フィレンツェだより
2007年6月6日


 




サン・バルナバ教会



§人生の巡り合せ

中央市場に買い物行く途中,近所のサン・バルナバ教会の扉が珍しく開いているのを見た.6月11日がこの聖人の祝祭日なので,その関係かもしれない.


 納屋型切妻屋根とファサード(ファッチャータ)の丸窓に特徴があるが,このタイプの教会(キエーザ)や祈祷堂(オラトリオ)は他にもよく見かける.

 扉の上にあるリュネット(ルネッタ)の彩釉テラコッタの聖母子が目をひくのだろうか,明らかにツーリスト姿の人たちが入っていくので,私たちも入りやすかった.以前,このリュネットの写真は紹介したが,ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの作だそうである.

 内部は,いつものことながら期待した以上に立派なものだった.フィレンツェ市の立て看板によると,16世紀のピエール・フランチェスコ・フォスキ作の「聖母と聖人たち」(下の写真の左手前),17世紀の「聖母被昇天」(奥の祭壇)があるとのことだった.しかし,無名の作家(と勝手に思っているだけかも知れないが)の14世紀のフレスコ画(フォスキの作品の右)が迫力があった.

 チェンニ・ディ・フランチェスコロレンツォ・ディ・ビッチの作品とする説があり,場合によってはスピネッロ・アレティーノの可能性を示唆する人もいるようだ.いずれにせよジョットの影響を受けた最後の世代の芸術家の作品であろう.

写真:
サン・バルナバ教会の堂内


 聖カテリーナの像(王冠と胸に刺さる剣がアトリビュートか)など,他にも堂内の雰囲気を形成している絵や彫刻があったが,今日は予定外に立ち寄ったので,ゆっくり見ることはできなかった.

 祭壇の反対側にかつてパイプ・オルガンが置かれていた空間があり,トランペットを吹く天使の彫像に囲まれた枠の中に「ラウダーテ・デウム」(神を讃えよ)とあった.サン・フレディアーノ教会よりだいぶ小さいが,同じようにペパーミント・グリーンの壁が可愛らしい教会だ.

いつも閉まっている扉が開いている.これまでも何度も写真に収めているにもかかわらず,思わずシャッターを切ってしまう.


 よく見ると,聖母子の下に,左側にはフィレンツェの紋章,真ん中は盾形紋地に十字架,右側を良く見ると鷲が何かをつかんでいる.これは確かカリマラ組合の紋章ではないだろうか.であれば,この教会を後援したギルド(アルテ)が「医師・薬種業組合」であったことと,どう関係するのだろう.今のところ,この教会に関しては手持ちの資料が市が立てた看板の写真しかないので,謎のままである.


サン・マルコ教会
 先週の話になるが,5月29日にそれまで行きたいと思っていた2つの教会を訪ねた.サンタ・マリーア・マッジョーレ教会とサン・マルコ教会である.後者に関しては,もと修道院だった美術館を2度訪問し,フラ・アンジェリコの作品に大きな感銘を受けたが,今でも現役の信仰の場である教会の方は初めての訪問だった.

 サン・マルコ教会は外側も大幅改修中だが,内陣も大規模な修復が施されている最中だ.あちこちに足場が組まれていて,本来持っている荘厳な雰囲気には欠けているし,ガイドブックにあると書いてある作品でも見つからないものが幾つかある.

 サンティ・ディ・ティートの「十字架の前で祈る聖トマス」,フラ・バルトロメオの「聖母と聖人たち」がやはり印象に残る絵だろうか.ビザンティン風のモザイク画もあった.どの本にも載っていないので,芸術的価値や歴史的価値は低いのかも知れないが,それなりの雰囲気を醸し出していた.

 予習していかなかったので,堂内でポリツィアーノの墓碑を発見して驚いた.あわてて堂内の説明書きを読むと,何とピコ・デラ・ミランドーラの墓もあるとのことだった.ルネサンスを代表する人文主義的作家と思想家の墓に図らずして詣でたことになる.

フィレンツェに来た目的の一つは人文主義の生成と古代文化の影響をこの目で確認したいと思ったからだが,実際に来て見ると,あたりまえのことかも知れないが,キリスト教の圧倒的な存在感の前に,ギリシア・ローマ文化がかすんで見える.


