フィレンツェだより
2007年10月28日



 




カンポ広場とマンジャの塔
ドゥオーモ博物館ファッチャトーネ屋上から



§シエナ(前篇)

積み残している原稿を書くために,しばらく机から離れられなかったが,それもようやく,といってもまだ半分にすぎないが,分担執筆の1章を何とか書き終えるところまで来た.


 少し気晴らしでもと思い,かねてから行こうと思っていたシエナに行くことにした.陰鬱な天気が続き,急にやってきた寒さも相俟って,気持ちも沈みがちだったが,昨日(27日)は久しぶりの青空だったので,土曜日であることがどう影響するか全くわからなかったが,とにかく一度行ってみようと思った.

 フィレンツェからシエナへは直通バスが出ている.時間帯によっては,1時間に2本以上あるので便利だ.ラピーダ(直通急行)で1時間15分,サンジミニャーノに行く人が乗り換えるポッジボンシなどに停車するディレッタ(直通)でも1時間半くらいなので,気軽に行けるはずだった.

 しかし,何事も経験のないことには,それなりのハードルがある.そのうちいつかと思っている間に滞在7ヶ月になってしまった.

 シエナは長くフィレンツェのライヴァルであり続けた町で,現在もトスカーナの有力な都市のひとつだ.エトルリア起源で,ローマの植民都市となった歴史はトスカーナの他の町とよく似ているが,古代には特に有名人などは出ていないようだ.シエナがその勢力を誇るようになるのは中世である.

 しかし,16世紀前半,イタリアが,フランスとスペイン(神聖ローマ帝国)の勢力争いに巻き込まれたとき,フランスに組したシエナは,1555年4月21日にスペインとフィレンツェ連合軍に占領され,1559年にフィレンツェ公国領となり,その後,トスカーナ大公国の都市としてリソルジメントを迎える.

 シエナに行きたかったのは,シモーネ・マルティーニ,その師匠のドゥッチョ・ディ・ブォニンセーニャの有名な作品が見たかったからだ.ロレンゼッティ(ロレンツェッティ)兄弟,ベッカフーミソドマなど,シエナを中心に活躍した画家の作品もできるだけたくさん見られればと思っていた.



 急に思い立って出かけたので,シエナに到着したときは昼過ぎだった.日帰りということもあり,回ることができたのは,市立美術館のあるプッブリコ宮殿,ドゥオーモと,ドゥオーモで買った共通入場券で入れる,ドゥオーモ博物館,地下祭室,洗礼堂,サン・ベルナルディーノ祈祷堂だけだ.

 サン・フランチェスコ教会は祈祷堂のすぐ近くだったから少しだけ入らせてもらったが,もう暗くなっていたので,次回を期すことにした.国立絵画館,サン・ドメニコ教会,サンタ・マリーア・スカーラ救済院などの大所も今回は行っていない.

写真:
ドゥオーモ



プッブリコ宮殿と市立美術館
 プッブリコ宮殿では何と言ってもシモーネ・マルティーニの「荘厳の聖母」(マエスタ)だ.玉座の聖母子を諸聖人と天使たちが左右に大勢並んで囲んでいるというまことに重厚な絵柄だが,マルティーニの個性が,威厳を損ねない範囲で,重苦しい雰囲気を取り払い,華やかで魅力に溢れたマエスタになっている.有名な作品なので,写真では何度も見ているが,大きな部屋の大きな壁面を埋めるこの絵を実際に見てみると,本当に感動する.

 反対の壁面には,これも有名な「グィドリッチョ・ダ・フォリアーノの騎馬像」がある.これも写真で見て想像していたより大きく,迫力のある絵だった.

フレスコ画を見ていると,大きく描かれた作品は,その大きさが大事だと痛感する.同じ壁面にドッチョ作と伝えられるフレスコ画と,ソドマの聖人像があるが,マルティーニは圧倒的だと思った.


 マルティーニの絵がある部屋は「世界地図の間」というそうだが,その隣に「平和の間」があり,アンブロージョ・ロレンゼッティ作の「善政の効果」と「悪政の効果」がある.よく描き込まれた作品でおもしろいところもたくさんあったし,その中では「善政の寓意」が良かったが,やはりマルティーニの傑作の前ではかすむ.

 フレスコ画は他にもある.「世界地図の間」の隣のシニョーリ礼拝堂ではタッデーオ・ディ・バルトロの作品(「聖母の死」など,聖母の物語)をまとめて見ることができた.

 彼の作品はこれまでもどこかで見ているかもしれないが,はっきり記憶にあるのはサン・ジミニャーノの市立美術館の「守護聖人サン・ジミニャーノ」くらいだ.礼拝堂の前の壁に描かれている「聖クリストフォロス」がなかなかの迫力である.絵葉書にもなっているので,印象的に思うのは私だけではないようだ.祭壇画はソドマの「聖家族と聖レオナルド」だ.

