フィレンツェだより第2章
2017年10月22日



 




バーニョ・ア・リーポリ
フィレンツェのドゥオーモのクーポラが見える



§8月2日以降の活動報告

一カ月ほど日本に戻っていて,イタリアでの活動は一時停止状態だった.それなら,その間,追いついていない報告をどんどんまとめれば良さそうなものであるが,なんやかんやで,そういう訳にもいかず,結局,「フィレンツェだより」も一時お休みとなった.


 いつ報告が追いつくか見通しは全く立たないが,取りあえず,いつものように活動報告を簡単にまとめて記し(8月1日まで報告済み),その中の幾つかの訪問地については,時間の余裕ができたときに,それぞれ別途,報告をまとめることにする.

 なお,執筆活動を休止していたのは「フィレンツェだより」だけでなく,仕事も同様で,今後はそちらの進行を優先させるため,頻繁な更新はできないと思うが,それでも少しずつは報告を重ねていきたい.


8月2日,バーニョ・ア・リーポリのオステリア・ヌォーヴァ地区
 寓居前のバス停ヴィーア・デッレ・カッラから8時20分の23番のバスに乗り,終点のソルガネ(第1音節にアクセント)まで行き(9時着),そこで近くのバス停ソルガネ・ピアッツァ・ロドリコから24番のグラッシーナ行き(9時15分発)に乗り換え,途中のバス停オステリア・ヌォーヴァ(9時27分着)で降りた.

 目当ては,そこから3分ほど歩いたところにあるサン・ジョルジョ・ア・ルバッラ教区教会で,ここにはタッデーオ・ガッディ作の彩色板絵の磔刑像がある.

 教会は開いていたので無事に観ることができたが,私が見終わった後で,管理している方が扉を閉めたので,時間ぎりぎりの拝観だった.

写真:
タッデーオ・ガッディ作
彩色板絵の磔刑像



8月3日,グラッシーナ地区
 ヴィーア・デッレ・カッラから,前日と同じ時刻のバスでソルガネに向かい,やはり同じバスに乗り換えて,今度は終点のグラッシーナ地区まで行った.ここもソルガネやルバッラ同様,基礎自治体としてはバーニョ・ア・リーポリに属している.

 ここに行きたいと思ったのは,パンツァーノ・イン・キアンティ(7月21日),グレーヴェ・イン・キアンティ(同29日)に行った際に,バスの車窓から川の向こう岸に,一見古くて由緒ありそうな教会が見えたからだ.

 キャンティの諸地区に行った時は別のバス会社の,サンタ・マリーア・ノヴェッラ駅近くのアウトスタツィオーネ発のバスに乗ったが,グラッシーナにはATAFのバスで市内料金のバス券で行くことができた.

 ソルガネからグラッシーナに行くバスは,行き帰り共に1時間に1本あることは分かっていたので,クローチェ・ア・ヴァルリアーノで一旦下車した.前日,この付近で,教会の方向を示す標識を車窓から見かけて気になっていた.

 そこから紆余曲折しながら山道を歩いて,サント・ステーファノ・ア・パテルノ教会の前にたどり着いたが,扉は閉まっていた.

 実は目指したのはこの教会ではなかったが,その先をしばらく行っても,目指す教会とは方向違いであることに納得できたので,炎天下だがフィレンツェ市街を遠望できる風景を楽しみながら,バス停まで戻った.

 それでも未練がましく別の道を探すと,近くにバス停名の由来にもなっているサンタ・クローチェ・ア・ヴァルリアーノ祈禱堂があり,扉が開いていたので拝観させてもらった.

 堂内に特別な芸術作品があるわけではないが,13世紀の創建で,外観はロマネスクとゴシックの特徴を遺す古格に満ちた姿で,拝観できて良かった.

写真:
サン・ミケーレ・
アルカンジェロ教会


 たどり着けなかった教会も気にはなったが,なるべく早く寓居に戻りたかったので,グラッシーナ行きのバスに乗った.

 この時点までに複数回バーニョ・ア・リーポリに行っているので,途中見覚えのある風景もあったが,それは後日整理することにする.終点のグラッシーナで降りると,もう一つの目当てのサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会に急いだ.

