フィレンツェだより |
サン・ピエトロ教会 ペルージャ |
§ペルージャ(前篇)
尊敬している先輩である京都大学の高橋宏幸さんが監修者となって,何人かで分担執筆するが,私はそのうちの2章,「牧歌,小叙事詩」と「悲劇」を担当している.一昨日,前者の原稿を送ったので,昨日は中休みということにして,ローカル線に乗ってペルージャに行った.
乗り換えなしで行ける直通の便は一日に何本もないが,この間,アッシジに行った時にペルージャを通過したので,とにかくフォリーニョ行きに乗れば良いことはわかっていた.日帰りの旅なので,アッシジの時よりも1本早い8時過ぎの電車で,フィレンツェ中央駅を出発した. 途中,車窓から見えるトラジメーノ湖が晩秋から初冬のような風景になっていた. 2時間ちょっとでペルージャに到着.駅から丘の上の街までバスに乗るのは,アッシジの時と同じだが,交通量がはるかに多いため渋滞しがちで,街に到着するのに思ったよりも時間がかかった. バスはペルージャ県の県庁前のイタリア広場に着いた.観光のメインとなる11月4日広場周辺までは少し歩く.今回は日帰りだし,電車の往復に4時間以上かかるので,ポイントを厳選し,ドゥオーモ,ドゥオーモ美術館(教区美術館),国立ウンブリア美術館に行くことにして,まず昼休みには閉まってしまうドゥオーモに向かった. ドゥオーモ美術館 ドゥオーモには,これといった芸術作品はなかった.ガイドブックにもフェデリコ・バロッチの「キリスト降架」の写真が載っているくらいだ.ボルゲーゼ美術館で「アエネアスの亡命」を見た画家なので,もっと注目しても良かったが,予習が十分ではなく,暗くてわかりにくかった. それに比べると,ドゥオーモ美術館はコンパクトだが,内容が充実しており,良いものが見られた.ここは少し変わった作りになっていて,地下にある昔の教会の遺構を通って,絵や彫刻のある場所にたどり着くようになっている.少し面倒に思う人もいるだろうし,気が急いている時には,まだるっこしいような気もするが,それなりに興味深い. ルーカ・シニョレッリの「玉座の聖母子と聖人たち」が圧倒的な傑作だった.ルーカ・シニョレッリといえば,同じウンブリア州の,もう少し南の方にあるオルヴィエートのドゥオーモのフレスコ画が有名だ.ヴァザーリの大叔父にあたるこの人物は,コルトーナ出身で,コルトーナは州でいえばトスカーナだが,ウンブリア州と境を接する地域にあってペルージャには近い. しかし,ペルージャで見られるシニョレッリの作品は,ドゥオーモ美術館のこの作品と,国立ウンブリア美術館にある,協力者との共作の「玉座の聖母子と聖人たち」だけだ.しかも後者は今回は展示されていなかったし,後で購入した内容充実の美術館カタログにも出ていなかった. ピエトロ・ヴァンヌッチ(ペルジーノ) シニョレッリと同じ1450年くらいにウンブリアで生まれた画家がペルジーノだ.本名のピエトロ・ヴァンヌッチではなく,「ペルージャの」という形容詞が通称になったくらいだから,ペルージャ周辺の出身だが,ローマやフィレンツェなどペルージャ以外の都市で活躍した画家であることは容易に想像がつく. しかし,その割にはペルージャでもペルジーノの作品をたくさん見ることができる.そのことは前もって知っていたので,今回のペルージャ行は「ペルジーノ作品を見る」のが目的だったと言っても良いだろう.
