フィレンツェだより |
カルツァイウォーリ通り クリスマス・イヴ |
§クリスマス・シーズンの楽しみ(第2弾)
しかし,なんとコンサートは夕方5時に始まっていて,着いた時は既に終わった後だった.宣伝パンフレットには確かに21時開演と印刷してあるので,ミス・プリントか,あるいは急な予定変更でもあったか.ともかくパレストリーナとブクステフーデを聴くことができなくて残念だった. もう一つ残念だったのは,前回行った時にはあまり興味がなかった「反宗教改革時代の芸術家」たちの絵が見られなかったことだ. この教会には,私たちが普通「イタリア芸術」として興味を抱く中世・ルネサンスから,せいぜいマニエリスムまでの時代の作品についてはアンドレーア・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタが1点あるのみだが,「反宗教改革」の時代については,エンポリ,マッテーオ・ロッセッリ,ヤコポ・ヴィニャーリ,ピエトロ・ダ・コルトーナなどの作品が豊富に見られる. そもそもこの教会は,1590年代に創建が始まった新しい教会である.それ以前にサン・ミケーレ教会があったが,新たに聖ガエタノを記念して,サンティ・ミケーレ・エ・ガエタノ教会,通称サン・ガエタノ教会となったのは,もう17世紀になろうかという時だった. 当時,3人目のフィレンツェ出身の教皇(クレメンス8世)がいて,後に大公家から枢機卿も出る,という事情もあったらしいが,いずれにせよ,「反宗教改革」の波は多少落ち着いて来た頃とはいえ,それがこの教会の当初からの看板だったことになる. 写真豊富なガイドブックがあるので,しばらくはそれを眺め,実物の絵は次の機会を待とう.
クリスマスの買出し 今日は,午前中,中央市場に買出しに行った.エッセルンガなどのスーパーは,クリスマス(休日)の前の日は「この世のものとは思えない」(柳川さん談)混雑になるそうなので,金曜日のうちに数日分を買いだめしたが,中央市場ならクリスマス・イヴでも大丈夫だろうと思って,野菜とパンの補充に行った. 1階の肉屋には行列ができていたが,2階の野菜売り場はすでに休暇に入っている店もあるくらいで,それほどではなかった. 以前は「オッチャン」と言っていたが,レオナルドという名前であることがわかったので,秘かに「レオ君」と呼んでいている男性が1人で切り盛りしているなじみの店に直行して,アーティーチョーク(カルチョーフォ),芽キャベツを初めとする新鮮な野菜を買い込んだ. その後,1階におりて,パン屋パニー・ダ・ローリーに行き,いつものライ麦パンをはじめ数日分のパンを買った.今日はパネトーネ(イタリアのクリスマスといえばこれ)も買ったので大きな包みとなったが,「中央市場」(メルカート・チェントラーレ)と文字の入った大きなショッピング・バッグをプレゼントして貰い,これに入れた.顔なじみの女性店員さんたちと「アウグーリ,ブォン・ナターレ」と笑顔で挨拶を交わして帰ってきた. ![]()
サンタ・レパラータ教会遺構 ドゥオーモ(サンタ・マリーア・デル・フィオーレ教会)は,もとはサンタ・レパラータ教会があった場所に建っており,地下にあるその遺構が公開されている. ドゥオーモは現役の教会なので拝観料は取らないが,発掘された遺構であるサンタ・レパラータ教会は1人3ユーロの入場料がかかる.地下遺構では床モザイクやレパラータの聖遺物などが見られるし,古いフレスコ画も一部残っている.
伝説の通りだとすれば,サン・サルヴェトーレ教会のあった場所に,皇帝ホノリウスが東ゴート族に勝利したのを記念してサンタ・レパラータ教会ができたのが5世紀前半のことだ. 元来フィレンツェの司教がいた教会(ドゥオーモ)は,現在のサン・ロレンツォ教会であったが,初代司教のゼノビウス(ザノービ)の聖遺物がサン・ロレンツォからサンタ・レパラータに移され,司教のいる教会となり,現在のドゥオーモに至っている.
