フィレンツェだより
2007年9月25日



 




サン・ロレンツォ教会
ヴェローナ



§ヴェローナの教会と芸術作品(その2)

最終日の8日,宿(ホテル・ヨーロッパ)をチェックアウトした後,カトゥッロ通りに行き,その周辺を確認してまわり,それからカステルヴェッキオに向かった.


 途中,ヴェローナカードで拝観できるサン・ロレンツォ教会に寄ることにして,地図を片手に歩いていると,もうじきサン・ロレンツォ教会というところで,古い教会に出会った.12世紀創建の教区教会サンティ・アポストリ教会だった.残念ながら開いていなかったが,隣接するサンティ・テウテリア・エ・トスカ教会が開いていて,中を見せてもらうことができた.とても小さな古い教会だった.

 サン・ロレンツォ教会は比較的小さな教会だが,外観も堂内も興味深いものだった.外観は「典型的な」ヴェローナ・ロマネスク様式だそうだが,典型的というわりには他ではあまり見ない外観に思えた.通りからは見ることができないファサードには,ノルマン様式の特徴が見られる.

写真:
サン・ロレンツォ教会の
ファサード


 教会の起源は聖ゼノの時代に遡るそうだ.初日に行ったサン・ゼーノ教会に,聖人の伝説に基づく「皇帝ガリエヌスの使者を迎える聖ゼノ」というプレートがあったので,サン・ロレンツォ教会はブラ広場に残る城壁を築いた紀元後4世紀の皇帝と同じ時代に創建されたことになる.ただし,現在の建物は古いものでも12世紀ということなので,古代のものが残っているわけではない.

 それにしても古代的な雰囲気を感じさせる堂内である.13世紀のフレスコ画が多く残っているので,一層古い感じがする.

 中央祭壇に祭壇画として「栄光の聖母子と,聖アウグスティヌスと洗礼者ヨハネに囲まれた聖ラウレンティウス」というドメニコ・ブルーザソルチの絵がある以外は,特にめぼしい芸術作品に恵まれているわけではない.この画家の作品はカステルヴェッキオ美術館にもあり,そのカタログには「16世紀ヴェローナの最も有名な画家の一人」とあるので,やはり地元の画家ということだろう.


カステルヴェッキオ(古城)美術館
 次に行ったのがそのカステルヴェッキオ(古城)とその中に設けられた美術館である.ここはさすがにイタリアの大きな町の代表的な美術館だけに多くの作品に出会えた.ビッグネームとしてはヴェロネーゼとティントレットだろう.それぞれ作品は複数あったが,ティントレットの作品は一昨日紹介した「授乳の聖母」が,ヴェロネーゼの作品としては「死せるキリストへの嘆き」が印象に残る.

 ヴェロネーゼは「ヴェローナの」とか「ヴェローナ人」という意味なので,もちろん通称である.本名はパオーロ・カリアーリと言うそうだ.後にヴェネツィアで活躍するこの画家の初期の活動の地は故郷ヴェローナだった.アーディジェ川のほとりには,彼の彫像が立っている

 ヴェローナはヴェネト州の町だし,実際にヴェネツィア共和国に支配されていた時代もあるので,ヴェネツィアと関係の深い画家の作品も少なくないという印象を受けた.ビッグネームの芸術家の作品としては,他にジョヴァンニ・ベッリーニの「聖母子」があり,彼の父ヤーコポの「荒野の聖ヒエロニュモス」と「キリスト磔刑像」があったが,兄ジェンティーレの作品があったかどうかは記憶にない.

 一昨日紹介した「鶉の聖母子」を描いたピザネッロことアントーニオ・ピザーノは,父はピサ出身の商人だが,母はヴェローナの女性だそうである.彼の作品はこの美術館には「鶉の聖母」1点だけのようだ.他にはルーベンスの女性の肖像画が1点あった.



 この美術館には薄いが,写真と情報量が豊富なガイドブック,

 Paola Marini & Gianni Peretti, Castervecchio Museum, Venezia: Marsilio Editori, 2003

がある.イタリア語からの英訳本だが,もともとセルジョ・マリネッリという人が書いてミラノから1991年に出版した親版があるらしい.これだけの情報量があってもなお,確かに自分が見た作品を全部確認できるわけではないので,できれば親版も見てみたい.

このガイドブック(以下マリーニ本)を眺めていても思うが,この美術館で本当におもしろいと思ったのは12世紀から14世紀の古い時代の彫刻だった.


 作者は「1179年の親方」とか「サンタナスタージア教会の親方」となっていて,本名はもうわからない無名の地元の芸術家,職人たちだ.両脇に聖母と福音史家ヨハネを配した「サンタナスタージア教会の親方」の「キリスト磔刑像」などは,力に満ちた造形の傑作だった.

