フィレンツェだより
2007年7月14日


 




サント・スピリト教会(右)
旧「食堂」(中央)



§求めよ,さらば

朝起きてすぐに中央市場に買出しに行き,2日分の野菜とパンを買い込んでから,最終日(7月20日)が迫っている,聖女マッダレーナ・デ・パッツィのモストラを もう一度見に,アルノ川を越えてセミナリオに行った.


 再び,フィレンツェ内外のあちこちで作品を見かけるにもかかわらず,どこにも解説されていないフランチェスコ・クッラーディが描いたパッツィを初めとする聖女たちの絵をたくさん鑑賞した.

 他にもカルロ・ドルチに帰せられる絵(妻の判断ではレヴェルが低いのでドルチではない)その他を鑑賞させてもらった.モストラのポスターに使用されたパッツィの心臓にアウグスティヌスが字を書いている絵の作者は,サグレスターニの周辺にいた画家(18世紀初頭)ということらしかった.

 モストラとは別に,この施設に通常飾ってある絵も見ることができたが,ヤーコポ・ヴィニャーリの作品(17世紀)が多く,彼の作品では「エマオの饗宴」が印象に残った.ここにもまたクッラーディの「聖トマスの不信」があった.

 クッラーディが17世紀前半に活躍した画家だというのは良く分ったし,聖母子を礼拝するパッツィを描いた小さな絵にはフランチェスコの他にピエトロという名の別のクッラーディが共作者としてあげられており,どういう関係かはわからないが,フランチェスコ・クッラーディの親族にも画家がいたのであろうと推測される.

 セミナリオの中庭付き回廊には,14世紀から15世紀にかけてのフィレンツェ派の画家による「玉座の聖母子と聖人たち」の剥離フレスコ画が飾られていた.近くには別の絵柄のシノピアもあり,もともと古いフレスコ画があったことを想像させる.

 「食堂」か「聖具室」かわからないが,展示会場として使用されていた部屋には新しいフレスコ画もあり,天使たちに囲まれて楽園の中の食卓にいるキリストが描かれているように思えた.このフレスコ画はモストラとは関係がないが,美しく,他にもずっと見ていた人がいた.

 やはり展示とは無関係に,作者名の記載がないものだったが,「我に触れるな」の絵が廊下に飾られていた.キリストの鍬を担いでいる姿は,サン・サルヴィで見たフランチャビージョの剥離フレスコ画と同じ構図なので,興味深かった.


オルカーニャの「最後の晩餐」
 これまでサント・スピリト教会には何度も足を運び,すべて空振りに終わっている.『地球の歩き方』では,昨年10月現在で,サント・スピリト教会と同修道院「食堂」は修復中とあるが,こちらで購入した「毎年改定」と銘打っているEyewitness Travelシリーズの2007年版『フィレンツェとトスカーナ』では,修復中の情報はなく,開場時間だけが掲載されている.

 もしかしたら修復は終わったのかもしれないという淡い期待を抱き,マッダレーナ・デ・パッツィのモストラを見に,アルノ川の向こう(オルトラルノ)まで行くついでに,それを確かめて来ようと話がまとまりかけたが,よくよく確認すると,もともと土曜日の午前中,教会は閉まっていることになっていた.

 少し迷ったものの,それでもモストラの帰りにとりあえずサント・スピリト広場に行ってみた.教会はやはり閉まっていたが,隣の旧「食堂」の美術館の扉が開いていた.

ついにオルカーニャの「最後の晩餐」を見ることができた.ただし,そのほとんどは剥落しており,向かって右端の小ヤコブともう1人の人物だけが顔と姿が残っていて,あとは左端の2人の光輪が見えているだけだ.


 もちろんキリストと若いヨハネ,ユダは影も形もなくなっていて,剥落した壁の前に15世紀フィレンツェの無名の芸術家による「慈悲の聖母」の彩色木彫が置かれていた.

 それでも,この「食堂」を見られて良かった.「最後の晩餐」の上部に描かれている「キリスト磔刑と聖母」,「敬虔な女性たち」,「聖ロンギヌスと兵士たち」の部分は,褪色は激しいものの,オルカーニャのすばらしい芸術性が光る絵柄をほぼ確認できた.

