フィレンツェだより |
ジリオ(百合)広場にて ルッカ |
§ルッカ再訪(前篇)
前回,ドゥオーモ博物館は見たが,マンスィ宮にある国立絵画館は閉まっていたし,グイニージ邸の国立博物館は,少し町外れなので予定に入れなかった.この絵画館と博物館を一度見ておきたいと思った. 教会は一通り回ったが,その中でも充実した拝観をさせてもらったサン・フレディアーノ教会は,もう一度しっかり拝観したかった.それと,オペラ作曲家ジャーコモ・プッチーニの生家があり,記念博物館もあるので,時間的に余裕があれば,ここも見学したかった.
![]() そこで,60年から始まったこの3人による事実上のローマ支配(いわゆる第1回三頭政治)の継続が決まり,カエサルは彼の軍事的基盤を固めるガリア遠征を続行,ポンペイウスとクラッススは翌年の執政官となって政治的影響力を強め,また退任後の担当属州も予め割り振られた. 古代にも中世にもトスカーナの中心として栄えた時代があった. 特に栄えたのは事実上の君主であった,カストルッチョ・カストラカーニ(13世紀前半),パオーロ・グイニージ(14世紀前半)が安定的に支配した時代で,グイニージ失脚以後は,複雑な外交関係と不安定な政治情勢に影響されて,苦難の歴史をたどった.
![]() お昼前後に適当な電車がないので,少し早いと思ったが,9時8分発ヴィアレッジョ行きでフィレンツェを出発し,10分遅れて10時40分過ぎにルッカに到着した. ここ数日晴天が続き,この日もルッカの手前のペーシャ,アルトパッショ周辺の風景が美しく,遠くにカッラーラの大理石を切り出す山が雪山のように見えた. ドゥオーモ以外の教会は12時から昼休みに入るので,駅に到着後,サン・ピエトロ門をくぐると,街中の道を直進して,城壁内の反対側にあるサン・フレディアーノ教会に向かった. サン・フレディアーノ教会 この教会には,アミーコ・アスペルティーニのフレスコ画とヤコポ・デッラ・クエルチャの大理石による多翼祭壇飾りがある.他にも,アンドレーア・デッラ・ロッビア派の彩釉テラコッタによるリュネット型の「受胎告知」,マッテーオ・チヴィターリの洗礼盤と,彩色テラコッタによる「腰帯の聖母被昇天」があり,これらはみな傑作の名に恥じない作品である.
ガスパーレ・マンヌッチの「受胎告知」,ジローラモ・スカーリアの署名がある「聖アポロニア」,アウレリオ・ローミ(1556-1622)の「聖カッシウスの殉教」,ピエトロ・ソッリ(1556-1622)の「聖ファウスタの殉教」など,後で国立博物館で複数の作品を見ることができた16世紀以降の「地元の画家」の作品も見られた. ![]() 後陣や一部の礼拝堂が工事中だったし,中がブックショップになっていて、おもしろそうな絵も数点かかっている礼拝堂は,午後に行った前回同様,この日も閉まっていた.少し残念だったが,心ゆくまで拝観をさせてもらい,ファサードのビザンティン風モザイクを振り返りながら,この愛すべき教会を辞去した. ルッカと音楽家 ルッカと言えば,プッチーニを別格にして,他にも有名な音楽家を輩出している. フランチェスコ・ジェミニアーニ(1687-1762) ルイージ・ボッケリーニ(1743-1805) アルフレード・カタラーニ(1854-1893) である.ジェミニアーニはヴァイオリンの名手,作曲家,音楽理論家.合奏協奏曲などが有名だが,イングランドで活躍,アイルランドのダブリンで死去した.ボッケリーニはチェロ奏者で作曲家,活躍の場は主にスペインで,そこで亡くなり,子孫もスペインにいるそうだ. 遺体があるかどうかはわからないが,この2人の墓がルッカのサン・フランチェスコ教会にあるということなので,ボッケリーニのファンである私は是非お参りしたいと思った. 教会は、たまたま国立博物館のあるグイニージ邸(ヴィッラ・グイニージ)のすぐ近くにあるので、国立博物館に行きがてら寄ってみたが,残念ながら開いていなかった.博物館を辞去してドゥオーモに向かうときに,もう一度確認したが,やはり開いていなかったので,教会のファサードの前で合掌,最敬礼した.
