フィレンツェだより
2008年1月13日



 




フランチェスコ・デル・コッサ
「玉座の聖母子と聖人たち」
(カンヴァスにテンペラなので褪色している)



§ボローニャの旅(その3)

イタリアで各地方の国立絵画館,市立美術館等を巡って感心するのは,呼び物となる大傑作を所蔵しているとともに,その地方出身の芸術家たちの作品をよく保存していて,系統的に鑑賞できるようにしていることだ.


 その全てが,見る人の感性に訴えるというわけではないとしても,少なくとも,わざわざその土地を訪ねた喜びに浸ることはできる.

 ボローニャの国立絵画館で感銘を受けた作品の作者を挙げろと言われて,ジョット,ロレンツォ・モナコ,フランチャビージョの名を挙げたら,顰蹙を買うかも知れない.フィレンツェの画家たちばかりだからだ.ロレンツォはシエナ出身とされるが,多くのシエナ派とは一線を画している.

写真:
フランチャビージョの「聖母子」
遠くから駆け寄ってくる
幼児の洗礼者ヨハネが可愛い


 フランチャビージョの絵があることは国立絵画館の内容充実のホームページで知り,期待していたが,少なくとも私が見た彼の作品ではこの「聖母子」が一番すばらしい.

 フランチャビージョの「聖母子」の右隣にペルジーノの「栄光の聖母子と聖人たち」も,その真向かいにラファエロの大作「法悦の聖チェチリアと聖人たち」もある.この師弟はウンブリアとマルケの出身だが,ローカルを遥かに超えたイタリアを代表する芸術家だ.

写真:
ラファエロ作
「法悦の聖チェチリアと聖人たち」


 この一角にはジュリアーノ・ブジャルディーニの作品も3点ある.ミケランジェロと同門のフィレンツェ出身の画家だ.

 ヴェネツィア派の作品ではティントレットの「聖母のエリザベト訪問とヨセフとザカリア」がある.ティツィアーノ「キリスト磔刑」はどこかの特別展に出張中で見られなかった.


ダルマシオ・ディ・ヤコポ
 背景の事情は私にはわからないが,ボローニャに少なくともチマブーエの作品が1点(サンタ・マリーア・デーイ・セルヴィ教会),ジョットの作品が1点(サンタ・マリーア・デーリ・アンジェリ教会から現在国立絵画館)がある.13世紀の終わりから14世紀の初めのボローニャ美術が,アペニン山脈を越えたトスカーナの影響を多少以上に受けていたと考えて良いのだろう.

 ダルマシオ・ディ・ヤコポという画家の存在がそれを物語っている.

 残念ながらダルマシオの作品はサン・マルティーノ教会で1点(柱のフレスコ画)と国立絵画館で1点(板絵「キリストの磔刑」:もともとやはりサン・マルティーノ教会にあった)を見られただけである.素人目にもジョットの影響があると思うが,この時代の画家は多かれ少なかれジョットの影響があるだろうから,断定はできない.

 しかし,現在は否定されているとはいえ,ロベルト・ロンギがサンタ・マリーア・ノヴェッラ教会のフレスコ画「聖グレゴリウス」の作者を彼であると推定した根拠として,彼がサンタ・マリーア・ノヴェッラで仕事をしたという記録があるのだろうから,フィレンツェの画風をボローニャにもたらす窓口の一つとなったと言っても良いだろう.

 彼の義兄弟にシモーネ・デ・クローチィフィッシという画家がおり,その作品は国立絵画館に複数所蔵されている.その中ではカンヴァスにテンペラで描かれた「聖へレナと寄進者の修道女」が良かったが,シモーネの作風にジョットの影響は,少なくとも私は読み取ることはできなかった.

 彼にとって義理の甥にあたる,ダルマシオの息子リッポ・ディ・ダルマシオが後に彼の共同制作者となっているので,あるいはこのあたりにダルマシオの影響は引き継がれていったのかも知れないが,私の見る限り,リッポの絵を見ても特にジョットの影響を感じなかった.むしろ,シモーネにとっても,リッポにとっても師匠筋にあたるらしいヴィターレ・ダ・ボローニャの存在が大きいのかも知れない.


ヴィターレ・ダ・ボローニャ
 1330年前後が最盛期で,1361年に死んだとされるこの画家は,年代的には1337年に死んだジョットに比べるとだいぶ若いことになる.彼の板絵の代表作とされる「キリスト磔刑」や「聖母子」を写真で見ても,ジョット風の感じは全く無いように思われる.

 ジョットは絵画史の上で「ギリシア語をラテン語にした」,すなわちビザンチン美術の影響を脱してイタリア独自の画風を確立したと言われるようだが,ジョットとは全く違うイタリア独自の画風もやはり脈々とあったのではないかと想像させられる.