 由緒は古いようだが,おそらく20世紀の再建で,伊語版ウィキペディアに名前は挙がっているが,立項されておらず(2017年10月8日参照),詳しいことはわからない.ファサードにロンバルディ帯があるので,全体としてはネオ・ロマネスク様式で,鐘楼にもロンバルディア帯があるが,概ねネオ・ゴシック様式と思われる.

 堂内には,作者は不明だが,ゴシックか,新しくても国際ゴシックか初期ルネサンスの,金地板絵の「授乳聖母子と修道女姿の寄進者」を描いた祭壇画パネル,マニエリスム以降のカンヴァス油彩画と思われる「アンブロシウスから洗礼を受けるアウグスティヌス」があった.

 管理を担当しておられる高齢の女性がおられて,ファサード裏の新しい宗教画がピエトロ・アンニゴーニの作品だと教えて下さった.この方は金地板絵の祭壇画パネルがよく見えるように照明を点けて下さるなど,様々な配慮をして下さったが,もう閉める時間だったようなので,喜捨をして出ると,扉を閉め,帰宅の途につかれた.

 フィレンツェのサン・マルコ広場に向かう31番のバスが12時10分を少し待って,フィレンツェに帰った.


8月4日,3日連続バーニョ・ア・リーポリへ行く
 3日連続で,同時刻発の同じバスに乗り,やはりクローチェ・ア・ヴァルリアーノのバス停で降りて,前日帰宅後,グーグル・マップでしっかりルートを確認したサン・ロレンツォ・ア・ヴィッキオ・ディ・リマッジョ教会を目指した.

 眼下にフィレンツェ市街が遠望できるので,山奥と言うほどではないが,殆ど人家も無く,上がり下がりの激しい山道を不安な気持ちで歩いた.

写真:
リマッジョのタベルナコロ
フレスコ画はニッコロ・ディ・
ピエトロ・ジェリーニ作
「聖母子と聖人たち」


 途中,道の傍らに「リマッジョのタベルナコロ」と呼ばれるタベルナコロがあった.

 フレスコ画が描かれた壁をイオニア式の柱頭を持つ2本の柱が支える瓦屋根が覆っているだけの簡素なタベルナコロで,14世紀末から15世紀初めに描かれたであろう絵が,言って見れば雨ざらしに近い状態で良く残っているものだと思った.フレスコ画はニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ作「聖母子と聖人たち」である.

 もしかしたらオルカーニャに帰せられるかも知れない「聖母子」やチェンニ・ディ・フランチェスコ作のフレスコ画もあるという情報を得ていたので,人里離れた山中の教会が,午前中とは言え平日に開いているのは期待薄だと思いながら,炎天下,ともかく気合を入れながら,山道を急いだが,目当ての教会はやはり開いていなかった.

 掲示板にあった案内パンフレット(これがあるということは観光対応もしていると言うことだと思う)を,喜捨をしていただき,来た道をバス停まで戻った.途中,もちろんリマッジョのタベルナコロを再度鑑賞した.

 教会近くには,きちんと管理されたそれなりの規模の墓地もあり,バルジェッロ博物館にあるミケランジェロのトンドの浮彫の聖母子のコピーが道しるべになってもいたので,「人跡果つる」と言うほどではないし,大都市フィレンツェ近傍の地域なので,拝観のチャンスが全くないとは言えないが,今のところもう一度行く気力はない.

 この日はまだ気力が残っていたので,もう一回グラッシーナ方面行きのバスに乗り,途中で降りて,坂道を登り,サンティ・クィリコ・エ・ジュリッタ・ア・ルバッラ教会に向ったが,扉は開いていなかった.

 ファサードの前の小さな空間から,遠くにフィレンツェの町が見えた.しばらく日影に座って,風に吹かれた.

 外観にロマネスクが残るこの教会の堂内には,サン・クィリコ・ア・ルバッラの親方(場合によってはクローチフィッソ・コルシの親方に同定)の彩色板絵の磔刑像(1330年)があり,他にも後期ルネサンスの画家ドメニコ・プーリゴに帰せられる「聖母子」,マニエリスムからバロックに移行する時代の画家フランチェスコ・クッラーディの「神を賛美する聖人たち」,聖具室にベルナルド・ダッディ工房制作の小さな「授乳の聖母子」(14世紀前半)があるようだ.

 見られるものなら見たいが,多分無理だろう.ミサの予定なども掲示されていなかった.バスの時間が迫ったので坂道を降り,フィレンツェに戻った.


