フィレンツェだより
2008年2月11日



 




市長執務室の壁に描かれた
昔のフィレンツェ
(ヴェッキオ宮殿は現役の市庁舎)



§ヴェッキオ宮殿再訪

前回ヴェッキオ宮殿の内部を見学したのは4月3日,フィレンツェで暮らし始めて間もなく,まだ右も左もわからない頃だ.


 その後,シニョリーア広場は数え切れないくらい通り,宮殿の折々のたたずまいも写真に収めたりしてきたが,内部の再訪は何となく後回しになってきた.

 一度,再訪の機会があった.5月の文化週間のときだ.国立の美術館等が入場無料になるということで,ヴェッキオ宮殿もそうかと思って行ってみたのだが,無料ではなかったので,セキュリティーチェックだけ受けて入館はしなかった.それからでも9カ月経っている.

 10カ月以上経過した今も,未だに右も左も前も後ろもわからないが,それでも多少の経験も積み,フィィレンツェで見られる芸術作品を相当数見て,作者に対する知識も多少は蓄えてきている.今ヴェッキオ宮殿を見学すると何か違うものが見えるように思え,再訪を試みた.



 ヴェッキオ宮殿は,どの部屋に行っても,ヴァザーリとその弟子たちによるたくさんの壁画,天井画がある.それらはメディチ家の歴史やギリシア神話などの題材としており,それはそれで見ておもしろい.また,床模様や輝石細工の調度品にも興味深いものが少なくない.

 しかし,今回は,前回じっくり鑑賞し損ねた幾つかの作品を見ることに重点を置いた.

* ヴェロッキオ 「海豚と戯れるプットー」
* ブロンズィーノ 「ピエタ」(祭壇画)
* 同 「モーゼの紅海越え」(フレスコ画)
* ドメニコ・デル・ギルランダイオ 「百合の間の装飾」(フレスコ画)


を,しっかり見ることが,今回の主たる目的である.


500人広間
 危険物を持ち込んでいないかの検査が一人一人行われるので,入館には多少時間がかかるが,昨日は先頭で,すぐ入ることができた.

 回廊を進み,その先のビリエッテリアで,入場券(1人6ユーロ)を買い求めると,階段をあがって,まず500人の大広間(サローネ・デーイ・チンクェチェント)に出た.ミケランジェロの彫像「勝利」があり,ヴァザーリを中心に描いた大きな壁画と天井画で一杯の部屋だ.

ここにはかつてミケランジェロの「カシーナの戦い」と,レオナルドの「アンギアーリの戦い」の絵があったことが知られている.


 これらの絵が依頼された16世紀初頭,フィレンツェはメディチ家が亡命して,政権をとっていたサヴォナローラが失脚し,ソデリーニを中心とする共和国政府の時代であり,マキアヴェッリが政庁の中枢にいた.ダヴィデ像もすでに完成していた.

 ヴァザーリがこの大広間の絵を描いたのが1563年から1565年,すでに1537年にフィレンツェ公として政権の座にあったメディチ1世がトスカーナ大公となるのが1565年で,まさにその絶頂期だった.画題もフィレンツェのピサとシエナ征服で,シエナ併合は1555年のことなので,まさにコジモ1世の功業を讃える絵と言うことになる.

 完成作はバルジェッロ国立美術館にあるジャンボローニャの「ピサに勝利するフィレンツェ」という彫刻の石膏モデルや,バルトロメオ・バンディネッリのメディチ一族の像,その弟子ヴィンチェンツォ・デ・ロッシの敵を倒す幾つかのヘラクレス像もあるが,何と言ってもミケランジェロの「勝利」に目が行く.


「海豚と戯れるプットー」
 ヴェロッキオのブロンズ像は地上階の中庭の噴水装飾だったものだが,現在はコピーが置かれており,本物は宮殿2階(日本式には3階)の「ユノーの間」にある.可憐な像だ.前回はコピーだけ見て満足し,本物の方は通り過ぎただけなので,見られて良かった.

