フィレンツェだより |
ヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅前 大運河 |
§ヴェネツィアの旅(その2) - 美術館篇 -
思い立ったのが急なので,場合によっては祝祭の時期の街の空気を吸って日帰りする可能性もあったが,下調べのために情報収集しているうちに,アカデミア美術館とサン・マルコ聖堂だけは見たくなり,それならば1泊して,ついでに幾つかの教会と,美術館もコッレール博物館は見ようかと言うことになった. ![]() その後,リアルト橋を渡ってファッブリ通り(ヴェネツィアでは「通り」はカッレ)にあるホテルにチェックイン,荷物を置いて,アカデミア美術館へと向かった.途中2つ目の教会サント・ステファノ教会を拝観した. アカデミア美術館見学の後は,サン・マルコ広場でカーニヴァルの雰囲気を味わって,宿に帰った.
![]() まず今日は「美術館篇」として報告し,教会とドゥカーレ宮殿に関しては明日「教会篇」としてまとめたい. 「ヴェネツィア派」の画家 私にとって,もともとおぼろげながら「ヴェネツィア派」と認識できる画家は次の6人くらいだった
これにイタリア各地で見られた「ヴェネツィア派」とされる画家たち,
を加えると,ヴェネツィア行く以前に私が「ヴェネツィア派」の画家として知っていた名前はほぼ尽きることになる.せいぜいこれにティエポロの息子ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロを加えられるくらいだ. この画家が亡くなったのが1802年,すでに19世紀なので,15世紀から「ヴェネツィア派」という「派」が連続していると考えるのはかなり無理があるだろう.漠然と「ヴェネツィア出身,もしくはそこで活躍した画家たち」と考えた方が良いように思う. ただ15世紀のヤコポ・ベッリーニは,国際ゴシックのジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの門下として,諸方で修業した上で生まれ故郷のヴェネツィアに工房を開き,息子2人が有名な画家となり,娘はマンテーニャに嫁いでいる.ヤコポ自身はフィレンツェでブルネッレスキ,ドナテッロ,マザッチョの作品を見ており,息子たちの世代はマンテーニャやピエロ・デッラ・フランチェスカの影響を受けただろうから,この一族が「ヴェネツィア派」を考える上で,1つの起点となるのは間違いないだろう. ![]()
にも,ジョヴァンニ・ベッリーニ,ティツィアーノ,ティントレット,ヴェロネーゼとともに取り上げられていた, ヴィットーレ・カルパッチョ(1460年頃-1525/26年) に関しては,今回初めて知ったと言っても良いだろう.確かに今まで何かの本で見たことのある絵を描いている人だが,「カルパッチョ」と言われて私が思い出すのは料理の名前くらいだった. ジョヴァンニ・ベッリーニ 今回,数多くの「ヴェネツィア派」の画家の作品を見たが,その中でやはり心打たれたのはジョヴァンニ・ベッリーニの作品だった. しかし,16世紀に活躍したビッグ・スリーとも言うべきティツィアーノ,ティントレット,ヴェロネーゼの作品が「もう結構」と言うほど見られたのに対し,ジョヴァンニの作品は思ったほどは見られなかった. アカデミア美術館では,サン・ジョッベ(聖ヨブ)教会にあった祭壇画「玉座の聖母子と聖人たち」,「ピエタ」,「聖母子と聖カタリナ,マグダラのマリア」の他に複数の「聖母子」,「受胎告知」,「降架のキリストへの嘆き」を見ることができた. 私としては端整な「聖母子」をたくさん描いたベッリーニにしては,決して美しいとは言えない嘆きの聖母と死せるキリストを描いた「ピエタ」が良かったが,1505年の作品ということで70歳を越してからの作品であれば,同時代人のマンテーニャやコスメ・トゥーラの影響で描いた若い頃の作品ということではないようだ.このあたり,機会があれば,どの時代にどういう作風で描いたのかを一度勉強してみたい. この「ピエタ」は,聖母が膝にイエスの遺体を抱えているタイプだったが,死せるキリストが柩の中から半身を出し,聖母と福音史家ヨハネが支えているタイプの「ピエタ」をドゥカーレ宮殿で見ることができ,これも傑作に思えた.