最初の頃は,ウフッツィ美術館,パラティーナ美術館,アカデミア美術館で彼の作品を見ても,女性と子どもの顔を可愛く描いて,仰ぎ見る表情と,天を憧れるような身体表現に特徴のある作家で,弟子よりも長生きした「ラファエロの師匠」であり,うまいけれど,彼の作品が目当てで,教会,美術館,特別展に行くことはまずないだろうという程度にしか思っていなかった. しかし,わずかでも知識があって,心のどこかに引っかかるということは,場合にもよるだろうが,時として意味を持つ. フィレンツェ,ローマで彼の作品に感銘を受けることが多くなり,何点か作品を見ているうちに,特徴がおぼろげながら分ってきて,しかもその特徴が自分にとって魅力的に思えるようになった.破綻がなく手堅い,分りやすい絵を描いた,「芸術家」というようりも「職人」という感じのする作風も,彼の作品を好きになる契機になった. よく考えると,「職人」と言うには個性が強すぎるようにも思うが,この時代の「職人」はどの人も個性が強かったのではないかと思う.と言っても,誰もがすぐに「その人」とわかる絵を描かせてもらえたわけではない.アッシジで見た多くの絵の中で,名前を知らない画家で,「ウンブリア派」とあった場合,描かれた人物にペルジーノの絵のような特徴が現れていることが少なくないように思えた.
大規模なフレスコ画,多くの板絵・カンヴァス画を見れば明らかなように,いかに天才で勤勉でも,これだけの仕事を全く一人でこなすことはできないだろう.人気のある画家であれば,注文を受けること自体がままならない場合もあるかも知れない.画家が自分の名前を看板として仕事を受注し,弟子や知人など腕達者な職人たちを工房に抱えて,絵を量産する,というのは言い過ぎにしても,工房が活躍すれば自然と,その画家が影響力を持つ地方では,良し悪しは別として,その画家「風」の絵が多くなることになる. 今回ペルージャで見たペルジーノの絵の多くは,「風」ではなく,あくまでもペルジーノの真作とされる作品群だったわけだが,それにしても相当数のペルジーノ作品を見た. いかにペルジーノが好きでも,全てが良いというわけではない.描かれた時代や,もしかしたら手伝った人の技量の違いもあるのかも知れないが,条件が異なれば,出来不出来というのが言い過ぎならば,見る人に好みを意識させるような違いが作品に現れてくるような気がする. 国立ウンブリア美術館 ドゥオーモ美術館にはペルジーノの作品はなかったが,次に行った国立ウンブリア美術館はペルジーノ作品の宝庫だった.
最初に見たのは珍しくカンヴァスにテンペラで描かれた作品で,もとはファルネートというところのフランシスコ派修道院にあった「ピエタと聖人たち」という作品である.20代前半の頃の作品で,保存状態がよくないせいもあるのか,聖人たちのうちヒエロニュモスは心なしか,ひ弱に見えるが,マグダラのマリアが美しい.彼の作品と言われなければわからない,まだペルジーノの特徴が確立されていない作品かも知れないが目をひいた. 次に見た作品は「三王礼拝」で,これは華やかで立派な絵だった.26歳の若い画家がペルージャのサンタ・マリーア・デーイ・セルヴィ教会のために描き,16世紀に同地のサンタ・マリーア・ヌオーヴァ教会に移されたものとのことだ.若い野心が溢れているようにも見える.聖母子にはペルジーノ的特徴が現れているように見えるが,それにしてはやや表情が陰鬱に思えた. 順路をたどって至った第22室には,3枚の大きなペルジーノの絵があった.「正義の旗」(と訳すのだろうか,イタリア語ではゴンファローネ・デッラ・ジュスティツィアといい,フィレンツェなど中世の都市国家の最高行政職として「正義の旗手」ゴンファロニエーレ・デッラ・ジュスティツィアというのがある)という通称を持つ「聖母子と天使,聖人たち」の絵では,中空にいる聖母子を2人の天使が囲み,地上には聖フランチェスコとシエナの聖ベルナルディーノが拝跪しており,その背後に多くの一般の礼拝者が描き込まれている. この絵は地元のサン・ベルナルディーノ信者会のために描かれたので,ベルナルディーノが描き込まれているわけだが,ペルージャではベルナルディーノの絵をよく見た.彼の名を冠した祈祷堂も残っている. ベルナルディーノは,1425年から1444年までの間に4度ペルージャを訪れている.「シエナの」と言われるこのフランチェスコ会の聖人が,ペルージャでも敬慕されていたことは想像に難くない.11月4日広場に面したドゥオーモの外壁には,ベルナルディーノが説教をしたと言う説教壇がある.