8月5日,サン・サルヴィ修道院の旧食堂博物館
 土曜日はサン・サルヴィ修道院の旧食堂博物館の公開日だったので,教会も拝観できるかもしれないという期待も込めて,バスで行ったが,教会は開いていなかった.

 教会が開いていないときに,代わりに儀式に使われる祈禱堂を拝観し,博物館でアンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」などを丁寧に鑑賞して帰宅した.


8月6日,パラティーナ美術館
 毎月第1日曜日は国立の美術館,博物館が入場無料なので,パラティーナ美術館に朝の8時半から入場して,夕方の5時近くまで鑑賞した.今期3度目でようやく,好きな絵であるボッティチェリ作とされる「聖母子と幼児の洗礼者ヨハネ」が戻っているのを確認した.


8月8日,モンテルーポ,カプライア
 近くのポルタ・アル・プラート駅からエンポリ行きの電車に乗ってモンテルーポに行った.

 サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教区教会を拝観した後,丘の上のロマネスク教会であるサン・ロレンツォ教会に行き,開いていなかったので外観だけ見て,周辺地域やアルノ川の対岸の急峻な丘の上になっている町カプライアにも足を延ばした.

 モンテルーポに関しては,後日報告をまとめたい.

写真:
川沿いの小さな丘の町
カプライア



8月9日,バーニョ・ア・リーポリのヴィッラマーニャ地区
 サン・ドンニーノ教区教会を拝観すべく,またバーニョ・ア・リーポリに行った.

 ヴィーア・デッレ・カッラを9時12分に出る23番のバスに乗り,終点のソルガネ近くのクローチェのバス停で降り,ソルガネ・ピアッツァ・ロドリコのすぐ近くだが,それとは別のロドリコのバス停から48番のバスで終点のヴィッラマーニャまで行った.

 途中,複数の教会の外観を見たり,山中の景色を楽しんだ.しかし,終点から同じバスで引き返さないと,次は2時間くらい待たないといけない.もちろん,教会の拝観が叶えばその覚悟だったが,幸か不幸か教会の扉は開いていなかったので,同じバスでロドリコまで戻り,乗り換えてフィレンツェに戻った.

 サン・ドンニーノ教区教会にはマリオット・ディ・ナルドの多翼祭壇画の他,興味深い芸術作品があるということなので,拝観できなくて残念だったが,正真正銘のロマネスクの鐘楼はしっかりこの目で見たので良しとする.

写真:
サン・ドンニーノ教区教会



8月11日,ボローニャ
 プラート・チェントラーレ乗り換えのローカル線でボローニャに行き,念願だったサンタ・マリーア・デイ・セルヴィ教会のチマブーエの板絵マエスタ型の「聖母子」を観た.幾つか初めての教会も拝観し,市立芸術コレクション,中世博物館も見学した.

 ボローニャに関しても,別途報告をまとめる.


8月12日,朋来る
 京大の時の後輩で,阪大教授の五之治昌比呂君が遊びに来くれたので,空港まで迎えに行き,翌13日はサンタ・トリニタ教会,14日はギルランダイオの「最後の晩餐」が公開される月曜日だったので,オンニサンティ教会を案内した.


8月15日,ピストイア
 15日は五之治君が一人でラヴェンナ,フェッラーラに向ったので,電車でピストイアに行った.

 予定した教会は見られなかったが,本来はサン・ジョヴァンニ・フオーリチヴィタス教会にあるルーカ・デッラ・ロッビア作「エリザベト訪問」が,アメリカの特別展から戻って来て,近くのサン・レオーネ教会で特別展示(入場無料)されていた.

 サン・レオーネ教会は普段は非公開なので,ロッビアの作品とともに,堂内の装飾壁画もしっかり鑑賞した.

写真:
ルーカ・デッラ・ロッビア作
「エリザベト訪問」



8月16日,フリーニョ旧修道院食堂博物館
 16日は水曜の公開日だったので,長い休館から再開したフリーニョ旧修道院食堂博物館に五之治君を案内し,ペルジーノ下絵のフレスコ画「最後の晩餐」を一緒に鑑賞した.10年前は管理の高齢男性が厳しく,写真厳禁だったが,ここも撮影できるようになっていた.