 生活に根付いた信仰と,無いよりは有った方が良い文化・教養という対比にどうしても見えてしまう.私自身も,ラファエロの作品ならローマで見た「アテネの学堂」より,パラティーナ美術館の「椅子の聖母」が良いし,ボッティチェルリの作品も「ヴィーナスの誕生」や「春の戴冠」といった人文主義的作品より「聖母子」などの宗教画の方が好きだ.

 とはいえギリシア・ローマに関しても捨てたものではない.日本では滅多におめにかからない,ギリシア語,ラテン語の原文つきの廉価本が露店の古本屋で買えるし,古代文化を取り上げた様々な企画もある.ドゥオーモの堂内にもジョットやブルネレスキと並んで,ルネサンス・プラトニズムの巨匠フィチーノの像があることがわかったし,人文主義的ルネサンス文化とギリシア・ローマの影響についても少しずつ発見していきたい.


サンタ・マリーア・マッジョーレ教会
 サンタ・マリーア・マッジョーレ教会は交通量の多い目抜き通りに位置する教会である.ファサードの古風な外観にいつも惹かれていた.

 ここにダンテの師匠であったブルネット・ラティーニの墓があることも知っていたので,是非行きたいと思っていた.ラティーニはポリツィアーノやフィチーノに比べれば随分昔の人だし,西欧人がまだ古代ギリシア語を学んでいなかった時代の学者だが,やはりフィレンツェ人文主義の先駆けと言ってよいだろう.

 堂内の柱に残るマリオット・ディ・ナルドのフレスコ画が良かった.また有名な画家の作品としてはパラティーナ美術館に幾つかの絵があったチーゴリの「二人のユダヤ人を救う聖アルベルト」があった.まだまだ勉強を必要とする私たちにとっては,また新しい聖人の登場だが,めげずに少しずつ調べていく.

写真:
サンタ・マリーア・マッジョーレ教会
古風なファサード



フィレンツェ歌劇場「リング」公開練習
 今月のフィレンツェ歌劇場(マッジョ・ムジカーレ・ディ・フィオレンティーノ.以下,マッジョ)は多分70周年を記念してのことであろう,ワグナー(慣用に従ってこの表記を用いる)の「ニーベルンクの指輪」の4作の楽劇(以下,「リング」)から序夜「ラインの黄金」,第1夜「ワルキューレ」を上演する.

 第2夜「ジークフリート」は2008年,第3夜は「神々の黄昏」は2009年にやるという壮大な企画のようだ.今日はその公開練習を聴きに行った.指揮者(ズービン・メータ),楽団員,歌手もTシャツを着たラフな姿でピットに座り,舞台に立っていた.

 一人目の歌手が出てきたとき,思ったより細身で普通の人に見えたので,舞台の調整をしているスタッフの一人かと思ったが,彼女が朗々と歌いだしたとき,なるほどワグナーを歌える歌手というのは,たとえ主役でなくても,すごいものだなとあらためて思った.もちろん,主役級の歌手は超絶的にすごかった.演出もさすがにお金がかかっていて,「リング」を上演するということのすごさをあらためて思わされた.

写真:
テアトロ・コムナーレ
公開練習前の風景


 運・不運と言い換えても良いし,場合によっては運命と感じることもあるが,人生には巡り合わせが大きく影響する.

 大学4年生だった1981年の夏に初めてヨーロッパを旅行した.円高の影響もあって,普通の大学生もヨーロッパ旅行をするようになり始めた時期だと思う.学内の団体旅行だったが,自由行動の時間がふんだんにあり,当時「悲劇」に興味を持ち始めていたこともあって,ロンドンではシェイクスピア,パリではラシーヌ,アテネではギリシア悲劇を見たいと思った.

 何の準備も下調べもなく行ったので,まったくの行き当たりばったりだったが,結局見ることできたのはオールドヴィック劇場で「お気に召すまま」,コメディー・フランセーズではモリエールの「気で病む男」だった.アテネのヘロデ・アッティクス劇場でやっていたのはオーケストラのポップ・ミュージック演奏だったので,これは聴かなかった.

