§アレッツォ行 その2 スピネッロ・アレティーノ
この日は閉館で見られなかったが,アレッツォの国立中世・近代博物館は私にとって特別な場所だ. |
初めてアレッツォに行った2007年6月26日,ちょうど開催されていた「ピエロ・デッラ・フランチェスカとイタリアの宮廷」と言う特別展を見ることができ,マルケ国立絵画館から来ていたピエロ作「セニガッリアの聖母子」,ミラノのスフォルツァ城博物館のフィリッポ・リッピ作「ティヴルツィオの聖母子」が深く印象に刻まれた.マルケ国立絵画館所蔵のピエロ作「キリストの笞打ち」もヴィデオで紹介されていて,これも大変印象に残った.
後に,それぞれウルビーノ,ミラノで再会し,その魅力を再確認したが,予備知識も少ない早い時期に,素直な目でこれらの作品に触れることができたのは大きな意味があったと思う.
常設展示ではバルトロメオ・デッラ・ガッタやヴァザーリなど,地元に関係する画家たちの作品にも注目したが,それ以上にスピネッロ・アレティーノの「聖三位一体」の剥離フレスコ画断片との出会いが大きな出来事だった.
同日中に若い頃のチマブーエが描いた磔刑像のあるサン・ドメニコ教会を訪ね,そこでも「受胎告知」など複数のスピネッロが描いたフレスコ画を観ることができたが,何と言っても博物館で観た断片フレスコ画のインパクトが強烈で,その後,フィレンツェで,サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂の連作フレスコ画,サンタ・トリニタ聖堂の剥離フレスコ画を何度も見ることによって,スピネッロの魅力にさらに引き込まれていった.
サン・フランチェスコ聖堂にある作品
この日(4月14日),最初に訪問したアレッツォの考古学博物館で買ったコンバインド・チケットは,サン・フランチェスコ聖堂,「ヴァザーリの家」博物館,国立中世・近代博物館がセットになっていた.ところが,券売所の人は,国立中世・近代博物館は今日は閉館だが,どのみち入場無料なので別の日に行ってくれと言う.
入場無料の博物館を含むセット券と言うのも変だなと思ったが,特に不満はない.国立中世・近代博物館を見ずに済ませることはないので,間違いなくアレッツォにはまた来るだろう.
前回報告したピエロのフレスコ画「真の十字架の物語」があるサン・フランチェスコ聖堂の予約は,この時に考古学博物館でとってもらった.
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写真:
スピネッロ・アレティーノ作
「悪龍と戦う聖ミカエル」
(上段) |
サン・フランチェスコ聖堂はスピネッロのフレスコ画に溢れている.少なくとも,バッチ礼拝堂の(向かって)右隣りのグァスコーニ礼拝堂の左右の壁面は彼の作品で,左壁面には「聖アエギディウス(エジーディオ)の物語が3場面,右壁面には「大天使ミカエルの物語」の3場面が描かれている.
左壁面の「聖アエギディウスの物語」に関しては,2012年のツァーでサン・フランチェスコ聖堂を拝観した報告の中で,『黄金伝説』の邦訳を参考にしながら説明している.この時,右壁面の「大天使ミカエルの物語」に関しては,中段の「悪龍と戦う聖ミカエル」についてのみ言及している.
最初にこの聖堂を訪れた時,この絵のミカエルの凛々しい姿にいっぺんに惹かれ,夢に見るほど憧れた.今回,まずまずの写真を収めることができたが,今は最上段のリュネット部分にある,玉座のキリストを中心にした「天使たちの意思表示」がより素晴らしい絵のように思える.しかし,上段のフレスコ画はコンデジのオートでズームすると,どうしてもピントの合わない写真しか撮れず,残念だ.
この「天使たちの意思表示」が絵柄としては最も分かりにくい.玉座のキリストが自分の左側(見ている方からは右側)の小玉座にいる金髪の美しい天使を指さし,この天使は仲間たちとともにキリストに叛意を表している.
「三位一体」の第二位格である「神の子」キリストが,受肉して人間として顕現することを表明した時に,自らの地位が低められることに反発した天使たちの総帥がルキフェル(ルシファー)で,彼は堕天使すなわち悪魔となり,中段でミカエルに打ち負かされる悪龍として表わされている.
