フィレンツェだより
2007年12月21日



 




フェッラーラ駅前の公園
モストラのポスター



§フェッラーラの旅(後篇)

エステンセ城の見学を終えたら2時半を過ぎていた.すぐ隣のカテドラーレに行ってみたが,まだ開いていない.やはり3時にならないと開かないようだった.


 予定を変更して,最後に行くつもりだったスキファノイア宮殿を先に見学することにした.途中,幾つかの教会や,コペルニクスが学んだというフェッラーラ大学などをカメラに収めながら歩く.

写真:
フェッラーラ大学


 スキファノイア宮殿には,地元の中学生,高校生の団体の見学が多かった.「町の人一番の,お気に入りの見どころ」(『地球の歩き方』)というだけのことはある.ラピダリオ美術館併設ということで,陶器や彫像の展示もあるが,一昨日報告したように,まず「12ヶ月の寓意」のフレスコ画のある広間がスキファノイア宮殿の最大の見ものと言っても過言ではないだろう.

 スキファノイア宮殿のブックショップで,定価58ユーロの今回の特別展のカタログが35ユーロで売られているのを発見した.モストラのチラシやWebサイトでは58ユーロとなっているし,エステンセ城のブックショップでもその値段だったのに,特別展も終盤に入って,在庫整理の態勢にでも入ったのだろうか.

 カタログの裏表紙を確認すると,もちろん58ユーロと印刷されていたが,カタログの積まれた後ろの壁には35ユーロと大きな貼紙がしてある.フェッラーラに行く前は買うかどうか迷っていたが,値下げされているし,カード払い可だったこともあって,思い切って購入した.写真には一部不満なところもあるが買って良かった.

 後で訪れた本会場のディアマンティ宮殿でも35ユーロで売っていたが,そちらでは5ユーロの薄い冊子の方を買った.イタリア語本文に英語訳が付されているもので,わかりやすく,情報はカタログと一部重複するがこれも買って良かった.この小冊子を買うとき,「大きい方のカタログじゃないのか」と念を押されたほど,カタログはよく売れていた.

 しかし,帰宅後にカタログを開いてみたら,真ん中のページが綴じられていない乱丁だった.さすがにフェッラーラまで取り替えてもらいにはいけない.しかたなく落丁よりは良いだろうと自分を納得させることにした.真ん中のページ,フランチェスコ・デル・コッサの「聖母子」の箇所なので,なくさないようにしよう.



 スキファノイア宮殿から同じ道をカテドラーレ広場まで戻る途中,大きなサン・フランチェスコ教会が開いていたので寄ってみた.ここにはガロファロのフレスコ画「キリストの捕縛」があるとのことだったが,暗くてわからない.

写真:
サン・フランチェスコ教会


 広場に戻るとカテドラーレ(左下の写真)は開いていたが,旧サン・ロモロ教会である付属博物館は閉まったままだった.博物館にはクェルチャの彫刻「聖母子」の他に,コスメ・トゥーラの「受胎告知」と「龍を退治する聖ゲオルギウスとカッパドキアの王女」があるはずなので,見られなくて残念だ.



 カテドラーレの堂内も暗かったが,かろうじてグェルチーノの「聖ラウレンティウスの殉教」(右上の写真)は見ることができた.堂内には時節柄,大がかりなプレゼピオがあった.

 広場に出ると,もう夕方で,クリスマス電飾に明かりがついて華やかな雰囲気になっていた.少し回り道をして,もう一度エステンセ城の前に出て,エルコレ1世通りをモストラの会場であるディアマンティ宮殿に向かった.





クリスマス飾りの輝く広場に
メリーゴーランドが回っていた


ディアマンティ宮殿に到着





ディアマンテ宮殿のモストラ
 ディアマンティ宮殿内にある国立絵画館の常設展とモストラのコンバインド・チケットは1人10ユーロだった.まずモストラの方から鑑賞を始めた.

 最初の部屋で見たボーノ・ダ・フェッラーラの「聖ヒエロニュモス」は良い絵だった.今回のモストラには「ボルソ・デステの時代のフェッラーラの芸術」という副題がついているが,最初にボーノの作品を置くことで,ボルソ公爵の兄で先代当主であるレオネッロ侯爵の時代にそのルーツが見出せること,そしてレオネッロの宮廷の芸術に影響を与えた大芸術家がピザネッロであることを示す展示になっていた.

 ピザネッロの完成された絵はこの展示室にはないが,彼が制作したメダルの下絵などがあり,その中にボーノの作品もあった.