 その後,高橋教授が阪大のご出身なので,何かの縁(共同研究など)もあろうかと,3人でイエローバールで昼食をともにした.昼食後,五之治君はローマに向い,数日滞在してオスティアなどを見学した後,帰国した.


8月17日,再びピストイア
 前々日に見ることができなかった特別展「ジョヴァンニ・ピザーノ展」を見学し,会場の向かいのサンタンドレーア教会で,ジョヴァンニ・ピザーノ説教壇を長い時間をかけて鑑賞した.

 今期,ピストイアに既に6回行っているので,これに関しても,後日報告をまとめる.


8月18日-26日,市内あちこち,そしてピサ
 18日は市内で10年ぶりにヴェッキオ宮殿を見学,19日はオンニサンティ教会,22日はサンタ・マリーア・ノヴェッラ聖堂,23日はサン・ロレンツォ聖堂とラウレンツィアーナ図書館の特別展,25日はピサに行き,26日はサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂とサン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会を拝観した.


8月28日,市内を案内する
 28日はゼミの卒業生(学部総代で卒業された)で他大学の職員をしておられるS氏がご母堂と一緒にフィレンツェに来られたので,午前中,オンニサンティ教会と旧食堂博物館,サンタ・トリニタ聖堂,オルサンミケーレ教会,サンタポローニア旧修道院食堂カスターニョ博物館,スカルツォ旧修道院回廊,サンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂を案内した.


8月29日,指紋押捺
 4月に提出した滞在許可申請の手続きで警察に出頭する日だったので,朝8時に地方警察(クェストゥーラ)に行った.

 指定時間より4時間以上早く並んで(早く行って並ぶようアドヴァイスをもらった),指定の12時半過ぎに窓口に到達し,午後に再度,指紋押捺に来るように指示され,全て終わって帰宅したのは夕方の5時過ぎだった.

 途中で知り合った声楽家志望の日本人の若者と話をしていて退屈しないで済んだ.話している途中に,ご母堂が私の高校の後輩と大学で同期だったことがわかり,驚いた.是非,自己実現を果たしてほしい.


8月30日,帰国の途につく
 30日にフランクフルト経由のルフトハンザ機に乗り,翌31日に帰国した.

 日本にいる間,通勤定期も無いので,勤務先へは研究費処理と一時帰国届けと,ゼミ説明会のために3回だけ行った.

 やや羊頭狗肉の「レオナルド×ミケランジェロ展」を三菱一号館美術館で見て,2回オペラ(バイエルン国立歌劇場来日公演)を聴きに東京に行った以外は特筆すべき活動はなく,多くの時間は2匹の猫を含む家族とともに過ごした.


10月2日,フィレンツェに戻る
 10月1日に成田に前泊し,2日発のローマ経由のアリタリア航空便でフィレンツェに戻った.4月の時のような「眦を決した」感はないが,あと半年,この機会を活かして,さらに多くの見聞を積み重ねていきたいと思う.

 アリタリアよりも割安な航空チケットがルフトハンザやエールフランスで取れたが,滞在許可申請中にイタリア以外のシェンゲン協約国経由で再入国しようとすると,認められないケースが稀にあるようなので,安全策をとってローマで入国審査を受けることを選択した.

 ローマでは期間内のヴィザに関しては質問を受けたが,滞在許可は申請中である旨を告げると,特に証明は求められなかった.


10月3日-5日,市内あちこち
 3日はサンタ・マリーア・デル・カルミネ教会とサン・フレディアーノ教会を拝観し,4日は午前中にたまたま開いていたサン・パオリーノ教会を拝観した後,ストロッツィ宮殿で開催されている特別展「フィレンツェの1500年代」を見学した.これについては前回報告した.

 5日はオンニサンティ教会,サンタ・フェリチタ教会,サン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会,オルサンミケーレ教会を拝観した後,火曜日と木曜日の2時半から公開されるという情報を得て,サンタ・マリーア・マッダレーナ・デイ・パッツィ修道院のサーラ・ディ・ペルジーノで,ペルジーノのフレスコ画(下の写真)をようやく鑑賞することができた.

 これに関しては,この後に丁寧に拝観したサンタ・マリーア・マッダレーナ・デイ・パッツィ教会と合わせて,別の機会に報告できればと思うが,最近,美術館で有名な作品を観てもあまり感動しなくなったペルジーノの真の天才性を知ることができたように思え,感動したことだけ言い添えておく.

