フィレンツェだより
2007年11月22日



 




ドゥカーレ宮殿とドゥオーモ
アルボルノツ要塞から



§ウルビーノの旅(前半) −国立マルケ美術館篇−

「ラファエッロ」はペダンチックな上に正確でもないような気がしたが,こう表記している日本語の本も多いので,そのままにしていた.


 しかし,自分も口では「ラファエロ」と言っているので,以後このように表記し,今までの分も順次訂正していく.

 これまでにどのくらいラファエロの絵を見ることができただろうか.多分,初めて見たのは昨年9月のローマ旅行の際にバルベリーニ宮殿の国立絵画館で,次は,その翌日にフィレンツェのパラティーナ美術館で,またその翌日にはヴァチカン美術館の中で一連のフレスコ画を,そして同絵画館で板絵(「キリストの変容」など)を見たと思う.

 その3日間で,生まれて初めて(だと思う,多分)ラファエロの絵の実物を,少なからぬ枚数見たことになる.

 今年は,今のところパラティーナ美術館に3回,ウフィッツィ美術館に2回行き,複数のラファエロ作品を見ている.10月にはローマのボルゲーゼ美術館に行き,バルベリーニ宮も再訪し,それぞれでラファエロ作品を見た.サンタゴスティーノ教会では「預言者イザヤ」のフレスコ画も見た.

 パンテオンの一角には彼の墓があり,人だかりになっていたので,そこの前にも立ってみたのだが,それがラテン詩の碑文が刻まれたラファエロの墓だということは後で知った.



 フィレンツェでもう一度見たいものを順に挙げろと言われたら,1位がサンタ・マリーア・ノヴェッラ教会のジョット「キリスト磔刑像」,2位がサン・マルコ美術館のフラ・アンジェリコ「受胎告知」,3位がアカデミア美術館のミケランジェロ「ダヴィデ像」だと以前書いたことがあるが,このとき,4位がパラティーナ美術館のラファエロ「椅子の聖母」(小椅子の聖母)で,5位が同美術館のボッティチェルリ「聖母子」と書こうとして,4位,5位は3位までに比べると説得力が乏しいと思って,書くのをやめた.

 しかし,ラファエロの「椅子の聖母」は私の好きな作品で,あくまでも自分が見たいということで,4位という位置づけは暫く変わらないだろう.

 まだ一度しか見ていないし小品だが,パラティーナ美術館の「預言者エゼキエル」も力作だと思うし,一般にパラティーナのラファエロはどれも良い作品だと思う.ウフィッツィの「鶸の聖母」は修復中でいつ見られるかわからないが,もし見られたら,それが最高傑作と思うかも知れない.

 まず,「聖母子」を描かせたらハズレがない画家という印象があり,ウフィッツィにある自画像を初め,肖像画にも力を発揮しているが,それらに関してはまだ開眼するに至っていなかった.

 ともかく,ラファエロの故郷だから,と言うのがウルビーノに行ってみたかった理由だ.他にはピエロ・デッラ・フランチェスカの2点の絵を見たかったことと,フェデリコ・ダ・モンテフェルトロというルネサンス人文主義を支えた開明君主が統治した公国の首都であったことが挙げられる.

 と言うわけで,11月20日と21日,1泊2日でウルビーノに行ってきた.

写真:
ウルビーノの風景


 フィレンツェからウルビーノまで直線距離はさほどではないが,アペニン山脈を越えることになるので,自動車を運転しない私たちが行くのはそう簡単ではない.

 まず北に向かってユーロスターでボローニャまで行き,インターシティに乗り換えて,南東に進み,アドリア海岸のペーザロまで行く.そこでバスに乗り換えて,西に向かって平地から山地を目指す.ユーロスターが1時間,インターシティが1時間半,バスは40分から50分の所要時間で,それぞれに待ち時間があるので,日帰りも全く不可能ではないが,1泊した方が現実的だ.

 所々に工業団地がある田園地帯をひたすら電車とバスで進む.車窓からはそれぞれの地方の特色のある美しい風景が見られる.日本と同じく,イタリアも変化に富んだ美しい自然に恵まれた国だ.

