フィレンツェだより
2008年1月12日



 


サン・ペトロニオ聖堂

サン・ペトロニオ聖堂
マッジョーレ広場から



§ボローニャの旅 - その2

ボローニャの始まりは歴史の闇の中にあるが,エトルリア人がフェルシナという町を造っていたのは確からしい.紀元前5世紀以前のことだ.


 その後ケルト人のボイイー族がやってきて,新しい町を建設した.この部族にちなんでラテン語のボノニア(ボノーニア)という地名ができ,これが現在のボローニャの名のもとになっている.

 ボノニアの文献的典拠は紀元前1世紀のキケロだが,先行していたフェルシナという名は紀元後1世紀のプリニウスの『博物誌』に出てくるようだ.いずれにせよ,ローマ時代,もしくはそれ以前に同じ土地にある程度の規模の都市または村落があったのは間違いないだろう.

 キリスト教化の過程で,5世紀には現在町の守護聖人とされる聖ペトロニウス(サン・ペトローニオ)が,サント・ステーファノ教会を建設したと言われる.8世紀にはゲルマン人のランゴバルド族に征服された.

11世紀に自治都市として栄え始め,1088年にボローニャ大学が設立された.これが世界最古の大学とされる. ボローニャ


 皇帝党と教皇党の争いという,他の都市と同じ歴史をたどりながら,ミラノのヴィスコンティ家に支配されたり,教皇の保護下に入ったりしながら,様々な共和国政権の交代を経て,15世紀半ばにベンティヴォーリオ家が支配権を握った.

1462年から1506年までジョヴァンニ・ベンティヴォーリオ2世が政権の座にあったときが,ボローニャにルネサンス文化が花開いた時代であった.


 サン・ジャーコモ・マッジョーレ教会で垣間見たベンティヴォーリオ礼拝堂は,一時期ボローニャの支配権を握り,同市のルネサンスを支えた一族の礼拝堂だった.

 この礼拝堂に作品を残したフェッラーラのロレンツォ・コスタや,地元出身のフランチャだけでなく,フェッラーラから来たフランチェスコ・デル・コッサ,エルコレ・デ・ロベルティ,ボローニャ出身のアミーコ・アスペルティーニらは皆,ベンティヴォーリオ家の周辺にいた芸術家たちである.

 1506年に教皇ユリウス2世によってジョヴァンニが政権の座から追われると,ボローニャは教皇領となった.18世紀にナポレオンに支配され,ナポレオンの没落後は教皇領,オーストリアの支配を経て,1859年にサルディニア王国に編入され,イタリア統一を迎えた.

 現在の人口が37万強で,36万強のフィレンツェとほぼ同じ規模だが,再開発が進んでいるせいか,ボローニャの方がずっと近代的都会に見える.

 どちらがおもしろいかと言われれば,一時的に居住しているに過ぎない外国人の目からはフィレンツェに軍配が上がるように思える.ただ,名門ボローニャ大学があるせいか,ボローニャは知的で清潔な街に思える.もちろん,これらの印象はあくまでも私の思い込みに過ぎない.


サンタ・マリーア・デーイ・セルヴィ教会
 サン・ジャーコモ・マッジョーレ教会とサンタ・チェチーリア祈祷堂を拝観した後,サンタ・マリーア・デーイ・セルヴィ教会に向かった.

 この教会にはチマブーエの祭壇画「玉座の聖母子と天使たち」があると教えていただいていて,是非拝観したいと思っていた.着いたのは11時を過ぎたころで,もちろん教会は開いていたが,丁度ミサが始まったところだったので拝観は遠慮することにして,サン・ドメニコ教会に向かった.


サン・ドメニコ教会
 サン・ドメニコ教会では幾つかの傑作を見ることができた.ボローニャは聖ドメニコ終焉の地だそうだ.

 まず,サン・ドメニコ礼拝堂で,前もって教えていただいていたグィド・レーニの天井画「聖ドメニコの栄光」を見た.

グィド・レーニ 「聖ドメニコの栄光」 写真:
「聖ドメニコの栄光」
グィド・レーニ
サン・ドメニコ礼拝堂


 この巨大な礼拝堂で,すばらしい芸術作品に出会うことができた.ドメニコの聖遺物を納めた聖櫃である. 基壇は柩になっていて,そこにはドメニコの遺体が納められているとされる.

 この柩のパネルを彫ったのがニコラ・ピザーノと協力者たちとされ,協力者の中にはアルノルフォ・ディ・カンビオも含まれるようだ.聖櫃の上方部分の装飾は現在のプーリア州にあたる南イタリア出身の可能性が高く,ボローニャで活躍したニッコロ・デッラルカ(聖櫃のニッコロ)である.

 さらに驚くべきことに,装飾彫刻の一部を彫ったのがミケランジェロということだ.少なくとも聖ペトロニウス聖プロクロスと,燭台になっている天使のうちの1人を彼が制作したとのことである.

写真:
ドメニコの聖遺物を
納めた聖櫃
サン・ドメニコ教会
ドメニコの聖櫃


 サン・ドメニコ教会では,もう一人フィレンツェの芸術家の作品に出会えた.フィリピーノ・リッピの「聖カタリナの神秘の結婚」である.

 教会の左翼廊の礼拝堂にあった「キリスト磔刑像」にも目を奪われた.ジュンタ・ピザーノの作品だ.この磔刑像は今まで見たジュンタの作品とされるものの中で,一番見事なものではないかと思われる.

ジュンタ・ピザーノ キリスト磔刑像 写真:
「キリスト磔刑像」
ジュンタ・ピザーノ


 この教会でもプレゼピオを見ることができた.時間差で照明をあてる場所を変え,ナレーションによって個々の場面の意味を説明する教育的なプレゼピオで,ジオラマのできも良かった.