 ピザネッロと言えば「国際ゴシック」ということであり,そこからフェッラーラの絵画ルネサンスが始まるという趣旨なのだろう.ボーノの作品にピザネッロの影響が見られるのかどうか私にはわからないが,長い間ピザネッロに帰せられていた作品とのことだ.



 次に作品が出てくる画家はミケーレ・パンノニオで,ハンガリーに生まれて,フェッラーラで活躍した.当時は有名な画家で,マントヴァのゴンザーガ家が彼を宮廷画家に招いたが断られ,その代りがマンテーニャだったそうだ.ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの協力者ハンガリーのミケーレと同一人物であれば,やはりこの人も国際ゴシックの流れだろう.

 1450年にレオネッロが亡くなり,ボルソの治世が始まるが,その前後にパンノニオはフェッラーラに滞在した,レオン・バッティスタ・アルベルティ,アンドレア・マンテーニャ,ピエロ・デッラ・フランチェスカの存在がフェッラーラ絵画に影響を及ぼしていくことになる.

 パンノニオの作品は何点か見られるが,「もしかしたらフェッラーラ絵画の特徴か」と私たちが思っている顔の表情などがすでに彼の絵の中に見られ,若きコスメ・トゥーラは影響を受けたらしい.

 専門家が見ると,パンノニオの作品にはジェンティーレ・ダ・ファブリアーノやスクァルチョーネの影響が見られるとのことだ.スクァルチョーネはパドヴァの画家で,マンテーニャの師匠であり,資料によってはコスメ・トゥーラも彼の弟子としているものもあるが,この特別展はその立場を採っていないようだ.

 この時代のイタリア絵画に共通して重要なのが,やはり,私たちにはようやく見えてきたフランドルなど北方の影響で,北イタリアの君主国の宮廷では特にブルゴーニュの宮廷文化の影響などを通じて,フランドル絵画への志向が色濃く見られるようだ.それを示すものとして,ウフィッツィ美術館から出張しているロヒール・ヴァン・デル・ウェイデンの「キリストの埋葬」が展示されていた.

 きちんと専門知識を持った人たちが企画したモストラはすごいものだと思うのは,絵だけでなく,彫刻,メダル,写本の挿絵に至るまで,関連の作品をできるだけ集めて見せてくれることだ.その中で,今回は写本の挿絵が良かった.



 そうこうしているうちに,「コスメ・トゥーラと宮廷芸術」の第5室にたどりついた.ここではワシントンのナショナル・ギャラリー所蔵の「庭の聖母子」が良かった.今回のフェッラーラ行の中でも,最も気に入った作品だ.挿絵画家の中にはコスメ自身も含まれるが,その他の数人の実力者の中でフェッラーラ出身のタッデーオ・クリヴェッリの挿絵の中には,この「庭の聖母子」そっくりのものがある.

 コスメがフェッラーラ以外でも評判になった証拠として,ヴェネツィアの画家バルトロメオ・ヴィヴァリーニの「キリスト磔刑」が展示され,そこにコスメの影響が見られるとされている.今回の特別展のために集められたコスメの作品も,印象深い「ピエタ」(コッレル美術館)を初めとしてヴェネツィアにあるものが多い.

 「黄道十二宮の聖母子」(ヴェネツィア・アカデミア美術館),同(ローマ,コロンナ宮),「聖ゲオルギウス」(ヴェネツィア,ヴィットリオ・チーニ・コレクション),祭壇画の部分である「聖母子」(ベルガモのアカデミア・カッラーラ),「聖ドメニコ」(ウフィッツィ美術館),「聖セバスティアヌス」(ベルリンの国立美術館),「大ヤコブ」(カアン,ミュゼ・デ・ボザール),「パドヴァの聖アントニウス」(ルーヴル美術館),「バーリの聖ニコラス」(ナント,ミュゼ・デ・ボザール),「トゥールーズの聖ルイ」(ニューヨーク,メトロポリタン美術館)などが壮観だった.小さい絵ではロヴェルチェッラ多翼祭壇画と言われる作品の一部「キリストの割礼」(ボストン,イザベラ・ステュアート・ガーディナー美術館),「エジプト退避」(ニューヨーク,メトロポリタン美術館)はあったが,もう一つの「三王礼拝」(ケンブリッジ,フォッグ・アート・ミュジアム)は来ていなかった.