しかし,マルティーニは別格としても,この美術館で見ることができたフレスコ画で最も興味深かったのは,何と言ってもスピネッロ・アレティーノの「教皇アレクサンデル3世の生涯」(「使節を謁見するアレクサンデル3世」ほか)である.


 フィレンツェとアレッツォでこの画家の作品に出会って以来,すっかりファンになってしまっている私たちにとって,シエナ出身の教皇の生涯を描いたこの大フレスコ画を見られたことは非常に嬉しいことだった.

 ここに彼の作品があることは前もって知っていたので「僥倖」ではなかったが,美術館入口から「イタリア統一の間」までは,やや拍子抜けの鑑賞になっていたので,次の「バリアの間」でいきなりこのフレスコ画を目にしたときは,「幸運」くらいには思えた.

 アレッツォでは彼の大規模な連作は見ていないし,フィレンツェでもまとまって作品が見られるのはサン・ミニアート・アル・モンテ教会聖具室の「聖ベネディクトの生涯」だけだ.これが青と白を基調としたシンプルな色使いでに美しく統一されているのに比べ,「教皇アレクサンデル3世の生涯」は統一感を保ちながらも,もう少し多彩な色使いで,私たちのスピネッロ体験に新たな1ページをつけ加えてくれた.ピサのカンポ・サントでも彼のフレスコ画が見られるらしいので,次はピサだなと思っている.

 板絵,カンヴァス画も,展示数こそ少ないが見るべきものはあった.ヴェローナでその名前は知ったが作品を見られなかったフェリーチェ・ブルーザソルチの「聖母子と聖人たち,天使たち」,初めて見るブレシャニーノの「聖母子」もあった.

 ヴェントゥーラ・サリンベーニはあちこちで名前を聞く作家だと思うが,セバスティアーノ・フォッリ,ルティーリオ・マネッティなどは初めての画家だ.力を入れて紹介しているところをみると,あるいは地元の画家かも知れない.

 シエナほど地元から超弩級の大物が出ているところでは,ローカルに終始した「地元の画家」はかすんでしまうように思えた.フィレンツェでおなじみのフランチェスコ・クッラーディの作品も1点あったが,彼の実力が発揮された作品ではない.

写真:
プッブリコ宮殿と
マンジャの塔


 『地球の歩き方』には7ユーロとあったが,入館料は7.5ユーロだった.作品数から言うと不満もあるかも知れないし,スピネッロの作品については好き嫌いがあるかも知れないが,万人がひれ伏すマルティーニの大傑作が見られることを思えば,安いものだ.

 予習不足もあってそれほど注目しないまま過ごしてしまったが,「会議の間」(サーラ・ディ・コンチストーロ)にはローマ史に取材した天井画があった.作者はベッカフーミ(「アエミリウス・レピドゥスとフラウィウス・フラックスの和解」など)だった.

 この後,カンポ広場からドォーモへの坂道に出るところにあったジェラテリーアで,いつものように水分と糖分を補給し,ドゥオーモに向かった.


ドゥオーモ
 ワグナーが「パルジファル」の聖杯城のモデルにしたというシエナのドゥオーモは,ファサードこそ思ったほど壮大ではなかったが,内部は目を見張るような見事な作品が溢れていた.

写真:
ドゥオーモの堂内


 ファサード裏のステンド・グラス(「最後の晩餐」)がまず目につく.後陣に目をやると,ドゥッチョ・ディ・ブォニンセーニャが下絵を描いた「聖母の生涯」のステンドグラスがあり,これがまた美しい.

写真:
ステンドグラス
「聖母の生涯」


 板絵,カンヴァス画にはあまり注目しなかったが,床の装飾が素晴らしい.『地球の歩き方』に「特にすぐれた出来栄えのものは普段は保護のため板で覆われていて,年に1度8月に2週間のみ公開される」とあったが,囲いこそあったが板はなかった.

(補筆:新版の『地球の歩き方 フィレンツェとトスカーナ 2007〜2008』には更新情報があり,07年は8月21日から,10月27日まで公開となっていた.その通りなら,知らないで幸運に恵まれていたことになる)

 大きな作品以外は,ロープの囲いのせいで十分な鑑賞が妨げられるということはないだろう.これを一つ一つ見るのは,気力も体力もいるので,あきらめるところはスパッとあきらめた方が良いかも知れない.もちろん,この床の装飾が目当ての人は別だ.

