フィレンツェだより
2007年11月17日



 




フィリーネの親方(右)とジョット(左)の「聖母子」
サンタ・マリーア聖堂参事会教会付属美術館



§さようなら,「ヴァルダルノのルネサンス」

これまで何度か紹介してきた「ヴァルダルノのルネサンス」という企画が,いよいよ11月25日で終了となる.


 この企画に参加しているヴァルダルノ地方の小さな5つの美術館とフィレンツェのメディチ・リッカルディ宮殿の共通入場券の有効期限も切れるので,その前にもう一度,電車で行けるサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノとフィリーネ・ヴァルダルノの美術館に行こうと言っていた.

 サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノはマザッチョの故郷で,「マザッチョの生家」という美術館もある.何が見られるのか分からないまま,ウェブページでその開館時間を確認し,昼休みが終わる4時(!)にそこを訪ねられるように,昨日(16日),3時9分の電車でフィレンツェを出発した.

 まだ明るい時間だったので,出来れば電車の中から晩秋のヴァルダルノの風景を写真に収めたかったが,乗ったのが「各駅」には停まらない効率の良いローカル便で,しかも移動に都合のよい時間帯のローマ・テルミニ行きのせいか,驚くほど混んでいて,それどころではなかった.

 サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノに着いたのは,予定の39分を少し過ぎた45分くらいだった.


「マザッチョの生家」と教区教会
 前回閉まっていたピエーヴェ(教区教会)・ディ・サン・ジョヴァンニ・バッティスタはブルネレスキの特別展が開催されており,無料で入れるという幸運もあったが,肝心の「マザッチョの生家」は「今日はキウーゾ(閉館)」とのことだった.

 残念だが,今は主に現代美術の展示会場として機能していて,マザッチョや弟のスケッジャの作品があるわけではないので,家(のあった場所,ということだろう,多分)に入れたから,それで十分満足した.

写真:
マザッチョの家の前で


 ピエーヴェには,今は特に観光の目玉になるような作品はないが,フレスコ画の跡が壁のあちこちに残っている.素朴なキリストや,パドヴァのサンタントーニオ,洗礼者ヨハネの像などもあり,修復された,この地方の昔の画家が描いた可愛らしい「聖母子」の絵があった.

 ブルネレスキのモストラ(特別展)では,彼がどのようにフィレンツェのドゥオーモのクーポラ(丸屋根)を造ったかを模型を使って解説していた.

 美術館に入る前に,隣にあるサン・ロレンツォ教会で,スケッジャのフレスコ画やジョヴァンニ・デル・ビオンドの「聖母戴冠」の祭壇画にも再会を果たした.

 今回は時間の都合で,美術館の母体になっている「聖堂」(バジリカ),マリーア・サンティッシマ・デッレ・グラーツィエ教会は拝観せず,4時半少し前にすぐ美術館に入った.


聖堂付属美術館で宮城家の家宝を得る
 訪問3度目ともなると作品の配置はもうすっかり頭に入っている.かつてはピエーヴェの祭壇にあったマリオット・ディ・ナルドの「三位一体と聖人たち」に始まり,パオーロ・スキアーヴォ,マリオット・ディ・クリストーファノ,ヤーコポ・デル・セッラーイオ,ドメニコ・ディ・ミケリーノ,少し新しいが地元出身のジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニなど実力者たちの絵をしっかり見せてもらった.

 この美術館の一方の目玉であるスケッジャの何枚かの絵はいつ見ても印象に残るし,他では作品を見たことがないジョヴァンニ・ディ・ピアモンテの「大天使ラファエルとトビアス」も私たちが好きな作品である.

 しかし,何と言ってもこの美術館の最大の呼び物は,フラ・アンジェリコの板絵の祭壇画「受胎告知」だ.これはいつ見ても素晴らしい.「魅せられる」ということはこういうことかと思うほど美しい絵だ.今度いつ来られるかわからないかと思うと離れがたかった.

 時間に背を押されるように,ようやく辞去することにして入口まで戻ると,受付の若い女性が声をかけてきた.

 この女性には見覚えがあった.最初にこの美術館を訪問した時,「ヴァルダルノのルネサンス」の共通チケットを買うといかに「お得」かを丁寧に説明してくれたうえ,フラ・アンジェリコ(ベアート・アンジェリコと彼女は言っていた)の「受胎告知」にあまり近づくと,センサーが作動して警察(ポリツィーア)が来るからと,ユーモアたっぷりの表情で言ってくれた人だ.

 向こうも私たちを覚えていた.

「以前にもいらっしゃいましたよね」.「やっぱり!覚えていますよ.この美術館がお好きですか」.「2006年のカレンダーだけど,これは特別に印刷が良いので,何度も熱心に見てくれたあなた方にさしあげます」.


 こう言って,美術館の収蔵品の立派な写真とサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの紋章入りの美術カレンダーを下さった.宮城家の家宝になるだろう.



 この小さな町は,私たちにとって生涯忘れらない大切な思い出を幾つもくれたように思う.

 数は少ないが美しい宝石を収めた小さな箱のようなサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノを後にして,5時5分発の,アレッツォからフィレンツェに向かう電車で,1つ北隣のフィリーネ・ヴァルダルノに向かった.

