フィレンツェだより
2007年10月29日



 




ドゥオーモ博物館
ファッチャトーネ屋上から



§シエナ(後篇)

ドゥオーモの拝観後,隣接するドゥオーモ博物館に行くと,「私はドゥッチョ(My name is Duccio)」という,ドゥッチョ・ディ・ブォニンセーニャを紹介する企画展が開催されていた.


 照明を絞った暗い1階にはスポットライトを浴びた彫像が立ち並び,奥にはドゥオーモ後陣のステンドグラスの映像が大きく映し出されている.この美しいステンドグラスの下絵を描いたのはドゥッチョだ.彼の存在が鮮やかにシンボライズされた演出だった.

 2階には「ドゥッチョの部屋」というのがあって,彼の作品がいくつか展示されていた.中でも「荘厳の聖母」(マエスタ)は傑作だった.もとは裏にも表に絵の描かれた多翼祭壇画だったが,現在は各部分をそれぞれに補修し,別々のまとまりとして展示している.

 「マエスタ」の裏側部分に描かれたのは「キリストの受難」の一連の場面で,その中には「最後の晩餐」もある.表にはマエスタの他に,翼の部分に「聖母の物語」が描かれており,「受胎告知」もある.これらの絵も別々の展示としてきちんと見ることができる.

 現存する部分をつなぎあわせれば,もとの形に復元することもできるようで,表も裏もそれぞれ復元したらこうなるという姿はウェブ・ギャラリー・オヴ・アートで見られる().

 祭壇画の下部にあたるプレデッラの絵は,裏も表も現在は別の美術館の所蔵となっているものが多いようで,ドゥオーモ博物館では見られなかった.この中にも「受胎告知」があるようだが,これはロンドンのナショナル・ギャラリーにあるそうだ.シエナを代表する大芸術家の,もとは一まとまりだった作品が,今は切り離されて外国にある部分も少なくないということになる.

 ヴェローナのサン・ゼーノ・マッジョーレ教会で見たマンテーニャの祭壇画も,プレデッラの絵はナポレオンが持ち帰り,現在はフランスの美術館(「キリスト磔刑」ルーヴル美術館,など)にあって,サン・ゼーノのプレデッラにあるのはそのコピーだそうだ.

このドゥッチョの「マエスタ」と,プッブリコ宮殿のシモーネ・マルティーニの「マエスタ」を比べると,板絵とフレスコ画の違いはあるが,なるほどシモーネはドゥッチョの弟子だったのかなと思う.


 大きさや状態の問題もあるので,シモーネ・マルティーニの「マエスタ」よりインパクトには欠けるかも知れないが,構図から聖人の表情まで,影響が大きかったのは間違いないだろう.ともかく素晴らしい絵である.小さな諸部分に関しては出来不出来もあるかも知れないが,「マエスタ」に関しては傑作だと思う.

 ドッチョの作品としては他に,板絵の「聖母子と二人の天使」が見られた.美しい聖母だ.



 その他,14世紀の板絵でパオーロ・ディ・ジョヴァンニ・フェイの「謙譲の聖母子」(一見「授乳の聖母」だが,聖母が地べたに座っていると「謙譲の」となるのだろうか)が可愛かったが,好みは分れるだろう.そのほかの「聖母子」像では,13世紀の「目の大きな聖母」が古拙な感じのする板絵で印象深かったが,その後に行ったサン・ベルナルディーノ祈祷堂でも同じような作品が見られた.

 アンブロージョ・ロレンゼッティの「聖人たち」(アレクサンドリアの聖カタリナ,聖ベネディクト,聖フランチェスコ,マグダラのマリア),ピエトロ・ロレンゼッティの「聖母の誕生」もあったが,アッシジで見たフレスコ画ほどには,この兄弟の作品に感銘するには至らなかった.

