フィレンツェだより 第2章「備忘録」
2018年8月2日
ペルージャからバスに乗って
古代ウンブリアの町 グッビオへ
§12月3日以降の活動報告
帰国して既に4か月が過ぎた.読書会はまだ再開していないし,朝日カルチャーセンターの講義は隔週になったので,どう考えても例年より余裕のある日程のはずだが,翻訳の仕事が滞っていて,「フィレンツェだより」を更新することはできなかった.
こうして「フィレンツェだより」を書いているのは,その仕事を終えたからではない.せっかくの見聞の記憶を薄れさせては残念という思いと,再開を楽しみにしていると言ってくださった方の言葉を胸に,滞っている仕事を含め多方面の責任を,良い相乗効果をもって遂行しようという気持ちになったからだ.
春学期の全ての授業は終わったが,採点がまだ残っており,明日から日光へゼミ合宿に行き,その後10日ほどの予定で,フィレンツェに科研費による研究出張に行ってくる.本格的な再開は,その後になり,その際はコペンハーゲン編の後半から始めるが,ともかく,まず「再開宣言」のために,このページをアップする.
以下は,帰国前に書きかけた原稿に書き足して,帰国時点までの行動を整理してまとめたものだ.よって,テキスト内の現時点は3月末である.
いよいよお尻に火がつき,このままでは3月に一回も「フィレンツェだより」を更新しないまま帰国する可能性もでてきた.本来ならコペンハーゲンの報告の後半を掲載すべきではあるが,それは帰国後とし,12月3日以降の活動についてまとめておきたい.
可能なら,3月23日にようやくのことで,念願のバーニョ・ア・リーポリのサンタ・カテリーナ礼拝堂に行き,スピネッロ・アレティーノのフレスコ画を観ることできたので,その報告をしたいところだが,そこまで行きつくかどうか.
9月の休載は,一時帰国する事情があったのでやむを得ないことだったが,3月は,こちらで買った本を43箱の荷物にまとめて日本に送るのに忙しかったり,フィレンツェでもスリにあって,財布とともにクレジットカードも盗られ,最後の期間の経済的やりくりをどうするかに四苦八苦したりで全く心の余裕を失ってしまった.
それに,一年の研究休暇をもらったので大丈夫,と思って引き受けた新しい仕事が,懸命になればなるほど難航して,編集者と出版社に迷惑をかけている状況で,「フィレンツェだより」を更新するのは節操がないように思われた.
線引きが下手で,諦めの悪い性格もあって,諸方の見学やフィレンツェだよりの執筆を控えたところで,別の仕事が進むわけでもなく,ただ時間が無為に過ぎて空しい思いをしたこともあったが,こうした心の重さと余裕の無さとは裏腹に,この3カ月間は見た目には活発な活動が続いていた.
12月3日 ローマ行
12月3日から2泊3日でローマに行って,ヴィラ・ジュリア・エトルリア博物館,ヴァティカン博物館,ボルゲーゼ博物館をメインに,その他教会を回った.これについてはこの後のローマ行とともに帰国後,報告をまとめる.
12月10日 ナポリ行
12月10日から2泊3日でナポリに行った.スリ被害に遭った話はすでにしたが,考古学博物館,カポディモンテ美術館,大聖堂など幾つかの教会を見学し,3日目にポンペイに行った.
当初の予定では合わせてエルコラーノにも行くことにしていたが,ポンペイは予想外に広く,ポンペイ自体も全ては見きれず,帰りの電車の時間が迫っていたのでナポリに戻り,不全感を抱えたままフィレンツェに戻った.
初めて宿としてB&Bを利用したが,ナポリ中央駅の近くなのにとても安い上に快適で,このあと何度かB&Bを利用する契機となった.
写真:
ドゥオーモ
ナポリ
12月14日 コペンハーゲン行
14日から2泊3日でコペンハーゲンに行き,その報告は,前半を終え,後半はペンディングになっている.
12月20日 ヴェローナ行
20日は日帰りでヴェローナに行き,考古学博物館,ローマ劇場,大聖堂,サン・ゼーノ聖堂,サン・ロレンツォ教会を再訪し,サンテウフェーミア教会,サン・トンマーゾ教会,サン・ピエトロ教会を初めて拝観した.
12月24日 ボローニャ行
24日は日帰りでボローニャに行き,フィレンツェ帰還後ピサ留学中の若い友人とともに高橋教授宅でクリスマス・パーティに参加した.ボローニャ行については報告した.翌25日は若い友人とともに柳川邸で美味なパスタをご馳走になった.