簡略図:
直線距離は遠くないが
移動には時間がかかる


 バスがウルビーノに近づくと,ドゥオーモやサン・フランチェスコ教会の大きな鐘楼が見える.大型車両は城壁の中には入れないので,バスが到着するのは町がある小高い丘の麓(と言っても平地から見ると相当の高地だが)のメルカターレ広場になる.

 そこから見上げるドゥカーレ宮殿は圧巻だが,クーポラと鐘楼は宮殿の隣に建っているドゥオーモのものなので,そう考えると質素な外見の宮殿に思える.この宮殿の中に目指す国立マルケ美術館がある.

 メルカターレ広場から左手に見えるヴァルボーナ門をくぐって,城壁に囲まれた町に入る.マッツィーニ通りの坂道を登りきると,町の中心,レプッブリカ広場に出る.この広場に面して大学もあるので,小さな町にしては意外に思えるほど多くの若者たちが常にたむろしている.この町で一番賑やかな場所と言えるだろう.

 広場からは幾つかの主要道が出ていて,坂道から見て右手がガリバルディ通りとヴィットリオ・ヴェネト通りである.前者は丘の中腹までくだってドゥカーレ宮殿裏手のサンツィオ劇場に着き,後者はさらにのぼって,リナシメント広場に着く.

 この広場に市庁舎,ドゥオーモ,ドゥカーレ宮殿,サン・ドメニコ教会が集まっており,ここがウルビーノ観光の中心と言えるだろう.

写真:
ブラマンテ通りの
朝の通勤ラッシュ風景



ドゥカーレ宮殿,国立マルケ美術館
 ここまでたどり着いていて,ドゥカーレ宮殿内の国立マルケ美術館に入るのには少し時間がかかった.

 リナシメント広場に面して宮殿の扉は幾つかあるが,どれも美術館の入口ではない.迷ったあげく「地球の歩き方」をもう一度確認すると,美術館入口はフェデリコ広場とある.地図を見るとドゥオーモと宮殿の間のコの字型に窪んだ空間がそれで,広場に面して一番奥まった扉が入口だった.ここで1人4ユーロの入館料を払って入館する.

 旅行前に読んだウェブページの一部に,一定人数が集まるとガイド付きで見学するという情報があったし,サイトによってガイドと言うより監視役の人がついて来ると書かれているものもあったが,少なくとも私たちにはガイドも,監視役もつかず(私たちが部屋を移動すると,係員がどこからともなく現れて,それとなく様子を伺う場面は何度かあったが),自由に見ることができた.

 そもそも,シーズンオフのせいか,初日と2日目の2度行って,2度とも貸しきり状態に近かったので,「一定人数」が集まりようがなかった.

写真:
ドゥオーモ


 マルケ美術館の展示は宮殿2階からスタートする.順路に従って,中世からルネサンスというおなじみの時代順の展示で,中世末期からルネサンス初期の絵もかなりの点数があり,興味深いものも何点かあった.

 アンドレーア・ディ・バルトロというシエナの画家の作品はさすがに立派だったし,ジョヴァンニ・ボッカーティの部屋の壁一面に描かれたフレスコ画「武装した兵士たち」も,ひどく剥落していたが立派だと思った.ペルージャの国立ウンブリア美術館ではこの画家をあまり評価しなかったが,今回は印象に残るものだった.

 他にはフェッラーラ,リミニ,ペーザロ,アンコーナなどエミリア・ロマーニャ州からマルケ州の近隣諸都市の画家の絵が見られた.その中で,マルケ州のファブリアーノとカメリーノという地名が目をひいた.

 ファブリアーノと言えば1370年頃生まれたジェンティーレ・ダ・ファブリアーノが有名だが,彼の出身地ファブリアーノはマルケ州の山中の都市で,彼以前にアレグレット・ヌーツィ(1315年頃-1373年)という画家が出ている.今回ジェンティーレの作品は見られなかったが,アレグレットの作品「受胎告知」,「玉座の聖母子」が見られた.後者は保存状態は悪いが,なかなかの作品に思えた.