 16世紀の板絵(油彩)ではドメニコ・ベッカフーミの「玉座の聖パウロ」が良かった.両側に,落馬の場面と斬首の場面が描き込まれているが,たいへん緊迫した場面であるにも関わらず,パウロはこの画家独特の脱力したような表情に描かれている.天才の個性というのは実にすごいものだ.



 聖遺物を納めた器などの展示もあったが,頭骨を見て,やはり文化が違うなと思った.

 クエルチャの「エジプトの聖アントニウスによって聖母子に紹介される枢機卿アントーニオ・カズィーニ」,ドナテッロのトンド型「聖母子」,ジョヴァンニ・ピザーノの「プラトン」,「シビュラ」などの傑作彫刻があった.

 シエナの象徴である「双子に乳を与える牝狼」もジョヴァンニ・ピザーノの作品とされていた.この牝狼が町の象徴とされるのはシエナがローマ時代からの都市であることを記念してのことらしい.

 だとすれば双子はロムルスとレムスかと思ったが,セヌスとアスキウスと言うようなので,ロムルス(ロームルス)がローマの名祖となったように,セヌス(セーヌス)がシエナ(ラテン語でセーナ)の名祖となった建国伝説があるのであろうか.町のいたるところでこの像が見られる.

 下の写真はドゥオーモの床装飾に見られる「双子に乳を与える牝狼」(14世紀)である.ラテン語で「セーナ」とある.周囲の動物たちはフィレンツェなどの近隣の都市を表している.

写真:
ドゥオーモの床装飾(部分)
「双子に乳を与える牝狼」


 ドゥオーモは写真可だった(大体「写真可」のところには,フラッシュと三脚は禁止の貼紙がある)が,ドゥオーモ博物館はパノラマ風景が見られるファッチャトーネの屋上以外は写真禁止,プッブリコ宮殿も通常の美術館と同じく撮影厳禁である.

 その他に行った所では地下祭室もフレスコ画が興味深かったが,ここも写真撮影はだめ.しかし,やはりフレスコ画が立派で,ドナテッロやギベルティの作品もある洗礼堂と,美術館のようになっているサン・ベルナルディーノ祈祷堂では写真を撮ることができた.


洗礼堂
 洗礼堂では,洗礼井戸の鍍金した真鍮のパネルが見もので,「ザカリアへのお告げ」がヤコポ・デッラ・クエルチャ,「洗礼者ヨハネの誕生」と「ヨハネの説教」がジョヴァンニ・ディ・トゥリーノ,「キリストの洗礼」がギベルティ,「ヨハネの逮捕」がギベルティとジョヴァンニ・ディ・セル・アンドレーアの共作,最後の「ヘロデの饗宴」がドナテッロの作である.

 さらに,6角形の井戸のパネル面の間にブロンズの寓意像があり,そのうちの「信仰」と「希望」がドナテッロの作品ということだった.

 洗礼堂のフレスコ画を描いたのはロレンツォ・ディ・ピエトロ,通称ヴェッキエッタで,この人も彫刻も建築も手がけた多才な芸術家であったらしい.このフレスコ画が良い作品かどうかは好き嫌いがあるだろう.私はそれほど評価しないが,分量はすごいし,遠目に見る分にはそこそこの作品に見える.

 1412年頃の生まれで,1480年が没年だから,たとえばシエナで活躍したフレスコ画家としてはタッデーオ・ディ・バルトロが1422年に亡くなり,アレッツォの人だが,スピネッロ・アレティーノは1410年に死んでいるので,世代的には相当新しい人だ.シモーネ・マルティーニに至っては亡くなったのが1344年だから,没年で比べると130年以上の開きがある.

 フラ・アンジェリコが1400年くらいの生まれで,弟子のゴッツォリが1420年,ピエロ・デッラ・フランチェスカも1420年くらいの生まれで,マザッチョが生まれたのが1401年だから,アンジェリコ,マザッチョとゴッツォリらの中間世代ということになるだろう.そういう意味では,イタリアの芸術の激動期だ.