 それとも,ヴィターレがこれだけ見事な絵を描けたのはやはりジョットの影響なのだろうか.

 現在は国立絵画館に剥離フレスコとして展示されている,もともとはサン・フランチェスコ教会の修道院大食堂のために描かれた「最後の晩餐」には,フィレンツェのサンタ・クローチェ教会バルディ礼拝堂のジョットのフレスコ画の影響があるとされるなど,専門家が分析するとリミニ派,ジョット,シエナ派の影響が見られるとのことなので,まったくヴィターレの独自路線というわけでもないようだ.

写真:
「龍と戦う聖ゲオルギウス」
ヴィターレ・ダ・ボローニャ
国立絵画館


 しかし,国立絵画館にある板絵「龍と戦う聖ゲオルギウス」もそうだが,彼の絵に見られる荒々しいエネルギーを湛えた魅力は何なのだろう.

 14世紀のボローニャ絵画は決して,私にジョットのような感銘を与えてくれるわけではないが,強く魅かれるものを感じた.16世紀前半の同時代の画家にくらべて決して上手とは思えないアミーコ・アスペルティーニに魅かれるのと同じ要素が脈々とあるのかも知れない.


マルコ・ゾッポ
 ヴィターレ・ダ・ボローニャの指導を受けたリッポ・ディ・ダルマシオを師の一人とするのが,小特別展で存在を初めて知ったマルコ・ゾッポである.彼の作品は「聖ヒエロニュモス」の1点のみが国立絵画館で見られる.

 ゾッポは,現在フェッラーラ県に属している,ボローニャ近傍のチェントの出身で,パドヴァとボローニャで活躍し,ヴェネツィアで亡くなった.1433年から78年までの45年の生涯ということになる.パドヴァで画家スクァルチョーネの養子となったが,その縁組を無効にして,スクァルチョーネから離れて活躍した.どこかで聞いたような話だ.2歳ほど年長のアンドレア・マンテーニャのケースと似ている.

 ゾッポはマンテーニャの影響も,マンテーニャの義兄弟ジョヴァンニ・ベッリーニの影響も受けているらしい.少なくとも国立絵画館の「聖ヒエロニュモス」はジョヴァンニの父ヤコポの影響はあるように思われる.そうした彼がボローニャを代表する画家フランチャの師匠であったことは重要な意味があるだろう.まるでイタリア絵画史の大きな流れがフランチャを目指して流れ込んでいるようだ.


イル・フランチャ
 で,そのフランチャについてはどうだったかと言えば,国立絵画館にはたくさんのフランチャの作品がある.やはりペルジーノやラファエロの影響を受けているらしいが,それでもフランチャはフランチャである.綺麗な顔の登場人物たちを整然と並べ,色彩が美しく,構図も破綻がない.このタイプの絵は物足りないと思う人は多いだろう.

 ウルビーノやローマでも彼の作品を見ることができるし,ウフィッツィにも常設展示に1点,ボナコッシ・コレクションに1点あるが,画家としてはローカルを超えきれなかったうらみは残るのではないだろうか.

 それでも私はフランチャの絵が好きだ.ただ,フランチャの作品をたくさん見て,どれが最高傑作かと言われると悩む.出来不出来の波がほとんどないように思えるからだが,やはりサンタ・チェチーリア祈祷堂のフレスコ画かな.国立絵画館で見た絵では,剥離フレスコ画「二人の男の肖像」が印象に残った.

写真:
「二人の男の肖像」
イル・フランチャ
国立絵画館



ロレンツォ・コスタ
 ロレンツォ・コスタに関しては,はっきり「聖フランチェスコと聖ドメニコの間の聖ペトロニウス」である.1502年の作品のようだが.前後の作品には見られるペルジーノ風の人物像へのこだわりがなく,すっきりとして堂々たる絵だと思う.

 聖ペトロニウスを描いた絵や彫刻では,このボローニャの守護聖人は殆どの場合街を手に抱えている.守護聖人の肖像によく見られる絵柄だが,ボローニャの斜塔が必ず見えるのが,ペトロニウスの特徴だろう.サン・ドメニコ教会のミケランジェロの彫像の場合も2つのうち片方の塔はやや傾いている.

写真:
ロレンツォ・コスタ
「聖フランチェスコと聖ドメニコの
間の聖ペトロニウス」


 「ボローニャの旅」は全3回の予定だったが,復習していたら長くなったので延長して4回とし,残りは「明日に続く」としたい.





サンタ・マリーア・デーイ・セルヴィ教会と
ポルティコ