フィレンツェだより |
サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂 ステンド・グラス |
§ヴェネツィアの旅(その4) - 教会篇 -
サンタ・マリーア・フォルモーサ教会で見ることができた最高傑作は,多分パルマ・イル・ヴェッキオの「聖バルバラの多翼祭壇画」だろう.バルトロメオ・ヴィヴァリーニの「慈悲の聖母の三翼祭壇画」もすばらしかったし,レアンドロ・バッサーノの「最後の晩餐」も印象に残る作品だった. しかし,ジャンバッティスタ・ティエポロの「聖母子と聖ドメニコ」は見ることができなかった.
サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂 サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂は大きな教会だった.一昨日写真を紹介したジョヴァンニ・ベッリーニの「聖ヴィンチェンツォ・フェッレルの祭壇画」の他に,バルトロメオ・ヴィヴァリーニ,アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ,ヴェロネーゼ,パルマ・イル・ジョーヴァネ,ロレンツォ・ロット,レアンドロ・バッサーノの作品を見ることができる. ロレンツォ・ロットが通常,「ヴェネツィア派」に分類されるのかどうかは分らないが,ヴェネト地方のローカルを超えて,イタリア各地で作品が見られる彼がヴェネツィアの生まれで,この教会(「聖アントニウスの施し」)とアカデミア美術館(「書斎の紳士」)で作品が見られるのは意外だった. すでに18世紀の人だが,「ヴェネツィア派」第2黄金期を代表するジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッツェッタの天井画「栄光の聖ドメニコ」があることでもわかるように,この聖堂はドメニコ会の教会だ.ジョヴァンニ・ベッリーニが描いたフェッレルもドメニコ会出身の聖人だ. この教会には多くの「元首」たちやジェンティーレとジョヴァンニのベッリーニ兄弟をはじめ,ヴェネツィアの多くの著名人の墓がある.そのせいか,立派な彫刻を施した墓碑が多く,その作者であるピエトロ・ロンバルド(15世紀)やアレッサンドロ・ヴィットーリア(16世紀)の作品は,ヴェネツィアのあちこちで見ることができ,この地方を代表する彫刻家であることがわかった.
![]() ドナテッロ,ヴェロッキオ,デル・カスターニョはヴェネツィアまで来て仕事をしたフィレンツェ人だ.ヴェッロッキオはこの作品を完成できないままヴェネツィアで亡くなった.弟子のロレンツォ・ディ・クレーディが遺体を持ち帰り,フィレンツェのサンタンブロージョ教会に埋葬したとヴァザーリは伝えている. ドナテッロの彩色木彫「洗礼者ヨハネ像」があるのがサンタ・マリーア・グローリオーサ・デーイ・フラーリ聖堂で,こことサント・ステーファノ教会を1日目に拝観した. サント・ステーファノ教会 サント・ステーファノの聖具室にはティントレットの「最後の晩餐」,「ゲッセマネの祈り」,「弟子の足を洗うイエス」があり,バルトロメオ・ヴィヴァリーニの「聖ラウレンティウス」と「バリの聖ニコラウス」があった.またパオロ・ヴェネツィアーノの「彩色磔刑像」も見られる. ベッリーニ一族以前に,14世紀にパオロ・ヴェネツィアーノ,ロレンツォ・ヴェネツィアーノがいて,15世紀初頭にもヤコベッロ・デル・フィオーレが活躍して,相当な水準の作品を残していることはアカデミア美術館,コッレール博物館で学んだ.他でも彼らの作品が見られるなら是非見てみたい. サンタ・マリーア・グローリオーサ・デーイ・フラーリ聖堂 ヴェネツィアで最初に拝観した教会が前述のサンタ・マリーア・グローリオーサ・デーイ・フラーリ聖堂だった.フラーリは方言でフランチェスコ会の修道士を意味するそうだが,この教会もフランチェスコ会の教会だ. ドナテッロの作品にはそれほどの感銘は受けなかったが,この教会には多くの傑作があり,ヴェネツィアのすばらしさを知る端緒としては恰好の場所だった.聖具室にあるジョヴァンニ・ベッリーニの「玉座の聖母子と聖人たち」については一昨日言及した.また中央祭壇のティツィアーノ「聖母被昇天」の写真も一昨日紹介している.
他にはバルトロメオ・ヴィヴァリーニの祭壇画「玉座の聖マルコと聖人たち」,「玉座の聖母子と聖人たち」,ティツィアーノの祭壇画「玉座の聖母子と天使たち,聖人たち,寄進者たち」(ペーザロ祭壇画)が各礼拝堂で見られる. さらに参事会室にパオロ・ヴェネツィアーノの「聖母子と聖人たち,寄進者たち」がある.今回,美術館以外で見られた唯一のベッリーニ一族以前の名の有る画家の絵だ. サン・マルコ聖堂以外のその他の教会同様,この教会は拝観料が要る.1人3ユーロだ.しかし,明るい雰囲気だし,サント・ステーファノの聖具室以外は写真撮影も可で,暗いところには明かりもつく.ヴェネツィアの教会は概ね好感が持てた. 「ヴェネツィアのパンテオン」で・・・ この教会にもヴェネツィアの著名人の墓が幾つもある.サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂と並び,「ヴェネツィアのパンテオン」と称されているとのことだ.元首たちの墓もあり,ヴェルディのオペラ「二人のフォスカリ」で知られるフランチェスコ・フォスカリもここに葬られている.ティツィアーノの墓もある. 翼廊の左端の礼拝堂にはアルヴィーゼ・ヴィヴァリーニの祭壇画「聖アンブロシウスと聖人たち」があり,それも興味深かったが,左手前方に譜面台と楽譜があり,床の墓碑に白バラが供えられているのが目をひいた.クラウディオ・モンテヴェルディの墓だった.彼の胸像もあった.
イタリアのバロック音楽を確立した,この大作曲家は,クレモーナに生まれ,マントヴァの宮廷に使えたが,1613年にサン・マルコ聖堂の楽長となり,ヴェネツィアを活躍の場とした. 偉大な音楽家を3人選べと言われても答えに窮するが,好きな作曲家を3人挙げろと言われたら,パレストリーナ,バッハとともに迷わず挙げるのは,モンテヴェルディだと思う.ここに彼の墓があることは全く知らなかった.気づいたのは私ではなく妻だが,ヴェネツィアの旅の初日に幸先の良い出会いとなった.日本式に合掌して,深々と頭を下げ,その場を後にした. 3月には日本に帰国するが,この夏にはヴェネツィアに数日滞在する旅行を計画している.今回見逃した教会,美術館をできるだけ多く見て,本島以外の島も訪れてみたい.ヴェネツィアはおもしろい町だ. |
ゴンドラ 今年の夏は乗る予定 |
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