フィレンツェだより
2008年2月5日



 




ドゥカーレ宮殿
霧の中の風景



§ヴェネツィアの旅(その3) - サン・マルコ聖堂とドゥカーレ宮殿 -

アカデミア美術館で見た重要な作品でも,昨日言及できなかったものがかなりある.


 それらの多くは,私にとってなじみが薄いものだったが,ジョルジョーネの2つの作品はさすがに写真では何度も見たことがあった.「」と「老女」だ.特に前者は若桑みどり著の啓蒙書などによって様々な寓意的解釈があるらしいことは知っていた.

 実際に見て,小さな絵なので驚いた.魅かれるが,同じ部屋にあったコスメ・トゥーラの「黄道十二宮の聖母子」の方が今の私には関心がある.

 不思議なのは,ジョルジョーネはヴェネツィア近郊の出身で,ヴェネツィア派に分類されるのに,33歳で夭折したとは言え,ヴェネツィアで見られる彼の作品の情報が他にないことだ.アカデミア美術館には他に,剥落が酷い剥離フレスコの「裸体女性像」があるだけで,これはジョルジョーネの作品だと言われなければ,殆どの人が大して注目しないまま通り過ぎてしまうだろう.

 この時代にはどの画家も描いた,教会や修道院の注文による宗教画も,彼の手によるものがヴェネツィアにあるという情報がない.生まれ故郷と思われるカステルフランコ・ヴェネトのドゥオーモに「聖母子」があるということなので,いつか機会があれば見てみたい.

 夭折した天才はいつの時代にも神秘的な存在だが,ジョルジョーネのすばらしさに今回は開眼できなかった.


サン・マルコ聖堂
 ヴェネツィアで最も有名な教会はサン・マルコ聖堂だろう.隣にはドゥカーレ宮殿があり,前の広場は世界の観光地の中で最も有名なスポットの1つだ.

 名のある画家の,有名な作品があるわけではないようだが,天井一面のモザイクが凄い迫力で迫ってくる.制作年代が古いものばかりではなさそうだが,それはヴェネツィアのサン・マルコが生きた宗教施設であり続けたということだろう.

写真:
サン・マルコ聖堂


 中央祭壇にはラテン語で「聖マルコの遺体」と書かれた石の柩が置かれている.ヴェネツィアの守護聖人であり,彼を象徴する有翼のライオンはヴェネツィアのシンボルでもある.ドゥカーレ宮殿で,この有翼の獅子の絵を何点か見ることができるが,カルパッチョの作品がよく知られているだろう.私はカルパッチョの名前は知らなかったが,この絵は写真で何度か見たことがある.

 サン・マルコの後陣にはパーラ・ドーロと言われる祭壇飾りがある.絵が描いてあれば「黄金の祭壇画」というところだし,実際に中央祭壇に向いた正面は,イエスを中心に数人の聖人が立っている多翼祭壇画が描かれているが,この裏側こそが一見の価値があるとされる黄金の衝立である.

 金と無数の宝石が輝く中にキリストと聖母の物語や聖人たちの姿が描かれており,一部にラテン文字が混ざっているように見えるが,ギリシア文字が書いてある.その国家形成の過程から見ても,イタリアの他地域よりも東ローマの影響が強いので,あるいはビザンティン文化の影響を反映しているのかも知れない.

 パーラ・ドーロを見るためには,後陣に入る必要があり,これには1人2ユーロの拝観料がかかるが,パーラ・ドーロも一見に値するし,サン・マルコの聖遺物である遺体の納められた柩は,細かい彫刻を施した4本の円柱が支える大理石の天蓋で覆われているが,これもじっくり見ることができる.



 サン・マルコのモザイクは古くても12世紀のものだし,堂内が暗いので,高いところにあるモザイクの絵柄を確認しながら見ることは難しい.それでもサン・マルコの持つ森厳とした雰囲気には好感が持てる.夏の観光シーズンにはこうはいかないかも知れないが,漠然とヴェネツィアやサン・マルコに抱いていた俗っぽい観光地というイメージは完全に払拭された.

写真:
アトリウムのモザイク
古いものは13世紀


 堂内は撮影禁止だが,入口の前の柱列に囲まれたアトリウムの部分までは写真を撮れる.下の写真はファサード左端にある聖アリピウスの扉上の半蒼穹型モザイクで,「聖マルコの遺体を聖堂に搬送する行列」を描いたものだ.