 剥離フレスコ画や板絵の祭壇画も多かった.サン・ゼーノで見た「磔刑のキリストと聖人たち」の作者とされていたアルティキエーロに帰せられるポリプティク(多翼祭壇画)や,彼の周辺の人たちが書いたと推測される剥離フレスコ画やシノピアもあった.

 マリーニ本ではアルティキエーロについて「この時代(14世紀後半)のヴェローナで最も高名な画家」と説明している.はっきり彼の作品と断定された絵を見ていないので,それがどこかにあるのなら是非見てみたい.



 カステルヴェッキオ美術館で見た作品では,やはり15世紀から17世紀にかけてヴェローナ周辺で活躍した「地元の画家」の絵が目についた.

 ドメニコ・モローネ(1442頃-1518以後)
 リベラーレ・ダ・ヴェローナ(1445頃-1529)
 バルトロメオ・モンターニャ(1450-1523)
 フランチェスコ・ボンシニョーリ(1460頃-1519)
 フランチェスコ・モローネ(1471頃-1529)
 ジローラモ・ダーイ・リーブリ(c.1474-1555)
 ニコラ・ジョルフィーノ(1476-1555)
 (ジャン)フランチェスコ・カロート(1480頃-1555頃)
 パオーロ・モランド(1485-1522)
 ジョヴァンニ・カロート(1488頃-1562)
 ドメニコ・ブルーザソルチ(c.1515-1567)
 マルカントーニオ・バッセッティ(1586-1630)
 
 この中にはヴェネツィアの画家もいるので,全員が「地元の画家」とは言えないかも知れない.

 ヴェネツィアの画家と言えば,フィレンツェのウフィッツィ美術館にも作品があるジャンバッティスタ・ティエポロ(1696-1770)と息子のジャンドメニコの作品もあったし,ナポリの画家ルーカ・ジョルダーノ(1632-1705)の2枚の神話画「ディアナとエンデュミオン」,「バッコスとアリアドネ」はきれいな絵で印象に残る.

ジョルダーノの絵に見られるように時代が新しくなればキリスト教的な主題だけでなく,ギリシア神話も題材になる.古代ギリシア・ローマは当時は「新しかった」のだ.


 上にあげた作家のうち,かろうじてジャンフランチェスコ・カロートの「子どもの肖像」はどこかで写真を見た記憶があるが,作者の名前は知らなかったし,その他の画家は全て初めて聞く名前だ.

 しかし,この美術館で名前をチェックした後,市内の教会や他の美術館で彼らの作品を目にすると,ヴェローナがヴェロネーゼなどのビッグネームの画家の他にもすぐれた芸術家を輩出し続け,彼らが地元の教会や公共機関,有力者たちのために作品を描き続けていたことがわかる.

 この美術館の展示はそれに気づかせてくれる,配慮の行き届いたものと言えるだろう.イタリアの地方都市の文化の厚みに感銘を受けた.


サンタナスタージア教会
 カステルヴェッキオ美術館のブックショップで,前日買い損ねたサン・ゼーノ・マッジョーレ教会のガイドブックを探したが,売っていなかった.仕方なく,バスで再びサン・ゼーノに向かったが,昨日言ったように売店は昼休み中で,結局あきらめてバスでサンタナスタージア教会に向かった.

写真:
サンタナスタージア教会


 ファサードの扉上部の2つのリュネットにはフレスコ画,その下には「受胎告知」から「キリスト復活」にいたる古い浮彫彫刻がある.そして向かって右側の柱には「殉教者ペテロの物語」の浮彫,ここはドメニコ会の教会だ.

 左側廊は大規模な修復の最中で,全てが見られたわけではないが,ピザネッロの「聖ゲオルギウスとカッパドキアの王女」を見ることができたし,リベラーレ・ダ・ヴェローナの板絵「マグダラのマリアと,聖カタリナと聖トスカナ」が印象に残った.さらにジャンフランチェスコ・カロートの板絵「聖マルティヌス」も見ることができた.聖人は馬上の凛々しい騎士の姿で描かれている.

 リベラーレ・ダ・ヴェローナの剥落が進んだ聖人たちのフレスコ画もあったが,ピザネッロの「聖ゲオルギウスとカッパドキアの王女」が描かれたペッレグリーニ礼拝堂の右隣のカヴァッリ礼拝堂で,はっきりアルティキエーロの作品とされるフレスコ画を見ることができた.ただ,この礼拝堂には鉄柵があって,中が見にくく写真も撮りにくい.

