァンニ・エ・レパラータ教会で見られることを考えると,ジョットとシエナ派の両方の影響を受けたスピネッロのような作品が他にルッカで見られない以上,スピネッロからジュリアーノの流れは影響関係と見ても良いのだろう.

 サン・ミケーレ・イン・フォーロ教会に残っている伝ジュリアーノ・ディ・シモーネのフレスコ画の「聖母子」は残念ながら,それほど良い作品と思えない.

写真:
「聖母子」
伝ジュリアーノ・ディ・シモーネ
サン・ミケーレ・イン・フォーロ教会


 しかし,前回拝観したサンティ・ジョヴァンニ・エ・レパラータ教会のパンフレットを見ながら思い出すと,堂内に残っていた3人の聖人たちのフレスコ画は立派で,峻厳な顔の造形や服装の華やかな色彩,静止した姿勢の中に込められた動的なエネルギーは,確かにスピネッロの系譜に属する人なのだろうかと思わせるものがある.

 国立博物館で見た板絵の三翼祭壇画「玉座の聖母子と聖人たち」でも,特に聖人たちの表情の中にスピネッロの影響があるのかも知れない.しかし,1390年代にルッカで活動し,おそらくルッカ生まれであるという以外に伝記的な事実がわからないし,もう一つあった剥離フレスコ画の「イエスの誕生」の写真がないので絵柄をよく思い出せないから,何とも言えない.

これらのことから僅かに言えるのは,スピネッロ・アレティーノの複数の作品がルッカにあり,ルッカ出身の画家がその影響を受け,その作品もまた数点はルッカで見られるということだけだ.


 スピネッロ・アレティーノに関する情報はそう多くない.生没年は正確にわからないようだが,1350年以前に生まれ,1410年以後に亡くなったらしい.

 わずかに拾える情報によれば,1387年にフィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテの「聖ベネディクトの生涯」,90年代の初頭にピサのカンポ・サントの「聖エフィシウスと聖ポティウスの物語」,1407年にシエナのパラッツォ・プブリコの「アレクサンデル3世の生涯」を描いている.

 フィレンツェ近郊のバーニョ・ア・リーポリのアンテッラというところにある聖カテリーナの祈祷堂の「聖カテリーナの物語」のフレスコ画は,1390年頃の作品らしい.1389年はメディチ家の老コジモが生まれた年であることを考えれば,フィレンツェの最盛期よりも前の話だということがわかる.

 師匠はヤコポ・デル・カゼンティーノとする人と,アーニョロ・ガッディとする人がおり,いずれにしてもジョット派の影響が強いが,オルカーニャの流れも組み,シエナ派からも多くのものを取り入れていると説明されている.これでは14世紀後半にフィレンツェ周辺で活躍した画家としては当たり前すぎるようにも思えるが,他に説明の仕様がないのだろう.

 アレッツォのサン・フランチェスコ教会,サン・ドメニコ教会に断片的に幾つかのフレスコ画が残っていて,私は傑作だと思うが,これについてはあまり説明がない.1360年代から80年代にかけてアレッツォで活動しているとのことなので,その時代のものだろうか.あるいは晩年アレッツォに帰ってからの作品だろうか.中世・近代美術館にも「ピエタのキリスト」と「三位一体」のフレスコ画があり,これが私にとってのスピネッロ開眼の契機になったが,前者は1395年頃の作品と説明されていた.

 グイニージ邸の国立博物館を辞するときに,「無料です」と言われて,もらってきた本が,

 Gabriele Donati, Lucca al Tempo di Paolo Guinigi: Una Guida nel Mondo di Poaolo Guinigi Signore di Lucca nel Primo Quattrocento, Lucca, 2007

だった.

 この本は,国立博物館の作品を一つ一つ解説してくれたものではなく,パオロ・グイニージが事実上の君主だった時代に栄えた芸術文化を論じたもので,スピネッロ・アレティーノとヤコポ・デッラ・クェルチャが大きく取り上げられている.

 博物館の主要作品についてだけでもよいからカタログやガイドブックはないかと探したが,無かったのでがっかりした.それでも,ただで貰ったこの本に,スピネッロの小三翼祭壇画の写真が小さいけれども載っていたので嬉しかった.



 国立博物館は,入場してすぐの1階にリグリア人,エトルリア人,ローマ人が残した考古学的遺産があり,2階から順路をたどって降りた先の1階には中世から18世紀くらいまでの絵画と彫刻が展示されている.1400年前後,1500年前後,17世紀以降に「地元の画家」を輩出し,これらの画家たちが,他の地方から来た有名な画家たちとともにルッカの芸術を作り上げていった.そのことがよくわかる展示になっていると思う.

 私の好みとしては,ギルランダイオの弟子とされるヴィンチェンツォ・フレディアーニと,彼の同時代人であるアンサーノ・ディ・ミケーレ・チャンパーニ,ミケランジェロ・ディ・ピエトロ・メンブリーニ,ザッキア・ダ・ヴェッザーノに注目したい.写真もカタログもないので,いつか忘れてしまうだろうが,それはそれで良いのだと思う.

