フィレンツェだより |
ニッコロ・ジェリーニ 「キリスト復活」 |
§サンタ・クローチェ教会(後篇)
この報告は明日以降として,今日は,先日行ったサンタ・クローチェ教会の報告をまとめたい. 側廊の祭壇にある板絵,カンヴァス画,翼廊の礼拝堂のフレスコ画,堂内の彫刻,プレゼピオに関しては前回まとめたので,今回は聖具室,メディチ礼拝堂,パッツィ礼拝堂,美術館の報告となるが,これらに関しても,6月30日に既にかなりのものについて述べているので,“私にとっての”という限定はつくが,なるべく新たにわかったことをまとめてみたい.
![]() スピネッロの絵に若干の不満は残るが,それでも大きな絵の持つ魅力をたたえて,やはり実力者だろう. ジェリーニの「復活」はミケレッティ本に言及も写真もないのだが,私は立派な作品だと思う.キリストに気品と威厳があり,柩の傍らで眠りこけている兵士たちの表情との対比が絶妙に思える.その兵士たちと上方の左右にいる天使たちがキリストの周りで,岩や樹木ともに円を描いており,復活のイエスの神々しい姿を際立たせている.
![]() 彼はタッデーオの息子で,アーニョロの兄弟になる.その詳細は不明だが,フィレンツェで画家として活動したことは確からしい.アカデミア美術館に,この人である可能性が示唆されているアカデミア・ミゼリコルディアの親方の板絵が4点ある. ジョヴァンニ・デル・ビオンドの「聖母子と聖人たち」を含めて,この礼拝堂は興味深い存在だが,何らかの理由があって,鉄格子で閉ざされているうえ,後ろの窓から差し込む光の具合もあって,十分な鑑賞は難しい. ![]() ![]() アンドレーア・デッラ・ロッビアの祭壇画型彩釉テラコッタ「聖母子と天使たち,聖人たち」は,相変わらず,あるということしかわからないが,壁面に飾ってある板絵などは,わりとじっくり見ることができた.誰の何と言う作品かは今のところ情報がないが,いくつか良いものもあるように思えた. 聖堂にもどって,右側廊の出口から修道院に向かう途中にパッツィ礼拝堂があるが,ブルネッレスキの設計になる建物と,ルーカ・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタを鑑賞して,美術館に向かった.
![]() ロッセッリの絵ではキリストが赤い血のような汗を滴らせているのが印象に残った.キリストが,3人の弟子とともにオリーブの山もしくは菜園で祈っているとき,「杯」が現れる.それが象徴する苦しみを思い,悩んでいると,天使が現れて彼を励まし,イエスは自身の受難を確信する.
「ルカ伝」にはゲッセマネという地名は出て来ないが,「オリーヴの山」と言われている. 「マタイ伝」,「マルコ伝」のギリシア語原文を見ると,「ゲトゥセマニと呼ばれている場所」,「ゲトゥセマニという名前の場所」となっていて「場所」(コーリオン)という同じ語が使われているが,ヒエロニュモスのラテン語訳は前者が「ゲトゥセマニと言われる谷」,後者が「名をゲトゥセマニという農園」となっている.「谷」(ウァッレース),「農園」(プラエディウム)と訳す根拠はそれぞれあったのだろうが,それにしても,同じ人が同じギリシャ語を同じ事件に関して,違う訳語を用いているのは興味深い. 「ルカ伝」に関してはギリシア語原文(エイス・ト・オロス・トーン・エライオーン),ラテン語訳(イン・モンテム・オリーウァールム)ともに「オリーヴの山へと」となっている. 「ヨハネ伝」にはこの話の記述はないが,最後の晩餐とユダの裏切りの間に「このように言うと,イエスは弟子たちとともにケドローンの流れを越えて出て行った.そこには庭があり,その中にイエスは入っていった」とある.ケドローンは固有名詞扱いで,「流れ」と訳したのはギリシア語ではケイマッロス,ラテン語ではトッレーンスで,いずれも雨後の奔流や渓流を意味する語なので,「谷」のイメージはここから来るのかも知れない.また,「庭」はギリシア語ではケーポス,ラテン語ではホルトゥスで,菜園,農園,庭園の意味で使われるので,「菜園の祈り」という言い方もこれに根拠があるのだろうか. いずれにせよ,「橄欖山(上)の祈り」,「オリーヴ山の祈り」,「菜園の祈り」と言われている出来事は全て「ゲッセマネの祈り」と同じであることがわかる. 少なくともイエスには見える受苦の象徴である「杯」(ギリシア語ポテーリオン,ラテン語カリックス)は3つの共観福音書には出てくるが,天使の語が登場するのは「ルカ伝」のみだ.
どのような場合も「ゲッセマネの祈りでは,弟子たちは3人(場合によってはアンデレも入れて4人)とも眠りこけていて,イエスの苦悩と決意を知るのは本人だけという絵柄になっているが,これも共観福音書の記述に根拠がある. 聖堂にも「ゲッセマネの祈り」のカンヴァス画があったが,この主題はあちこちで良く見るので,ロッセッリの印象深い剥離フレスコ画を再度見て,聖書のギリシア語原文とラテン語訳にあたってみた.
![]() それらの中で一番すばらしいのは,ナルド・ディ・チョーネの「聖母子と聖人たち」,ジョヴァンニ・デル・ビオンドの「聖ジョヴァンニ・グァルベルトと彼の物語」で,前者はすでに作者を把握していたが,後者に関してはようやく確認することができた.修復の力は大きいと思うが,同様に修復された,ネーリ・ディ・ビッチの華やかな「三位一体と聖人たち」と比べてみると,やはりもともとの作者の力量が一番大きな要因だと思う.
下絵を描いたのが,ジョット,タッデーオ・ガッディ,アレッソ・バルドヴィネッティに帰せられるステンド・グラスの展示もあった.もとはサンタ・クローチェの聖堂を飾っていたが,現在はコピーに代えられているとのことだ. ![]()
男女の裸体が賑やかしく出てくると,この絵を描きたかった第一の動機は宗教心というよりは,美しい肉体を描きたいという芸術的欲求だったのかなと思ってしまう.マニエリスムの巨匠の堂々たる大作だから,動機はどうあれ,立派な絵が見られれば良いのだが,わざわざ教会とその付属美術館に足を運んでいるわけだから,できるだけ宗教性の高い絵を見たい. もちろん「宗教性」とは何であるのかを自分がきちんと理解しているとは思えないが,同じブロンズィーノでもサンタ・クローチェで見るのであれば,聖堂の左壁面にあって,小さいのに遠めにしか見られない「ピエタのキリスト」の方が,有り難いよう思える. ドナテッロの金色に輝くブロンズ像「聖ルイ」はまだ真価を理解するに至っていないが,評価は高いようだ. オルカーニャの剥離フレスコ,タッデーオ・ガッディの「最後の晩餐」,マーゾ・ディ・バンコの「聖母戴冠」には相変わらず心打たれるし,今まで多分どこかの特別展に行っていて見られていなかったドメニコ・ヴェネツィアーノの剥離フレスコ画「洗礼者ヨハネと聖フランチェスコ」も初めて実物を見ることができた.
大洪水の傷跡に喘ぎながら,人類の救済を思っている,これは見ている私の勝手な思い込みだが,キリストの思いと芸術家の力量と歴史的事件の痕跡の3つが1つになって訴えかけてくるように思われる. 帰国前にもう一度サンタ・クローチェに行こう.チマブーエの磔刑像に会いに. |
チマブーエの磔刑像の前で 左はサルヴィアーティ「キリスト降架」 |
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