12月28日 ヴェローナ行
28日はヴェローナを再訪し,サン・フェルモ聖堂,サンタナスタージア聖堂を再訪,サン・ジョヴァンニ・イン・フォーロ教会を初めて拝観し,10年ぶりにランベルティの塔に昇り,マッフェイアーノ石碑・石彫博物館を再訪した.20日のヴェローナ行とともに帰国後報告をまとめる.
12月29日 バースデイ・パーティーに参加
29日は高橋教授宅で北村秀喜博士のバースデイ・パーティーに参加した.
1月7日 ボーボリ散策
年明けは6日まで買い物以外は家で仕事をした.7日は第一日曜で国立の博物館が無料だったので,ピッティ宮殿に行き,10年ぶりにボーボリ庭園を散策した.
1月10日 トリノ行
10日はトリノに行き,サバウダ美術館と併設の考古学博物館で前回見られなかった多くの作品や遺産を見た.2回のトリノ行に関しても帰国後,報告をまとめる.
1月12日 パドヴァ行
12日はパドヴァに行き,サンタ・ジュスティーナ聖堂,大聖堂と洗礼堂,エレミターニ聖堂,絵画館,考古学博物館,スクロヴェーニ礼拝堂,アントニーノ博物館を再訪した.10年前と2014年に写真撮影禁止だったところが撮影可となっていた.帰国後,報告をまとめる.
1月16日 ナポリ行
16日から2泊3日でナポリを再訪した.考古学博物館を再訪,諸教会を拝観,エルコラーノの古代遺跡を見学したが,12月と3月のナポリ行とともの帰国後,報告をまとめる.
写真:
エルコラーノ
1月20日 ローマ行
20日から3泊4日でローマに行った.ヴァティカン博物館とボルゲーゼ美術館を再訪し,諸教会を拝観したが,これについても帰国後,報告する.
1月27日 ミュンヘン行
27日から2泊3日でミュンヘンに行った.初日にアルテ・ピナコテーク(絵画館),2日目にグリュプトテーク(彫刻博物館)とバイエルン州立古代美術コレクションを見学したが,報告は帰国後にまとめる.
2月1日 ペルージャ行
2月1日から2泊3日でペルージャに行き,中日にバスでグッビオに行った.報告はやはり帰国後だ.
国立ウンブリア絵画館は2016年3月も写真撮影禁止だったのに可となっていた.大聖堂,サン・ピエトロ聖堂,サン・ドメニコ聖堂を再訪,サン・ベルナルディーノ教会,サンタガタ教会,サンタンジェロ教会,サン・フィリッポ・ネーリ教会を初めて拝観した.
2月4日 市内のムゼオを梯子
4日は第一日曜日で国立の博物館が無料だったので,ピッティ宮殿とバルジェッロ博物館に行った.前者ではパラティーナ美術館,近代絵画館に行った.
2月7日 モンタルチーノ行
7日から1泊でモンタルチーノに行った.帰国後,報告する.行きは電車からバスに乗り換えてモンタルチーノに着き,帰りはバスからバスに乗り換えてフィレンツェに戻ったが,乗り換えのブォンコンヴェントの教会と博物館が良かったので,それも併せて報告する.
2月10日 スポレート行
10日から2泊3日でスポレートに行き,帰りにフォリーニョとアッシジに寄ったが,アッシジでは丘の麓のサンタ・マリーア・デリ・アンジェリ教会を拝観するにとどまった.
スポレートで多くの教会を拝観し,考古学博物館を見学したので,帰国後,報告する.
2月14日 ピエンツァ行
14日から1泊2日でピエンツァに行った.
2月18日 ヴェネツィア行
18日から2泊3日でヴェネツィアに行った.
2月22日 ミラノ行
22日は日帰りでミラノに行き,サンタンブロージョ聖堂,スフォルツェスコ博物館,ブレラ絵画館を再訪した.
2月23日 サン・クィリコ・ドルチャ行
23日から1泊2日でサン・クィリコ・ドルチャに行った.オルチャ渓谷地方のモンタルチーノ,ピエンツァ,サン・クィリコ・ドルチャに関しては,まとめて報告したい.
サン・クィリコ・ドルチャの帰りにモンテプルチャーノでようやく市立博物館の見学が叶ったので,これも併せて報告する.
2月25日 オペラ「ラ・フォヴォリータ」
25日はドニゼッティのオペラ「ラ・フォヴォリータ」を観に行った.演奏はパリ初演フランス語版(「ラ・ファヴォリト」)で行われた.
3月1日 ヴェネツィア行
3月1日から2泊でヴェネツィアに行ったので,2月のヴェネツィア行とともに帰国後,報告をまとめる.
