フィレンツェだより番外篇
2015年4月2日



 




グエルチーノ作 「信仰の寓意」,1634年頃
プーシキン美術館 (2013年8月撮影)



§特別篇 国立西洋美術館 「グエルチーノ展」

「2014年ローマ篇」を書き終えないうちに,3月13日からヴェネツィアに行き,6連泊して,充実した観光をしてきた.すぐにも「2015年ヴェネツィア篇」を書き始めたいが,まずはローマ篇を書き上げてしまうことだ.新学期が始まるので,難航が予想されるところではあるが.


 その前に,3月27日に観た,国立西洋美術館の「グエルチーノ展」の感想を,これまでに観た作品に触れながら報告する.今まで,比較的好きな画家としていながら,グェルチーノと表記したり,グエルチーノと表記したり一定しなかったが,購入してきた図録は「グエルチーノ」と表記しているので,今後はこれで統一し,今までの分も気が付いたものから直して行く.


グエルチーノとの出会い
 グエルチーノ(英語版伊語版ウィキペディア)(日本語版「グエルチーノ」もかなりの情報量)の作品との最初の出会いはいつだろう.国立西洋美術館が所蔵している作品もあるし,たまたま行った特別展で来日していた作品を観ていた可能性はある.しかし,おそらく最初の出会いは,2006年の初めてのローマ旅行だと思う.2回目の学部役職の任期が終わった後,翌年の特別研究期間のイタリア滞在を視野に入れて,いわば下見的な旅だった.

 ボルゲーゼは予約が取れなかったが,ヴァティカン絵画館とバルベリーニ宮殿の国立古典絵画館(※)に行き,日帰りで足を延ばしたフィレンツェでは,ウフィッツィは大行列であきらめたが,パラティーナ美術館には行っているので,当然この3つの美術館でグエルチーノの絵に出会っているはずだ.(※宮下規久朗は「古代絵画館」とし,この方がイタリア語からの訳としては正しいであろうが,バルベリーニには私たちがそれと了解する「古代」の作品はなかったと思うし,あったとしても「古代」を中心とした展示ではないので,不正確だが使い慣れた「古典絵画館」を使う.)

 少なくともバルベリーニ宮殿の「アルカディアにも我はあり」Et in Arcadia Ego(髑髏の下に全て大文字でそのように刻まれている)(1616-22年)はよく覚えている.多分,圧倒的に有名な(本の表紙などによく使われ,高名な美術研究家パノフスキーの考察の対象になった)ニコラ・プサンの同主題作品(ルーヴル美術館,1637-9年)が思い浮かんだからだろう.

 京都大学の修士論文のテーマが古代牧歌であり,この題材にもともと興味があったおかげで,ラファエロやカラヴァッジョの作品を含め,素人目にも傑作揃いのバルベリーニ古典絵画館の中で,多分初めて名前を聞くグエルチーノの比較的地味な作品だが見落とさなくて済んだ.

 後にルーヴルでじっくり鑑賞したが,当時は写真でしか知らなかった(学生時代にルーヴルに行った時,観ていたかも知れないが覚えていない)プサンの作品に比べて,グエルチーノの作品は牧歌的な明るさに欠け,古典古代の雰囲気も足りないし,これ見よがしな感じの骸骨が,いたずらにメメント・モリーの教訓のみを際立たせるような気がして,立ち止まってじっくり観る気にはならなかった.今なら,多分少なくとも15分はその前に立ってじっくり観ることだろうが,残念だ.

 それでも,2007年のフィレンツェ滞在中にもう一度バルベリーニ宮殿に行ったし,何度も写真を見たので,記憶を修正している可能性もあるが,グエルチーノという画家の名前と,青黒い画面が深く印象に刻まれたような気がする.

 バルベリーニ宮殿古典絵画館には他に,「ダヴィデに襲いかかるサウル」もあり,最初に観た時は,なにか大仰で嘘くさい感じがする絵に思われたが,今は若者の才能と可能性に対する嫉妬を抑えきれない老王の焦燥と,困惑の中にも冷静に状況を分析している美少年のダヴィデが良く描かれているように思え,今なら,この絵の前に30分立っていても飽きないと思う.


記憶のないフィレンツェのグエルチーノの作品
 ウェブ検索と目録参照に拠ると,ピッティ宮殿のパラティーナ美術館にはグエルチーノの作品として,

 「雀の聖母」
 「聖家族」
 「スザンナと老人たち」
 「モーゼ」
 「アポロとマルシュアス」
 「タビタを蘇生させるペテロ」

があるようだし,ウフィッツィ美術館には,

「田園の奏楽」

があるようだが,この中で,それぞれの美術館で見て,覚えているものは1つも無い.

