フィレンツェだより |
サン・フィレンツェ教会 (奥は国立バルジェッロ博物館) |
§またいつか,フィレンツェのクリスマス
今回は目的が3つあった.第一は付属美術館の収蔵作品について作者を確認することである.前回ガイドブックがあることに安心してメモを取らなかったら,ガイドブックには言及がなくて作者がわからない作品が何点かでてしまった.2つ目は中央祭壇のキリスト磔刑像がフィリーネの親方の作品とわかったので,見られるものなら,しっかりと見ること.そして3つ目がプレゼピオだ. 昨日は,サンタ・クローチェだけに費やす予定で11時前に家を出て,帰宅したのが4時だったので,相当丁寧に見たといえる. しかし,その報告は明日以降にしたい.4月からの授業の講義要綱のウェブページでの作成の締切が迫っており,学部の授業半期16コマ,大学院が通年2コマで,計18科目分書かないといけないので,それを書き終えるのが先だ.ただし,プレゼピオの関しては,今日のうちに報告しておこう.
![]() 遠景に,ドゥオーモ,ヴェッキオ宮殿,サンタ・クローチェ教会があり,スクリーンには時折雪の映像が映る.羊たちが水を飲んでいる小川に本物の水がひかれているのはオンニサンティ教会と同じだが,こちらの方がはるかに規模が大きい.
プレゼピオには,聖家族だけで過ごしているところに牧人が参集してくるもの(聖家族型),すでに牧人が礼拝しているもの(牧人礼拝型)など幾つかのタイプがあるようだが,このプレゼピオは言わば「三王礼拝型」で,東方三博士(マギ)がすでに到着して,キリストを拝んでいる.家畜小屋であることを示すために,殆どの場合,どのタイプでもロバと牛はいるようだ. 地上に戻って,中央祭壇の方に向かうと,その左側の礼拝堂に,もう一つのプレゼピオはあった.このプレゼピオは聖家族型で,家畜小屋はないが,それを思わせる柵があり,周囲は岩屋のようだ.その岩の上には天使がいる.全体を幕で囲い,その上に「天の高きところには神に栄光」とラテン語で手書きしてある.大教会のプレゼピオにしてはささやかだが,羊の模型が可愛い.
「プレゼピオ展」 昨日は,夕方から寓居の近くのサンタ・ルチーア・スル・プラート教会にも足を運んだ. クリスマス・イヴにこの教会の初拝観を果たしたことは先日報告済みだが,その際,堂内のどこにもプレゼピオが無いのは確認したつもりだった.それにも係わらず,プレゼピオが見られるフィレンツェの教会のリストにはサンタ・ルチーア・スル・プラート教会の名前も載っていた. 福山さんにこのリストをもらったとき,「あれっ?」と思い,一昨日もう一度確かめに行くと,扉のところに,プレゼピオ公開の日時が記された貼紙があった.特定の日時にしか公開しないということは,その都度出し入れ(飾りつけ)するのかと不思議には思ったが,とにかく公開日に再び来てみることにした. で,昨日,指定の時間に出直してみて納得した.教会の隣の付属の礼拝堂(カペッラ・ディ・サン・ベネデット)を会場に,「プレゼピオ展」(モストラ・ディ・プレゼーピ)として公開していたのだ.
「我が死は,汝の命」というラテン語が書かれた,聖母像のある祭壇の下に,教会本来のプレゼピオがあり,その両側に世界各地から寄せられた小さなプレゼピオが展示されていた. 素材などに様々な工夫を施したもの,民族色を豊かに打ち出したもの,素朴な手作り感あふれるものから専門家の作品まで,色々なタイプのプレゼピオを楽しませてもらった. 東京の修道院が製作した,十二単(ひとえ)の女性(マドンナ)が嬰児イエス(バンビーノ)を抱いたものも展示されていた.ドイツのバイエルン州からの作品は,可愛らしいマッチ箱のプレゼピオだった.