3月5日 ローマ行
5日から2泊でローマに行き,前回観られなかったサンティ・ネーレオ・エ・アキッレオ教会,サント・ステファノ・ロトンダ教会,サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂を拝観した.カピトリーニ博物館で古代彫刻を全て見るつもりだったが,時間切れで全ては見られなかった.
3月9日 シチリア行
9日から高橋教授,北村博士とパレルモに3泊し,市内で絵画館,ズィート宮殿のカラヴァッジェスキ展,諸教会,ノルマン王宮を見学し,市外のモンレアーレ,チェファルーに行った.
写真:
チェファルー
3月14日 鷺山先生主催の食事会
14日はトラットリーア,アッカーディで鷺山先生主催の食事会に参加し,日本人4人,イタリア人3人で大いに盛り上がった.
3月15日 ローマ行
15日は日帰りでローマに行き,サンタ・サビーナ聖堂,サン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ教会,サンタ・マリーア・イン・コスメディアン聖堂を再訪し,サンタンジェロ・イン・ペスケリーア教会を初めて拝観し,カピトリーニ博物館で前回見られなかった古代彫刻を全て確認した.
ローマ行に関してはやはり帰国後,複数回報告するつもりだ.
3月17日 今期3度目のナポリ行
17日から,高橋教授,北村博士,国際日文研の根川博士とナポリで落ち合い,エルコラーノ,ポンペイ,考古学博物館,カポディモンテ美術館を見学した.
3回のナポリ行,それぞれ2回のポンペイ,エルコラーノ行に関してはやはり,帰国後複数回報告する.
3月22日 パルマ行
22日はパルマに行って,サン・パウロ旧修道院のコレッジョの天井装飾画を観,大聖堂,サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂,サンタ・マリーア・ステッカータ聖堂,国立美術館,考古学博物館を再訪した.
3月23日 念願のバーニョ・ア・リーポリ行
23日はピサ留学中の若い友人が,この4月から彼の後輩となって日本の大学院で西洋古典学を学ぶ学生さんとフィレンツェを訪れたので,昼食を共にした.
昼食後,大学院進学予定の学生さんはウフィッツィに行き,私たちは北村博士が取得して下さった情報に拠れば,予約なしで見学できるというバーニョ・ア・リーポリのサンタ・カテリーナ祈禱堂を見るべく,サン・マルコ広場から31番のバスで向かった.
サンタ・カテリーナ祈禱堂では女性画家の特別展を開催中で開いていたので,上述のように念願叶って,スピネッロ・アレティーノのフレスコ画その他を観ることができた.
これについて,「なるべく,イタリアにいる間に,次回,報告する」と一旦は書いたが,やはり帰国後に報告する.
写真:
サンタ・カテリーナ祈禱堂の
スピネッロ・アレティーノの
フレスコ画
3月25日 ボローニャ行,オペラ「アルチェステ」
25日はイタロでボローニャに行き,国立絵画館で前回,鑑賞が不十分だったカッラッチ一族などバロック絵画を丁寧に見た.サンタ・マリーア・デッラ・ヴィータ教会を初めて拝観し,サン・サルヴァトーレ教会ではグエルチーノの墓碑を確認した.
14時台にフィレンツェに戻り,15時半からオペラ・ディ・フィレンツェでグルックのオペラ「アルチェステ」を鑑賞した.
歌も演奏も良かったし,音楽が素晴らしかった.ストーリーは原作のエウリピデス『アルケスティス』を相当改変しており,以前NHKのBSで放映したジョン・エリオット・ガーディナー指揮のフランス語版を見ているので,知っているつもりだったが,余りにも自分の記憶と違うので,驚くとともに大変勉強になった.
大事なのは勉強ではなく,オペラが楽しめたかどうかだが,冗長で退屈だと言う人も少なくなかったようだが,私は楽しめた.啓蒙主義的合理化には若干抵抗があるが,これも時代精神の反映で,ギリシア悲劇と全く同じでは当時の聴衆に受けるはずもなかったのだから,ある意味で当然だと思う.
3月27日 ボローニャ,モデナ,マントヴァ
27日は,前日まで考えて予定を変え,イタロでボローニャまで行き,ローカル線を乗り継いて,マントヴァに行った.
ボローニャに着くと,乗り換え予定のローカル線快速の到着が相当遅れていて,遅れはやがて50分から80分に変わったが,最終的には40分程度で快速がやって来て,次の乗り換えのモデナに向かった.