 一連のシビュラ(古代の女性予言者)像,有名なヘルメス・トリスメギストス像(これは異端にならないのだろうか),木の枝に下がった死せるアブサロム(右下の写真)が印象に残る.「アブサロム,アブサロム」というダヴィデの嘆きが聞こえてくるようだ.

写真:
床の象嵌装飾
ヘルメス・トリスメギストス像
写真:
床の象嵌装飾
死せるアブサロム


 左側廊にあるピッコローミニ祭壇には伝クエルチャの「聖母子」,ミケランジェロの「聖パウロ」,「聖ペテロ」を含む大祭壇があり,目を引いたが,団体客が群がっていて十分な鑑賞はできなかった.これはお互い様なので,また行ける私たちは譲歩して次回を期す.隣の洗礼者ヨハネの礼拝堂にはドナテッロの「ヨハネ像」もある.

 またニコラ・ピザーノが,息子のジョヴァンニ・ピザーノ,弟子のアルノルフォ・ディ・カンビオと共作で造った説教壇があった.見事なものだが,ピストイアで見たジョヴァンニ作の説教壇の印象が強烈で,今回はそれを超える感動は得られなかった.これも次回を期す.

写真:
説教壇
ニコラ・ピザーノ他


 ティーノ・ディ・カマイーノの「リッカルド・ペトローニ枢機卿の墓碑」も見事だ.右側廊にも彫刻の傑作があり,ベルニーニの「聖ヒエロニュモス」,「マグダラのマリア」が見られるが,これも十分な鑑賞はできなかった.

 これだけ傑作に満ちた彫刻群の中にあって,今回特に注目したのは,ベッカフーミ作のブロンズ像「燭台の天使たち」で,暗くてよく見えなかったが,ガイドブックで確認すると,顔はやはり彼の絵に見られる特徴が出ているように思えた.

 一連のブロンズ像の作者にはフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニの名も見える.ターラントとオートラントでアラゴン城を造った建築家だ.この人の彫像はドゥオーモ博物館でも見た.

 ベッカフーミの彫刻にも驚いたが,この時代の人は万能でなくても千能や百能くらいはあって,それがどれも一流ということなのだろうか.南イタリアの建築家とばかり思っていたのに,フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニはシエナ出身で,フレスコ画まで描いているらしい.今回見ていない国立絵画館にその絵画作品もあるようで,シエナで活動したことのあるペルジーノ,ピントリッキオ,ルーカ・シニョレッリには彼の影響が見られるそうだ.恐るべき人だ.

 なるほどオートラントの城で,グイーダ(ガイド)のお姉さんが,泡を飛ばしながら,何度も「フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ」を連発していたわけだ.


ピッコローミニ図書館
 ピッコローミニ祭壇の隣にあるのがピッコローミニ図書館の入口だ.ここは楽譜の絵入り写本を展示している.室内中央に置かれたローマ時代の「三美神」(トレ・グラーツィエ)の彫像も佳作であるが,何よりもすごいのは壁面を埋めるピントリッキオのフレスコ画である.

 ここまで保存が良いと,かえってありがたみが薄れるような気もするが,それにしても,大変なものだ.描かれているのは「教皇ピウス2世の生涯」で,依頼者は後に教皇ピウス3世となる枢機卿フランチェスコ・ピッコローミニだそうだ(「ピウス3世の戴冠」も入口の前にある).

写真:
ピッコロミーニ図書館内部
ピントリッキオのフレスコ画


 シエナは何人もの教皇を輩出したらしい.フィレンツェ出身の教皇は多分3人で,16世紀前半に出た2人のメディチ家出身教皇は,ルターの宗教改革を招いたり,カール5世のローマ劫略を引き起こしたりとろくな巡り会わせではないのに比べれば,大したものかも知れない.

 ローマの教会でピントリッキオの小さなフレスコ画を見たばかりなのに,これほどの大作に出会うとは.これが好きか嫌いかは別だが,ゴッツォリのように端整で綺麗なフレスコ画だ.もちろん,貴重な存在だと思う.

 シエナのドゥオーモは,とても,1時間や2時間では全てを見ることはできない.気力と体力が充実している時に訪れるべきだろう.

 床の象嵌装飾,ピントリッキオのフレスコ画,挿絵入り楽譜写本にそれぞれ特化したガイドブックがある.それぞれ英訳版あるが,最後の物は店頭に仏語訳版しかなかったので,納得の上でそれを買ったが,後で行ったサン・ベルナルディーノ祈祷堂のビリエッテリアに英訳版が平積みしてあった.スペイン語版よりは良いだろう.

 思ったより長くなったので,「続きは明日」ということにしたい.昨日で夏時間が終了し,時計を1時間もどした.来年の帰国時期あたりにまた夏時間になるので,気をつけなければ.





シエナのジェラテリーア