フィレンツェだより |
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「緑の回廊」のウッチェッロ君 |
ボーボリ庭園のウッチェッロ君 |
§サン・ロレンツォ教会
ひとつに妻の学校が大変なことがある.スペイン人と日本人の混合クラスで,どうしてもスペイン人は文化的にも言語的にもイタリア語習得において優位にたつので,よく話すスペイン人と,あまり話さない日本人という図式になりがちなようだ. よく聞くと,スペイン語話者である3人も,マドリッドから来た若い大学生,バルセロナから来たカタルーニャ人の女性,スペイン語を話す元パイロットのスウェーデン人の中年男性と多様なようだ.日本人はそれぞれ職業に活かすことを目指してイタリア語を学びに来ている若者たちで,意欲も能力もあるので,時間がたてば良い経験だったということになるのではないかと想像している. もっとも典型的に「あまり話さない日本人」である私にはそういう資格はないので,「人のことだと思って気楽なことが言えるのだ」と言われると一言もない. ともかく妻のイタリア語学習(彼女はそれをするということで,私とは別個に就学ヴィザをもらって来ている)に熱が入っているので,文化教養に偏りすぎて,無残な実力を露呈している私のイタリア語力を向上させるべく,彼女の予習,復習にはなるべくつきあって,自分も勉強している. 綴りにn(エンネ)が重なると「ドッピア・ナーポリ」(doppia Napoli)と先生が言うと聞いて,新鮮だった.f(エッフェ)が重なる場合はフィレンツェ,m(エンメ)が重なる場合はミラーノ,r(エッレ)が重なる場合はローマを使うそうだ.それならl(エッレ)が重なる場合は「ドッピア・ロンドラ」(ロンドン),p(ピ)が重なる場合は「ドッピア・パリージ」(パリ)とか言うんだろうか,でもpはイタリアにもパードヴァもパレールモもあるので違うんじゃないかとか,思わぬ方向に脱線する.今度聞いてきてほしい.
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同じ鳥をボーボリ庭園でも見た.雀や鳩はよく見るが,カラスはまったく見ない. 街路では,犬はよく散歩に連れ出されているが,猫はほとんど見ない.野良犬,野良猫はまったくと言ってよいほどいない.ゴミの取り扱いと関係があると想像している.もちろん街路で見ないだけで,飼い猫は少なからずいるようだ.
![]() ウェルギリウスの牧歌や農耕詩に出てくる植物を解説した本を京大の図書館でコピーして時々参照するが,大きさや色は実感できないことが多い.もちろん同じイタリアと言っても時代も地域も異なれば植生も違うであろうが,それでもなにがしか以上の示唆が得られるだろうと期待している. ボーボリ庭園の高いところから見られる糸杉やオリーヴの姿を見ていると,当たり前のことだが,やはり普段私たちが見ている日本の風景とはだいぶ違うなと思う. サン・ロレンツォ教会 12日はラウレンティアーナ図書館にも行くつもりで,近くのサン・ロレンツォ教会に行ったが,図書館は閉まっていた.それで聖堂の方に入ったが,やはりブルネッレスキ作の旧聖具室が圧倒的に良かった.奥の丸天井にある星辰譜が,1442年7月4日にアンジュー家のルネがフィレンツェに来たときの天空を表しているとする説が唱えられていると聞くと,なるほど,と唸ってしまう. ドナテッロ作の説教壇も迫力があったし、フィリッポ・リッピの「受胎告知」もあったが,大芸術作品の洪水というよりは,明るい聖堂内の雰囲気に浸りたい,心地の良い空間だった.
![]() いずれにせよ,どこに行くにもまだまだ勉強が足りない.美術のことも歴史のことももっと知っているといろんなことがわかるのにと歯がゆい. 「猫にまたたび」 住んでいる通りからマザッチョ通りのスーパー「エッセルンガ」まで行くのに,サン・マルコ広場に向かって歩き,広場の1本手前の通りを左に曲がる.このサン・ガッロ通りには何軒かの本屋があるが,大きな古本屋もあるのを以前から目をつけていた. 昨日の昼,一人でそこに行ってみた.高円寺の都丸書店のような充実した古書店で,稀覯本は私には「猫に小判」だが,古典文学の棚があり,そこには英語・ラテン語,英語・ギリシア語対訳のロウブ叢書,フランス語・ラテン語,フランス語・ギリシア語対訳のビュデ叢書も何冊かあり,もちろんイタリアで出版された古典関係の書籍も多く,こちらは「猫にまたたび」だった. 1時から午後の休みになるようで,シャッターが降りはじめたので,あわてて,廉価本の『カルミナ・ブラーナ』とキケロの『カティリーナ弾劾演説』を2冊,それぞれイタリア語・ラテン語の対訳・注釈本を計3冊11.5ユーロで買った.アポロニオス・ロディオス,プラトン,アリストパネスなどギリシア語のものもかなりあったので,近いうちにまた是非行きたい. |
ボーボリ庭園 原っぱに可憐な花々が広がる |
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