 「アポロとマルシュアス」は,「アルカディアにも我はあり」と共通の牧人たちが登場し,諸方で取り上げられる作品のようだし,今回の特別展にも展示されていたが,ピッティで見た記憶は全くない.写真を見ると,「タビタを蘇生させるペテロ」はまずまずの作品に思えるがやはり観た記憶はない.ちなみに,このペテロは禿頭である.いつも参照している,

 Mina Gregori, trr., Caroline Hufton Muerfy & Henry Dietricb Fernandez, Paintngs in the Uffizi and pitti Galeeries, Boston: Little, Brown and Company, 1994


には,「田園の奏楽」,「アポロとマルシュアス」,「タビタを蘇生させるペテロ」が掲載されている.648ページの大冊であるから,これに載っていないその他の作品は,真作と考えられているかどうかわからない.ウェブ上の写真を見ても,特にどれも下手な作品はないように思うが,腕の良い周辺人物が描けば,やはりこのくらいの作品は描けるようにも思う.

 いずれにしても,あれだけウフィッツィとピッティに通って,どれも覚えていないのだから,展示されていないのか,あるいは,自分の好きなトスカーナ絵画に興味が集中するあまり,それ以外のものは記憶に残っていないか,どちらかであろう.

 今回の特別展で購入した図録,

 渡辺晋輔(監修)『よみがえるバロックの画家 グエルチーノ展』TBSテレビ,2105(以下,『図録』)


には,「アポロとマルシュアス」(『図録』では「マルシュアスの皮をはぐアポロ」)は1618年の作品とし,「タビタを蘇生させるペテロ」(『図録』解説は「タビタの蘇生)は,その前に描かれたとしている.上記,グレゴーリの本では,「田園の奏楽」は1617年頃の作品としているので,大体3作品とも同じ時期に描かれたと考えて良いのだろう.


ルーブル美術館のグエルチーノの作品
 ルーヴル美術館で観た(この作品は特別展で日本にも来たのではないかと思う)下の写真の作品は1647年(ウェブ・ギャラリー・オヴ・アート)に描かれたとすれば,フィレンツェで見ることができる3作品にくらべると30年ほど後の絵と言うことになる.

写真:
グエルチーノ
「聖母の前で泣くペテロ」
1647年
ルーブル美術館
2011年2月撮影


 めでたく英語ヴァージョンも充実したルーヴル美術館HPの検索機能(以下,「アトラス」)を参照すると,ウーゴ・ボンコンパーニという貴族のために描かれた作品と推測されている.ルイ14世が1682年に購入してフランスに来たようだ.

 ウーゴ・ボンコンパーニと言う名前をウェブ検索すると,16世紀の教皇グレゴリウス13世の俗名がヒットする.ボンコンパーニ家はボローニャ出身の家系のようだが,教皇を一族から出して栄えた家に生まれた17世紀の人物であろうと推測される.ローマで最初に泊まった宿がボンコンパーニ通りにあったので,多少の(他生の)縁を感じる.

 1591年生まれのグエルチーノは,フィレンツェで見られる主要作品を描いた時は,20代後半の若者で,ルーヴルの「聖母の前で泣くペテロ」(これもペテロは禿頭の老人)を描いた時は,50代後半の大家だったことになる.

 なお,古い本だが,勤務先にも蔵書あって,それを参考にしていたが,後で自分でもイギリス・アマゾンで古書を入手した,

 Ristampa del Catalogo a Cura di Denis Mahon dei Depinti Esposti alla Mostra del Guercino a Bologna nel 1968, Bologna: Nuova Alfa Editoriale, 1991(以下,マーン※)(※以前のページで,マーンの可能性も示唆しながら,暫定的にマホンと記したが,今回の特別展で,館内解説と図録で「マーン」と表記されているので,以後,マーンと表記する,ただし,何事も理解のプロセスなので,以前のページはそのままとする)


には,ピッティの「聖家族」の写真は掲載されている.

写真:
グエルチーノ
「聖フランチェスコの法悦と
聖ベネディクト」,1620年
ルーヴル美術館
2011年2月撮影
写真:
グイド・レーニ
「聖フランチェスコの法悦」
1606-7年
ボローニャ,国立絵画館
2008年1月撮影


 今回の特別展には,「聖フランチェスコの法悦」(チェント,クリスティーナ&ジャンニ・ファーヴァ・コレクション,1620年頃)が出展されており,その関連作品で,グイド・レーニの同名作品(上の下段の写真)も展示されていた.レーニの卓越性にはここでは触れないが,グエルチーノの方が十数年後に描いており,ボローニャ周辺から出た偉大な先人の作品を参照した可能性はあるかも知れない.