写真:
アルティキエーロのフレスコ画
カヴァッリ礼拝堂


 フェデリコ・カヴァッリの墓の上がアルティキエーロの作品で,リュネットの中のフレスコ画は15世紀のステファノ・ダ・ゼビオの作品である.この画家の絵はこの教会で他にも見られた.またドゥオーモで見たマルティーノ・ダ・ヴェローナのフレスコ画もこの礼拝堂にはあった.

 トリプティック(三翼祭壇画)のようにして祭壇に置かれた彫刻とその下のプレデッラの絵も興味深かったが,教会のパンフレットもこれについて言及していない.

 ペッレグリーニ礼拝堂にもキリストの生涯を物語ったミケーレ・ダ・フィレンツェの24枚のテラコッタの浮彫パネル,マルティーノ・ダ・ヴェローナのフレスコ画,アルティキエーロに帰せられるフレスコ画があるとのことだが,残念ながら,修復中で見られなかった.ペッレグリーニ礼拝堂だけでなく,左側廊も修復中でフランチェスコ・モローネやニコラ・ジョルフィーノの絵で見られないものもあった.

 見られない絵の中にはフェリーチェ・ブルーザソルチの絵もあった.この画家はサン・ロレンツォや美術館でその作品を見たドメニコの息子で,美術館ではその作品を見ていないが,マリーニ本に拠れば,美術館に作品のある複数の画家の師匠にあたるらしいので,やはりヴェローナの絵画史に大きな足跡を残したのだろう.絵葉書を売っているコーナーがあり,この教会の特化したガイドブックもあったが,係の人がおらず買えなかった.

写真:
中央礼拝堂


 この教会のフレスコ画について整理し始めると本当にきりがない,有名無名の様々な画家が描いた多くの作品が残っている.保存の良いもの,もう消えかかっているもの,ジョット派の影響が濃い時代の作品,マンテーニャの影響を受けた新しい時代のフレスコ画,板絵やカンヴァス画でも活躍した作家のフレスコ画など,修復中で見られないものがあったにせよ,大いに堪能して辞去した.


サン・フェルモ・マッジョーレ教会
 サンタナスタージア教会から歩いて,サン・フェルモ・マッジョーレ教会に行った.イタリア語ではサンタノーネと言うらしいが,日本語で通常どう表記されるのかわからないヴェローナの司教だった人物によって創建された教会である.

写真:
サン・フェルモ・マッジョーレ教会


 11世紀から12世紀の間にベネディクト派の教会となり,その後1261年フランチェスコ会の手に渡り,現在の教会の基礎が作られた.ドメニコ派の教会を見た後,フランチェスコ会の教会を見る,今まであちこちで体験してきたパターンだ.サンタノーネの時代は古代教会の遺風を残し,ベネディクト会はロマネスク様式の教会を建て,フランシスコ会はゴシック様式の現在の姿の基礎を作った.

 ここには上部教会と下部教会があるが,地下にある下部教会には古代末期の遺構も残っている.現在は修復中だったが,その大部分は見せてもらえた.

写真:
地下にある下部教会


 上部教会も何箇所か修復中だったが,この教会もまた見るべきものに溢れていた.

 ファサードの裏と,左側壁に「磔刑のキリスト」のフレスコ画があり,前者はトゥローネ・ディ・マクシオに帰され,後者はトゥローネもしくはその流派の作品とされる.ファサード裏の作品ではロンギヌスが槍でキリストを刺しており,左側壁の作品では磔刑のキリストのまわりで聖人たちが嘆いている.両方ともリュネット型である.どちらもよくある絵柄で,14世紀後半の作ということであれば,ジョット派の影響を受けた作品だろう.

写真:
ファサード裏のフレスコ画
「磔刑のキリスト」
トゥローネに帰される


 トゥローネに関しては詳しい情報を今は持っていないが,サタナスタージア教会の中央祭壇左側壁にあった「最後の審判」のフレスコ画も彼の作品とされており,ヴェローナで活躍した実力派のフレスコ画作者であろう.カステルヴェッキオ美術館にも「三位一体のポリプティク」があり,上部の「聖母戴冠」が美しい.

 大理石の説教壇の周りにフレスコ画が描き込まれているの壮観だった.説教壇はアントーニオ・ダ・メストレ,フレスコ画はマルティーノ・ダ・ヴェローナの作品とされている.説教壇の右側の礼拝堂にはドメニコ・ブルーザソルチ(本やパンフレットによって「チ」なのか,「ツィ」なのか,cもzもあるようだが,前者に統一する)のフレスコ画もあった.

 そのさらに右側の礼拝堂には「救世主の親方」の「エル・メリクの夢」を描いたフレスコ画がおもしろかった.この作家のフレスコ画は説教壇の左側の「聖ベルナルド礼拝堂」にある「受胎告知」のほか何点か見られた.

