フィレンツェだより第2章
2018年1月25日



 




グエルチーノ「聖ロムアルドゥス」(部分)
ラヴェンナ市芸術博物館



§ラヴェンナ行

エミリア=ロマーニャ州の諸都市について,フィデンツァ,フェッラーラ,ピアチェンツァ,パルマと報告してきたが,今期この他に,ラヴェンナに1回,ボローニャに3回行っている.


 通算4回目の訪問となるラヴェンナについて,これまでの報告に加えるべき要素はそれほど多くない.ついては簡単に言及するにとどめ,ボローニャで新たに見たものを中心に報告して,エミリア=ロマーニャの諸都市訪問報告は一区切りとする.



 帰国まで2カ月ちょっとだが,行くべき場所,観るべきものに優先順位をつけて予定を組んだところ,ちょっと体力勝負の様相を呈してきた.未報告の事項はたくさんあるのに,それを更に増やすのにエネルギーを注ごうという訳だ.

 ロンバルディア州では,ミラノ,モンツァ,パヴィア,マントヴァに,ヴェネト州ではヴェローナに2回,パドヴァに1回行っているが,おそらく,こちらにいる間に,これらの都市についてまとめるのは無理だろう.2月にはヴェネツィアに2泊3日で行く予定もある.

 ピエモンテ州はトリノだけだが,この町には日帰りで2回行った.カンパーニャ州もナポリだけだが,2泊3日で2度行き,3月に知人たちともう一度行くことになっている.

 2泊3日で行った最初のローマ行の報告は済ませたが,その後,12月に2泊3日,1月に3泊4日で行っている.その上,3月にまた2泊3日で行ってくる.

 ウンブリア州については,2月にスポレートに2泊3日,ペルージャに2泊3日,トスカーナ州については,やはり2月にモンタルチーノに1泊2日,ピエンツァに1泊2日で行ってくる.

 イタリア以外では,コペンハーゲンの報告がまだだし,明後日にはミュンヘンに行く.

 どの町についても,すぐにでも報告をまとめたいが,「フィレンツェだより」だけに注力している状況ではないので,3月までにあと何回か報告を重ね,残りについては,帰国後に少しずつまとめていきたい.

 小旅行以外にも,未報告のトスカーナの町々,これまで未拝観だったフィレンツェの諸教会など,書きたいことはたくさんある.帰国してからも,報告はしばらく続くことになるだろう.


ラヴェンナ日帰り旅行
 今回のラヴェンナ行で今までと特に違ったのは,往復にローカル線を使って,なおかつ日帰りしたことだろう.

 2007年9月26日の初訪の際は,当時の高速特急ユーロスターでボローニャまで行き,そこからローカル線に乗り換えてラヴェンナまで行き,1泊し,翌27日は,ラヴェンナからフィレンツェまで直通のローカル線(ファエンツァで山中に進路を変える)で帰って来た.

 今回(7月4日)は,5時24分にフィレンツェ・サンタ・マリーア・ノヴェッラ駅を出る早朝の便に乗った.ボルゴ・サン・ロレンツォを通る山間を行くローカル線で,プラート,ボローニャは経由しない.

 7時16分にファエンツァに着き,ファエンツァを7時52分に出て,8時24分にラヴェンナに着いたので,丁度3時間の旅だ.7月の5時過ぎはもう明るいので,早起きが苦でなければ,経済的にも時間的にも,まずまず効率が良い便と言えよう.

 ボローニャまでフィレンツェ6時発のフレッチャロッサを使えば,8時5分にはラヴェンナに着くので,これが時間的には一番効率が良いが,コストの面では片道27.5ユーロかかる.一方,ボルゴ・サン・ロレンツォ経由,ファエンツァ乗り換えのローカル線だけの場合は11.95ユーロと,その半分もしない.

 また,ボローニャ乗り換えのローカル線の場合は14.55ユーロで,3時間半以上かかるので,コスト,時間の両面でボルゴ・サン・ロレンツォ経由のローカル線に負ける.

 7月のダイヤは2018年1月25日現在まだ変わっていないが,今後はどうなるかわからない.しかし,ローカル線自体は,途中は生活路線となっており,利用者もまずまず多かったので,当面無くならないのではないかと思う.フィレンツェからラヴェンナまで利用する人の数は把握していないが.