 はたしてありあまる才能を持ち,多くの仕事を抱えたヴェッキエッタが,多くの大芸術家を輩出したシエナのドゥオーモの洗礼堂で,壁面を飾るフレスコ画を任されて,どういう気持ちだったのだろうか.

 ヴェッキエッタは彫刻家でもあって,ドナテッロ(1386年生まれ)の影響も受けたらしいから,彼の作品もある洗礼堂での仕事は相当に気合の入ったものだったろうと想像する.

写真:
洗礼堂内部
中央が洗礼井戸


 ヴェッキエッタだけでは描ききれなかったのかどうかはわからないが,後陣のコンクの3場面(ゲッセマネの祈り,キリスト磔刑,キリストの死の嘆き)はミケーレ・ディ・マッテーオ・ダ・ボローニャの作品,左側廊のフレスコ画「聖アントニウスの奇跡」(ロバが跪いているので,パドヴァのサンタントーニオだろう)はベンヴェヌート・ディ・ジョヴァンニの作品とのことだ.ただし構想はヴェッキエッタによるらしい.

 右側廊のヴェッキエッタ作とされる部分が本来は力作だが,19世紀終わりまでに相当描き直されたとのことなので,これによってヴェッキエッタの真価を論じることはできないかも知れない.幸いなことに,シエナで他にも作品が残っているようなので,次にシエナに行った時にそれらの作品を鑑賞してみたい.


サン・ベルナルディーノ祈祷堂
 共通券で拝観できる箇所は,洗礼堂まではすべてドゥオーモ周辺だったので問題なかったが,サン・ベルナルディーノ祈祷堂はサン・フランチェスコ教会の隣にあり,ドゥオーモからはかなり歩く.予定していた5時10分のバスの時間が迫っていたし,すでに10ユーロの共通券のもとは取っていたが,折角の機会なので,予定より少し遅いバスになっても良いと思い直し,行ってみることにした.

 確かに少し遠かったが,行って良かった.祈祷堂と言ってもほとんど美術館のようになっていて,展示されている作品数もかなりのものだった.

 祈るための一角である本来の祈祷堂の部分には私たちの予備知識に全くなかった16世紀の新しいフレスコ画があり,3人の作者の中にはベッカフーミとソドマが含まれていた.これはパドヴァのサンタントーニオ信者会の建物でティツィアーノとその周辺の画家によるフレスコ画を見ることができたのと似た体験といえるだろう.

 3人目の作家,ジローラモ・デル・パッキアという名前を聞くのは初めてだったが,ベッカフーミらとともに「聖母の誕生」など複数の場面を担当しているところをみると,相当な実力者だったのだろう.シエナ生まれで,シエナで死んでいる.ピントリッキオの弟子で,ピッコロミーニ図書館のフレスコ画でも助手を務めたらしい.

写真:
祈祷堂内部のフレスコ画


 ソドマの作品は「マリアの神殿奉献」などだったし,ベッカフーミの作品は「マリアの婚約」などだったので,一連の「聖母マリアの生涯」の連作フレスコ画だったことになる.

 「誕生」(パッキア),「宮参り」(ソドマ),「婚約」(ベッカフーミ)が左壁面,正面が,「告知する天使」(パッキア),祭壇画「玉座の聖母子と聖人たち」(ベッカフーミ),「告知されるマリア」(パッキア),右壁面が「エリザベト訪問」(ソドマ),「マリアの死」(ベッカフーミ),「腰帯の聖母被昇天」(ソドマ),祭壇の反対側の壁が「聖母戴冠」(ソドマ)となるようだ.

 左右の壁面の両端に合計4人の聖人が描かれているが,これもソドマの作とのことだ.