 さらに左の「大天使ラファエルの礼拝堂」には昨日紹介したドゥオーモの「受胎告知」を描いたフランチェスコ・トルビードの板絵「三位一体と聖母子」がある.

 翼廊にはダンテの末裔が葬られているという「アリギエーリ家の礼拝堂」があるが,ここに描かれたフレスコ画の作者も「救世主の親方」と推測されている.「救世主の親方」という通称は,後陣にある「聖母と洗礼者ヨハネ,聖フェルムスと聖ルスティクスに囲まれた救世主」のフレスコ画を描いたことに由来するらしい.

 14世紀前半の作家で,この教会の名のもとになっている聖フェルムスと聖ルスティクスが描かれた中央祭壇の絵を任されたのだから,当時実力を認められてた画家だったのだろう.

写真:
サン・フェルモ教会
堂内の風景


 左翼廊にはフランチェスコ会の教会らしく「聖フランシスの生涯」のフレスコ画があるが,作者はわからない.この他にもたくさんの作品があったファサード裏の向かって右側にあるベンゾーニ霊廟にピザネッロの「受胎告知」はあるらしいが,ここは修復中だった.



 下部教会に降りていく途中に中庭付き回廊が見え,修道院があったのだと思われた.ここにもフレスコ画があるようだったが,公開されていない.

 その一角に興味深い墓があった.法学者アントーニオ・ペラカーニの墓碑である.法学部の教授だったのか,私塾に弟子が集まってくる有名な法律家だったのかは手元に情報がないのでわからない.墓碑の最上部のリュネット型のフレスコ画は14世紀初頭ジョット派の無名の画家による「玉座の聖母子」で,その下に「学生に講義する教師」の浮彫があった.

写真:
墓碑の浮彫
「学生に講義する教師」


 サン・フェルモ教会には売店はなかったが,ビリエッテリアで絵葉書を売っていた.さらにこの教会のガイドブックを売っていた.ふと見ると,サンタナスタージア教会の本も売っていた.それぞれ最後の1冊なのかあまりきれいではなかったが,貴重な情報を提供してくれる本だ.喜んで購入した.


フレスコ画美術館
 サン・フェルモ教会までで実に多くの芸術作品に接することができたが,さらに川沿いの通りを歩きながら「ジュリエットの墓」と併設のフレスコ画美術館を目指した.

 ここのフレスコ画は,もっぱら芸術的価値よりも資料的価値によって意味があると思われるものばかりだったが,板絵やカンヴァス画におもしろいものがあり,ブロンズの「受胎告知」も見応えがあった.これはジローラモ・カンパーニャ(1550頃-1626)の作品で,もともとは,カトゥルスの彫像のあるシニョーリ広場の「議会の回廊」の正面にあったものとのことだ.

 カロート(この人の名前はヴェローナだけで,ジャンフランチェスコ,フランチェスコ,ジョヴァン・フランチェスコと3種類の表記があったが同一人物)の宗教画4点と,ジローラモ・ボンシニョーリの「受胎告知」(天使と聖母の2枚の絵)も見られた.両者ともカステルヴェッキオ美術館はもちろん,ヴェローナの代表的な教会のあちこちに作品がある15世紀末から16世紀前半のヴェローナのルネサンスを代表する画家と言って良いだろう.特にボンシニョーリはマントヴァのゴンザーガ家に宮廷絵師として仕えたことがあるようなので,ヴェローナ,マントヴァの旅の最後に見た絵が彼の「受胎告知」(下の写真)であったのは,やはり良い巡り会わせであったと思う.



 フレスコ画美術館からブラの大門の前まで徒歩で行き,そこからバスに乗ってポルタ・ヌォーヴァ駅に向かった.乗り換えなしのユーロスターでフィレンツェに着いたのは9時半過ぎだった.

 日本の旅行代理店のフィレンツェ支店で教えてもらったホテル・ヨーロッパは快適だった.ブラ広場の近くのローマ通りにあり,アレーナとカステルヴェッキオの間に位置している.近くには中華料理店が2軒あり,1泊目と2泊目にそれぞれ行ったが,どちらも良い店だった.

 来年の夏休みは,ホテル・ヨーロッパを予約して,夜はアレーナ音楽祭でオペラを見ながら,昼は美術館と教会をめぐるために,もう一度ヴェローナに来たいと思っている.ヴェローナの街に出会わせてくれた愛すべき詩人カトゥルスに感謝したい.

 今日で滞在半年になりました.明日から1泊2日で,かつて西ローマ帝国の首都があり,今,翻訳している物語詩『プロセルピナの誘拐』を書いた詩人クラウディウス・クラウディアヌスもいたであろうラヴェンナに行ってくるので,「フィレンツェだより」は28日までお休みします.





ボンシニョーリの「受胎告知」
フレスコ画美術館