 今回は教会の階上にある博物館には行かなかった.そこで見られる様々な宝物と,より天井に近いのでよく見える可能性のあるモザイクの鑑賞については次回を期したい.

写真:
13世紀のモザイク
「聖マルコの遺体を
聖堂に搬送する行列」



ドゥカーレ宮殿
 この後,ドゥカーレ宮殿を見学したが,ここは時間がかかった.どの部屋も芸術作品の洪水のように思えて,ありがたみが薄れるという贅沢な体験をした.描いた画家たちは,やはりティツィアーノ,ティントレット,ヴェロネーゼが中心だ.わけてもティントレットの作品数が多い.

 もう彼の絵には食傷気味になりかかった頃,「大評議の間」(ラ・サーラ・デル・マッジョル・コンシーリオ)ですごい絵を見た.日本の国会ならひな壇と言うかも知れない壇上の後ろの壁面一杯の「天国」(イル・パラディーゾ)という作品だ.これはすごい.大きさと人の多さ,さらに細部に至るまで手を抜かなかったと思われる丁寧な仕上げ,システィーナ礼拝堂のミケランジェロ「最後の審判」を思わせる巨大な作品に圧倒される.

 この部屋の主な絵はティントレットの作品のようだが,他にヴェロネーゼとパルマ・イル・ジョーヴァネの天井画などもある.後者に関しては,フィンレツェ,ヴェローナ,パドヴァなど他の町で少しずつ作品を見られたこの画家が,ヴェネツィアでは大芸術家であったことがよくわかった.しかし,そのすばらしさに開眼するにはもう少し時間がかかりそうだ.

 ドゥカーレ宮殿では,ヴェロネーゼの絵はティントレットに比べると少ないので比較的丁寧に見た.もともとこの人の絵には好感を持っている.宗教画も寓意画も色彩が華やかで,人物が端整に描かれ,構図もかっちりしていて,素人には大変分りやすい,いわゆる「上手な絵」だと思う.ティツィアーノのような思想性や,ティントレットのような独自性へのこだわりと言った,見る人を身構えさせる要素が少ないように思えた.ほめていないように聞こえるかもしれないが,私自身は分りやすい絵が好きだ.魂を揺さぶられるのは時々で良い.

 彼の作品でギリシア神話を扱ったものもあった.アンティコッレージョの間の「エウロパの誘拐」だ.フェニキアの王女エウロパが白い牡牛に変身したゼウスの誘拐されクレタ島でミノスを産む.ヨーロッパの名の元になったとされる神話だ.同じ画家の同主題のやはり美しい絵をローマのカピトリーニ美術館で見ている.

 同じくアンティコッレージョの間にあるティントレットの4点の絵も神話に取材した作品で,これはなかなか良かった.「ヴィーナスの立会いで結ばれるバッカスとアリアドネ」,「平和と繁栄の女神たちから軍神マルスを退ける女神アテナ」,「ヘパイストスの鍛冶場」,「三美神のもとを訪れるヘルメス」で,当時は宗教的なテーマの他に神話的題材を取り上げる動機として男女の美しい肉体を描くことがあったことがよくわかる.

宗教的題材でも,「聖セバスティアヌス」なら,若く美しい男性の裸体を描くことができ,女性の場合は旧約や外典ならバテシバやスザンナ,新約ならマグダラのマリアを取り上げることで,美しい裸体を描くことはできた.それでもギリシア神話の方がおそらく制約は少ないだろう.これにはルネサンスにおける人文主義の流行が貢献している.


 ティツィアーノの絵は少なかったが,2作とも傑作だと思う.フレスコ画の「聖クリストフォロス」は今回,見つけることができず実物は見ていないが,写真で見る限り力に満ちた作品なので,次回は是非見たい.



 ティツィアーノの「聖マルコの立会いのもと「信仰」の前で跪く元首アントーニオ・グリマーニ」は見ることができた.ここに描かれている「元首」(ドージェ)がヴェネツィア共和国の最高責任者である.

 ドゥカーレ宮殿(パラッツォ・ドゥカーレ)という場合,通常は「公爵」(ドゥーカ)という語からくる名称と予想されるが,「元首」(ドージェ)も「公爵」同様,ラテン語の「指導者」,「指揮官」,「将軍」を意味するドゥックスを語源としている(この点は英語の「公爵」(デューク)も同じ).

 従って,「元首」の居館(官邸)を含む建物がヴェネツィアの場合パラッツォ・ドゥカーレということになる.ドージェの訳語としては統領,総督などもあるようだ.