写真:
駅のホームで電車を待つ
向こうに「聖堂」のクーポラ



フィリーネの美術館
 サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノがルネサンス絵画の歴史を開いたとされるマザッチョの故郷なら,盛期ルネサンスを支えたプラトン主義を広めた思想家マルシリオ・フィチーノはフィリーネが生地だ.フィリーネのさらに北隣がインチーザで,ペトラルカの父祖の地であり,ヴァルダルノ地方はまさにルネサンスの揺籃と言えるだろう.

 フィリーネのマルシリオ・フィチーノ広場にサンタ・マリーア聖堂参事会教会があり,その付属美術館には,通称「フィリーネの親方」と言われる画家の「玉座の聖母子と,天使たち,聖人たち」がある.

 この作品とフィレンツェの旧サント・ステファノ・アル・ポンテ教会の美術館から出張してきている若きジョットの「聖母子」を並べて見せてくれるのが,「ヴァルダルノのルネサンス」におけるフィリーネの目玉だ.

写真:
「玉座の聖母子と,天使たち,聖人たち」
「フィリーネの親方」作
サンタ・マリーア聖堂参事会教会
付属美術館


 ジョットの「聖母子」は,最初に見たときは,ジョットにしては魅力に乏しく,やはり若い頃の作品だからなのだろうかと思った.

 その後,アッシジとパドヴァでジョットのフレスコ画の大作を鑑賞してきて,その眼で,この板絵の「聖母子」を今見ると,フレスコ画と違うのはもちろんのこと,大家になって有能な多くの弟子を抱えた後の祭壇画とも違う魅力をたたえているように思える.

 もちろん,「若い頃の作品」とする専門家から情報を提供されているからという理由もあるだろうが,「若い」と言っても,すでにサンタ・マリーア・ノヴェッラの神々しい「キリスト磔刑像」も描き,アッシジのサン・フランチェスコ教会のフレスコ画を手がけていて,十分以上に巨匠であったはずだ.この作品を好むかどうかは別にして,堂々たる「聖母子」に見えてきた.

写真:
「聖母子」(部分)
ジョット作
旧サント・ステファノ・アル・
ポンテ教会美術館所蔵


 一方「フィリーネの親方」の作品は他に殆ど見ることができないので,作品を見られること自体が幸運だと思う.これで,特に注目に値しない作品で,自分の好みにも合わなければただ珍しいで終わってしまうが,この親方の作品は色白の登場人物たちばかりでなく,ジョットやその弟子たち,追随者たちとは違う個性を持っているように思える.

 色に関しては,オリジナルにそうかどうか難しい問題があるかもしれないが,ピンク色と白に特徴のある画家に思える.中心より少し右の板面に大きな亀裂が入っているが,それでも丹念な修復を経ているのであろう.美しい絵だと思う.

 私は気づかなかったが,妻が「発見」をした.ジョットの作品では,聖母子,天使ともに首の下まで衣で覆われていているが,フィリーネの親方の聖母と天使たちは襟元が露わで,鎖骨の陰影が美しく描かれている.艶かしいといってよいほどだ.

 ハンガリーの聖エリザベトと,トゥールーズの聖ルイというフランチェスコ会と深い関連を持つ聖人たちは首まで覆われた修道服を着ているが,その他の人物の鎖骨がこのように丹念に描かれているのは何か理由があるのだろうか.幼児のキリストが左手に何を持っているかもまだ謎だが,何か神秘的な雰囲気を持つ絵だ.

写真:
「玉座の聖母子」(部分)
鎖骨が美しい


 アッシジのサン・フランチェスコ教会では,幸運にも聖具室奥にあるこの親方の作品を垣間見ることができた.いつか是非じっくり見てみたいと思う.

 フィレンツェのサンタンブロージョ教会にもこの親方の作品かも知れない「聖オノフリオ」の絵がある.これはようやく絵だということがわかる程度の状態なので,参考にはならないが,この親方に所縁の作品ということで,また見に行ってみたい.そう思わせるほど,この「聖母子」は魅力的だと思う.



 前回の訪問は,真夏の昼下がり,ガイド付きのバス・ツァーの参加者の皆さんと一緒で,たいへん賑やかしかったが,昨日はもう暗くなった晩秋の夕方,2人だけだった.

 誰も訪問者がいないからだろう,美術館の扉は鍵がかけられたまま,係の青年がその前で座って番をしていた.私たちがチケットを差し出すと,青年はにこやかに鍵を開けてくれた.

 多少寂しかったが,2人きりで贅沢な鑑賞をさせてもらった.写真を撮って良いかと聞いたら,「フラッシュ無しなら」(センツァ・フラッシュ)良いと言われたので,撮らせてもらった.

 ジョット様の作品を写させてもらう緊張感からか,帰宅後確認したら,私が撮った写真はボケていた.残念だが,妻が撮った写真はよく写っていたので紹介させてもらった.チーゴリの「聖ラウレンティウスの殉教」は私だけが撮り,それはどうやら写ったが,チーゴリの紹介はまたの機会にしたい.ともかくジョットの作品を間近で見ることができ,フィリーネの親方の実力を再認識できた有益な鑑賞だった.

写真:
夕闇に包まれた広場
中央奥に教会と付属美術館


 教会の前の素朴なプレゼピオを見て,もう夜になってしまったフィチーノ広場を後にした.6時3分発の電車で,7時前には無事フィレンツェに帰った.



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