フィレンツェだより |
夜のシニョリーア広場 彫像が月と宮殿を見上げる |
§クリスマス・シーズンの楽しみ
シュライアーが歌ったCDは何枚持っているか数えたことがないが,一番好きなのはモーツァルトの歌曲集で,何度も聴いている.素朴な音楽を丁寧に歌いこんだ良い歌唱だ. バッハも,昔リヒターが指揮したカンタータの録音に相当回数登場しているし,受難曲の福音史家なんて,数え切れないくらいやっていると思う.この人は,お父さんが教会のオルガニストで音楽指導者だったし,少年時代はドレスデン十字架合唱団にいたわけだから,バッハは彼の血肉と言っても良いだろう. では,そうした人がテノール歌手として功成り名遂げて,バッハを指揮したときに極上の音楽になるかと言えば,その辺が難しいところなのだろう.こんな退屈なバッハを聴いたのは初めてだと思うほど,全曲聴き通すのは辛かった. 途中から,方針を切り替え,時々入る独奏部分の妙技に聴き入った.クリスマス・オラトリオと言うと,トランペットが景気よく鳴るイメージがあるが,モダン楽器だと,トランペットの音が大きすぎる難があると普通言われるように思う.しかし,古楽器演奏のバッハのファンである私も,この日はトランペットが派手に鳴り響く所が数少ない楽しみで,トランペットの首席奏者はその役割を立派にこなし,万雷の拍手をもらっていた. 歌手の出来は良いとはいえなかったが,声はまずまずだったので,多分シュライアーが指揮に向いていないのだと思う. それでもフルート,オーボエ,ヴァイオリンのソロ,ファゴット,チェロ,コントラバスの通奏低音を聴いて,さすがに普段やらない音楽でも,プロの演奏家は立派にこなすのだなあと感動した.歌劇場でバッハ演奏を聴くことはこれからもそうはないだろうから,良い経験ができた. 指揮への感想とは別に,CDでは数え切れないほど聴いているシュライアーの,実物をこの目で見ることもできたのも良かった.長身痩躯で甲高い声を出すイメージのある彼だが,寄る年波で,少なからずお太りあそばしていた.でも良いのだ.憧れのシュライアーだから. 暖かい拍手を送っていたフィレンツェの聴衆とともに私も心から拍手した.
「くるみ割り人形」 昨日(22日)は,ゴルドーニ劇場で,バレエ「くるみ割り人形」を観た.これはなかなか良かった. イタリアのバレエだから,決してバレエとしての水準は本場には及ばないかも知れないが,おもしろい演出だった.実はそれは夢だったというオチではあるが,クララが少女から大人になる一種のイニシエーションに焦点を絞り,舞台装置・衣装を現代風にシンプルにした1幕のスピーディーな展開で,舞踊は,古典の語法を踏襲しながら,モダンの要素を多く採り入れていた.ともかく楽しめた.
そうしたこともあまり奇を衒っているように見えず,多分意図的とだと思うが,少ない団員が全員参加で一つのイヴェントを成し遂げるという感じを出していたのだと思う.学生の劇団が一生懸命演じている演劇を見るような「がんばれ!」という気持ちを抱きながら観るのだが,実は訓練十分のプロがやっているのだ.超一流ではないかも知れないが,下手なはずはない. 振り付け,演出,衣装はすべてジョルジョ・マンチーニという人で,多分,イタリア的な「くるみ割り人形」だろう.「イタリア的」というのは,伝統的イタリアではなく,現代に生きるイタリア人が自分の独自性を発揮したという意味で,これは時々大ハズレのことも少なくないが,今回は成功だったと思う. 歌劇場の現バレエ監督はウラディーミル・デレヴィアンコというボリショイ出身のロシア人なので,本場のバレエの基本から大きく外れているというわけではないと思う. クララはトゥシューズを履かずに踊っていたのに,ポスターが赤いトゥシューズというのもおかしかった.
![]() それでも,やはりお2人が観た「くるみ割り人形」とは全く違うタイプの公演を観たことになる.