 マグダラのマリア,若いヨセフ,聖母と思われる光輪のある人物たち,馬上で槍を持つ聖ロンギヌス,その反対側にいて誰か私たちには特定できないやはり馬上の聖人といった個々の人物の他,キリストの周りで左右対称の輪を描いている天使たちが,よく見るとそれぞれの役目をもって,表情豊かに描かれており,「I.N.R.I」の文字の上に,大きな鳥が胸に嘴を突き刺して,その血を小さな鳥たちに飲ませているのがはっきりわかる.

 もちろん私たちは,ガイドブックその他にオルカーニャと書いてあるので,安心して彼の作品としてその魅力を堪能しているわけだが,オルサンミケーレの礼拝壇,サンタ・クローチェで見た剥離フレスコ,これは「伝」だが,サンタ・マリーア・ノヴェッラのムゼーオで見たファサードのパネル断片の絵と,彼の名前で伝わる全ての作品がすばらしいものに思えている.

 サント・スピリト「食堂」のフレスコ画に関しても,本によっては「オルカーニャと弟のナルド・ディ・チョーネとその追随者たち」とするものもあるが,オルカーニャを中心として描かれた作品と思いたい.

 サント・スピリト修道院の旧「食堂」は現在ムゼーオになっており,骨董商のサルヴァトーレ・ロマーノという人がフィレンツェ市に寄贈したコレクションが展示されている.

 ドナテッロの名で伝わった大理石彫刻の断片,ヤーコポ・デッラ・クエルチャの周辺の芸術家が作った彩色木彫の聖母子などもあるが,中でも傑作に思えたのはティーノ・ディ・カマイーノの2つの彫刻であった.またしてもジョットー以前の造形芸術に関する学習項目が現れたことになる.



 このところ,解説本によく出てくるヴァザーリの『画人伝』(彫刻家も出てくるので『芸術家伝』と言うほうが良いかもしれないが,昔どこかで覚えた訳語をそのまま慣習で使ってしまう)が気になっていた.

 日本語訳を自宅に持っているので,帰国後の楽しみにしようと思っていたら,サント・スピリトの近くの古本屋の店先のワゴンに英訳が出ていた.オックスフォード・ワールド・クラシックスの中の1冊で,11.95ドルなのに,古本で13ユーロは高いなと思ったが,これも何かの縁だと思って買った.


サンタンブロージョ(聖アンブロシウス)教会
 午前中は比較的涼しかったが,帰宅した頃には猛暑になりそうな気配があった.それで午後に予定していた寓居の近くのセンプリーチェ植物園行きを取りやめ,屋内なら良かろうと,やはり近くで,先日ヴァルダルノで買った共通券で入れるメディチ・リッカルディ宮殿に行くことにした.

 行ってみたら,今日はイヴェントの準備のために「休館」という張り紙があった.

 せっかく外出したので,ちょっと遠いが,サンタ・クローチェ教会の先のタッデーオ・ガッディの絵があると言われているサン・ジュゼッペ教会に行ってみることにした.もちろん「とかげ作戦」で,日陰を選んで歩いたが,今日はそれでも暑かった.

 サン・ジュゼッペ教会は,思ったより大きな教会で期待が持てたが,閉まっていた.

 しかたなく,明るいうちに,まだ通ったことのない道を通って帰宅することにした.途中,比較的大きな教会があったので,淡い期待を抱いて近づいたが,これまた閉まっていた.

 がっかりして,とぼとぼとピラストリ通りを少し行ってから,ふと振り返ると,聖具室係の高齢の男性が,扉を開けているのが見えた.その光景を見て,もしかしたら,今頃サン・ジュゼッペも開いているかもしれないと思ったが,もうだいぶ遠くまで戻ってしまった.名前も知らない教会ではあるが,何か見られるかもしれない,ここに寄って行こうということになった.



 このサンタンブロージョ(聖アンブロシウス)教会にも芸術作品の傑作がたくさんあった.本当にフィレンツェというところは恐ろしいところだ.

写真:
サンタンブロージョ教会


 芸術作品の保存・修復を支援している金融機関や市が立てた解説の看板やプレートには相互に矛盾した記述が見られた.まず目を引いたのはバルドヴィネッティの名前だ.「好きだ」と言いながら,まだ2つしか作品を見ていない作家の3作目はリュネット型の板絵で「天使たちと聖人たちに囲まれた聖母子」だったが,解説板には「天使と聖人たち」としか書いていないなど,対応する作品をみつけるのに苦労した.