 ギリシア国立劇場の日本公演を2回(「メデイア」と「アンティゴネ」)を見た経験のある今は,ギリシアの劇団が演じる悲劇がいわゆる「ギリシア悲劇」とは別物であることはよく知っているので,それほどこだわらずに劇場の雰囲気を楽しむだけでもコンサートに行ってみれば良かったと今は思うが,当時はそうはしなかった.

 いずれにしても,「悲劇」鑑賞の予定が,「喜劇」鑑賞に変わってしまった.これでアテネでもアリストパネスの「女の平和」でも見られれば完璧だったのだが,当時は悲劇の方が喜劇よりも高尚な感じがして,実際に舞台を見るまでは「巡りあわせ」の悪さに苦笑しながら劇場に足を運んだ.

 「お気に召すまま」も「気で病む男」もそれぞれに特徴があり,すばらしい体験だった.前者は良い席だったが,後者はいわゆる「天井桟敷」の本当のはじっこで,舞台の片側がほとんど見えないので,翌日反対側の席でもう一度見に行った.そのくらい面白かった.

 帰国後岩波ホールで上映されたムヌーシュキンの「モリエール」を,それなりの予備知識で鑑賞することができたので生涯忘れられない作品になったし,「お気に召すまま」もそれ以前にBBCの企画をNHKが放映したものを叔父の家で見せてもらっていた(当時は自分ではテレビを持っていなかった)ので,これも別個の体験が連携を持ち,「お気に召すまま」はお気に入りの作品になった.



 イタリアでの1年間の滞在に期待するものはたくさんありすぎて,とてもではないが全部適えることはできないだろうとは思っていた.フィレンツェを滞在先に選んだ理由の一つは,イタリアやヨーロッパ各地を見て回るのに位置的に良い所に思えたからだ.

実際にフィレンツェに暮らし始めてみると,事前に察しがつきそうなものだが,ここに見るべきものがありすぎて,もう50歳に手が届こうという私たちの体力ではフィレンツェで色々なもの見せてもらうだけで精一杯で,住んでいる今ここで見られるものは見ておかなければという気持ちになっている.


 個人的趣味の領域ではオペラとサッカーが好きなので,イタリアで多くの公演や試合を見られることを期待していた.しかし,これも何でもというわけにはいかないし,特にサッカーのほうは,シーズンになったら1,2回フィオレンティーナの試合が見られればそれで良いのではないかと思っている.

 さすがにオペラはそれ以上は見たいが,それでもフィレンツェを拠点に,マッジョはもちろん,スカラ,フェニーチェ,ローマ,ナポリ,マッシモと見て回り,野外劇場でも鑑賞し,なんていうことはとても無理だと思う.資金と時間と体力の問題が主だが,オペラには別の壁もあるように思える.

 テアトロ・コムナーレは庶民的な雰囲気も十分に持っている行きやすい劇場だが,そこですら,オペラの時には見えない階級の壁みたいなものがあるような気がする.値段が高いと言っても,日本で海外のオペラ座公演を聴くときの料金を思えば,それほどではないが,いわゆる「良い席」にいる人たちの服装や容姿を見ていると,この人たちには楽しい社交の場であっても,私には場違いな所にいるように思えて,なかなかくつろいだ気持ちになることができない.

 ましてやスカラなんて,ミラノまで行ってわざわざ疲れて帰ってくるくらいなら,日本で公演を見たり,一観光客として旅行会社の企画でオペラ・ツァーにでも参加したほうが気楽なのではないかと思ってしまう.



 脱線が長くなってしまった.「巡り合わせ」のことだが,今回も「イタリアでワグナーか」と思わないでもなかった.フランスにワグネリアンの有名人が多かったことは,おぼろげながら知識としては知っている.イタリアはどうなのどろうか.ヴィスコンティの「ルートヴィヒ」などがあるが,これは舞台はドイツだし,ヴィスコンティは「ヴェニスに死す」でもマーラーを使っているし,そもそもこれも原作はトーマス・マンでドイツ人だ.ヴィスコンティのようなインテリ好みの芸術家はドイツの影響を受けているが,一般のイタリア人はそれほどでもないという印象だ.