この絵で,おもしろいのは聖母子の両脇で礼拝する2人の若者の天使の他に,5人の嬰児の顔に羽のようなものだけの天使が聖母子と天使たちを囲むように描かれていることだ.他のペルジーノの絵でもこの天使は見られる.ペルジーノより前の画家ではアカデミア美術館で,バルドヴィネッティの「三位一体」や,コジモ・ロッセッリの周囲の画家が描いた「聖母戴冠」に見られるようだ. 描かれたのは1496年なので,ペルジーノ46歳くらい.聖母のモデルは彼の若い妻で,フィレンツェの有名な建築家ルーカ・ファンチェッリの娘キアーラだと言われているそうだ.であれば,私が「ペルジーノ風」と思っている女性の顔は実在した奥さんの顔に似ているということになるが,果たしてどうだろうか.
![]() この絵は,実はディシプリナーティのために描かれたとあり,これを『伊和中辞典』でひくと「むち打ち苦行僧」とある.もしそうだとすれば,この美しい聖母子の絵と自分を鞭打って苦行に耐える人たちのアンバランスがおかしいが,単に「規則を遵守する信者たち」の意味かも知れない. 同じ部屋に,もう一枚聖母子が描かれた絵があった.テーズィ祭壇画と通称される「聖母子と4人の聖人たち」で,1500年というから50歳くらいの時に,ペルージャのサンタゴスティーノ教会のアンジェロ・テージ礼拝堂に描かれたとのことだ. 4人の聖人は,聖母子の両脇がアウグスティヌス会の隠修士トレンティーノのニコラスと聖ベルナルディーノ,下方で拝跪しているのがヒエロニュモスとペルジーノ得意のセバスティアヌスである.聖母の足元に,上述の嬰児の顔に羽の天使が3人いて,一人の頭の上に聖母の足があるのはちょっと気になる. この絵をフィオレンツォ・ディ・ロレンツォの弟子エウゼビオ・ダ・サン・ジョルジョが手伝っているそうだ.この2人の画家は今回気になった「地元の画家」なので,彼らについては明日報告したい. ![]() この美術館にあるこれ以前の絵は,26歳の頃に描かれた「三王礼拝」くらいで,この美術館のそのほかの多くは地元の教会や修道院,信者会のために描かれていることを考えると,20代後半から40代後半までの約20年間,ペルジーノは地元以外の場所に活躍の場を求めていたと推測される. 故郷を離れて ペルジーノがローマのシスティナ礼拝堂のフレスコ画の仕事をしたのが1482年,野心満々の32歳の年である.彼はローカルを超える画業を残すべく,世界の首都でサンドロ・ボッティチェルリ,ドメニコ・ギルランダイオ,コジモ・ロッセッリ,ルーカ・シニョレッリと一緒に仕事をしていた. ヴァザーリはボッティチェルリがリーダーだったとしているそうだが,ペルジーノが主導的役割を果たしたとする考えもあるようだ.彼は「ペテロに鍵を渡すキリスト」というローマ教会にとって最も重要な主題を描いている.
