フィレンツェだより
2007年9月21日



 




「アレーナ」の外観
ヴェローナ



§ヴェローナ篇(その2)
 − 詩人カトゥルスの面影を探して


愛すべき詩人カトゥルスに出会いたくてやって来たヴェローナだが,出会えたものは「カトゥルス書店」(リブレリーア・カトゥッロ),「ヴェレリオ・カトゥッロ通り」(ウァレリウス・カトゥルス通り)くらいだった.


 6日に行ったカトゥルス書店で,彼の詩集を見つけた.しかし,内容に不満があったので,記念に買ったのはエウリピデス作とされる悲劇(ただし偽作)『レソス』,『イソップ寓話集』という希伊対訳の2冊の廉価本だ.それでも「カトゥルス書店」と印刷されたレシートはしっかり入手した.

 ヴァレリオ・カトゥッロ通りは7日に通った.通りの両端に通りの名を刻したプレートがあり,通りにはスナックバー「カトゥッロ」があった.通りの西端には,いつの時代のものかわからない古い浮彫の彫刻がある. あちらこちらで古代の建築物の石材が再利用されているが,この浮彫もそうしたひとつで,もう一対は博物館にあるらしい.

写真
ヴァレリオ・カトゥッロ通り
古い浮彫の彫刻のある角



古代ローマの遺跡
 そこを左に曲がって南進するとカヴール通り(コルソ・カヴール)だが,すぐ前に「ボルサーリ門」(ポルタ・ボルサーリ)が見える.ヴェローナに残っている古代ローマ遺跡の一つで,カヴール通りから見たほうがボルサーリ門の正面だと思う.この門ができたのが紀元後1世紀の後半ということなので,紀元前54年にカトゥルスが30歳で死んだ後,だいぶ経ってから作られたことになる.

 コルソ・カヴールを市立美術館のあるカステルヴェッキオ(古城)に向かうと,右手の公園に,やはりローマ時代のガーヴィ門があるが,キアレッリ本にも,もとの位置からここに移された年代は書いてあるが,いつ造られたかは書いていない.

 実は,紀元前1世紀の半ばごろ,すなわちカトゥルスが亡くなった頃に建てられた「獅子門」(ポルタ・デーイ・レオーニ)もあったのだが,これは近くまで行ったのに見逃してしまった.キアレッリ本で確認しただけである.

 その他のローマ時代の遺跡としては,もちろん「アレーナ」があるが,建設が紀元後1世紀初頭ということなので,やはりカトゥルス死後のことである.

 19世紀半ばに考古学者アンドレーア・モンガによって発掘されたローマ劇場は紀元後1世紀後半のものだから,やはりカトゥルスはこの劇場には来ていない.

 劇場後方を少し登ったところに,併設の考古学博物館があった.中世に教会や修道院が建てられたこともあって,所蔵品にはキリスト教的な絵や彫刻が混在しているものの,古代神殿の跡や発掘品などの展示もあり,古代の雰囲気を感じることができる.

 もしかしたら,まだ少年のカトゥルスが両親に連れられて,ユピテルやアポロの神殿に参拝に来たかも知れない.

写真:
ローマ劇場
現役のイベント会場である



マッフェイ石碑博物館
 古代を感じることができる場所としては他に,ブラ広場の「ブラの大門」(ポルトーニ・デッラ・ブラ)を入ってすぐ左側に「マッフェイ石碑博物館」(ムゼーオ・ラピダーリオ・マッフェイアーノ)がある.ここもヴェローナ・カードで見学できる.

 ヴェローナの古代学者シピオーネ・マッフェイが私財を投じ,自らのコレクションを提供して1714年に創設したということなので,近代では最古の博物館と言っても良いだろう.

写真:
マッフェイ石碑博物館


 これは必ずしもヴェローナから出土したものだけではないが,ギリシアのアッティカ地方の墓碑や,フィレンツェでも見られるギリシア神話を浮き彫りしたエトルリアの骨灰棺,見事な彫刻が施されたローマの石棺など見応えのあるものが多い.

 エルベ広場の西端にあるパラッツォ・マッフェイの上部にはギリシア・ローマ神話の神々の彫刻が飾られているが,この邸宅が建てられたのが1668年だそうなので,シピオーネ・マッフェイと何らかの関係があるのかも知れないが,それは今はわからない.


