フィレンツェだより
2007年5月27日


 




フィレンツェの雷雲
(5月5日撮影)



§今日の果実を摘め

月末は日曜でもスーパーが開いている.午前中のうちに買い物に行く予定だったが,雷鳴とともに雨が降ってきたので,洗濯物を取り込み,家でおとなしく仕事をすることにした.


 滞在は1年間なので,手元に資料がないのはいろいろ差し支えがあるが,持って来られる分量に限界があるし,現地調達した方がイタリア語の勉強になるので,重い辞書類は涙を飲んで置いてきた.

 しかし,何にもなしというわけにもいかないので,電子辞書がない古典語の辞書はガフィオの『羅仏辞典』の旧版(写真で開いている)とリドゥル&スコットの『希英辞典中型版』を持ってきた.

 後者のリドゥルは,ルイス・キャロルがいたクラースト・チャーチ・カレッジの学寮長で,『不思議の国のアリス』のアリスのモデルの一人と言われているアリス・リドゥルのお父さんでもあり,キャロルこと数学者ドジスンの同僚だった古典学者だ.

 北本の茅屋でも研究室でも,PCはデスクトップ型を愛用しているが,たまたま買っておいた小型のノート型PCが今回は大活躍してくれている.写真では大きく見えるが実は小さい.

写真:
日本から持参の
ノート型PCで仕事をする


 個人の用事にはずっとマックを使用しているが,蔵書目録を昔懐かしいハイパー・カードで作ったので,今は不便になった上に,互換性が皆無で,今回,マックはデスクトップはもちろんのこと,ノート型のアイブックも置いてきた.そのため自分で作った資料でも参照できないものも多い.



 通りの騒音もあるし,日差しの強い日は,家の中の方が圧倒的に涼しいので,今のところ普段は窓を開けないのだが,今日は外の空気の方が涼しかったし,雨雲のでせいで昼でも家の中が暗かったので,窓を開け,外気と光を取り入れた.昨日,今日と蒸し暑くて,日本の梅雨を思わせる天気だった.

 ウェルギリウスの叙事詩『アエネイス』の仮想講読会をウェブページでやっているので,久しぶりに第1巻から読んでいる.ローマの建国伝説の叙事詩でありながら,トロイア戦争を出発点として,トロイアが滅亡した後,亡命してイタリアに漂着した王族アエネアスが新しい王国を建設して,ローマを建国したロムルスの祖先となる伝説を背景にしている.ホメロスの叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』が土台になっており,ギリシア神話がかなり出てくる.

 ウェルギリウスは,紀元前70年の10月15日(私の妻と誕生日が同じ),現在のマントヴァの近くでに生まれ,紀元前19年の9月22日に現在のブリンディジで死に,現在のナポリに葬られた人だ.ローマ文学最大の詩人でありながら,都市ローマの人ではない.

 マントヴァは,現在はイタリアだが,当時はガリア・キサルピナ(アルプスのこっち側のガリア)と呼ばれ,ケルト人が多く住んでいた.当時そこにはゲルマン人はいなかったが,古代末期ゲルマン人の一派がランゴバルド王国を作り,ランゴバルド人の土地,ロンバルディアとなって今に至っている.

 若いウェルギリウスが勉強したクレモナ,ミラノ(メディオラヌム)も,当時はガリア・キサルピナの都市で,現在はロンバルディア地方に属している.現在のイタリアも多様だが,ウェルギリウスが生きた激動の時代(共和制から帝政に移行)以前からイタリアは多様だった.

多様であったイタリア文化を統一している一つの要素に,ギリシア文化の影響があるのは間違いないだろう.


 ウェルギリウスに影響を与えた先人として,エンニウス,ルクレティウス,カトゥルスがいる.

 エンニウスは南イタリア(大ギリシア.ラテン語ではマグナ・グラキア,イタリア語ではマーニャ・グレーチア)のギリシア文化圏出身の叙事詩人,劇作家であり,ルクレティウスはローマ人だが,エピクロスの哲学をホメロスの韻律で詩にした人だ.カトゥルスはローマ初の本格的恋愛詩人で,ウェルギリウスと同じガリア・キサルピナの出身だ.彼が生まれ育ったウェーローナは,現在のヴェローナで『ロミオとジュリエット』の悲劇でも有名だ.



 カトゥルスが叙事詩人としてのウェルギリウスに影響を与えた作品として『詩集』第64番「ペレウスとテティスの結婚」がある.

 この中に出てくるのが,アテネの王子テセウス(イタリア語ではテーゼオ)を助け,迷宮の怪物ミノタウロスを退治させたが,駆け落ちの途中ナクソス島(カトゥルスではディーア)に置き去りにされてしまうクレタの王女アリアドネ(イタリア語ではアリアンナ)の物語だ.

 この後,アリアドネは葡萄酒の神ディオニュソス(別名バッコスの英語読みがバッカス.イタリア語ではバッコで,バルジェッロ美術館にミケンランジェロの彫像がある)に見初められ,結婚することになる.アリアドネの物語もまたローマ詩人の作品に出てくるギリシア神話だ.

 その結婚を凱旋行進(ラテン語でトリウンプム,イタリア語でトリヨンフォ,英語でトライアンフ)として表現することが古代から行われてきた.下の写真は,その凱旋行進で,先日訪問した考古学博物館にあるエトルリアの彫像の台座にあった.

写真:
アリアドネとディオニュソスの
凱旋行進の浮彫


 このテーマで詩を書いたルネサンス時代の有名なフィレンツェ人がいる.ロレンツォ・デ・メディチ,通称ロレンツォ・イル・マニフィコ(豪華王)である.

 彼の詩「バッコとアリアンナの凱旋行進」は,「明日には何も確かなことはない」(ディ・ドマン,ノン・チェ・チェルテッツァ)というリフレインがよく知られている.要するに「命短し,恋せよ乙女」というモティーフの詩である.

このモティーフを一言で言うとき,やはりラテン詩からの引用句を使う.「カルペ・ディエム」(今日の果実を摘め)である.この句の作者はホラティウスで,エピキュリアンとして人生を楽しんだ人だ.


 下の写真はサン・ジミニャーノの広場にあった店だが,「カルペ・ディエム」という名が面白かったので撮った.チェラーミケとあるので.バールやリストランテではなく,みやげ物陶器屋のようだ.どんな果実を摘むのだろうか.この隣で,キティちゃんグッズをたくさん売っていた.

写真:
サン・ジミニャーノの店
「カルペ・ディエム」


 凡人である私たちはそこまで割り切れないので,ある程度は節制と節約を重んじ,滞在3か月目突入記念は,近所の李慶餘飯店でささやかに祝った.今日はバッコスのワインではなく,青島(チンタオ)ビールだ. 

 ビッラ・チネーゼ(中国ビール)を頼むと,チンタオ・ビールが,ビッラ・イタリアーナ(イタリア・ビール)を頼むと,下の写真右のビールが出てくるようだ.テレビのコマーシャルでよく見かける銘柄で,写真のものはスーパーで買った缶ビールだ.もちろんイタリア・ビールは他にもあり,スーパーにはハイネケンもキリンもある.





暑いときは
ビールがうまい!