 思い込みかも知れないが,気力の充実が現れ,ペルジーノにしてはめずらしく深い精神性を湛え,人間の持つ寂寥感に深く切り込んだ作品に思えた.





10月6,7日,モーツァルト・チクルス
 フィレンツェ歌劇場のオケによるモーツァルト・チクルスの演奏会が10,11月にわたって,ピッティ宮殿のサーラ・ビアンカ(白の広間)で行われる.

 4人の指揮者による4種類の選曲のコンサートが複数回あるが,プログラムが重ならない4回を10月に2回,11月に2回を選んで,インターネットでチケットを購入していたので,6日と7日は,そのうちの2回を聴きに行った.残り2回は11月にある.

 モーツァルトのディヴェルティメント・ニ長調(日本語ウィキペディア「ディヴェルティメントK.136」が詳細で驚く)とか,交響曲25番とか有名曲もあるが,ヨハン=クリスティアン・バッハ,カール=フィリップ=エマーヌエル・バッハの他,プロイセン王フリードリッヒ2世の曲も演奏された.

 フリードリッヒ2世の曲シンフォニア・ニ長調が信じ難いくらい良くできていたので驚いたが,名前も知らなかった,もともとドイツ人で,主としてフランスで活躍したリーゲルという作曲家のシンフォニア4番が名曲だった.フランスが活動の場だったからか,個人名はプログラムにはハインリッヒ=ヨーゼフではなく,アンリ=ジョゼフとあったのに,姓に関しては,曲を解説した指揮者はリジェールではなくリーゲルと発音していた.

 大バッハの子どもたちも,ハイドン,モーツァルトも,元々は宮廷が活躍の場であった.絵画においても元々は教会が中心でも,17世紀,18世紀は宮廷に君臨する君主が重要な顧客であった.16世紀には既にその傾向が顕著であったことは,前回報告したストロッツィ宮殿の「フィレンツェの1500年代」にも明らかだろう.

 ハイドンは晩年,田舎の大貴族の庇護を脱して,ロンドンで成功を収め,モーツァルトもウィーンで市民階級の支持による成功を希求したが,出発点は教会と宮廷であった.

 今回,わずか15ユーロで,本物の宮殿でプロの演奏家の演奏を聴くことができた.古楽器なら音量がちょうど良かったとは思うが,モダン楽器でも演奏水準が高いので,気持ちよく聴くことができた.フィレンツェならではの体験に思える.11月の残り2回も楽しみだ.

写真:
ピッティ宮殿
サーラ・ビアンカ
(白の広間)での演奏会


 6,7日のコンサートは夕方だったので,その前に,6日はサンタ・マルゲリータ・イン・サンタ・マリーア・デイ・チェルキ教会,サンタ・マルゲリータ・イン・サンタ・マリーア・デイ・リッチ教会,7日は午前中にサンタ・トリニタ教会とサン・ビアージョ教会,夕方ピッティ宮殿に向かう道すがら,サン・セバスティアーノ・デ・ビーニ祈禱堂を10年ぶりに拝観した.土曜日の16時30分から18時くらいまでの公開だと管理の方がおっしゃっていた.


10月8日,買い物がてら
 自宅で仕事の一日だったが,ガリアーノ通りの大型スーパー,エッセルンガに買い物に出かけた.

 途中,寓居に鐘楼の鐘の音が聞えてくるサン・ヤコピーノ教会を拝観した.献堂も1936年と新しいが,第2次世界大戦の爆撃に遭い,現在はロンバルディア帯のファサードが印象に残るネオ・ロマネスクの現代建築の教会である.

 堂内には,かつて旧市街にあり廃絶したサン・ピエール・マッジョーレ教会の18世紀末の磔刑彫刻や,ヤコポ・ヴィニャーリ工房による「ロザリオの聖母子とドメニコ会の聖人たち」(17世紀)以外に目を引く芸術作品はないが,日曜のミサに地元の若者たちを集める宗教活動の盛んな教会である.

 意を決して行ったエッセルンガは休みで,その向かいにある10年前は別の名前の量販店だったカーザ・リスパルミオで練り歯磨きや洗剤を買って帰宅した.