クリスマス・シーズンだし,3時半からの公演なので,お母さん,お父さん,お婆ちゃん,お爺ちゃんに連れられた子どもが多かった.バレエを習っている子が多いせいかも知れないが,私などよりずっとツボがわかっていて,拍手や声援が堂に入っていた.今日のお子様たちは,将来は見巧者の観客になり,なかにはイタリアや海外で活躍するバレリーナになる子もいたかも知れない. 彼女たち,彼らがおなじみの古典的な演出の「くるみ割り人形」ではなかったので,どうかなとも思ったが,飽きずに楽しんでいたようだ.性的なアリュージョンが多いように思え,両親,祖父母はハラハラだったかも知れないと思ったが,あまりにも露骨でなければ,そんなことは気にしなくても良いのだろう. ![]() ゴルドーニ劇場での公演を2度も見られたのは幸運のようだが,実は3度目もある.3月9日に「ペトルーシュカ」を観る予定だ.またイタリアらしい(と勝手に私が思っている)バレエが,ゴルドーニ劇場で楽しめるかと思うと,今からワクワクする.
サン・レミージョ教会のオルガン・コンサート 昨日(22日)はゴルドーニ劇場から帰ってきて,夕飯を食べた後,福山さん情報で,サン・レミージョ教会のオルガン・コンサートを聴きに行った. サン・レミージョ教会を一度拝観してみたいと思いながら,なかなかその機会が得られなかった.なまじチェントロ(中心部)にあるので,何かのついでにと思いつつ,周辺の美術館の見学などを優先していて,教会の開いている時間帯には前を通りかかることがなかった. ![]() 1.本来の居住地を確保しながら拡大していった 2.他のゲルマン人がアリウス派だったのに,フランク人はアタナシウス派だった の2つが挙げられていた.2番目の理由の功労者はランスの司教聖レミギウスで,彼はメロヴィング朝の王クローヴィスをアタナシウス派キリスト教に改宗させた.フランス語ではサン・レミ,イタリア語ではサン・レミージョとなる. フィレンツェのサン・レミージョ教会は,ローマに向かうフランスからの巡礼者たちの宿泊施設として9世紀に遡る由緒を持つ.教会として最初に記録に現れるのは1040年,現在の教会が建てられたのは1350年で,ダンテを出したアリギエーリ家も教会再建に関わったらしい. レミージョというと,私は映画「薔薇の名前」で火炙りになる異端の修道士の名を思い出すが,彼と一緒に火炙りにされたサルヴァトーレが私のイタリア名になりそうだったので,他人とは思えない.
![]() 教会のオルガン・コンサートというとゴシック建築の大聖堂に響き渡るイメージがあるが,サン・レミージョの外観は地味な納屋型で,華やかな印象からは程遠い.しかし,内部のヴォールト型の天井と柱はゴシック風で,荘厳な雰囲気が漂う. オルガンは由緒あるものかどうかはわからないが,教会の側壁上部にある古い立派なもので,雰囲気は非常に良かった.
![]() オランダ,ドイツのプロテスタントの作曲家たち,スウェーリンク,シャイデマン,ヴェックマン,巨匠ブクステフーデを弾いたが,ヴェックマンとブクステフーデが絶品で,教会の堅く冷たい椅子に腰掛けながら殆ど恍惚状態だった.北ドイツの巨大なゴシック教会ではないとはいえ,雰囲気十分の教会で,古雅なオルガン音楽に浸る,これは最高の贅沢だ. 後半はドメニコ・スカルラッティとバルダッサーレ・ガルッピというイタリアの大作曲家たちの曲に始まり,バジーリ,タッソー,コルシーニという,いずれも18世紀の初めて聴く作曲家たちの曲を軽やかに弾いて,クリスマスシーズンの気分を満喫させてくれた.メンドーリには聴衆から心からの拍手が送られた.
![]() 板絵としては,「サン・レミージョの親方」の13世紀後半の「聖母子」が残っているが,この親方をガッド・ガッディに特定する人もいるらしい.
それにくれべれば大分新しいが,1591年に描かれたエンポリことヤコポ・キメンティの「無原罪の御宿り」もあった.他にも剥離フレスコ画や,新しい作品だが,「クローヴィスに洗礼を授ける聖レミギウス」の絵や彫刻があり,時節柄,中央祭壇右隣の「聖母子」のある礼拝堂にはプレゼピオが飾られていた.
![]() 「コンチェルティ・ディ・ナターレ2007-2008」(クリスマス・コンサート)と命名されたフィレンツェ市の企画で,年末年始に教会その他で演奏会が開かれている.これからも幾つか聴きに行くつもりだ. |
イルミネーションが水鏡に輝く 雨のレプッブリカ広場 |
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