ヴァザーリによれば,彼は若い頃フィレンツェのヴェロッキオの工房にいた.そこにはレオナルド・ダ・ヴィンチもいたはずだ.ピエロ・デッラ・フランチェスカが師匠だったという説もあるようなので,はっきりとしたことは分らないにしても,修業を終えた画家としての出発がフィレンツェであったのは間違いないようだ. 1475年に活躍の場を故郷近くのペルージャにも求め,システィナ礼拝堂の仕事を成し遂げて,名声の絶頂にあった1490年代にはフィレンツェとペルージャの両方に工房を持っていたらしい. フィレンツェの工房の代表作品が旧フォリーニョ修道院食堂の「最後の晩餐」とパッツィ教会の「キリスト磔刑」の2つのフレスコ画であるとすれば,ペルージャの工房の代表作は,美術館と同じプリオーリ宮殿内にある両替商組合(コッレージョ・デル・カンビオ)のフレスコ画であろう.ここには彼自身の自画像もある. 「イエスの誕生」,「キリストの変容」など,おなじみの絵柄の他に,「全能の神と旧約の預言者たちとシビュラたち」,「強さと節制の寓意,6人の古代の英雄たち」,「分別と正義の寓意,6人の古代の賢者たち」がある. どの部分を親方であるペルジーノが描いたのか,どの程度工房の人たちの手が加わっているのかはもちろん私にはわからないが,「主任助手」としてアッシジのアンドレア・アロイージの名を挙げる人もおり,彼はシスティーナ礼拝堂でピントリッキオとともにペルジーノを補佐した実力者のようなので,どう考えても親方一人でこれを描いたのではないだろう(Elvio Lunghi, tr., Catherine Bolton, The Collegio del Cambio in Perugia, Assisi: Editrice Minerva, 2003, p.16). このフレスコ画については好みも分れるだろうし,私は板絵の方が好きだが,ともかくペルジーノ工房の実力を示すまとまった作品を見ることができて良かった.画家として天才であるだけではなく,工房の親方としての力量も当時は必要であったのだ.少なくともそのことはよくわかった. ペルジーノのフレスコ画がある「審議の間」(サーラ・デッルディエンツァ)の隣に,「洗礼者ヨハネの礼拝堂」があり,こちらにも洗礼者ヨハネの生涯を描いたフレスコ画があるが,こちらはジャンニコラ・ディ・パオロの作品だそうだが,この画家についても明日「地元の画家」の1人として報告したい.
![]() 今年イタリアに滞在する機会を与えられなければ,ペルジーノという画家の作品を実際に見るチャンスはこれほどなかっただろう.多分,今回イタリアに来なかった場合の,何十倍もペルジーノを見たと思う. もう良いかと言われると,少なくとも好きな板絵に関してはまた何度も見たいと思う.パラティーナ美術館の「袋の聖母」,ボルゲーゼ美術館の「聖母子」,国立ウンブリア美術館で見た「慰めの聖母」は,一生のうちにあと何度かは見たいなと思う. サン・ピエトロ教会 国立ウンブリア美術館と両替商組合を見た後,まだ少し時間があったので,遠いので行こうかどうしようかと迷っていたサン・ピエトロ教会に向かった.ここにペルジーノの絵があると聞いていたからだ. 14世紀の「受胎告知」などの古いフレスコ画が傍にある入口扉のリュネットにはジャンニコラ・ディ・パオロに帰せられるペルジーノ風の聖母子のフレスコ画(下の写真)があった.
堂内は絵画で埋め尽くされ,ペルージャで知った「地元の画家」で注目すべき人たちの作品も少なくなかったが,カラヴァッジョの小品,もしくはカラヴァッジョ風の作品とされる絵があるという聖具室も,絵葉書などを売っているブックショップも開いていなかった. ![]()
ペルジーノがこの教会で,有名な「キリスト昇天」を含む多翼祭壇画を描いたことをヴァザーリが報告している.「キリスト昇天」は今はリヨンの美術館にあるそうだ.その他の部分も,ナント,ルーアン,ヴァチカンと分散して,この教会には残っていない. 「ピエタ」は,ペルージャ全体のガイドブック(Francesco Fedelico Mancini & Giovanna Casagrande, Perugia: Histrorical and Artistic Guide, Perugia: Pellegrini, n.d.)では「後期の作品」とされているだけで,写真も掲載されていないが,ともかくペルージャ近辺に数あると思われるペルジーノ晩年の作品の一つであろう. 特に優れた作品とは思えなかったが,にわかペルジーノ・ファンとなった私が,今回のペルージャ行で出会えた彼の最後の作品だ.撮ることができた暗い写真とその思い出は大切にしたい. ラファエロが描き始め,その死後ペルジーノが完成させたフレスコ画「三位一体」のあるサン・セヴェーロ教会は今回は行っていない.他はともかく,国立ウンブリア美術館は何度も行く価値がある.チャンスがあればもう一度行って,その際にサン・セヴェーロ教会も拝観したい. |
サン・ピエトロ教会 大きな物語絵が堂内を一周する |
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