ルシファー(伊和中辞典でルーチフェロを引くと,やはり「サタンと同一視される堕天使」と説明されている)という名は,ラテン語のルキフェル(ルーキフェル)から来ており,「光(ルックス)をもたらす者」と言う原義から,もともとは金星を意味したが,キリスト教神学の生成期にラテン教父たちによって,神に反逆した堕天使,サタンと同一視されるようになった.
ラテン語がもとであるが,古典文学では悪魔の意味で使われることはない.
英語のルシファーが,日本人にはピンときやすいのは,多分以前は日本のインテリキリスト教徒たちに,ダンテの『神曲』とともに読まれることが多かったジョン・ミルトンの『失楽園(楽園喪失)』の影響と思われる.
非キリスト教である私がこれを読むと,ギリシア神話における「巨人族との戦い(ギガントマキア)」のような物語に思え,話としては面白いが,伝統的なカトリック神学を反映しているとされる『神曲』はともかく,尖鋭なピューリタンであるミルトンがこの物語を叙事詩にまとめあげ,世界に冠たる古典の一つとして読まれていることに,不思議な感じを覚える.
神話を神話として受け止めることのできる古典文学の方が私には分かりやすく,『神曲』や『失楽園』は私には遠いところにある作品に思える.しかし,スピネッロのフレスコ画「大天使ミカエルの物語」の分かりにくさを読み解くためには,『失楽園』の題材となった堕天使の物語について何ほどかの知識は必要だと言うことは理解する.
最上段のリュネットの玉座のキリストの横で,顔を背けながら叛意を露わにしている美しい少年が,中段ではミカエルに踏みつけられた悪龍として描かれている.このことを前提として知っていて初めて,「大天使ミカエルの物語」の連続性に思いが至る.
玉座のキリストの右側(向かって左側)には武装した天使たちが恭順の意を表している様子が描かれ,その先頭にいるミカエルは剣を持って叛逆者たちと戦う意志を示している.この静謐な絵の中に,壮大な物語の始まりを描き込んだスピネッロもまた偉大な芸術家なのではないかと私には思える.
最下段は「大教皇グレゴリウスのいるローマに現れた聖ミカエル」で,ローマのサンタンジェロ城に舞い降り,剣を収めて,疫病の終息を告げるミカエルと,それに感謝し,仰ぎ見る人々が描かれていると思われる.
これは,もとはハドリアヌス帝の墓廟であった建物が「聖天使城」となる縁起物語であり,この縁起物語で締めくくることで,3場面を連続して見た人が,人々の守護者であるミカエルの物語を納得できるように構成されている.
この絵が,後期ゴシックのフレスコ画として傑出したものかどうかはスピネッロが好きな私にも確信はない.しかし,アレッツォに行こうと思えば,比較的簡単に行くことができ,そう高くもない(多分安いと思う)拝観料を払い,その気になれば,数時間このフレスコ画を眺めていることもできる.
そうは言っても,隣の礼拝堂にあるピエロの作品が気になって,スピネッロの絵だけを観ているというわけにはいかないだろうから,実際には難しいと思うが,一応絵柄(図像プログラムと言うのは少し気恥ずかしい)は理解したつもりなので,あと何度か,このフレスコ画(とピエロの「真の十字架の物語」)を観にアレッツォに行きたい.
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写真:
スピネッロ・アレティーノ作
「ハンガリーの聖エリザベト」 |
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他には,「聖霊降臨」のフレスコ画,3回目のアレッツォ行の際に報告した「ハンガリーの聖エリザベト」のフレスコ画を写真に収めることができた.柱に人物が描かれているだけで,物語性などは全くないわけだが,大きくて美しいフレスコ画はそれを観ているだけで幸福感に浸れる.
スピネッロ・アレティーノの「受胎告知」
スピネッロの「受胎告知」が少なくとも4点アレッツォにあることは,何度か「フィレンツェだより」で言及している.
1回目のアレッツォ行でサン・ドメニコ教会の「受胎告知」を写真に収めることができ,2回目のアレッツォ行でサン・フランチェスコ聖堂とサンティッシマ・アヌンツィアータ教会の外壁壁龕の「受胎告知」を観て,後者は写真に収めることができた.3回目(2012年)のアレッツォ行では写真は撮れなかったが,サン・フランチェスコ聖堂の「受胎告知」をじっくり鑑賞した.
今回の4度目のアレッツォ行で,ついに未訪の司教区博物館(ムゼーオ・ディオチェザーノ)を訪れ,ここに展示されているスピネッロの剥離フレスコ断片の「受胎告知」を観ることができ,写真に収めることができた(トップの写真).