 しかし,レーニ作とされるこの絵は,銅板に描かれていることがどのような意図があってそうだったのかわからないが,『図録』に拠れば,1951年に,グエルチーノ作「聖アントニウスの幻視」として売りに出され,デニス・マーンが購入,現在はボローニャの国立絵画館に寄託されている.

 当初,アンニーバレ・カッラッチの作品とされたが,1960年にロベルト・ロンギがレーニ作として,その他のレーニ作品に見られる特徴を備えているところから,その説が受け入れられたとされている(p.86).

 レーニの特徴と言っても,女性の甘美な表情くらいしかすぐには思い当たらず,専門家がそう言うのであればそうだろうと思うくらいだが,作品そのものは,まずまずの水準なのではないかなと思う.ヴァイオリンを弾いている天使の艶めかしい感じと浮遊感が,グエルチーノの天使の,たくましい男性に成長して行こうとする少年が持っている,確信に満ちた力感と対照的なように思う.

 グエルチーノの「聖フランチェスコの法悦」は,今回来ているチェントの作品を含めて,ほとんど同じ絵柄のものが3点あるようだが,上の写真のルーヴル美術館所蔵作品から聖ベネディクトを除いて,本人が作成した「縮小ヴァリアント」(『図録』p.82)とのことだ.

 ルーヴルの作品の方が,確かに「大作」と言う感じはするが,「縮小ヴァリアント」も特にバランスが悪いとは思えず,元の作品を知らなくても,充分な鑑賞に堪える.有名な『フランチェスコの小さき花』(教文館から田辺保の訳が出ているなど,複数の日本語訳がある)に典拠のあるエピソードらしいが,古代神殿の廃墟はやはり,キリスト教の異教に対する勝利を物語るのだろうか.


ロシアで観たグエルチーノの作品
 下の写真作品は,プーシキン美術館で観て,写真に収めた.同時に撮ったプレートにはグエルチーノの作品とあるが,今の所,ウェブ上には他に言及がなく,写真もない.「guercino jerome trumpet pushkin」でウェブ検索すると,英語版ウィキペディアの「ロイヒテンベルク美術館」がヒットする.

写真:
グエルチーノ
「最後の審判を告げるラッパの
音を聞くヒエロニュムス」
1621年頃
プーシキン美術館
2013年8月撮影


 ロイヒテンベルク美術館はミュンヘンに19世紀に存在した美術館で,ロイヒテンベルク公爵家のコレクションを,同家の宮殿で公開していた.3代目公爵のマクシミリアン逝去に際し,コレクションは子供たちに分割され,美術館は閉鎖されたが,かなりのものがロシアに売却され,マーリンスキー宮殿,帝国美術院に収められた.

 これはマクシミリアン公爵がロシア皇帝ニコライ1世の娘,マリア・ニコラエヴナ女性大公と結婚していたことと関係しているようだ.彼女は帝国美術院の初代院長をも務めた.多くの作品はロシアにあって,1917年の革命を迎えた.売却され,散逸したものも少なくないが,ロシアに残り,エルミタージュとプーシキンの両美術館所蔵となっているものもかなりあるとのことだ.

 この美術館旧蔵の作品リストが英語版ウィキペディアにあり,グエルチーノ作品とされるものが3点載っている.そのうちの1点が「天使のラッパの音で目覚める聖ヒエロニュムス」とあり,上の写真の作品である可能性が高い.リストには現存している場所の項目もあり,プーシキンをはじめ,世界中の有名美術館の名前が散見されるが,現在の所蔵先の項目が空欄のままの作品が多く,この作品も空欄になっている.さらにグエルチーノ作品とされる他の2作は,プーシキンにもエルミタージュもなかったと思う(エルミタージュはHPに英語の検索機能がある).

 ただ,撮って来たプレートの写真を見ると,ロシア語の部分は読めない(作者とタイトルだけは英語)が,心なしか,ロイヒテンベルク公爵家の本姓が書いてあるように見えるので,少なくともリストにあるヒエロニュムスを描いた作品はプーシキン所蔵作品(上の写真)であろうと信ずる.

 なお,プーシキン美術館の「イタリア絵画」の検索ページもよくできているが,全収録作品が検索できるようではないようだ.少なくともこの作品は掲載されていない.

 グエルチーノの真作かどうかは,詳しい情報がないので,わからないが,まずまずの作品ではないかと思う.マーンには写真が掲載されており,「聖ヒエロニュムスの幻視」として解説(pp.119-21)もあり,確かにロイヒテンベルク公爵のコレクションにあり,それ以前はボローニャの貴族サンピエーリ家の宮殿にあったとされるので,多分,真作と考えられてきたと思って良いのだろう.