 来ていなかった作品の中でも,ワシントン・ナショナル・ギャラリーの「受胎告知と聖人たち」(),ロンドン・ナショナル・ギャラリーにあるロヴェレッラ多翼祭壇画の「玉座の聖母子」,「ミューズ」,「聖ヒエロニュモス」などは機会があれば是非見てみたい作品だ.今回,出展に協力しているベルリン国立美術館,ルーヴル美術館,マドリッドのティッセン美術館にも少なくともあと1点ずつはコスメの作品があるようなので,もし行くチャンスがあれば注意を払いたい.

 それにしても,このようにまとめて鑑賞できる機会と言うのは,彼のように個性豊かでありながら,一般的な宗教的主題を扱っている画家の場合は一層大事なのではないかと思う.私たちはコスメ・トゥーラに魅入られた.



 一方のフランチェスコ・デル・コッサの作品は,ポスターになっている「男の肖像」(マドリッド,ティッセン美術館)をはじめとする絵画作品のほかにも,彼が下絵を描いたステンドグラスや,素描の展示もあった.コスメよりは端整に見える絵を描くだけにインパクトは小さいが,他の画家のものと並べられた素描を見ていると,彼の圧倒的力量に驚かされる.

 ワシントンのナショナル・ギャラリーから来た「聖母子と天使たち」の左側の2人の幼児の天使たちが良かったし,美しいとはいえない聖母の個性的表情にもやはりフェッラーラの画家なのだと思わせるインパクトがあり,聖母の前で珊瑚の首飾りと腕輪をして眠るキリストの姿がやはりコスメ・トゥーラとの連続,と言って言いすぎなら相互の共通要素が見られるように思えた.コッサの作品ではこれが最も良かった.

 「洗礼者ヨハネ」(ミラノ,ブレラ美術館),カンヴァスにテンペラと油彩で描かれた「ピエタ」(パリ,ジャックマール美術館),「聖キアラと聖カテリーナ」(バルセロナ,国立カタルーニャ美術館)も印象に残る.

 コッサの作品は数点しかなかったが,彼の協力者もしくは影響を受けた人の作品でも良いものがあった.「協力者」とされる画家のトンドの「ソロモンとシバの女王の出会い」(ヒューストン,ミュジアム・オヴ・ファイン・アーツ)や,「フェッラーラの画家」とされる人の「聖母子と天使たち」(エディンバラ,ナショナル・ギャラリー)が華やかだったし,スキファノイア宮殿のフレスコ画で「八月」を担当した「八月の親方」の「聖母子」(トリノ,ガレリア・サブンダ)が見られたのも貴重な機会だった.

これらの収蔵先を確認すると,個人蔵を含め,実に様々な場所から作品が集められていることがわかり,絵を見られる機会の「一期一会」性と,立派な企画の特別展の有り難さを痛感する.


 「八月の親方」は,ゲラルド・ディ・アンドレア・フィオリーニ・ダ・ヴィチェンツァと特定される可能性もあるようだが,名前のはっきりしている画家としては,エルコレ・デ・ロベルティ,ヴィチーノ・ダ・フェッラーラがいる.ヴィチーノ・ダ・フェッラーラ(フェッラーラ付近出身の人)は名前と言うより通称だが,こうした呼び方は古い画家には少なくない.しかし,この通称を使えば,特定の画家を指すことになるのだから,「名前」がはっきりしていると言っても間違いではないだろう(でもそれなら「〜の親方」でも一緒か).

 エルコレは「八月の親方」かも知れない人物の弟子かも知れず,スキファノイア宮殿のフレスコ画も描いているようだ.彼の「聖ヴィンチェンツォ・フェッレルの奇跡」()はヴァチカン美術館所蔵の作品なので,評価の高い作品なのかも知れないが,「聖ヒエロニュモス」(ロサンジェルス,J.ポール・ゲッティ・ミュジアム)が圧倒的に良かった.「受胎告知」(ヴァレーゼのガッザーダ・シャンノ,ヴィッラ・カニョーラ・コレクション)もあった.ヴィチーノ・ダ・フェッラーラの「キリスト磔刑と聖人たち」もまずまずの作品に思えた.

 この特別展の最後の一角に,もう1点コスメ・トゥーラがあった.明らかにより大きな板絵から切り取られた「磔刑のキリストの出現」(ミラノ,ブレラ美術館)で,素人目には専門家のお墨付きがないと彼の作品と判断するのは難しいが,キリストがはりつけ(磔)られているはずの十字架は描かれておらず,スーパーマンが大きく手を広げて,中空からしっかりと大地にいるであろう人々を見据えている,夢に出てきそうな衝撃力と持った作品だと思った.やっぱり抜きん出ているのはコスメ・トゥーラだとの印象を深くした.