 大きな明るい聖堂(バジリカ)で,人もほとんどいなかったので,ガランとして見えたが,良いものにたくさん出会えた.サン・ドメニコ礼拝堂では大学の美術史の先生だろうか,学生たちを引率して熱弁をふるっていた.


サン・ペトロニオ聖堂
 この時点で12時になっていたので,もう教会の拝観はできないと思ったが,サン・ペトロニオ聖堂は12時半まで開いているかも知れないという情報に賭けて,街の中心であるマッジョーレ広場に向かった.

 ぎりぎりだったが,拝観できた.ファサードのリュネットにクェルチャの「聖母子と聖人たち」があるが,これは教会が閉まった後でも見られるので,ともかく堂内に入った.大きな聖堂で,堂内は撮影禁止だった.

 ここではアミーコ・アスペルティーニの作品が2つ見られるはずだったが,急いでいたので両方は見つけられず,サン・ロレンツォ礼拝堂にある「ピエタ」だけを見ることができた.その他の作品もじっくりみることはできなかったが,マギ礼拝堂のジョヴァンニ・ダ・モデナ作のフレスコ画「三王礼拝と最後の審判」が大規模な作品(その一部が「三王の帰還」)で,見るべきものであることはよくわかった.

 もしもう一度ボローニャに行く機会があって,サン・ペトロニオ聖堂に入ることができたら,このフレスコ画と,アミーコの「聖ペトロニウスの四つの物語」,パルミジャニーノの「聖ロッコ」,ロレンツォ・コスタの「聖母子と聖人たち」,「聖セバスティアヌスの殉教」,「聖ヒエロニュモス」は是非じっくり見てみたい.


モランディ美術館と絵画コレクション
 この後,マッジョーレ広場のバールで昼食を取り,市庁舎のあるコムナーレ宮殿内のモランディ美術館と絵画コレクションを見た.

ジョルジョ・モランディは1907年にボローニャで生まれ,1964年にボローニャで亡くなった20世紀の画家で,同時代の尊敬を集め,映画監督フェデリコ・フェリーニが「甘い生活」にその絵を登場させ,敬意を表したとのことだ.


 彼の絵を集めた展示が市の管理下にある.ちなみにボローニャ市が運営する美術館,博物館は入場無料だが,立派な入場券を発行し,有益な情報のあるパンフレットをくれる.観光シーズンにはあるいは人で溢れるかもしれないが,私たちが行った時は入館者は2人だけと言ってよいほどだった.

 私はあまり新しい絵には関心がなかったが,分析的に絵を見る癖(へき)のある妻に引きずられてみているうちに,すぐに特徴をつかめるわかりやすいこの画家が,やはり実は偉大な芸術家なのではないかと思えてきた.

 帰りの電車を待っていたボローニャ駅の待合室で壁面上部の絵の装飾を見たとき,その色使いとモチーフから,すぐにそれがモランディ風とわかって嬉しかった.基本的に古い絵を見に行ったのだが,思わぬ収穫があるところがイタリアの街巡りの楽しさだ.偉大な芸術家に失礼な言い方とは思うが,もうモランディは私の友のような気がする.

 市の絵画コレクション(コッレツィオーニ・コムナーリ・ダルテ)も立派だった.中世から20世紀まで,ボローニャ周辺の画家の作品を集めていて実に見応えがあった.ここでは,ドナート・クレーティウバルド・ガンドルフィガエタノ・ガンドルフィ,ペラージオ・パラージなどの作家が新たな学習項目となった.いずれも,かなりの力量がある,18世紀,19世紀に活躍した画家たちだ.

 小さな絵だがルーカ・シニョレッリの作品が1点あったのが嬉しかった.


市立中世博物館
 コムナーレ宮を辞去して,市立中世博物館に向かった.ここの展示物は基本的に,石棺や石像などの彫刻だ.

石棺のパネルが,
大学の講義風景
のようになっている
ものが多く見られた.
市立中世博物館 石棺パネル


 同じく名門大学のあるパドヴァの修道院回廊でも同じようなパネルの墓碑を見たが,さすがボローニャは最古の大学町だ.

 鎧や刀剣など武具の展示のほか,日本や中国の陶器や工芸品のコレクションもあったが,絵画はなかった.



 この博物館に必ず行こうと思ったのは,現在,小特別展(ピッコラ・モストラ)が開催されていると教えていただいたからだ.入館受付で見学順路を説明してくれた係員からも「面白いので是非見ていってください」と勧められた.マルコ・ゾッポの「キリスト磔刑像」を中心とした「マルコ・ゾッポの十字架とボローニャのピエロ・デッラ・フランチェスカ風文化」という特別展である.

 ボローニャの画家による「聖フランチェスコと聖ルイ,聖ベルナルディーノ」,クリストフォロ・カノーツィ・ダ・レンディナーラの「イエスの誕生」,ヴェネツィアの画家アントーニオ・ヴィヴァリーニの美しい「聖母子」,挿絵装飾のある写本などが展示されており,見応えがあった.

 パドヴァで活躍したマルコ・ゾッポはフランチャの師匠とされているらしいので,ボローニャの芸術にとっては重要な人物だ.閉館直前だったが,他に誰もいなかったので,じっくりと見ることができた.

中世博物館 特別展示 写真:
特別展会場
(市立中世博物館)


 この後,テコテコ歩いて,国立絵画館に向かったが,それについては「明日に続く」としたい.



マルコ・ゾッポ キリスト磔刑像

マルコ・ゾッポ
「キリスト磔刑像」
(クローチェ・ディピンタ)