カメリーノはモンテフェルトロ家やデッラ・ローヴェレ家のウルビーノとは別のマルケ州の公爵領(ヴァラーノ家)があった所で,学問の町としても知られ,「カメリーノ派」という一連の画家を輩出したらしい.


 必ずしも全員がカメリーノで生まれたわけではないが,ジローラモ・ディ・ジョヴァンニ・ダ・カメリーノ(「キリスト磔刑」),オリヴッチョ・ディ・チッカレッロ・ダ・カメリーノ(「受胎告知」)の作品が目を引いた.

 15世紀半ばの生まれなので,もう中世末期とはいえないが,ヴェネツィアのヴィヴァリーニ一族の1人アルヴィーゼの多翼祭壇画「聖母子と聖人たち」が立派だった.

 ヴェネツィアの画家のビッグネームの作品としては,ジョヴァンニ・ベッリーニの「聖母子と聖人たち」(聖なる会話)と,ティツィアーノの「最後の晩餐」,「キリスト復活」があった.

 最近その実力に開眼したルーカ・シニョレッリのカンヴァス画も2点(「キリスト磔刑」,「聖霊降臨」)あって,これは名前負けしない作品で,見られて良かったと思う.


ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵の寂しさに心打たれる
 この美術館に行くにあたって最も期待していたのが,ピエロ・デッラ・フランチェスカの2枚の板絵だった.

 「セニガッリアの聖母」は,今年アレッツォで開催されたピエロ・デッラ・フランチェスカ展で一度見ている.「キリスト笞刑」は,実物を見るのは初めてだが,アレッツォの特別展で見たヴィデオやその他の資料から,遠近法(透視図法)とかイコノグラフィーの謎解きとか,専門家の腕の見せ所である様々な問題を提起する有名な作品であることは知っていた.

 もちろん,私たちにとって大事なのは,その絵を見て自分たちが良いと思えるかどうかだが,写真や映像で見る限り,是非実物を見る価値がある作品に思われた.

実物を見て,まず驚いたのは作品の小ささだ.大抵の解説本には作品のサイズも書いてあるので,前もってその情報はあったわけだが,注意を払っていなかったので意外な気がした.


 この小さな2枚の絵のために,一部屋があてられている.2枚の絵のほかは,中央に深紅の長椅子がポツンと置いてあるだけのガランとした空間だ.最も厳重なセキュリティー管理が行われていることからも,この2作が美術館最高の宝であることは間違いない.

 初めて見る「笞刑」の小ささには驚きとともに若干の戸惑いを覚えた.2日とも殆ど2人きりで鑑賞する時間が持てたので,ともかく時間をかけ,角度を変えてじっくり見た.

 ありきたりの感想になるが,見れば見るほど味わいのある作品に思われた.特に「笞刑」が持っている独特の寂しさというか,キリストを鞭打つという緊迫した場面の右前方に,世代も装束も様々な3人が鼎談(ただ佇んでいる?)していて,絵の中には,それなりの人数はいるのに,どの人物を見ても,他の人と本当の意味では関わりを持っていないように見える.

 イコノグラフィー(図像学),イコノロジー(図像解釈学)の謎解きは,専門家の精緻で鋭利な分析をいつの日か熟読してみたいが,とりあえず,時間をかけ,他人に煩わされることなく,この絵を見ることができたのは幸いだった.

 「セニガッリアの聖母子」もフェデリコ公の妻が世継を生んですぐ亡くなった時に注文したという説があるのも納得できるほど,寂しいが何とも言えぬ魅惑をたたえた作品に思えた.この2枚の絵は1975年に盗難に遭ったが,翌年取り戻されたそうである.

 「セニガッリアの聖母子」はセニガッリアのサンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会,「キリスト笞刑」はモンテフェルトロ家が画家に注文してウルビーノにあったものである.美術館展示という形は本来のものではないかも知れないが,是非これからもウルビーノにあり続けてほしい作品だ.

 私たちもチャンスがあれば,生きているうちに,あと2回くらいは,これらの絵に会いにウルビーノに行くかも知れない.