 「ヒエロニュムスの幻視」というタイトルでは,ルーヴル美術館に同主題作品があり,アトラスにも写真と解説がある.ルーヴルで撮って来た写真を探したが,この絵は撮っておらず,観たかどうかも記憶がない.小さい絵のようだが,銅板に油彩で,後に教皇グレゴリウス15世となるボローニャ大司教だったアレッサンドロ・ルドヴィージの一族のために1619年から20年頃に描かれたとされている.

 出典は確認していないが,ヒエロニュムス自身が「寝ても覚めても,私には最後の審判のラッパが常に聞こえている」と言ったことを典拠にしているようだ.ヒエロニュムスが驚愕して,天使とラッパ,もしくはラッパだけ描かれていれば,この主題であろう.

 そう考えると,今までドーリア・パンフィーリ美術館,エルミタージュ美術館で観たフセペ・デ・リベーラの「聖ヒエロニュムス」(ドーリア・パンフィーリエルミタージュ)が,この題材で描かれて絵であることわかる.ナポリのカポディモンテ美術館にも同主題の作品があり,最も古い作品でも1626年の作であれば,グエルチーノの作品の方が古いことになる.

 なお一番下の写真で,小さく紹介したエルミタージュ美術館の作品(1650年頃)も「荒野のヒエロニュムス」とウェブ・ギャラリー・オヴ・アートは題しているが,雲間からラッパが見え,聖人が驚愕しているので,やはり最後の審判の幻視を描いたものであろう.マーンにはこの作品の写真はないが,リミニのサン・ジローラモ同信会の「聖ヒエロニュムスの幻視」(1641年)の写真と解説がある.

 なお,どの絵もヒエロニュムスは禿頭である.

写真:
グエルチーノ
「聖セバスティアヌス」
1642年
プーシキン美術館
2013年8月撮影


 キリスト教主題の作品だが,男性の裸体という意味では,この「聖セバスティアヌス」は2つ下の「天空を支えるアトラス」との連続が感じられる.男性の美しい裸体を描くというのは,レオナルド,ミケランジェロを頂点とするルネサンス美術以来の基本的テーマに思える.このセバスティアヌスは,三島由紀夫に感銘を与えたグイド・レーニほどのインパクトはないかも知れないが,端整な裸体という意味では成功していると思う.

 プーシキン美術館の「イタリア絵画」を検索できるページにも取り上げられており,そこではルイージ・マンツィーニ(なぜか仏語版ウィキペディアに立項されている)という詩人がこの絵に捧げたソネットが紹介されている.これに関しては,マーンも言及している.

 一見すると,よく描けた平凡な絵に見えてしまう.しかし,ボローニャのニッコロ・レンミという人物のために描かれ,ボローニャの修道院長チェーザレ・タルッフィのコレクションに入り,さらにナポレオンの皇后だったジョゼフィーヌが入手し,相続人である彼女の娘(先夫の子)が1829年にエルミタージュに売却,別の美術館を経て,1924年以来プーシキン美術館に収蔵・展示されている.

 貴紳,宗教者,皇后,皇帝に所有され,それに伴い,ボローニャから,パリ近郊,サンクトペテルブルク,モスクワと所在が変遷した.記録によって確認できる,高い評価を得た芸術作品だったことがわかる.


カピトリーニ美術館のグエルチーノの作品
 前のページで,カラヴァッジョ以降の禿頭ではないマタイの作例として挙げたのが,下の写真の「聖マタイと天使」で,この作品も今回の特別展に来ていた.『図録』に拠れば,「注文主や制作の経緯について伝える資料は残っていない」(p.94)とのことだ.

写真:
グエルチーノ
「聖マタイと天使」
1621-2年
カピトリーニ博物館
2014年9月撮影


 上の写真では判別できないが,特別展の解説プレートを参照しながら実物で,天使が示す文字を判読すると,ラテン語で「私が書いた」(スクリープスィー)と書かれ,主語は「福音史家マッテーウスである私」,目的語は「この福音書を」とある.

 このことは『図録』にも指摘されているが,つまり,片肘をついているマタイは福音書を書き終えた後であると思われ,通常,「聖マタイと天使」という絵は,マタイが天使からインスピレーションを得ている場面が描かれることを考えると,独創的な図像であることがわかる.