 写真撮影はOKだったが,狭い部屋ではあるし,熱心に鑑賞している人が多かったので,シャッター音がするのを申し訳なく思いながら,折角のチャンスと思って撮影した.中途半端な気持ちのせいか,明るさは十分だったにもかかわらず,あまり良く写った写真がない.私もあさましい気持ちを棄てて,鑑賞に徹した方が良かったかと少し悔やまれる.

 他にもロレンゼッティ兄弟の剥離フレスコ画や板絵の「聖母子」,シモーネ・マルティーニの作風を思わせる,弟子筋かと思われる画家の「受胎告知」,小さいがそれなりに興味深いサリンベーニの「最後の晩餐」,ベッカフーミやソドマの板絵,カンヴァス画など見応え十分の「美術館」だった.

写真:
ロレンゼッティ兄弟の
剥離フレスコ画


 この美術館で見た作品で心に残ったのは有名ではない画家の「受胎告知」(下の写真)だった.当然ガイドブックに載っているものと思い,画家の名前をメモしてこなかったので,次に行くまで,この画家を「無名の人」にしてしまうのは残念なことだが,少なくとも私の心を打つものはあった.

写真:
「受胎告知」


 シモーネ・マルティーニほどの才能はないとしても,信仰の助けとなり,聖母とそこから生まれるキリストへの敬慕の念を起こさせる,そんな作品に思えた.

 〔※(その後) Giulietta Chelazzi Dini et al., tr., Cordelia Warr, Sienese Painting:: From Duccio to the Birth of the Baroque, New York: Harry N. Abrams, 1998  に拠って,後日,シエナのサン・ドメニコ教会で出会う画家で,1430年頃,ボルゴ・サン・セポルクロで生まれ,15世紀末にシエナで亡くなったマッテーオ・ディ・ジョヴァンニの作品であることがわかった.シエナ派とはいえ,シモーネの死後90年ほどして生まれた人物なので,「弟子筋」はハズレだった.解説にはシエナの絵画館蔵とあり,その点は疑問に思ったが,写真を比べて,傷まで同じところにあるので,多分この作品だろう.〕

 祈祷堂を見た後,隣のサン・フランチェスコ教会に寄ってみたが,堂内はすっかり暗くなっていた.ここが傑作に満ちているのは知っていたので,後日を期すことにした.

写真:
サン・フランチェスコ教会
堂内


シエナの聖人たち
 祈祷堂の名前の由来になっている聖ベルナルディーノはフランチェスコ会の聖人だが,「シエナの」と地名を付して言われることが多い.生まれたのも死んだのもシエナではないし,活躍の場も様々だったようだが,シエナで学び,サンタ・マリーア・スカーラ救済院などで活動したので,「シエナの」と言われるらしい.

 ドゥオーモ博物館には,シエナ派の画家の一人であるサーノ・ディ・ピエトロの「カンポ広場で説教する聖ベルナルディーノ」という絵があった.

「シエナの」と言われる聖人としては「シエナの聖カタリナ」(サンタ・カテリーナ・ダ・シエナ)がいる.アッシジの聖フランチェスコと並ぶ,統一国家イタリアの守護聖人だ.


 カタリナという名の聖女は何人かいるようだが,「アレクサンドリアの聖カタリナ」に次いで,「シエナの聖カタリナ」の芸術作品への登場頻度は高い.シエナのドゥオーモにも「シエナのカタリナを列聖する教皇ピウス2世」というピントリッキオのフレスコ画があるくらいだ.

 聖母子の傍近くに女性が描かれる「聖カタリナの神秘の結婚」にもアレクサンドリアのカタリナの他に,シエナのカタリナが描かれる場合も少なくない.

 彼女はドメニコ会系の聖人だ.シエナのサン・ドメニコ教会もまた多くの芸術作品があるので,聖ベルナルディーノと聖カタリナについて勉強した上で,次回のシエナ行では,サン・フランチェスコ教会,サン・ドメニコ教会,サンタ・マリーア・スカーラ救済院,国立絵画館を是非訪れたい.





カンポ広場にて
ここでパリオが行なわれる