その思いが通じたかどうかはわからないが,今朝のトスカーナ・クラシカはボッケリーニのチェロ協奏曲とギター五重奏曲を放送していた. カタラーニはミラノの墓地に,オペラ作曲家のポンキエッリ,指揮者のトスカニーニとともに眠っている. グイニージ邸(国立博物館) 国立博物館のあるグイニージ邸は,15世紀前半に約30年間ルッカを支配したパオロ・グィニージの邸宅であった.事実上の王宮と言ってよいだろう. ルッカのガイドブックを読んでいると,グイニージという名前がたびたび登場する.グイニージの塔,グイニージ通りなどだ.パオロ・グイニージはルッカの名門の生まれとは言え,世襲によって続いた封建領主ではなく,彼一代の統治であり,彼自身も失脚して亡命を余儀なくされた人物だ.
芸術家には保護者,少なくとも作品の注文主が必要である.芸術家が自分の芸術的動機を最優先して作品を生み出すようになったのは後の時代のことで,特に古代,中世,ルネサンスではごく稀なことと言えよう. その意味でも30年間安定した政権の座にいた事実上の君主は,芸術にとってきわめて重要な存在だったと言えるだろう.
![]() アミーコの作品は「聖母子と聖人たち」だった.人によっては傑作とは思わないかも知れないが,彼の特徴がよく出ていて,にわかにアミーコのファンになった私には良い絵に思えた.
彼の同郷の先輩であるフランチェスコ・フランチャの「無原罪の御宿り」(と書いたあったが,「聖母戴冠と聖人たち」と言った方がピンと来るように思えた)も見ることができた. また,ドゥオーモにあるはずのフラ・バルトロメオの「玉座の聖母子と聖人たち」が展示され,彼の作品があと2点,彼の弟子であるフラ・パオリーノの作品が1点同じ展示室にあった.16世紀のルッカに傑作を残したボローニャとフィレンツェの画家たちということになる.多分,この展示室が国立博物館で最重要のコーナーだと思う人も少なくないだろう. この重要な展示室に至るまでに,中世からルネサンス初期に至るまでの絵画と彫刻をたくさん見ることができる.彫刻ではティーノ・ディ・カマイーノの「聖母子」(大理石),ヤコポ・デッラ・クェルチャの「聖アンサヌス」(木彫)が立派で,地元のマッテーオ・チヴィターリの作品は幾つかあったが,この人の作品としては大理石よりも彩色したテラコッタの「聖母子」が良かった. ![]() しかし,何と言っても僥倖に思えたのは,スピネッロ・アレティーノの小三翼祭壇画(トリッティケット)「キリスト磔刑と聖人たち」があったことだ.これは見事な作品だった.私なら,これをこの博物館で見た最高傑作と考える. スピネッロ・アレティーノにルッカで出会えるとは全く思っていなかった. スピネッロの作品に関しては圧倒的にフレスコ画の評価が高く,それに関しては私も全く異存が無いが,フィレンツェのアカデミア美術館,ピサのサン・マッテーオ国立美術館で見た作品に関する限り,板絵について,殆どが工房作品であるとか,フレスコ画ほどに実力を発揮していないとか言うのは言い過ぎのように思う.
![]() それに関する簡単な感想と,ルッカで見たその他の美術館,教会,「地元の芸術家」たち,何よりも好ましく思われたルッカの美しい街並みに関しては,「明日に続く」としたい. |
プッチーニの銅像とともに 中央奥の建物が彼の生家(博物館) |
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