フィレンツェだより |
プラート門 ポンテ・アッレ・モッセ通りから |
§ロッビア一族
フィレンツェで,イタリアで多くのことを経験し,学んでほしいと思っているが,そう思うのは余計なお世話で,お話を伺うとすでにイタリアについての経験,知識を積んでおられるようだ.こちらが学ぶことが多かった.さすがにワセダの学生はたくましく意欲的だ.
![]() ポンテ・アッレ・モッセ通りから,プラート門を越えて,イル・プラート通りを直進するコースが私たちの中央市場への通い路で,コルシーニ邸や5つ星ホテルのある閑静な通りである. 左に曲がってルチェッライ通りに出ると,ここもまた市中の喧騒とはまた違う空気の漂う美しい道だ.通りの右側にはマキアヴェッリが講師に呼ばれた邸宅があり,左側に大きな教会が2つある.アドラツィオーネ・ペルペトゥア教会,セイント・ジェイムズ・エピスコパーレ・アメリカーナ教会で,どちらも新しい.特に後者はアメリカのプロテスタント教会なので,通常のフィレンツェの教会とは違う雰囲気を持っている.
アドラツィオーネ・ペルペトゥア教会のファサードには大きな鳥が自分の胸を嘴で傷つけ,その血を小さな鳥たちに与えている大きな彩釉テラコッタ風の装飾があり,アメリカーナ教会のファサードにも小さなトンド(丸型)の彩釉テラコッタ風の装飾が幾つかある. 彩釉テラコッタというと,すぐにロッビア一族が思い浮かぶが,両者ともに新しい教会なので,もちろんロッビア一族の作品ではない.しかし,さらに先に進むとロッビア一族の作品に出会う. ![]()
さらに,スカラ通りを少しだけ東に進み,サンタ・カテリーナ・ダ・シエナ通りを右に曲がると,その西南の角に小さなタベルナコロがある.中に祀られている「聖母子像」は,フィレンツェ美術館友の会(アソツィアツィオーネ・アミーチ・デーイ・ムゼーイ・フィオレンティーニ)のプレートに拠れば,16世紀の作で,アンドレーア・デッラ・ロッビア作とされている.
このあたりは教会が多く,この交差点の東南の角にも教会がある.サン・マルティーノ・イン・サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ教会と言うらしいが,もともとはスカーラ病院の付設教会で,ボッティチェルリが「受胎告知」のフレスコ画を描いた(1481年)とのことだ.ただし,現在は剥離フレスコとなってウフィッツィにある. ![]() ![]() ここからサン・ロレンツォ教会やその近くの中央市場までの経路は複数の選択肢があるが,中央市場に行くのであれば,サンタントニーノ通りが一番近い.通りの左側の入口にタベルナコロがあり,なかなかの出来と思われる「聖母子」の彩釉テラコッタがある.この作品は,マカダム本でもはっきりと「アンドレーア・デッラ・ロッビアの作」とされている.
サンタントニーノ通りには,天使たちの浮き彫りを施された石造りの枠の中に「聖母子」の絵があるタベルナコロもあり,その近くには,サン・ジュゼッペ礼拝堂という小さなオラトリオがある. また,小さなアモリーノ通りが交差する角には,マカダム本に「ロッビア風」と紹介されている作者不詳の「幼児イエスを礼拝する聖母と天使たち」の彩釉テラコッタがある.
![]() ![]() このタベルナコロにある彩釉テラコッタ「聖母子と聖人たち」は多色仕上げの大作である.ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの1522年の作品だそうで,マカダム本でも大きく取り上げられている.
私たちはこの横を何度も通っているが,保護ガラスが反射して写真はうまく写らない.「タベルナコロ・デッレ・フォンティチーネ」と言うそうだ.『伊和中辞典』には載っていなかったが,フォンテがラテン語のフォンスに由来する「泉,水源」という意味の語なので,そこから派生した名称と推測される. ![]() グエルファ通りのひとつ北を平行しているのが,ヴェンティセッテ・アプリーレ通りで,つい先日まで私たちはそこに住んでいた.
![]() 街中のタベルナコロや,教会のファサードなど,いたるところそれらの作品に出会ったが,バルジェッロ美術館でまとめて作品を見たときも,まだ,その素晴らしさに目覚めていなかった. 2度目にフィエーゾレに行き,バンディーニ美術館で,ロッビア一族,およびロッビア風の作品コレクションを見たあたりから,徐々に,なるほど良いものだなと思うようになった.マカダム本(Alta Macadam, Florence: Where to Find, Firenze: Scala Group, 2001)でも,ジョット,ブルネレスキ,マザッチョ,ドナテッロ,フラ・アンジェリコ,ボッティチェルリ,ギルランダイオ,ミケランジェロとともに取り上げられているのだから,その評価の高さは推察できる.
京都や奈良にも寺社仏閣があり,そこには芸術性の高い,お金のかかった仏像や仏画,伽藍,神殿があるわけだが,都市の庶民の信仰の支えになった辻々の地蔵や祠にも捨てがたい魅力がある.それと同じと言っては語弊があるだろうが,庶民の支えのない宗教には金持ちや権力者も関心を払わないだろうし,堅実な職人の伝統の中から,大天才が生まれる可能性も極めて低くなるだろう. そう思うと,フィレンツェの街を歩いていても,そうしたタベルナコロに目がいってしまい,ついついシャッターを切ってしまう. |
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