 ゲルマン人の侵入,神聖ローマ帝国の介入,ハプスブルク家の支配と,北部を中心にイタリアは政治的・軍事的にはドイツ系勢力の影響を受けていた.ホーエンシュタウフェン家がパレルモやナポリに君臨し,そのことがフランス系,スペイン系の王家の統治につながった南イタリアでも影響は皆無ではないだろう.ワグナーが題材にしたゲルマンやケルトの神話も探せばイタリア文化の中に見られるかも知れない.それでもやはり「イタリアでワグナー」という必然性は見つけにくい.

 先日バレンボイムがインタヴューで言っていて印象に残った語が「アンティセミティーズモ・イン・ジェルマニーア」であったが,ユダヤ人であるバレンボイムが「リング」をはじめとするワグナーを指揮し,イスラエルでもワグナーを演奏したことに関連して出てきたのだろう.今回指揮をするのはマッジョの音楽監督であるメータだが,彼もイスラエルと縁の深い人だ.

 バレンボイムは政治性を超越した普遍的芸術の価値を熱く語っていたと思われるが,たとえワグナー個人が反ユダヤ主義者であり,その影響を古典学から出発した哲学者や独裁者の中に見る人がいて,フランスのワグネリアンの中にユダヤ人に反感を持つ人が多かったとしても,たとえば私たち日本人がワグナーを聴いて,その音楽の中に「反ユダヤ主義」を見出すことは至難のことであろう.

 特に,今回はマッジョの70周年ということで,「神話と現代」というテーマが設定されている.ムーティ指揮のグルック「オルフェーオとエウリディーチェ」,新作オペラ「アンティゴネ」,バロック・オペラ「ラ・ダフネ」もその一環として上演された.

 現在,考古学博物館が所蔵している神話を題材とした作品の一部がテアトロ・コムナーレに展示されている.写真はそのひとつ,骨灰箱の解説である.

写真:
考古学博物館から
借りてきた骨灰箱の解説


 これは,マッジョが考古学博物館,バルジェッロ美術館,ウフィッツィ美術館,アカデミア美術館などと連携して行なっている70週年を記念する様々な講演や展示のひとつだ.私たちも先日,近代美術館で,カラスを含む有名な歌手たちがマッジョのオペラで着た衣装の特別展示を偶然見ることができた.すばらしかった.

 「リング」上演は規模から言っても,想像される費用の点からも今回の最大の催し物であることは間違いが無いが,「神話と現代」というテーマの輪の中に入ることによって,政治性や民族性を超越して,特殊性を土台にした普遍的芸術としての性格が強まるであろう.

 インド出身で国際的に活躍するメータが指揮し,外国人も団員にいるイタリアの楽団が演奏し,多様な背景を持つ歌手たちが歌い,スペインで成功を収めたプロダクションで上演される.ついでに言えば,公開練習だけ見ても観客の中に,日本人などのアジア出身者は私たちだけではなかった.「普遍性」も「国際性」も簡単には実現しないだろうが,遠い目標としてはずっとあり続けるものだろう.

何にでも素朴に感動し,自分は巡り合わせが良いと思えてしまう私のおめでたい性格もあるが,マッジョの70周年の年に来合わせ,フィレンツェでは滅多にかからないワグナーの,しかも「リング」の公演を見ることができるのは間違いなく幸運なことだと思う.


 公開練習を見せてもらうのに先立って,ビリエッテリア(券売窓口)で2回公演セット券を購入した.2階の良く聞こえそうな席で,250ユーロだった.1人1公演あたり,1ユーロ175円で計算しても1万1千円弱である.

 私には,人がよく言う「ワグナーの毒」体験がなく,ワグナーの音楽を心から感動して聴いたことがない.しかし,今度は出会いがありそうな気がしている.フィレンツェでワグナーに開眼するのも,また「巡りあわせ」だろう.



 公開練習の後,中嶋邸に夕食に招かれていたので,お訪ねし,中嶋先生ご夫妻,鷺山先生と私たち,2匹の猫で楽しい時を過ごさせていただいた.ワグナーと猫には大変な関心を示す妻と,ワグネリアンの鷺山先生が夢中で話すのと聞いていると,私がワグナーに開眼するのはまだ遠い先のように思えてきた.これからも自分で進んで聴きに行くのはパレストリーナとモンテヴェルディかも知れない.





雨降る街角
サンタ・マリーア・マッジョーレ教会