写真:
ヴェロッキオ作
「海豚と戯れるプットー」



礼拝堂のブロンズィーノ
 ブロンズィーノの祭壇画「ピエタ」とフレスコ画「モーゼの紅海越え」は,緑の間(サーラ・ヴェルデ)内の礼拝堂にある.正面が「受胎告知」の告知の天使と聖母に囲まれた「ピエタ」で,右壁が「モーゼの紅海越え」だ.

 左壁のフレスコ画は,甥で養子のアレッサンドロ・アッローリによって描かれている.天井にも聖人たち(大天使ミカエル,福音史家マタイ,聖ヒエロニュモス,アッシジのフランチェスコ)を描いたフレスコ画があり,たいへん見応えのある空間だ.

写真:
ブロンズィーノ作
祭壇画「ピエタ」



チェッキーノ・デル・サルヴィアーティ
 緑の間から幾つかの部屋を通って,謁見の間(サーラ・デッルディエンツァ)に出る.ここには古代ローマの歴史に取材したフレスコ画「フリウス・カミルスの物語」がある.4月3日にこの写真を紹介しているが,光のあたり方で見え方が全く違うのには驚く.

 今回,この絵を描いたのが,ウフッツィにも絵が展示されているチェッキーノ・デル・サルヴィアーティ(本名フランチェスコ・デ・ロッシ)だと知って驚いた.しみじみと見たい作品とはまだ思えないが,ヴェッキオ宮殿にある美術作品の中では一応の注目に値するだろう.


「百合の間」
 「謁見の間」の隣は「百合の間」で,ここにドナテッロの「ユディトとホロフェルヌス」がある.

 謁見の間と百合の間を繋ぐ扉の両側には,それぞれ大理石の「聖母」像と「洗礼者ヨハネ」像があるが,いずれもジュリアーノ・ダ・マイアーノ,ベネデット・ダ・マイアーノの作で,特に後者が見事だ.ベネデットはサンタ・クローチェ教会の説教壇の作者でもあるので,実力者だろう.

 百合の間に入って振り返ると,「ユディットとホロフェルヌス」,「洗礼者ヨハネ」の傑作彫刻が,部屋の名の由来になっている美しい壁紙をバックに佇んでいるのが見られる.

写真:
ドナテッロ作
「ユディトとホロフェルヌス」


 これは確かに素晴らしい眺めであるが,その反対側にあるギルランダイオのフレスコ画を見落とすことがはできないだろう(前回この作品をほとんど素通り状態にしてしまった私は大きなことは言えないが).これをようやくじっくり鑑賞することができて,フィレンツェ周辺で見られるギルランダイオ作品の大きなものの1つをしっかり見たことになり,胸のつかえがおりた.

 大きな壁面の真ん中には,玉座のフィレンツェの守護聖人の聖ゼノビウスが描かれ,それを美しい若者の姿で描かれる聖ラウレンティウスと聖ステパノが囲んでいる.その上部にはリュネット型の「聖母子と天使たち」の絵があり,絵の中の場面に絵が描かれている構造になっている.

 3聖人の両脇にはフィレンツェを象徴する獅子マルゾッコがいて,右の獅子はフィレンツェ紋章の入った旗,左の獅子はキリスト教の印である白地に赤十字の旗を持っている.一見,宗教画の題材に見えながら,実はフィレンツェという都市を守護する者という政治的意味合いが込められた絵である.右の獅子の頭は扉を作るために削られており,このフレスコ画が16世紀の改築前の古いものであることがわかる.

 左右の扉の上方にあるリュネット型の絵の中には,それぞれ3人の人物が描かれていた.キリスト教以前の人物たちで,左側にいる3人の人物は,左からブルトゥス(ブルートゥス),スカエウォラ,カミルス(カミッルス),右側のリュネットは左からデキウス,スキピオ(スキーピオー),キケロ(キケロー)とそれぞれの絵の下に名が記してある.さらにその下に一人1行ずつラテン語の説明がついていた.
 