今回はサン・フランチェスコ聖堂も写真可だったので,これで4つの「受胎告知」を全て写真に収めたことになる.
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写真:
スピネッロ・アレティーノ作
「受胎告知」
サン・フランチェスコ聖堂 |
1回目のアレッツォ行で,大聖堂で案内書を買った時に,売店の年配の女性の方が,司教区博物館の「受胎告知」の絵はがきをおまけにつけてくれた.その絵はがきは小さな額に入れて実家の自室に飾っていたが,アレッツォ大聖堂の案内書とともに津波で流された.
今回,大聖堂の売店で,多分違う人だと思うが,やはり年配の女性から,大聖堂の案内書の改訂版を買い,「受胎告知」の絵はがきは司教区博物館の券売所で受け付けの若い女性から買った.
この稿を書くにあたって参考にしている,
Guided Visit of the Basilica of Saint Francis in Arezzo, Cortona: Calosci,
2004
は3度目のアレッツォ行で入手し,今は自宅の書架に同じものがあるのだが,今回,サン・フランチェスコ聖堂で「喜捨により提供」という張り紙とともに堂内に平積みになっていて,絵はがきも一緒に置いてあった(券売所の売店では売れないものなのだろうか)ので,喜捨をして,「受胎告知」の絵はがきと共にいただいた.
案内書については,英訳版は既に持っているので,できれば伊語版が良かったが,英訳版と仏訳版しかなかった.どうせなら茅屋にある蔵書とかぶらない仏訳版にすれば良かったと少し後悔したが,表題のところに示されていない著者はフランチェスコ会の関係者らしく,同修道会の神学的解釈を織り込んで説明してくれており,英訳版だからこそ多少は理解できるのだと思い,これで良かったと納得している.
その絵はがきや撮ってきたピンボケ写真を見比べても,司教区博物館の「受胎告知」とサン・フランチェスコ聖堂の「受胎告知」は良く似ている.しかし,良く見ると違いも少なくない.
サン・フランチェスコ聖堂 |
司教区博物館 |
聖母は立っている |
聖母は座っている |
同じ建物だが,聖母のみさらに小神殿風の
部屋にいて,天使の後ろに扉が開いている |
聖母も天使も同じ建物にいるが
柱で区切られている |
聖霊を示す鳩がいない |
聖母の頭の左上方に鳩がいる |
天使と聖母の間に野生のバラを生けた壺 |
下部は失われているのでわからない |
聖母の書物は書見台にある |
聖母の書物は膝の上にある |
書物の文字は見えない |
書物に文字が書かれているのがわかる |
天使の衣は多色で外衣は赤い |
天使の衣は赤の内着に白い外衣 |
天使の羽は三色 |
天使の羽は失われて根元しか見えない |
聖母は腹部に平行に両手をあてているが
重なってはいない |
聖母の両手は胸の所で交差している |
天使は棕櫚の葉を持っている |
天使は百合の花の装飾がある杖を持つ |
天使の上方に,天使に棕櫚を渡す熾天使に
囲まれたキリストが描かれている |
天使と聖母の以外の人物は
残存部分にはいない |
両者が一見,似て見えるのは,天使も聖母も金髪で,聖母の表情が憂鬱そうで,天使も口を閉じていて,まだお告げの前という印象を受けるからであろう.天使の表情は司教区博物館の作品の方が凛々しいが,聖母の顔はどちらも良く似ている.両者とも建物の描写はゴシック装飾に満ちている.
上記の中で最も大きな相違が「棕櫚の葉」であろう.この後(4月25日)に,シエナで見たドゥッチョの祭壇画パネル(大聖堂博物館),アンブロージョ・ロレンゼッティの祭壇画(国立絵画館)の「受胎告知」は,スピネッロに先行する,天使が棕櫚の枝を持つ作品だ.
これについては,他の例も数多く見られるのかも知れないが,体系的に調べていないので,私自身はどうして「棕櫚の葉」なのかはわからない.漠然と「受胎告知」においては,天使は何も持たず,場合によっては手で祝福の姿勢を示すか,あるいは純潔の象徴とされる百合を持っているものだと思っていた.
フラ・アンジェリコの複数の「受胎告知」では天使は手に何も持っていない.ただウフィッツィ美術館に現在はあり,元はシエナ大聖堂に飾られていたシモーネ・マルティーニとリッポ・メンミ共作の「受胎告知と聖人たち」で大天使ガブリエルはオリーヴの枝を持っている.