アルノルフォ・ディ・カンビオを監督として現在のドゥオーモが着工されたの1296年,ジョットが建築責任者になったのが1334年,ブルネレスキによってクーポラ(丸屋根)が建設されたのが1434年から36年,その1436年に教皇エウゲニウス4世によって献堂式が行われたということなので,まことに長い時間を経てのことだが,このようにしてサンタ・レパラータ教会跡に,サンタ・マリーア・デル・フィオーレ教会は造られて行った. 今見られるファサードは19世紀後半のもので,20世紀に付け足された部分もある
![]() 聖遺物が祀られていることが,町の守護聖人の一人ということの根拠なのだろか.夏前に住んでいた寓居はヴェンティセッテ・アプリーレ通りにあったが,西で交差するのがサン・ザノービ通り,東で交差するのがサンタ・レパラータ通りで,これらの守護聖人たちの名前には少しなじみがあるが,レパラータは,第1の守護聖人である洗礼者ヨハネ(サン・ジョヴァンニ・バッティスタ),初代フィレンツェ司教であったゼノビウス(サン・ザノービ)ほどにはよくわからない. さすが大観光地フィレンツェのドゥオーモの下にある遺構だけに,サンタ・レパラータ教会の英語版のガイドブックがあり,購入した.情報と写真豊富で5ユーロはお得な買い物だが,発掘のことばかりで,聖人の話は書いていない. しかし,以前購入したドゥオーモ博物館の英訳版ガイドブックに多少のヒントがあった.同博物館には15世紀のロレンツォ・ディ・ニッコロに帰せられる「聖レパラータ」の板絵があり,中央にフィレンツェの十字旗を持った大きなレパラータの全身像が描かれ,左右下段に洗礼者ヨハネと聖ゼノビウスの姿,そのそれぞれの上にレパラータの殉教の物語が描かれている.洗礼者ヨハネを中心にゼノビウスとレパラータを配した祭壇画も同博物館にあり,この聖女がフィレンツェで敬慕を集めたことはよくわかる.
ともかく古代ローマ時代からの建造物があり,古代末期から中世まではレパラータ教会だった遺跡を見ることができて興味深かった. 遺構内にはブルネレスキの墓があると聞いていたので,しばらく探しまわったが見つけられなかった.あきらめて帰ることにして,出口正面にあるブックショップ(地下)に立ち寄ったら,なんと,その一角にあった.ようやくフィレンツェの象徴ドゥオーモのクーポラを設計した大建築家に敬意を表することができて,帰路についた. クリスマスは特別の日 クリスマスには,いつも開いていない教会が開いていたりする可能性があると思い,左見右見しながら街を歩いたが,案の定,ドゥオーモに向かう途中,未拝観のサンタ・ルチーア・スル・プラート教会の扉が開いていて,堂内を見学することができた. 作者不詳の「受胎告知」のフレスコ画があり,芸術的にすぐれたこれという作品があるわけではないが,今も地域の人々の信仰を支える教会の雰囲気を味わうことができた. 大きな教会には,大抵あるようだが,ドゥオーモにも大きなプレゼピオが飾られていた.帰路立ち寄ったオンニサンティ教会にもこじんまりとしているが,精巧なプレゼピオがあった.フェッラーラのカテドラーレ,シエナのサン・フランチェスコ教会でも立派なプレゼピオを見た.街中の店の飾りにもこの時期はたくさん見られる.
フィレンツェ宮城家では2003年モンテプルチャーノ産のワインを味わいながらの晩餐だった.スーパー,イル・チェントロで12.50ユーロだったが,最近0.7ユーロの箱ワインを飲んでいるので,20倍の贅沢をしたことになる.値段以上に美味なワインだった. |
大家さんのクリスマス・プレゼント ベツレヘムの職人が オリーヴの木で作った調理用品 |
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