ブルトゥス 私ブルトゥスは祖国の解放者で王たちの追放者である
スカエウォラ 私スカエウォラは手を炎で焼いている(中間部分が欠損しているが文意は通る)
カミルス 私カミルスは敵を殺して勝利の旗印を掲げている
デキウス 私デキウスは息子への手本であり,ローマのための犠牲である
スキピオ 私スキピオはハンニバルを破り,カルタゴ人を征服した
キケロ 私はキケロである.カティリーナが我らの権威を揺るがした

という意味であろうと思う.

 記憶違いでなければ,ギルランダイオの絵でキリスト教以外の主題のものは多分初めて見たと思う.

 しかし,ギルランダイオは,サンタ・トリニタ教会サッセッティ礼拝堂やサンタ・マリーア・ノヴェッラ教会トルナブオーニ礼拝堂のフレスコ画に,メディチ家と関連のある知人の人文主義者を描き込むなど,ルネサンス時代を生きた人だったのだ.ローマ史もまた彼にとっては,よく知った題材であったに違いない.

 もちろん発注者の注文ということもあるだろう.共和国時代ではあるが,依頼された1482年という年はロレンツォ・デ・メディチの時代である.



 描かれている人物についてだが,ブルトゥスというローマ人はたくさんいるが,有名なのは紀元前6世紀のルキウス・ユニウス・ブルトゥスと,紀元前1世紀のマルクス・ユニウス・ブルトゥスで,後者が「ブルータス,お前もか」で有名な,紀元前44年の3月15日にカエサルを暗殺した人物だ.短剣を持っているので,絵だけなら後者と考えても良いが,文章による説明から509年に最後のローマ王を追放し,初代執政官となって共和制を開いた前者であろう.

 ガイウス・ムキウス・スカエウォラは,ローマがエトルリア連合軍との戦いで危機に陥っていた時,勇気を示して敵王に和議を結ばせた英雄,マルクス・フリウス・カミルスは,紀元前387年にケルト人の襲来で占領されたローマを回復して再建した人物である.

写真は,向かって右側の
リュネットの3人で,左から
デキウス,スキピオ,キケロ
である.


 デキウスは,紀元後3世紀のローマ皇帝であれば,キリスト教徒迫害で知られる人物なので,奇異な感じがするが,「息子の手本」,「ローマのための犠牲」という説明からすると,ゲルマン人との戦いで殺され,やはり皇帝となった息子も同様の運命をたどったとされるデキウスであろう.

 スキピオも名前だけなら複数考えられるが,説明から,ザマの戦いでハンニバルに勝利し,大アフリカヌスと呼ばれたプブリウス・コルネリウス・スキピオなのは確実だ.

ギルランダイオがキケロの絵を描いていることは全く知らなかった.権威の印である斧を束で包んだファスケスというものを持っている.これはローマの最高行政官の象徴で,通常はリクトルという随行者が持っている.権威を示すものであることから,後世ファシズムという語の語源になったが,ローマ時代には国家の権威を示すものだった.


 キケロは紀元前63年に共和国の最高責任者である執政官だった.前年の選挙でキケロに敗れた1人がカティリーナだが,キケロは彼の国家転覆の謀みを察知して断罪した.この時の演説が後に書き直されて公表された『カティリーナ弾劾演説』は,古典中の古典として今も読み継がれている.

 カティリーナの陰謀からローマを救ったことでキケロは「祖国の父」と呼ばれた.フィレンツェからコジモ・デ・メディチが奉られたのと同じ呼称である.キケロの栄光の絶頂期はこの時で,その後,激動の時代の中の苦難の人生と悲惨な最期が彼を待つこととなる.


ロウザー・コレクション
 ルネサンスを代表する天才画家が描いた古代の偉人の肖像を見て,満足のうちに帰途に着くはずだったが,フィレンツェのすごいところは,この後にサプライズがあることだ.