10月9日,納税者番号(コーディチェ・フィスカーレ)取得
 秋の音楽シーズンが始まり,10年前に何度も通って名演奏を堪能したペルゴラ劇場は垂涎の演奏会が目白押しなので,早速インターネットでチケットを買おうとしたら,納税者番号(コーディチェ・フィスカーレ)の入力が必要だった.

 納税者番号は様々な意味で必要なものなので,遅まきながら取得するべく,サンタ・カテリーナ・ダレンサンドリーア通りにあるアジェンツィーア・エントラータという役所に行った.

 滞在許可に比べれば,何倍もストレスが少なく,簡単に手続きができた.ついでに役所の向かいにあるサン・ジュゼッピーノ教会と,さらにそのはす向かいにあるノストラ・シニョーラ・デル・サクロ・クオーレ教会を拝観して帰宅した.

 前者はネオ・ゴシック,後者はゴシック風を意識しつつギリシア神殿の特徴も取り入れた新古典主義建築の新しい教会で,それぞれ10年前にも1度拝観している.

 前者のファサードのリュネットの浮彫「ピエタ」はルネサンス風で立派だが,ルイージ・カルテイと言う彫刻家の1859年の作品である.後者にも,これはフランチャビージョの絵だろうと興奮しながら観たルネサンス風の「聖家族と幼児の洗礼者ヨハネ」があったが,18世紀の新しい作品とのことだ.


10月10日,シエナ行
 今期はまだ見ていないサン・ベルナルディーノ祈禱堂の司教区博物館を見るべく,シエナに行った.ロレンゼッティ兄弟の作品は特別展出展のため外されていたが,シエナ派を十分に堪能できた.

 サン・マルティーノ教会のベッカフーミの祭壇画の前で日本人の長身男性に声をかけられた.ベッカフーミの魅力に共感できる方と出会えて嬉しかった.

 時間に余裕が無くて拝観しなかったが,大聖堂の拝観料が4ユーロから7ユーロに上がっていたので,もしかしたら,床装飾の普段未公開部分が公開されたのかも知れないし,サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ救済院でロレンゼッティ兄弟の特別展が開催されるようなので,シエナには改めて行こうと思っている.


10月11日,カルミニャーノ,プラート行
 ピアッツァ・レオポルダのバス・ターミナルからポッジョ・ア・カイアーノ行きのバスに乗り,ポントルモの祭壇画「エリザベト訪問」を見るべく,カルミニャーノに行った.

 ネット情報によると終点の手前のS.M.カイアーニというバス停で乗り換えるとされていたが,運転手さんに聞くと「このバスはカルミニャーノに行く」と言われ,乗り換え無しで無事行くことができた.

 サン・ミケーレ・アルカンジェロ教区教会は開いていて,ポントルモの祭壇画を十分に鑑賞することができた.

写真:
ポントルモ
「エリザベト訪問」


 この教会で声をかけられた,母語のイタリア語の他に英語,フランス語を駆使する地元の男性アレッサンドロさんと1時間半にわたって,ポントルモとレオパルディについて語る体験をしたが,煩瑣になるので報告は控える.

 もう少し,さまざま見たかったが,アレッサンドロさんが執筆した「カルミニャーノのご訪問」の解説パンフレットをいただき,話し込んでいるうちに,予定の時間になったので,プラート行きのバスに乗り,最近いつも宗教儀式中で拝観が叶わないサンタ・マリーア・デッレ・カルチェーリ聖堂に行った.

 聖堂に着くと,この日も,少数の熱心な信者が参加する儀式中で,それ終わるのを待って,僅か数分だけ拝観させてもらって出ると,アフリカから来たであろう司祭見習いの青年が扉を閉めた.

 今期3度目にして漸く,僅かな時間ではあるが,ギルランダイオ工房下絵のステンドグラス,アンドレーア・デッラ・ロッビア工房作の彩釉テラコッタの天井装飾(メダイオンの中に福音史家)と,2点の祭壇画を観ることできた.

 ジュリアーノ・ダ・サンガッロ設計の,ギリシア十字型集中式の教会で,トスカーナでは比較的めずらしいタイプだと思う.ギリシア十字型教会では,モンテプルチャーノのサン・ビアージョ教会も有名だが,こちらの設計者は,ジュリアーノの弟のアントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオである.