![]() サンタ・マリーア・グローリオーサ・デーイ・フラーリ教会の聖具室でも祭壇画「玉座の聖母子と聖人たち」を見ることができた.サン・ジョッベ祭壇画と同じく,聖母子の足元に奏楽の天使たちがいるが,それも含めて全体的にフラーリの作品が優れているように思えた. サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会でも「聖ヴィンチェンツォ・フェッレルの多翼祭壇画」を見ることができた.1460年代の作品と推定されているので,これもまた若い頃の作品ということになる.
ティツィアーノ,ティントレット,ヴェロネーゼ アカデミア美術館では,ティツィアーノ,ティントレット,ヴェロネーゼの作品をたくさん見ることができる.幾つか作品を見ると,それぞれの個性が浮彫になってくるが,教会や美術館であまりにもたくさんの作品を見たので,食傷したというのが正直な感想だ.彼らの作品では,教会やドゥカーレ宮殿で見たものに印象に残るものがあったので,その感想は明日報告したい. ただ,「最後の晩餐」を組み込んだヴェロネーゼの「レヴィ家の饗宴」はその大きさもさることながら見事だったし,「玉座の聖母子と聖人たち」,「受胎告知」,「聖カテリナの神秘の結婚」は華やかな色彩とともに印象に残る.
![]() アカデミア美術館の特別展はウィーンでも行われたということで,出張していた常設の絵画もそこから戻ってきて,展示会場に飾られていた. 彼の最後の作品で,画家が死ぬまで仕事場にあったという「ピエタ」もアカデミア美術館所蔵作品だが,これは傑作だった.未完のまま残されたこの作品をパルマ・イル・ジョーヴァネが完成させたとのことだが,自らの死の直前に,疫病で息子オラツィオを失った作者自身が,イエスの遺骸を抱きかかえる聖母に跪いて救済を願う老人の姿で描きこまれている.
ローマのボルゲーゼ美術館「愛の神に目隠しをするヴィーナス」,ウィーンの美術館所蔵の「ダナエ」,ボルドーの美術館所蔵の「タルクィニウスとルクレティア」などギリシア神話やローマの伝説に取材した作品,肖像画,ナポリの美術館所蔵の「受胎告知」,パラティーナ美術館やエルミタージュ美術館にもほぼ同じ絵柄の作品がある「マグダラのマリア」が2点(個人蔵とナポリ・カポディモンテ国立美術館蔵),「聖母子」が2点(ヴェネツィアのアカデミア美術館とロンドンのナショナル・ギャラリー),「エッケ・ホモ」が2点(ダブリンのナショナル・ギャラリーとセントルイス・アート・ミュジアム),「聖ヒエロニュモス」(マドリッド・ティッセン美術館),その他,力作の多い特別展だった. この特別展のため通常1人6.5ユーロ(『地球の歩き方』)の入場料が10ユーロだったのはやむを得ないと思うし,この特別展の場所をつくるために,一部の作品が見られなかったが,これも仕方がないだろう. コスメ・トゥーラとの再会 どうまとめようとしても,画家と作品名を列挙して,「見応えがあった」という報告になってしまうが,今回,アカデミア美術館とコッレール博物館でどうしても見たかった作品がそれぞれ1点ずつあった.コスメ・トゥーラの「黄道十二宮の聖母子」と「ピエタ」で,どちらも年末にフェッラーラの特別展で見たばかりだ.特別展が終わり,それぞれの美術館に帰った作品と再会できて,ヴェネツィア行の満足度が確固としたものになった. アカデミア美術館ではコスメ・トゥーラの作品と同じ部屋に,マンテーニャの「聖ゲオルギウス」とピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖ヒエロニュモスと寄進者」を見ることができ,これらに関しては前もって知らなかったので,すごく得をしたような気がする. ヴェネツィアにコスメ・トゥーラの絵が少なくとも後1点(「聖ゲオルギウス」)と,マンテーニャの絵が少なくとも後1点(「聖セバスティアヌス」)があることがわかっているので,次にヴェネツィアに行くときには是非見たいと思っている. |
リアルト橋の賑わいの中で |
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