 伝ロレンツォ・ディ・ビッチのトリプティック「聖母子と聖人たち」,コジモ・ロッセッリの「栄光の聖母」,ラファエッリーノ・デル・ガルボの「聖アントニウス」などは比較的短時間で見つけることができた.

 しかし,フレスコ画は保存状態が悪く,なかなかどれがどれか分りにくかった.それでも伝オルカーニャもしくは弟子筋の人が描いたであろう「聖母子」,伝ニッコロ・ジェリーニの「キリスト降架」(シノピアも近くにあった)などは絵柄も分りやすく,ほぼ間違いなく特定できたと思う.剥落が進んでいてもアトリビュートが見えれば多少は分るので,伝アニョーロ・ガッディの「聖セバスティアヌスの殉教」も間違いないと思う.

解説板にあった「フィリーネの親方」という画家が気になった.


 フィレンツェの旧サント・ステーファノ教会の美術館にある,ジョットが若い頃描いた「聖母子」は,現在「ヴァルダルノのルネサンス」の企画で,サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの隣駅のフィリーネの美術館に出張中だが,このジョット「聖母子」と対比して展示されている「聖母子」の作者が「フィリーネの親方(マエストロ)」とされている.この「親方」の作品である「聖オノフリオ」のフレスコ画は剥落が進んでいて,絵柄を確認することはできなかった.

 コジモ・ロッセッリの「キリスト磔刑」と「聖アンドレアと聖フランシスのいる栄光の聖母」は確認でき,特に後者はパッツィ教会で見た彼の絵の作風とよく似ていた.中央祭壇向かって左脇の礼拝堂ではロッセッリのフレスコ画「聖杯の奇跡」が見られた.その手前の壁面のリュネットには,どの説明にもない無名の画家の作品であろうフレスコ画の「最後の晩餐」があった.これで今日は有名無名2人のフレスコ画の「最後の晩餐」を見たことになる.

写真:
作者不詳のフレスコ画
「最後の晩餐」


 かろうじてキリストはわかるが,ユダの特定は難しい.一応の意見はあるが,自信はない.若いヨセフがキリストにもたれていないし,食卓に伏してもいないのは明らかだろう.丸いコの字型のテーブルに特徴があるように思えた.

「聖杯の奇跡」がある
礼拝堂には,どう見て
もミーノ・ダ・フィエーゾ
レの作品に見えるタベ
ルナコロ(写真)があった.


 見ると礼拝堂の前の床には墓誌のプレートがある.刻まれていたのは「ミーノ・ダ・ポッピ,通称ダ・フィエーゾレ」,これは多くの芸術的墓碑を造ったミーノ自身の墓だったのだ.

 墓で驚いたのはそれだけではない「チョーニ一族の墓」という墓誌がやはり床にあったので,よく見るとチョーニ家出身の芸術家ヴェロッキオの墓だった.

 サント・スピリト広場周辺の建築物その他の設計で有名なイル・クロナカことシモーネ・デル・ポッライオーロの墓もあった.彫刻・建築系の偉大な芸術家が眠っている教会だったのだ.「タッソーの墓」もあり,「えっ」と思ったが,これは詩人のトルクァート・タッソーではなく,この教会にある木像の「聖セバスティアヌス」を彫ったレオーネ・タッソーをはじめとするタッソー家のものらしかった.

 もっとじっくり見たかったが,2,3人のツーリストが来てはすぐに出て行き,少し経った後に,地元の信者の皆さんが夕方のお祈りに集まり始めた.教会は彼らのものだから,拝観させていただいたありがたさをかみしめながら,伝オルカーニャのフレスコ画の右隣にあった,現代作家の作った聖フランシスの像の前の箱にささやかな喜捨をして,このすばらしい教会を辞去した.



 桃がうまい.最初に食べた小さな桃も,こちらでは良く食べるという黄桃も,その後買った白桃も本当にうまかった.いつも野菜を買う中央市場の店で,店主(私たちより若いが,親しみを込めて密かに「オッチャン」と呼んでいる)が仕入れて,「うまい」と言ったものを買っている.下の写真の黄桃も今日その店で買ったものだ.うまい.





うまい「桃」