モデナに着くと,乗り換え予定のマントヴァ行きは既に出た後で,次の便は12時過ぎだった.それだと教会が昼休みの時間帯に着くので,サン・フランチェスコ教会とサンタンドレーア聖堂を再訪し,大聖堂を初拝観した後,公爵宮殿を見学し,それに付随するサン・ジョルジョ城の「新婚夫婦の間」のマンテーニャのフレスコ画に再会するという予定を消化することは絶望的だった.
大変残念だったが,モデナで大聖堂の外壁浮彫,その一部オリジナルを展示している大聖堂付属のラピダリオ(石碑・石彫博物館)と博物館を見学して,次の便を待った.
12時9分のマントヴァ行きの各駅停車は1時半近くにマントヴァに着いた.やはり,諸教会は昼休みに入っていた.昼休みのないサン・ジョルジョ城の「新婚夫婦の間」のマンテーニャのフレスコ画を観るべく,券売所に並んだが,予約が必要で,次の4時の回を予約すると,乗車券購入済みのボローニャ発のイタロには間に合わない.残念だが諦めて,公爵宮殿(パラッツォ・ドゥカーレ)のみを見学することにした.
公爵宮殿では,前回あまり注目しなかった絵画館所蔵の作品を比較的丁寧に観て,作者,作風を確認した.ここの古代石棺のコレクションを観て,以後,この種の芸術に開眼したので,記憶に深く刻まれている場所だ.今回も「メデイアの物語」の浮彫のある石棺などをしっかり確認することができた.
歴史的旧市街(チェントロ・ストーリコ)から駅までは少し距離があるので,速足で向かい,モデナ行きの各駅停車に乗った.
写真:
メデイアの浮彫
モデナで,本来は乗れないはずの一本前のボローニャ行きの各駅停車に乗ることができて,ボローニャで少し時間ができたので,今期まだ拝観できていないサン・ドメニコ教会に向かった.
駅からは教会まではだいぶ距離があるので,往復の時間を除くとゆっくり拝観する時間はなかったが,グイド・レーニのフレスコ画「栄光のサン・ドメニコ」,ミケランジェロが一部担当した部分もあるニッコロ・デッラルカ作の大理石の聖櫃,ジュンタ・ピザーノの彩色板絵の磔刑像と再会を果たし,急いで駅まで戻って,フィレンツェに向かうイタロに乗り込んだ.
3月30日 フィレンツェ考古学博物館
30日はフィレンツェで,ウフィツィ美術館のところからアルノ河畔を少し遡ったところにある,「ミゼリコルディアの親方」作とされる「聖母子」を祀っているサンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ祈禱堂を拝観し,その後,考古学博物館で特別展を観た後,これまで今期3回の見学で,時間切れのため果たせていなかった,アッティカ式赤絵陶器をしっかり鑑賞して辞去した.
3月31日 市内のなじみの教会
31日は,特別展に出張していたポントルモの祭壇画「キリスト降架」がカッポーニ礼拝堂に戻ったサンタ・フェリチタ教会と,サン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会を拝観した.
4月1日 4度目の復活祭
4月1日は今期2度目の復活祭で,10年前の滞在と同様,1年の滞在期間中に2度ずつ復活祭を経験することとなった.
昨年は山車が倉庫から出てくるところから最後までしっかりと行事等は見たので,今回は,翌日帰国に向けて荷造りと部屋の掃除に注力し,お昼から柳川邸に招かれ,引退後イタリアに活動拠点を置いておられるOさんご夫妻と一緒に,美味なるプーリア風パスタをごちそうになった.
柳川邸を辞去し,Oさんご夫妻とわかれた後,帰路にある
サヴォナローラ広場
の
サン・フランチェスコ教会
を初めて拝観した.ドメニコ会のサン・マルコ修道院長だったサヴォナローラの失脚の口火を切ったのはフランチェスコ会の修道士たちだったので,広場も教会も後世の新しいものとは言え,ブラック・ユーモアに思え,以前から気になっていた.
1932年に献堂された新しい教会に,特にこれと言った芸術作品があるわけでもなく,新しい祭壇画,ステンドグラス,浮彫彫刻などを見せてもらいながら,堂内で静かな時間を過ごし,また歩き始めた.
途中,フレスコ画や彫刻のあるタベルナコロを眺めながら,サンティ・ジューダ・エ・シモーネ教会を拝観し,相変わらず「ミゼリコルディアの親方」の「聖ペテロ」は外されたままだったが,堂内の芸術作品をしっかり確認し,可能な限り写真に収めた.
翌日の4月2日,柳川さんに車で送っていただき,ペレトーラ(アメリゴ・ヴェスプッチ)空港を発ち,ローマで乗り換えて,4月3日に無事,帰国した.
サンフランチェスコ教会の前で
サヴォナローラが十字架を掲げる