写真:
ホテルの窓から
朝靄に包まれるウルビーノ



その他の著名な作品,作家
 以前はピエロの作品とされたこともあって,現在のところ美術館はルチアーノ・ラウラーナの作品として展示しており,作者に関しては諸説ある「理想都市」だが,これも実物を見て,初めてその良さがわかったような気がする.やはり,写真とデータだけではなかなかピンとこない,絵のサイズの問題で,思っていたより大きく,堂々とした本格的な作品だった(もちろん,大きければ常に堂々として感じられるということではない).

 諸家が賛美するパオーロ・ウッチェッロの「オスティアの奇跡」(キリスト教徒以外には不愉快な話だ)は期待したほどではなかったが,いつの日かその良さに開眼するかも知れない.

 ラファエロの父ジョヴァンニ・サンティ(もしくはサンツィオ)の絵が数点あったが,これはなかなか立派だった.たとえ巨匠の父でなくても,地元の画家として美術館に展示されていたと思う.「聖ロッコ」が丁寧に描かれた見事な絵だった.

 ティモテオ・ヴィーティなど初めて見る地元の画家もまずまずの作品を描いていたし,ヴェローナ出身のクラウディオ・リドルフィも主たる活躍の場はウルビーノだったかもしれない.ペドロ・ベッルグェーテはスペイン人だが,フェデリコ公と後継者グイドバルドの絵を描いている.

 シエナの国立絵画館でその作品を見たジローラモ・ジェンガはウルビーノの出身だが,彼の絵は1点しかないので,他所で活躍した画家ということだろう.彼はペルジーノの工房にいて,そこで同郷のラファエロと一緒だった可能性もあるらしい.

 ウルビーノ出身の画家で,ラファエロに次ぐビッグネームであるフェデリコ・バロッチの作品をたくさん見ることができたし,この美術館が寄贈された「ヴォルポーニ・コレクション」にはグイド・レーニ,オラツィオ・ジェンティレスキ(どちらも「ゴリアテの首を持つダヴィデ」),グェルチーノ(「聖セバスティアヌス」)の立派な絵があった.初めて聞く画家だが,ジョヴァン・フランチェスコ・グェッリエーリの「牢獄の聖ペテロ」も見事な作品だった.

 オラツィオ・ジェンティレスキの作品はヴォルポーニ・コレクション以外でも「聖母子と聖・フランチェスカ・ロマーナ」があり,これも良かった.


「黙っている女」
 実は,この美術館に行くにあたって,ウルビーノはラファエロの故郷だが,彼自身の作品はこの美術館に「高貴な女性」(通称「黙っている女」)があるだけと聞いていた.

 実際には,少なくとも美術館はラファエロの作品としている小さな「アレクサンドリアの聖カタリナ」もあるし,彼が下絵を担当したタペストリーもある.それでもラファエロに関するこの美術館の呼び物は,写真で見るとものすごく地味な,この女性の肖像画1枚と言って過言ではない.したがって,あまり期待もしていなかった.

ところが,この絵は素晴らしい.今まで見たラファエロ作品の中でも,最高,といったら褒め過ぎにしても,かなり優れた作品だと思う.


 肖像画としては,ドーリア・パンフィーリ美術館でみた「二人の男性の肖像」も良かったが,当時は有力者の縁者であっても,歴史的に特に有名でもない人物の肖像であって,これほど心を打つ作品はそんなにたくさんはないだろう.

 ピッティ宮殿にある近代美術館を見ても,イタリアがヨーロッパ美術の中心でなくなった時代になっても肖像画にはすぐれたものが山ほどあることがわかるが,その伝統の中で燦然と輝いている作品だと思った.

 私たちの「やはり本物はすごい」という感想は,あるいはこれが「本物である」という保証のもとに見ている感想で,場合によっては,その「本物である」という保証自体が覆されることもあるかも知れないが,たとえ天才の真作でないとしても,この絵を見たら多分感銘を受けると思う.

 何でこんな平凡に見える絵が素晴らしいのか,それは私にはわからない.陳腐な言い方だが,そう思わせるものを描けるのが天才というものなのだろう.





晩秋の丘から
ドゥカーレ宮殿をカメラに収める