 出口に向かう階段を降りていたら,「ロウザー・コレクション」(コッレツィオーネ・ロエセル)と描かれたガラスの扉があり,係員が座っているのが見えた.ここも見られるのだかろうかと思いながら,恐る恐る扉を開けると,すばらしい絵画と彫刻が私たちを待っていた.

 帰宅してから,以前よくお世話になっていた『最新完全版ガイドブック フィレンツェ』を確認すると,「1928年にアメリカ人美術評論家チャールズ・ロウザーからフィレンツェに寄贈されたトスカーナ彫刻と絵画(14-16世紀)のコレクション」とある.「季節公開」との断り書きがあるが,以前来た時に開いていたのかどうかは記憶がない.

 最初の展示室に,いきなりセッラーイオの「幼児イエスの礼拝」があり,ピエトロ・ロレンゼッティの「聖母子」,ティーノ・ダ・カマイーノの大理石の「天使」像などが次々見られた.ポントルモの「ロドヴィーコ・マルテッリの肖像」もあった.

 次の部屋にはピエロ・ディ・コジモの「キリストの受難」があったが,1枚の板絵に「受難」の様々な場面を描きこんだおもしろい絵で,時には端整な絵も描けば,時には独創的で奇矯に思える絵も描いたこの画家らしい絵だと思った.ピエロ・ディ・コジモもやはり一種の天才と言って良いだろう.

 さらに次の部屋にはオルカーニャに帰せられる「アテネ公の追放」という剥離フレスコ画があり,一番奥の部屋には,聖書の場面(エリザベト訪問,キリストの洗礼など)や聖人たち,天使たちを描いたポントルモの小品が9点あった.

 この部屋で,この日,最高の出会いがあった.「聖トマス」と「贖い主イエス」の顔が描かれた,スピネッロ・アレティーノの2点のフレスコ画断片である.サンビアージョ教会の壊れた壁から剥がされて持ってきたものらしいが,部分とは言え,一番大事な顔が良くぞ残っていてくれたと思う.

写真:
スピネッロ・アレティーノ作
フレスコ画断片
「聖トマス」


 帰りに館内のブックショップによって,ロウザー・コレクションに関する言及のある本がないかと思って探したが,単独の本はなかった.この時点では名前の綴りから推測してレーザーというドイツ人だろうと思っていたので,ドイツ語版のパラッツォ・ヴェッキオのガイドブックを覗いてみたところ,少しだけ言及があるようだった.よく見ると英訳版を持っている本だったので,帰宅後参照しようと思ったが,すでに日本に送ってしまっていた.よって今は参照できない.

 このブックショップで,前からほしいと思っていたサンタ・クローチェ教会,ヴァザーリの回廊,ポッジョ・ア・カイアーノのメディチ家別荘のそれぞれ英訳版,伊英対訳版を買い,1冊1ユーロで投売りしていたサンセポルクロの市立美術館,モンテ・サンソヴィーノのカッセーロ博物館のガイドブックを買った.またしても荷物を増やしてしまった!

 サンセポルクロはピエロ・デッラ・フランチェスカの故郷で,数少ない彼の作品を何点か見ることができる.ガイドブックで見る限り充実した美術館のようだ.今夏はヴェネツィア,来夏はナポリとポンペイに行く予定なので,是非再来年の夏,コルトーナに数日滞在してアレッツォやサンセポルクロも訪ねる旅をしたい.夢はふくらんでいく.そのためにも仕事と健康を大事にしたいと改めて思った.



 ロウザー・コレクションを見終えて,出口方面に向かう途中,閉鎖された階段の下の方に「受胎告知」のリュネット型のフレスコ画があるのが見えた.いつの時代の誰の作品かもわからない.これを見おろす踊り場には古代風の胸像が置かれていた.

写真:
古代風の彫刻と
階段下の「受胎告知」


 様々な時代に改築を施された建物の中に,中世風,古代風の作品がさりげなくあるフィレンツェらしい風景に思えて,ひっそりとした空間に足を止めて,しばし見入った.





調度品の扉の輝石細工パネル
牡牛は白くないが,エウロパか?