 グィド・レーニやランフランコなど,他の地域出身でローカルを超えて活躍した画家の作品も散見されたが,この博物館で,もう一度見たいのは,やはりティーノ・ディ・カマイーノ,スピネッロ・アレティーノ,ヤコポ・デッラ・クェルチャ,マッテーオ・チヴィターリ,アミーコ・アスペルティーニ,フラ・バルトロメオの作品だろう.


ドゥオーモ
 グイニージ邸からドゥオーモへと向かう.途中,昔の掘割の澄んだ水の中を魚が泳いでいるのを眺めたり,城門の風情を楽しんだりして歩いた.ルッカは本当に美しい町だと思う.

写真:
掘割のせせらぎに
魚影を眺める


 ドゥオーモでは1人2ユーロの拝観料で聖具室のギルランダイオの「聖母子と聖人たち」,クェルチャの「イラリア・デル・カッレットの石棺」を見た.前者ももちろん興味深い作品だが,今回は特に後者をじっくり鑑賞した.

 スピネッロ・アレティーノに関しては,グイニージ治世下の芸術の繁栄と直接結び付けるには材料が足りないかも知れないが,クェルチャに関しては十分な論拠がある.第一にこの石棺に入っていたイラリア・デル・カッレットはパオロ・グィニージの妻で,石棺を注文したのは当然のことながらパオロだ.

この石棺に施された大理石の彫刻は世紀の傑作と言うべきだろう.24歳でパオロに嫁ぎ,2子を産んで26歳で亡くなった女性の柩だ.


 柩の蓋に横たわるイラリアの姿の美しさが目を引きつける.足元にうずくまる犬が可愛い.柩の側面のプットー(ギリシア神話のエロスに似た姿の有翼の幼児)たちもこの石棺を特徴づけている.

 クェルチャがどういう風に彫刻家修業をしたのかはわかないが,シエナのドゥオーモでニコラ・ピザーノやアルノルフォ・ディ・カンビオの作品を見た可能性があり,ピサのカンポ・サントにたくさんあるローマ時代の石棺からの霊感を得ていると考えられる.古代,中世の影響を自分の作品に活かして行く,クェルチャは彫刻のルネサンスの入口に立っていた芸術家と言えるだろう.

 この石棺を作ったのが1406年,同じルッカのサン・フレディアーノ教会のトレンタ礼拝堂の大理石の多翼祭壇飾り「聖母子と聖人たち」とロレンツォ・トレンタ夫妻の墓碑が1416年,ボローニャのサン・ペトロニオ聖堂のファサードにあるリュネットの「聖母子と聖人たち」が1425年で,1438年に65歳くらいで亡くなっているので,フィレンツェのロレンツォ・ギベルティ(1378年-1455年)とほぼ同時代人だ.

 ギベルティといえばフィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の通称「天国の門」(1428-52年)のパネルが名高いが,洗礼堂東門に現在はコピーが置かれている(本物はバルジェッロ博物館)このパネル以前に,東門の扉のパネル(現在は北門にオリジナルがある)の製作者公募(1401年)に応じたのが,他にブルネッレスキ,ドナテッロとクェルチャだった.後に北門に置かれる東門パネルのギベルティ工房による完成が1424年,ミケランジェロが生まれるのが1475年のことだ.

 ドゥオーモでは他にティントレットの「最後の晩餐」,アレッサンドロ・アッローリの「聖母マリアの神殿奉献」,などの作品も見られる.先日ヴェネツィアで山ほど見たティントレットだが,この「最後の晩餐」も2度目なので,落ち着いて鑑賞できた.

 前回ドゥオーモで見られず,残念に思ったフラ・バルトロメオの「玉座の聖母子と聖人たち」は,今回は国立博物館で見ることができた.


マッテーオ・チヴィターリ
 ルッカには「地元の芸術家」がたくさんいるわけだが,絵画,彫刻方面では最も優れていると思われるのは,多分マッテーオ・チヴィターリだと思う.前回のルッカ行の時に,最初に行ったドゥオーモで初めて出会い,サン・フレディアーノ教会でも傑作に出会えたし,今回は国立博物館で数点見ることができた.

 マッテーオが生まれたのが1436年なので,クェルチャの最晩年にあたる.フィレンツェで修業して,その作風にはアントニオ・ロッセリーノ,ミーノ・ダ・フィエーゾレの影響が見られるという以外,若い頃のことはわからない.生まれ故郷のルッカで活躍し,その作品はドゥオーモに数点あるほか,サン・フレディアーノ教会,サン・ミケーレ・イン・フォーロ教会にもある.

 サン・ミケーレ広場には,彼と息子のニッコロの設計になるプレトリオ宮殿があり,開廊には彼のブロンズ像も飾られている.マッテーオ・チヴィターリは,フレディアーニ,チャンパーニ,メンブリーニなどの画家たちとともにルッカのルネサンスを現出した芸術家と言えよう.

