フィレンツェだより |
メディチ・リッカルディ宮殿 (フィレンツェ県の県庁でもある) |
§メディチ・リッカルディ宮殿
地方自治の仕組みがよくわからないので,日本のように,県(プロヴィンチャ)が市(コムーネ)に対して上位の関係にあるのかどうかわからないが,フィレンツェはフィレンツェ県のコムーネのひとつであると同時にフィレンツェ県の県庁でもあるそうだ.現に役所はメディチ・リッカルディ宮殿の中にあるようだし,県議会の議場もフィリッポ・リッピの絵がおいてある部屋の隣にあって公開されている. 県の表記に関しては,プロヴィンチャの他に,英語のprefectureにあたるプレフェットゥーラという文字もあちこちに見えたが,プロヴィンチャが地方自治体であるのに対し,プレフェットゥーラは中央政府の直轄機関とのことだ(『小学館 伊和中辞典』). さらに広い地域を管轄する州(レジョーネ)もあるのでややこしい.フィレンツェはトスカーナ州に属している.
ヴェッキオ宮殿が市庁舎で,メディチ・リッカルディ宮殿が県庁というのはすごい話だが,日本とは気候やその他の条件が違い過ぎて,単純な比較はできないだろう. 15世紀にコジモ・デ・メディチ(老コジモ)が建築を依頼し,17世紀後半にリッカルディ家が購入したので,メディチ・リッカルディ宮と呼ばれるらしいが,堂々たる建物でありながら,質素な趣もたたえていて,先日のストロッツィ宮もそうだったが,後に大公国になるとはいえ,王侯貴族ではなく商人が実権を握っていたフィレンツェ共和国時代の特色が出ているのかも知れない.
![]() 現在は「フィレンツェからバレンシアへ」という特別展をやっていて,スペインから借りてきた宗教画の展示をしていて面白かったし,「東方三博士の騎馬行列」の,場面を指差すと英語とイタリア語で解説してくれるハイテク大モニターを備え付けた解説コーナーなど,工夫はしているようだ.ということは,少ない目玉で5ユーロの入場料は申し訳ないということだろうか. 県議会の行われる「四季の間」には大きなタペストリーがあり,これも見るべきもの一つに数えられるかもしれない.これから議会が開かれる予定なのか,議席にはミネラルウォーターのペットボトルが置いてあった.
![]() 肝心の礼拝堂は,英語ガイドブックによれば,狭いので15人が15分ずつしか見られないとあるのに,私たちは最初2人だけでゆっくり見られて幸運だった. 大作の「東方三博士の騎馬行列」には,当時のメディチ家の主要人物(老コジモ,ピエロ,ロレンツォ・イル・マニーフィコの三代に,ロレンツォの弟でパッツィ事件で暗殺された貴公子ジュリアーノ)が描かれている. 三博士(三賢王)のうちの1人が,冒頭に掲げたポスターに使われていて,これはロレンツォの肖像とされているが,あまりにも美青年にしてしまって,画家も気が引けたか,ハイテク大モニターの英語解説によれば本物によく似たロレンツォも別に小さく描き込まれているようだ. ![]()
![]() 「滞在した」(ディモーロ)というあたりが,私には自信がないので,ロッシーニがかつて住んだかどうかわからないが,ラテン語で「欲するままに」(アド・ウォートゥム)と彫られたプレート(上部)もあったので,写真に収めた.サンタ・クローチェ教会には彼の墓もあったし.
後日談:5月14日 上のように書いたが,フィレンツェ大学の中嶋浩郎先生のご教示により,現在形の1人称・単数の「ディモーロ」(私は滞在する)ではなく,遠過去の3人称・単数「ディモロ」(「ロ」にアクセント)(滞在した)であることが判明した. 現地に行って確かめると,「ロ」の上にアポストロフィのような点が打ってあり,アクセント記号(アッチェント・グラーヴェ)として使われていると思われる.したがって,ロッシーニが主語で,彼が滞在した,と書いてあると考えるのが正解というわけだ. 中嶋先生によれば,ロッシーニがカヴール通りに住んだのは確かだが,この家ではないらしい.「アド・ウォートゥム」に関しても,先生は興味深い話をお教えくださったが,それに関しては,いつか先生のご著書に出てくるときのお楽しみということにしよう. |
ロッシーニの旧居? カヴール通りのプレート |
![]() ![]() ![]() |