天使が何を持っているか,あるいは何も持っていないか,そこには何らかの意味が込められていると推測されるが,上記案内書に拠れば,棕櫚の葉は死と再生と被昇天を意味しているとのことで,フランチェスコ会の教会に顕著な図像とのことである.
ピエロの「真の十字架の物語」の中の,私たちが見ると単なる「受胎告知」に見えるフレスコ画でも天使は棕櫚の葉を持っている.司教区博物館にはスピネッロの先人にあたるアレッツォの画家アンドレア・ディ・ネリオの「受胎告知」があり,これも天使は棕櫚の葉を持っている.
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写真:
ドゥッチョ作「受胎告知」
(祭壇画のパネルの1枚)
シエナ大聖堂博物館 |
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しかし,ドゥッチョの作品はシエナ大聖堂のために描かれた「荘厳の聖母」の一部であり,アンブロージョ・ロレンゼッティの「受胎告知」はシエナの市参事会のために描かれたとのことなので,特にフランチェスコ会との関係はないであろう.ドゥッチョの作品に関しては,聖母の死と被昇天を告げるものとの考えもあるようだ(ウェブ・ギャラリー・オヴ・アート).
いずれにしても,天使の持つ棕櫚の葉は,フランチェスコ会に顕著であっても,限定されるものではないと考えて良いだろう.
これは私が考えて結論の出る問題ではないので,今まで写真で見て憧れながら,似ていると思っていた2つの「受胎告知」には実は大きな違いがあり,その背景にはもしかしたらフランチェスコ会の神学的思想があるかも知れないということを勉強したと言うことにしておく.そうした背景は別にして,スピネッロの「受胎告知」は十分に美しい.
サン・ドメニコ教会の「受胎告知」は,2007年6月27日の報告に,サンティッシマ・アヌンツィアータ教会の「受胎告知」は同年11月4日の報告に写真を載せている.後者に関してはその際,風雨に曝される可能性がある状態で保存は大丈夫なのかと危惧の念を述べたが,今回見に行ったところ,保護用のガラスが嵌められていた.
保存と言うことに関しては胸を撫で下ろしたが,何せ外壁の壁龕にあるものなので,ガラスに光が反射したり,様々なものが映ったりして,鑑賞と言う点では困難な状態になっていた.9年半前に写真にも収め,じっくり鑑賞したので,それであきらめることにする.
スピネッロの作品は,今回も既にサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂聖具室の「聖ベネディクトの物語」,ルッカの国立絵画館の祭壇画,ピサのサン・マッテーオ絵画館の3点の祭壇画を観ることができ,ピサのカンポ・サントでも修復の終わったフレスコ画(と言っても状態は良くない)と,シノピエ博物館でその下絵を観て,これらは全て写真に収めることができた.
ただ,シエナでは時間切れでプブリコ宮殿のフレスコ画観られていないし,何と言ってもフィレンツェ近郊のバーニョ・ア・リーポリのアンテッラ地区にあるサンタ・カテリーナ礼拝堂のフレスコ画が最大の課題だが,まだ見ていない.
これらに関しては,今後報告をまとめることもあると思うが,今回は既に長くなってしまったのでこれまでとする.私にとってスピネッロは生涯追いかけたい画家だ.
サンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会
スピネッロの息子,パッリ・ディ・スピネッロの「慈悲の聖母」のあるサンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会は駅から少し歩くので,今回もあきらめかけたが,電車の時間を一つ遅らせる覚悟で(実は電車が遅れて間に合った),思い切って歩いて行った.
堂内は思ったよりも小さく,古いフレスコ画の断片がある他は,特にこれと言って見るべきものはないように思われたが,パッリの「慈愛の聖母」の周りを囲むアンドレア・デッラ・ロッビア作の祭壇がさすがに立派だったし,ベネデット・ダ・マイアーノ設計のポルティコが,周囲の静寂な環境にも合って美しかった.
パッリの作品は観られてもちろん嬉しかったが,父の作品にくらべてインパクトは小さく,こじんまりした作品との印象を受けた.
時代遅れとなったゴシックの遺風を偉大な父から継承した二代目にはそれなりの葛藤があったと思うが,アレッツォの後期ゴシックが,アンドレアやベネデットに代表されるフィレンツェのルネサンスに超克されていく印象を持たずにはいられなかった.
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広い空間に優美な佇まい サンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会
アレッツォ
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