地元の信者の方であろう,上品な女性が受付,案内をしておられ,私たちにも声をかけてくださった.ささやかな喜捨をして辞去したが,信仰を異にするとは言え,無償で教会と地元の信者のために貢献しておられるのを見ると頭が下がる.貧者の一灯とはいえ,もう少し,喜捨すれば良かったと少し悔やまれる. サン・フィレンツェ教会のコンサート 帰宅後,早めの夕食を済まし,9時から始まる,「コンチェルティ・ディ・ナターレ」の一環のオルガン・コンサートを聴きに,シニョリーア広場のすぐ近くのサン・フィレンツェ教会に向かった. この教会は私たちがフィレンツェに来てから,ずっと修復中で,工事の足場と覆いでその立派な外観の全貌がなかなか見られなったが,サンタ・クローチェから帰ってくる途中見たら,修復が終わったようで,大きく見事な姿を見せていた.
予定された演目の作曲家は,シャイデマン,パッヘルベル,ブクステフーデ,バッハと垂涎のラインアップで,年末から楽しみにしていた. 演奏は,ジュリア・ビアジェッティという女性で,ルッカとフェッラーラでピアノ,オルガン,作曲を学び,ルッカのカテドラーレのオルガニストを務め,ルッカ・ルイージ・ボッケリーニ音楽院で教鞭をとるなど諸方で活躍している人のようだ. すばらしい演奏だった.「パッヘルベルのカノン」で有名なこの作曲家はオルガン曲でも知られるが,その見事さを教えてくれた.パッヘルベルのオルガン曲を3曲も聴けたのは幸運としか言いようがない.ブクステフーデはもちろん立派だった. しかし,最後のバッハ「プレリュードとフーガ ホ短調」が鳴り始めたとき,この作曲家の偉大さを痛感した.バッハはやはり特別だ.演奏も,作曲家に位負けしないと言っては褒め過ぎかも知れないが,ともかく感動に打ち震えた.
![]() 予想していなかったが,この教会にも立派なプレゼピオがあった.3人のマギが到着して,キリストを拝んでいる三王礼拝型である.フィレンツェのクリスマス・シーズンの最後にこのプレゼピオを見られたのは,幸運だったように思う.
サン・フィレンツェ教会についても色々学んだことはあるが,それについての報告は,後日機会があれば,ということにしたい. 時折小雨が降る夜のフィレンツェをテコテコ歩いて帰った.もうフィレンツェでこんなに長くクリスマス・シーズンを過ごすことはないだろうと思うと,少し感傷的な気持ちになった. エピファニア(公現祭) 今日は午後,ピッティ宮殿からドゥオーモまでマギ(三王,東方三博士)の行列があるということだったので,少しでも見られればと思って,シニョリーア広場からドゥオーモまでの行列の時間に予定されている時間帯を狙って,雨の中を歩いてカルツァイウォーリ通りを目指した. レプッブリカ広場まで来た時,鳴り物の音が大きくなった.ドゥオーモ広場に急いだら,ちょうど三王の行列がドゥオーモに入るところだった.すごい混雑だったが,行列に続いてなんとか堂内に入った. 堂内で大勢の人たちと一緒に,子どもたちの合唱や入場行進などの一連の儀式,枢機卿のご挨拶などの後,聖フランチェスコ以来の伝統,「生きたプレゼピオ」(プレゼーペ・ヴィヴェンテ)を見た. 聖家族の前に三王と従者に扮した人たちが到着して,イエスに贈物(黄金,乳香,没薬だろう)を捧げて拝跪する場面が繰り広げられた.衣装などはメディチ・リッカルディ宮殿にあるベノッツォ・ゴッツォリのフレスコ画「三王礼拝の行列」がモデルになっているらしい. その後,ドゥオーモからピッティ宮殿まで,聖家族,牧人,三王と従者たちに扮した皆さんはもちろん,鎧武者,貴婦人,狩人,農民,中世の市民たちなどの姿で,時代装束をまとった人たちの長い行列は再び進んでゆく. 私たちもカルツァイウォーリ通りの一角に陣取って,大きな旗を投げ上げたり,太鼓を叩きながらの行進をしっかり見物した.写真や映像などでよく見る場面をこの目で見て,京都を中心に暮らした11年間,時代祭りを1度も見たことがない私も,心から楽しんだ. |
「生きたプレゼピオ」が終わり, ドゥオーモの外で三王と従者たちと共に |
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