 『図録』でこの絵の解説を書いたのはYKとあるので,奥書の執筆者に名を連ねている,西洋美術館研究員の川瀬佑介であろう.図録には彼の論文「幻想絵画としてのグエルチーノ作《ロレートの聖母を礼拝するシエナの聖ベルナルディーノと聖フランチェスコ》」が収録されているので,専門家であろう.とすれば,川瀬が解説で,このような図像は「管見の限りほかに例がない」と言っている以上,非常にめずらしい作例であると考えて良いだろう.

 マーンを参照するとドレスデンにある「聖マタイと天使」の聖人は禿頭で,こちらは天使がインスピレーションを与える通常のタイプのようだ.

 カピトリーニ美術館には「聖ペロトニッラの埋葬」という巨大な作品もある.


キリスト教的な主題以外の作品
 2012年3月にフィレンツェを再訪し,2007年の滞在中には修復中で見られなかったバルディーニ美術館を見ることできた.素描をコレクションした小さな暗い部屋にひっそりと置かれていたのが,この「天空を支えるアトラス」だ.これが,私がフィレンツェでグエルチーノ作と意識した上で,初めてじっくり観た彼の作品だ.

写真:
グエルチーノ
「天空を支えるアトラス」
1646年
フィレンツェ,バルディーニ博物館
2012年3月撮影


 今回の特別展には「マルシュアスの皮をはぐアポロ」,「アポロとマルシュアス」,「クレオパトラ」,「ルクレティア」2点,「ディアナ」,「エンデュミオン」とキリスト教主題以外の作品も展示され,グイド・レーニの「ルクレティア」もあった.

 グエルチーノの人文主義的主題の作品では,カジーノ・ルドヴィージの2つの天井画が圧倒的だと思うが,このアトラスの絵も佳品だと思う.



 今回の特別展は,彼の故郷,エミリア=ロマーニャ州,フェッラーラ県,チェント(英語版伊語版ウィキペディア)が2012年に大地震に襲われ,市立博物館,教会が被害を受け,特に前者は崩壊の恐れもあって休館せざるを得ない状態となり,それらの収蔵作品が貸し出されて実現した特別展ということだ.

 今後もチェントまではなかなか行けないことを考えると,貴重な体験だった.

 グエルチーノの生涯を5つの時期に分け,それぞれの時代の作品を展示してくれていたのも良かった.チェントで生まれ,ボローニャで才能が開花し,ボローニャ大司教が教皇になったことから,ローマで活躍し,短期間でエミリア・ロマーニャに帰り,故郷で暮らしていたが,戦禍を避けて,ボローニャに居を移し,その地で亡くなった.

 同時代の先人(16歳年長)グイド・レーニをを意識をして,作風を変えながら,長期に渡って画家生命を維持し,晩年仕事が減ったとしても,全体としては成功した芸術家であった.

 グエルチーノの人生は様々な波乱と葛藤に満ちていたのに,年表だけ見ると,人物がくっきり描かれた,青黒っぽい印象の綺麗な絵を量産して,歴史に埋没したかのような印象を受ける.一つ一つの作品を歴史的文脈の中で整理し,彼がその周辺に生まれ,最後は根拠地としたボローニャの芸術的伝統に想いをはせながら鑑賞することで,作品に現れた様々な試みや画風の変遷を理解し,感銘を深めることができるのではないかと,今回の特別展を観て思った.

 その意味でも,チェントからまとまって貸し出された諸作品を観ることができて良かった.

 やはり「聖母被昇天」と「聖母のもとに現れる復活したキリスト」は,特別展一押しの作品だけのことはあった.個人的にはボローニャの国立絵画館で見ることのできなかった(と思う)「洗礼者ヨハネ」とローマの画廊から貸し出された「聖フランチェスコ」がそれぞれ初めて観ることができて良かった.

 最も好きな作品は,ボルゲーゼ美術館にあり,日本のボルゲーゼ展にも出展された「放蕩息子の帰還」である.昨夏,ローマに行った時,ボルゲーゼで写真を撮っても良いことになっていたので,この作品を写真に収めたかったが,その時は見ることできなかった.買ってきた絵葉書と『図録』を眺めながら,心の中で何度も反芻したい.

 先日ヴェネツィアに行って,「切りガラス」と「吹きガラス」の違いを多少とも意識するようになったが,この絵の向かって右上の窓は,ヴェネツィア伝統の吹きガラスになっている.ヴェネツィア訪問を機に,グエルチーノがヴェネツィア派の影響を受けたことが指摘されているが,そのことと関係があるかどうかはわからない.






今更だが,大抵の美術館に
グエルチーノの作品はあった気がする
この写真はエルミタージュ美術館
(上の絵が彼の「聖ヒエロニュムス」
下はアゴスティーノ・カッラッチ「ピエタ」)