国立絵画館の傑作
 この後,国立絵画館でも多くの作品を見た.収蔵品の中からモストラと関連する作品を選んだ特別展示室もあり,そこにコスメ・トゥーラも2点あった(「聖マウレリオの殉教」)が,コッサはなかった.

 「オッキ・スパランカーティの親方」,「八月の親方」,エルコレ・デ・ロベルティの作品もそれぞれ魅力的だったが,ここで貴重だったのは,モストラではそれほどと思わなかったヴィチーノ・ダ・フェッラーラの作品が何点かあって,どれも見事だったことだ.にわかフェッラーラ派ファンの私には,彼の作品にコスメ・トゥーラのような個性は感じ取ることはできないが,やはり実力者の1人であったのだろうと思う.

 ニッコロ3世の庶子で,侯爵,公爵になった3人の兄弟にあたるバルダッサーレ・デステが描いた肖像画も特別展でも常設展でも見られたのは貴重な機会だった.

 常設展示には,マンテーニャの小さな「キリスト」,ヤーコポ・ベッリーニの「三王礼拝」(特別展にも「聖ヒエロニュモス」があった),ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「聖母子」などビッグネームの作品も見られたが,それぞれ大芸術家の実力が発揮された作品とは言えないかも知れない.

 それらの作品を見たあと,次の部屋で,フィリーネの親方の「洗礼者ヨハネ」を妻が見つけた,特別展がなければ,これを見るためにフェッラーラに来ようと以前から思っていた作品だったのに,コスメ・トゥーラに酔ったせいかすっかり失念していた.見逃さなくて良かった.

この作品は圧倒的だった.少なくとも私たちが今まで,この画家を好きだと思い続けてきた延長線上にある作品で,そうした思いをさらに深くさせてくれるものだった.


 ボローニャの画家アミーコ・アスペルティーニの作品が見られたのも良かった.剥離フレスコ画2点はもうあまりはっきりした絵柄は見えなかったが,多分プレデッラであったろう板絵は「聖母の物語」で良い絵だった.xボローニャの国立絵画館にフランチェスコ・デル・コッサの「玉座の聖母子と聖人たち」があり,ジョットの作品もあるので,年明けはボローニャ行を目論んでいる.

 今回フェッラーラに行くにあたり,ボローニャを通過したが,フィレンツェからユーロスターでアペニン山脈を越える長いトンネルを抜けると,雪景色が広がっていたので,やはり北の方はフィレンツェよりも寒いとの印象を深くした.フェッラーラの予想最低気温は氷点下だったので,日本から持参した衣類に貼るタイプの簡易カイロを背負っての遠征だった.1月のボローニャも油断はならないだろうと思っている.


故郷の痕跡を残しながらローカルを越えていく
 フェッラーラの国立絵画館では,ガロファロを初めとする多くの地元の画家の作品を見ることができるが,もう閉館時間が迫っていたので,丁寧に見ることはできなかった.それでも7時まで開いていたのは,特別展の余慶なので,その幸運には感謝しなければならない.

 ガロファロなどコスメ・トゥーラの後進にあたるはずのフェッラーラの16世紀の画家たちは端整な絵を描くので,今後それほど興味を引かれることはないかも知れないが,いつの日か機会があればゆっくり鑑賞したい.

 国立絵画館で見た最後の作品は「コスタービリ多翼祭壇画」という地元一押しの巨大な作品だった.玉座の聖母子と聖人たちを描いた,この新しい時代の多翼祭壇画は,ガロファロによって描き始められたが,彼は完成しないまま亡くなり,仕上げた画家は有名な人物だ.フェッラーラ出身のドッソ・ドッシである.

 フィレンツェや諸方で見ることができて,ローカルを越えた存在であるドッソの絵に,もはやフェッラーラの特異性を見出すことは難しいかもしれないが,あるいはローマのボルゲーゼ美術館で見た「聖母子」なら,コスメ・トゥーラやフランチェスコ・デル・コッサの後進といえる痕跡が見出されるかも知れないと思った.

 新しい絵に出会うたびに過去の記憶が新たな姿で蘇ってくる,そう実感しながら,寒気に包まれたフェッラーラを後にして,ローマ・テルミニ行きのユーロスターでフィレンツェに戻った.





フェッラーラ駅でユーロスターを待つ間に
向かいのホームにローカル列車が入線