写真:
アンドレーア・
デッラ・ロッビア工房の
彩釉テラコッタの天井装飾



10月12日,フィデンツァ行
 12日は,高橋教授の大家さんであった日本文学研究者でヴェネツィア大学講師のエドゥアルドさんが日本留学から帰り,高橋教授が新居に移られたので,鷺山先生,エドゥアルドさん,北村博士に私の計5人でハウスウォーミング・パーティーがあった.

 パーティーは18時からだったので,午前中に思い切って,フレッチャ・ロッサとレジョナーレ・ヴェローチェを乗り継いでフィデンツァに行き,大聖堂を拝観した.これについては,エミリア=ロマーニャ州の諸都市報告の最初にまとめる.


10月13日,モデナ行
 フィデンツァ大聖堂のファサードに残るロマネスクの浮彫彫刻との関連で,2014年に一度行ったモデナを再訪した.

 2014年には禁止だった大聖堂の堂内の写真撮影が今回はできたし,前回は行けなかったエステンセ博物館を見学できたので,これについてもエミリア=ロマーニャ州の報告でまとめる.


10月14日,エウロパ・ガランテの演奏会
 ペルゴラ劇場で,ファビオ・ビオンディ率いる古楽器合奏団エウロパ・ガランテの演奏で,「ブランデンブルク協奏曲」全曲を聴いた.今回初めて最上階のガレリアの席を取ってみたが,狭苦しくはあったが,上から楽器構成などがよくわかり,音に関しても良く聞こえたので満足した.

 ガレリアは14ユーロでプラス予約料1.4ユーロ.ペルゴラはインターネットでも予約料を取る(オペラ・ディ・フィレンツェは無い)ようだが,事前に劇場に足を運ばなくても良いし,24時間いつでも良いので,インターネット予約はやはり便利だ.


10月15日,サン・カシャーノ・イン・ヴァルディペーザ
 6月に行ったサン・カシャーノ・イン・ヴァルディペーザのサンタ・チェリーリア・ア・デチモ教区教会が日曜ミサで開くとの情報があったので,フィレンツェのアウトスタツィオーネ9時発のバスで出かけた.

 9時34分にサン・カシャーノ・ジャルディーニのバス停で降りると,10時から始まるミサの前に,僅かな時間だが拝観が叶った.

写真:
サンタ・チェチーリア・
ア・デチモ教区教会


 堂内にはチェンニ・ディ・フランチェスコ作と伝えられるフレスコ画断片の「聖母子」と,ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの祭壇画「聖母子と聖人たち」がある以外には,無名の画家たちの祭壇画があるだけで,伝チェンニの「聖母子」も,とても名のある画匠が描いたものとは思えなかったが,ともかく観ることができたし,ロマネスクの鐘楼を二度目だがしっかり鑑賞した.

 現場では伝チェンニの「聖母子」は下手な絵に見えたが,撮って来た写真で反芻するとなかなか味わいがあるし,ミケーレの祭壇画は端正で,マニエリスムと言っても,さすがにギルランダイオ工房の伝統か,均整の取れた美しい絵で,観ることができて良かったと思った.

 作者不詳のその他の祭壇画も決して下手ではなく,信仰の助けの役目は十分果たしていると思われる.

 地元の人たちが参集して来たので,そそくさと教会を出たところで,ちょうど自分が運転する車を降りて,私に「ブォン・ジョールノ」と声をかけてきた色の浅黒い非イタリア人と思われる青年は,多分,ミサの司式に出張して来た司祭だと思う.

 前日,ペルゴラ劇場からの帰りに,サンタ・マリーア・ヌォーヴァ病院の建物の一部であるサンテジーディオ教会を初めて拝観したが,ミサの司式をしておられたのは,アフリカに出自があると思われるネグロイドの青年だった.この方は多分,以前サンタ・マリーア・マッジョーレ教会でもミサの司式をしておられたと記憶する.

 私の勘違いでなければ,非白人の青年司祭が掛け持ちで由緒ある教会のミサを司式しているのは,やはり時代を感じさせるように思われた.

 サン・カシャーノでは前回行った時,葬儀が行われていたたサンタ・マリーア・デル・ジェズ教会(もしくはデル・スッフラージョ教会)を拝観し,シモーネ・マルティーニの磔刑像のあるミゼリコルディア教会は閉まっていたので,11時28分発のバスでフィレンツェに戻った.