 帰りは17時22分にラヴェンナを出て,ファエンツァ,ボルゴ・サン・ロレンツォを経由するローカル線に乗り,乗り換えなしでフィレンツェに20時22分に着いた.多分,これが10年前にも利用した電車だったと思う.

 その時と違うのは,午後8時を過ぎてもまだ明るいうちにフィレンツェに着いたことと,おそらく,ボルゴ・サン・ロレンツォから先は,行きとは別のシエーヴェ川沿いに南下する線路で,ヴィッキオ,ポンタッシエーヴェ(ここでシエーヴェ川はアルノ川に合流する)を経由してフィレンツェに着いたと思う.

 正確には覚えていないが,行きの3時間より,帰りが相当長く感じられたので,現在ネット上の時刻表にある電車と同じなのかどうかは確信がない.


再訪した場所
 今回は共通券を購入して,サンタポリナーレ・ヌォーヴォ聖堂,サン・ヴィターレ聖堂,ガラ・プラキディア霊廟,ネオニアーノ洗礼堂,大司教博物館を拝観,見学し,大聖堂,サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会も拝観した.これらは全て再訪だ.

 郊外のサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂には行かなかった.日帰りの旅でここを予定に入れるのは,さすがに難しい.市内でもアリアーニ礼拝堂は見なかったし,サン・フランチェスコ聖堂は昼休みで閉まっていた.

 2014年3月24日の3回目のラヴェンナ訪問で初めて,大司教博物館のサンタンドレーア礼拝堂のモザイクを観て,感銘を受けたが,今回も「マクシミアヌスの司教座」とともにラヴェンナの至宝に思えた.

 ただ,相変わらずこの博物館は写真厳禁で,実を言うと,確認を怠って,うっかり数枚写真を撮ってしまったのだが,多くの見学者が一眼レフの立派なカメラやスマホで撮影するたびに係員から注意を受けていたので,厳禁であることは明らかだった.当分は写真の紹介は難しいと思う.


写真:「アニェッロ司教の説教壇」  右)浮彫部分を拡大


 大司教博物館には元々はラヴェンナのサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会にあった古代後期(6世紀から7世紀)の説教壇があり,後世のものとは違うこの時代と地域に独特の形状とロマネスクに遥かに先行する浮彫が面白い.

 それとよく似た説教壇が大聖堂にもあるので,ここではその「アニェッロ司教の説教壇」(557-570年)の写真を紹介する.

 このタイプの説教壇はフェッラーラの司教区博物館でも観ており,エミリア=ロマーニャ州でも東部のロマーニャ地方(フェッラーラはこの地方には数えられないようだが近い)に多いと思われるが,他に実例を知らないので保留する.

 今回,特に司教座の浮彫が素晴らしく思えたので,ともかくしっかり見たつもりだが,なかなか記憶に留めることが難しい.それに比べれば,大きさのせいか,モザイクの方は比較的記憶に残っているように思う.

 この博物館には,他にも素晴らしいモザイク断片,彫刻があり,やはり必見であろう.

 今回のラヴェンナ行では,ラヴェンナ市芸術博物館に寄ることができ,ピアチェンツァの特別展で観られなかったグエルチーノの「聖ロムアルドゥス」(トップの写真)と,ほぼ10年ぶりの再会を果たせた.

 しかし,残念なことに,私が特に見たかったルネサンス以前の絵画や彫刻のコーナーはこの期間は閉鎖中で,係員に尋ねると,10月からはまた公開するのでインターネットで情報を確認の上,また来いとのことだった.

 「10月から再開」という言葉が今一つ信じられなかったので,再訪は計画しなかったが,時間がとれれば是非,ゴシック,国際ゴシックの小品群,トゥッリオ・ロンバルド作の石棺彫刻「グイダレッロ・グイダレッリ像」を見たいと思う.


初めて見学した場所
 ラヴェンナ市芸術博物館の隣にある大きな教会,サンタ・マリーア・イン・ポルト聖堂は未拝観だったが,今回は最初に行ったので,比較的余裕を持って拝観することができた.

写真:
サンタ・マリーア・
イン・ポルト聖堂


 パルマ・イル・ジョーヴァネの「聖マルコの殉教」もあったが,概ね,エミリア=ロマーニャの17世紀の中堅画家の作品が多いように思えた.

 その中で,一つの礼拝堂に地味に飾られていた「ギリシアのマドンナ」と通称されるオランスの姿の聖母には本当は注目すべきだった.かろうじて写真は撮ったが,残念ながら遠くて暗くて,良く写っていない.