写真:
プレトリオ宮殿
開廊にチヴィターリ像



サン・ミケーレ・イン・フォーロ教会
 チヴィターリの聖母像のコピーがファサード横に飾られている(現物は堂内)サン・ミケーレ・イン・フォーロ教会は前回写真は遠慮したが,今回は撮影不可ではないのを確認して,ルーカ・デッラ・ロッビアの「聖母子」などの写真を撮らせてもらった.

写真:
 フィリピーノ・リッピ作
「聖人たち」
左からロッコ,セバスティアヌス,
ヒエロニュモス,ヘレナ


 これらは巨匠の作品としては取り立てて優れたものとは思えないが,「地元の画家」ピエトロ・パオリーニ(1603-1681)の「聖アンデレの殉教」が印象に残った.

写真:
ピエトロ・パオリーニ
「聖アンデレの殉教」


 パオリーニの作品は国立博物館で5点見られた.パオロ・バンヌッチ,ジローラモ・スカーリア,ジローラモ・マッラッチ,アントニオ・フランキ,フィリッポ・ゲラルディ,ジョヴァンニ・コーリなどとともにルッカ絵画のバロック期を支えた画家だ.やはり国立博物館で作品が数点見られたジョヴァンニ・ピエトロ・ロンバルディ(1682-1751),次の世代のポンペーオ・バトーニ(1708-1787)までが,ルッカ芸術の最後の光芒と言えるかも知れない.


マンスィ宮の国立絵画館
 前回休館だったマンスィ宮の国立絵画館では,ビッグネームの作品がいくつか鑑賞できた.多くのガイドブックに紹介されているポントルモの「少年の肖像」,ブロンズイーノの肖像画が3点,フェデリコ・バロッチの共作の肖像画が1点,フランチェスコ・フリーニの「キルケ」,オラツィオ・ジェンティレスキの「マグダラのマリア」,ベッカフーミの「スキピオの抑制」と「十字架を担うキリスト」,ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの「洗礼者ヨハネ」,ヴェントゥーラ・サリンベーニの「アレクサンドリアの聖カタリナ」の他にリゴッツィ,ヴィニャーリなどフィレンツェで活躍した画家たちの作品が見られた.

 ギリシア神話を題材にした作品ではピエトロ・テスタの「ガラテアの勝利」,ピエトロ・リーベリの「ディアナの水浴」が印象に残る.

 これらの作品はトスカーナ大公ロレーナ家のレオポルド2世から寄贈されたコレクションらしいが,現役の国立絵画館として,収蔵すべき作品の収集もしているようで,「地元の画家」ヴィンチェンツォ・フレディアーニの「聖母子とジョヴァンニーノ」,ピエトロ・パオリーニの「生と死の寓意」も展示されていた.ボローニャで出会ったフランドル出身のドゥニ・カルヴェール,通称イル・フィアンミンゴ(フランドル人)の作とされる「ダナエ」もあった.

 「新婚夫婦の間」には「パリスの審判」と「トロイアから亡命するアエネアス」の大きなフレスコ画があったが,作者の名前は覚えていない.

 この部屋に見られるように,もとは大邸宅であるこの絵画館は,たくさんのタペストリーやフレスコ画をはじめとする豪華な室内装飾が見ものである.時間と体力に余裕のある場合は,マンスィ宮はお勧めのスポットと言えよう.

 プッチーニの生家博物館は修復中だったようで,見学することはできなかったが,マンスィ宮の国立絵画館で充実の絵画鑑賞をしたので,当初予定していた4時32分の電車には乗れず,1時間後のフィレンツェ・サンタ・マリーア・ノヴェッラ駅行きの電車で帰ってきた.


中世の城壁に沿って
 ルッカには町を囲む城壁が残っていて,城壁の上は散歩コースとして整備されている(トップの写真).城壁の周りの緑地も美しい.

 城壁内も,パラッツォ・ドゥカーレのあるナポレオン広場,テアトロ・コムナーレのあるジリオ広場,ローマ時代のフォルムがあったサン・ミケーレ広場,ローマ時代の円形闘技場(アンフォテアトロ)があったメルカート広場など,すばらしい空間が見られ,グイニージ邸からドゥオーモに向かう途中に通ったフォッシ通りも美しい通りだ.

 かつて掘割(フォッソ,複数形がフォッシ)だった水路を流れる水もきれいで,中世の旧城壁の名残であるサンティ・ジェルヴァーズィオ・エ・プロターズィオ門も見事なものだ.

写真:
サンティ・ジェルヴァーズィオ・
エ・プロターズィオ門


 この町は街路も概ね清潔で好感が持てる.再来年の次の年の夏は,ルッカに滞在して,北部と西部のトスカーナを旅しようと相談中である.





枯れ木立が絵画的
ナポレオン広場