 ドゥカーレ宮殿でも,その他の場所でも日本の王朝時代の貴族の冠を変形させたような帽子を被っている人物の絵が多く見られる.この帽子を被った人物がヴェネツィアの「元首」だ.ティツィアーノが描くグリマーニもその帽子を被っている.

 この帽子が出てくる絵をヴェロネーゼも描いている.「ヴェネツィアの贈物の雨を降らせるユノー」である.「十人委員会の間」の天井画で,ギリシア神話の最高神ゼウス(ラテン名ユピテル)の妻ヘラ(ラテン名ユノー)が,擬人化された女性の姿のヴェネツィアに王冠や金貨との雨とともに「元首」の冠を降らせている.人文主義思想によってヴェネツィアの繁栄を描いた寓意画と言えよう.

写真:
ドゥカーレ宮殿の中庭
から見たサン・マルコ聖堂


 ドゥカーレ宮殿ではとても語りつくすことができないほどたくさんの絵を見たが,何が最高傑作だったかと聞かれたら,迷わず昨日言及したジョヴァンニ・ベッリーニの「ピエタ」と答えるだろう.

 しかし時代は下るが,「ヴェネツィア派」の第2黄金期を代表するジャンバッティスタ・ティエポロの「ヴェネツィアに贈物をする海神」も忘れがたい.ティツィアーノの「「信仰」の前に跪く元首」と同じ部屋(四つの扉の間)にあり,ギリシア神話の神が重要な役割を果たす.

 この作品は1740年代にヴェネツィア共和国から委嘱されたものとのことだ.すでに衰退して1797年にはナポレオンの征服で終焉を迎えるヴェネツィア共和国最後の光芒を象徴する作品のように思える.ここでも都市ヴェネツィアは女性の姿で現されている.その女性に対して三叉の矛を携えた海神ポセイドン(ラテン語名ネプトゥヌス,イタリア語名ネットゥーノ,英語名ネプテューン)が,海の富を象徴する大きな角貝に入った金貨を贈っている.



 いくつもの部屋を歩き回って見るのに,いい加減疲れてきたし,次に行く予定のコッレール博物館には是非見たい作品があるのに,まだまだ先は長そうで,気持ちも焦ってきた.足を早めてどんどん先に進むと,順路の一角に,大きいが地味な部屋があった.

 覗いてみると大変な作品があった.グァリエントの大きな剥離フレスコ画「聖母戴冠」だ.もとは華やかな絵だったのだろうが,見る影もなく剥落している.しかし,中央の聖母戴冠や,周囲の聖人,天使たちの,特に天使たちがまぎれもなくグァリエントの作品の特徴が見られるように思え,パドヴァで知ったこの画家に思わぬこところで邂逅した喜びが沸きあがってきた.

 もとは違うのだろうが,現在はこの部屋自体も「グァリエントの間」と言われていて,絵が大切にされているらしいことも嬉しかった.1365年頃に「大評議の間」の壁画として描かれたが,1577年の火災でダメージを受け,その上に,さっき見たティントレットの大カンヴァス画「天国」が描かれたということだ.1903年に「天国」の下から再発見されて,この部屋に置かれるようになったらしい.何とかこれからも大切に保存されて欲しい.

 この部屋と同じ並びに「司法官の間」があり,そこにはヒエロニムス・ボスの印象深い4点の絵が飾られている.「天国」(),「地獄」(),「隠修士聖人の三翼祭壇画」,「聖リベラータ殉教の三翼祭壇画」で,一部は修復中のため見られなかったが,これらの作品はドゥカーレ宮殿の作品群の中でも特に見応えのあるものに思われた.

 コッレール博物館にも特にそのコーナーが設けられていたが,ヴェネツィア絵画にも北方,フランドルの影響が大きいということなのだろう.



 順路の中には,この宮殿に組み込まれている牢獄の見学もあった.

 途中運河を越える橋は,囚人が二度と帰れない悲しみに溜息をついたと言われるので,命名は後世のものらしいが,「溜息橋」(ポンテ・デーイ・ソスピーリ)と呼ばれるようだ.私たちは幸い,その橋を渡っても無事娑婆に戻ることができた.

写真:
溜息橋の壁の合間から見えたヴェネツィアの海の眺め


 長くなったので「教会篇」は「明日に続く」としたい.





川岸に向かう人々の間で
サン・マルコ広場