写真:
「ギリシアのマドンナ」
サンタ・マリーア・イン・ポルト聖堂


 431年のエペソスの公会議以前の作品で,1100年にコンスタンティノープルからイタリアに到来し,1570年以降,この教会に飾られているという経緯が本当なら,これだけの古典的な均整を見せているので,古代彫刻の伝統を受け継ぐ貴重な作品ということになる.

 しかし,古代後期の作品がこれだけきれいに残っていることに若干の疑問も感じるので,少し勉強してから真偽は判断したい.

写真:
サンタ・マリーア・
マッジョーレ聖堂


 他にも街中の小さなサンタ・マリーア・マッダレーナ教会,サン・ヴィターレ聖堂のすぐ隣のサンタ・マリーア・マッジョーレ教会を拝観することができた.

 サンタ・マリーア・マッダレーナ教会は1750年完成の遅いバロック様式であり,堂内の祭壇画も早くて17世紀末,概ね18世紀に活躍した画家たちの作品である.

 一方,サンタ・マリーア・マッジョーレ教会は6世紀に献堂され,9世紀から10世紀のラヴェンナに特徴的に見られるシリンダー型の鐘楼があり,ロマネスク以前の古格を遺している教会と言えよう.

 ただし,本堂は古い形を遺しながら,17世紀後半に今の姿になったようで,堂内はやはりバロック風である.

 堂内には,イオニア式の古代柱頭を加工した聖水盤,ラヴェンナ風の古代後期のキリスト教石棺が2つ,中央祭壇にボローニャの後期ゴシックの画家シモーネ・デ・クローチフィッシ風の彩色板絵磔刑像,それと名前が明らかではない多分17世紀以降の油彩祭壇画数点あった.サンタ・マリーア・マッジョーレ教会に関してはあまり情報がないので,それらについて詳しいことは分からない.

 堂内の側壁祭壇(ファッチャータ・ア・サリエンテで,堂内は三廊式だが,サイド・チャペル型の礼拝堂はない)に飾られていたジュンタ・ピザーノ風の小さな彩色板絵磔刑像は,あまりにも綺麗で,どこにも言及がないので,最近あちこちの教会で見られるコピーのような気がする.

 一作だけ伊語版ウィキペディアの情報により,地元の大物画家ルーカ・ロンギの作品と分かっている「牢獄で聖アグネスと出会う聖パウロ」があったが,写真はよく写らなかったし,元々絵もそれほど良いとは思えなかった.



 今回のラヴェンナ行では大司教博物館の諸作品が最も良かったのだが,残念ながら,写真を使って紹介できないので,前回までの報告にあまり加えることがない.

 最初,ボローニャの報告への導入部にしようと思って書き始めたが,たまには短い報告もあっては良いのではないかと思い直し,ラヴェンナだけでまとめることにする.

写真:
ポポロ広場に立つ
守護聖人の像


 小旅行のお昼は,見学・拝観に夢中になって食べるタイミングを逸してしまうことが多いが,今回は4度目の訪問で気持ちに余裕があったので,大聖堂からサン・ヴィターレ聖堂に向かう途中,たまたま通りかかったポポロ広場でワイン付き15ユーロの豪華昼食をいただいた.

 この広場には花崗岩製の円柱が2つあり,その最上部には,市庁舎に向って左側に司教聖人アポリナリス,右側には兵士姿の殉教者ウィタリス(サン・ヴィターレ)のブロンズ像がある.かつて右側の円柱には,1507年に教皇領に編入されるまでヴェネツィアの支配を受けていたので,サン・マルコのライオンがあったらしい(伊語版ウィキペディア).

 いつ頃のものという情報は今のところ得られていないが,アポリナリスの円柱の台座には一周するように,様々な動物に跨る有翼のプット―,ウィタリスの円柱には黄道十二宮の浮彫があった.一応,写真に収めたので,例によって,天秤座の浮彫を紹介して,今回のラヴェンナ行の報告を終わりたい.

 まだ,サン・ヴィターレ聖堂に付随する旧ベネディクト会修道院にある国立博物館に行っていないので,可能なら,もう一度ラヴェンナに行くつもりだが,見通しは立っていない.







ラヴェンナと言えばモザイクなのに
今回はモザイクの写真は1枚も無し
最後は黄道十二宮の浮彫