詩人ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス
 ヴェローナが,いつローマの勢力下に置かれたかはわからないようだが,スエトニウスの『ローマ皇帝伝』は,カトゥルスの父がユリウス・カエサルと親しい関係にあったことを報告(「神君ユリウス伝」73章)している.詩人ガイウス・ウァレリウス・カトゥルスが生きた時代には,ローマの勢力圏に入ってだいぶ経っていたことは間違いないだろう.

 にもかかわらず,ヴェローナで見られるローマ遺跡の殆どが紀元後1世紀以降のもので,カトゥルスの同時代のものには出会えなかった.

しかし,後でキアレッリ本で知ったのだが,偶然にもカトゥルスの彫像に出会っていた.


 シニョーリ広場にはスカーラ家を頼って亡命してきたダンテの立像がある.これ自体は1865年にウーゴ・ザンノーニという彫刻家の作品で新しいものだが,その背後にある建物は,シニョーリ広場で最も注目するべきものとされる「議会の開廊」(ロッジア・デル・コンシリオ)で,15世紀後半に建設されたヴェローナを代表するルネサンス建築とのことだ.

写真:
ダンテ像と「議会の開廊」
シニョーリ広場


 この屋根の上に北イタリア出身の古代の作家たちの5体の彫像がある.そのうち2人については,ひとりは建築理論書を書き,ブルネレスキも啓発されたというウィトゥルウィウス,もうひとりは伝記作家コルネリウス・ネポースであることがはっきりしている.

 プリニウスとあるのは博物学者の大プリニウスの方か,その甥で養子の書簡集で有名な小プリニウスのどちらかわからない.両者とも湖で有名なコモの出身だ.

 キアレッリ本にマルクスとある人物については,ローマ人男性の最もありふれた個人名なので,これが誰か今のところわからない.マルクス・アウレリウスはローマ皇帝でありながら,著作を残しているが,確か家系的にはスペインがルーツのはずだ.

 もう一人は我らのカトゥルス(ダンテ像の左上)だ.彼こそは「大」はつかないかも知れないが,間違いなくヴェローナが生んだ詩人だ.

 これらの彫像はアルベルト・ダ・ミラーノという人の作品で,多分15世紀のものであろうから,当然ながら本人を知っていて彫られたものではない.



 カトゥルスについては,紀元後2世紀のスエトニウス,「アモルとプシュケー」の美しい物語を書いた作家で哲学者のアプレイウス,それにイタリアの宗教画に頻繁に登場する4世紀生まれの聖ヒエロニュモスが言及していることが知られる.

しかし,中世には詩人はまったく忘れ去られてしまい,14世紀まで,ヴェローナにたった1冊の写本が残っているだけだった.


 それをペトラルカが筆写するが,そのペトラルカ写本もヴェローナ写本も,結局まもなく失われてしまう.それぞれの写本からさらにコピーされた3冊の写本(早いものは1375年頃に作られた)が,現存する最も古い彼の作品集となり,それがもとになってルネサンス時代に再評価されることとなった.

 シニョーリ広場での偶然の邂逅は,この詩人にふさわしい出会いのように思えた.


オペラ「仮面舞踏会」
 今日(21日)はフィレンツェ歌劇場(マッジョ・ムジカーレ・フィオレンティーノ)の新しいシーズンの初日だった.

 演目はヴェルディのオペラ「仮面舞踏会」,指揮者はダニエル・オーレン.主役のラモン・ヴァルガスには少し不満も残ったが,レナートを歌ったバリトンのロベルト・フロンターリ,アメリアのソプラノ,ヴィオレータ・ウルマーナが最高だった.オスカルのオフェーリア・サーラも最後は熱唱だった.

 今日ヴェルディのオペラに開眼したと思って大満足だったが,指揮者に大きなブーイングが出たのは驚いた.イタリアの聴衆は厳しいのだなあとあらためて感じた.ビッグネームの指揮者にも容赦がない.

 でも,それもこれも含めて,イタリアでオペラを聴くのは良いなあとじみじみ思った.玄人筋には不満な人もいたようだが,私は感動した.音楽が素晴らしい.生きてて良かった.歌手の美しい声に聴き惚れて,喜びを抑えきれない聴衆が良い.





ヴェローナのローマ通りにある
カトゥルス書店