10月16日,考古学博物館
 サン・ミケリーノ・デリ・スコローピ教会,サン・ミケリーノ・デイ・ヴィスドミニ教会,サンテジーディオ教会を拝観した後,国立博物館なのに月曜でも14時までは開いている考古学博物館に行った.

 目当ては,前回に時間切れでゆっくり鑑賞できなかったアッティカ陶器のコレクションだったが,今回も時間切れで黒絵式陶器までしか見られず,赤絵式陶器は後日の課題となった.前回,どこかに出張していたと思われる「フランソワの壺」は帰って来ていた.


10月17日,グロッセート行
 7時45分アウトスタツィオーネ発のシエナ行きのバスに乗り,シエナで乗り換えて,グロッセートに行った.

 シエナまでのバスは9時にバス・ターミナルのヴィアーレ・トッツィに着き,そこで9時25分発のグロッセート行きの乗り換えられるはずだったが,交通渋滞でシエナに着いたのが9時25分でグロッセート行きは丁度出たところだった.

 やむなく,バス停近くのサン・ドメニコ教会をゆっくり拝観した後,10時25分発のバスでグロッセートに行き,サン・ピエトロ教会,サン・フランチェスコ教会,大聖堂を拝観し,考古学博物館と宗教芸術博物館を見学して,14時45分発のシエナ行きのバスに乗り,ヴィアーレ・トッツィから16時10分発のフィレンツェ行きラピーダのバスで帰って来た.グロッセートに関しては後日報告したい.


10月18日,フリーニョ旧修道院食堂
 18日はせっかく再開し,水曜だけだが公開されているフリーニョ旧修道院食堂が,25日の公開を最後にその翌日からまたしばらく閉鎖されるというので,ペルジーノ下絵の「最後の晩餐」やロレンツォ・ディ・クレーディ,フランチャビージョの絵を観に行った.

写真:
ペルジーノの下絵による
「最後の晩餐」(部分)



10月19日,ミラノ行
 19日は6時53分のフィレンツェ・サンタ・マリーア・ノヴェッラ駅発(始発はアレッツォ)のフレッチャ・ロッサでミラノ日帰りに挑戦し,「デントロ・カラヴァッジョ」と題したカラヴァッジョ展を見てきた.

 また,カラヴァッジョの師匠だったとされるシモーネ・ペテルザーノの「キリスト降架」のあるサン・フェデーレ教会を初めて拝観することができた.このミラノ行に関してはやはり別途報告したい.


10月20日,サン・マルコ旧修道院博物館
 20日はサン・マルコ旧修道院博物館に,今期は観ることができていないソリアーニのフレスコ画「聖ドメニコの神秘の食事」やプラウティラ・ネッリの「キリスト哀悼」を見に行き,所期の目的は達したが,フラ・アンジェリコの祭壇画,ギルランダイオの最後の晩餐などを丁寧に観ているうちに,まだ14時前なのに今日は閉めるからと言われ,フラ・アンジェリコの「受胎告知」は見られなかった.


10月21日,ポール・ルイス演奏会
 21日はペルゴラ劇場でイギリスのピアニスト,ポール・ルイスの演奏会を聴いた.ハイドンのピアノ・ソナタ2曲,ベートーヴェンの「6つのバガテル」,ブラームスの「6つの小品」と言うラインナップで,どれも超絶の名演だったが,アンコール・ピースを除くと最後に演奏したハイドンの「ピアノ・ソナタ1番」には震えるほど感動した.観客は満員ではなかったが,ブラーヴォの嵐だった.


10月22日,オペラ「ラ・ロンディーネ」
 22日は,オペラ・ディ・フィレンツェでヴァレリオ・ガッリ指揮,エカテリーナ・バガノヴァ主演のプッチーニ「ラ・ロンディーネ」を聴いた.これも素晴らしかったとしか言いようがない.

 ペルゴラは予約料込15.4ユーロ,オペラ・ディ・フィレンツェはネット予約で予約料無しの10ユーロのガレリアで,確かにどちらも条件は最良からは遠いが,音も良く聞こえ,高い所から舞台がよく見え,少額の料金で最高の体験をしている.フィレンツェならではである.

 やっぱり,観客が心から感動して楽しんでいるのが良い.






ここで至福の時を過ごす
ぺルゴラ劇場