フィレンツェだより
2007年5月12日


 




ヴァザーリの回廊
ヴェッキオ宮殿からウフィッツィ美術館へ



§文化週間 第1弾 −ウフィッツィ美術館−

5月12日から20日までは「文化週間」で,国立の美術館等が入場無料になる.


 このチャンスを最大限に活かしたいと思うが,昨年の「文化週間」に大混雑するウフィッツィ美術館の写真を新聞で見たので,残念だったがウフィッツィだけは最初からあきらめた.

 初日の今日はとりあえず,昨年9月以来行っていないパラティーナ美術館(ピッティ宮殿)に行くことにして,午前中に買い物と早めの昼食を済ませて外出した.

 まず,ドゥオーモ広場に出て,サン・ジョヴァンニ洗礼堂とドゥオーモの間をまっすぐ進み,オルサンミケーレ教会を通り過ぎて,シニョリーア広場に出て,混んでいると思われるウフィッツィ美術館を横目に見ながら,アルノ川沿いに出て,ヴェッキオ橋を渡り,ピッティ宮殿に行くという,きわめて正統的なコースをたどる予定だった.

しかし,ウフィッツィの前まで来て目を疑った.行列がそれほど長くない.


 「入場無料」はウフィッツィには適用されないのだろうかと訝しく思ったが,かりに入場料を払うとしても,この程度の行列で済むのなら,チャンスであることは間違いない.すぐに列の最後尾に並んだ.結局1時間強待ったが,入ってからは余裕のある美術鑑賞ができた.やはり無料だった.

 あるはずの「サン・ピエル・スケラッジョの間」は今日も見つからなかったし,ルーベンスの絵は今日も見られなかったが,先日は見せてもらえなかった2階の素描版画閲覧室でデューラーの版画を見ることができたし,この間は開いていなかった,レンブラントの絵のある間も見ることができたので,大変充実した時を過ごすことができた.


ウフィッツィとメディチ家
 ウフィッツィ美術館のある建物がウフィッツィ宮殿だが,「宮殿」という言葉からイメージされる豪華さからは遠い,わりに質素な建物という印象を受ける.

 「ウフィッツィ」という語は,私たちが「オフィス」として知っている英語と同じ語源のラテン語「オッフィキウム」に由来するウッフィーツィオの複数形で,もともとは1560年のトスカーナ大公コジモ1世が,行政機関を集中しておくためにヴァザーリに注文して作らせ始めた建物とのことである.

 結局,完成したのは1580年で,パリージとブオンタレンティの手になるそうだ.当時の大公フランチェスコ1世の考えから美術品の収集・展示が始まったらしい.様々な経過を経て現在の美術館になっているが,「ウフィッツィ」という名称の由来と,美術館としての起源はともに16世紀後半のことだから,私たちが良く知っている,フィレンツェ共和国時代のメディチ家とは関係が薄い.

 ヴァザーリはコジモ1世の命により,ヴェッキオ宮殿から,ウフィッツィ宮殿を通って,ヴェッキオ橋の上を通り,アルノ川を越えて,そのままピッティ宮殿まで,人目に触れないまま行ける通路を作った.通称「ヴァザーリの回廊」だ.

 コジモ1世とトレドのエレオノーラとの間の子供で,後のフランチェスコ1世とオーストリアの皇女ジョヴァンナとの婚礼に関連してのことだそうだ.




ウフィッツィ美術館から見た
ヴァザーリの回廊(4月21日撮影)




ジョットの鐘楼から見たピッティ宮殿
(3月31日撮影)



 ウフィッツィ宮殿をつくったのは,傍系とはいえトスカーナ大公のメディチ家だし,フィレンツェの美術隆盛に貢献したのは,ジョヴァンニ・ディ・ビッチ,老コジモ(トスカーナ大公家はコジモの弟老ロレンツォの子孫),通風病みのピエロ,ロレンツォ豪華王といった私たちがよく知っているメディチたちである.

 ウフィッツィ美術館の入り口がある回廊の中側には彫像が並んでいるが,一番最初の彫像は「老コジモ」像である.その隣に「ウフィッツィ美術館」(ガッレリーア・デーイ・ウッフィーツィ)というプレートがある.開かない扉の隣にロレンツェ豪華王の彫像もあるが,作者は誰かまだ調べていない.

写真:
壁龕に彫像が並ぶ回廊


 外側にも一連の彫像があり,こちらはフィレンツェ出身もしくはフィレンツェに関係の深い文化人たちだ.先頭2番目から,ニッコラ・ピザーノ,ジョット,ドナテッロ,レオナルド・ダ・ヴィンチ,ミケランジェロ,ダンテ,ペトラルカ,ボッカッチョ,マキアヴェッリと錚々たる人物が続く.

 先頭にいるのはアンドレーア・オルカーニャだ.

写真:
オルカーニャの像
隣のヴェッキオ宮殿との
間に「ヴァザーリの回廊」
が見える.


 オルカーニャの作品は,先日オルサンミケーレの礼拝壇を見て,感銘を受けたが,ウフィッツィでは,彼(本名アンドレーア・ディ・チョーネ)と弟のヤコポ・ディ・チョーネの共作による「聖マタイのトリプティック」(トリプティックは英語で,triptych「祭壇背後の3枚折り画像または彫刻」『リーダーズ英和辞典』)を見ることができた.

 この作品が展示されているのは第4室「1300年代のフィレンツ絵画」で,第2室は「1200年代絵画とジョット」,第3室は「1300年代のシエナ絵画」,第5室と第6室が「国際ゴシック絵画」の展示室と,このあたりまでがルネサンスに先駆ける中世の終わりの芸術と言って良いであろうか.

 今回は,これらの部屋を丁寧に見た.ジョットの素晴らしさは言を俟たないが,チマブーエ,シモーネ・マルティーニとリッポ・メンミ,ベルナルド・ダッディ,ジョットーネ,ロレンツォ・モナコとコジモ・ロッセッリの作品は素晴らしかった.

 古くても13世紀ということであれば,日本の歴史で言えば鎌倉時代で,さほど古い時代とは思えないが,ルネサンスというのは,何もない状態から生まれたのではないことを認識するどころか,私はルネサンスよりも中世の絵の方が好きなのではないかと思うほど,この手の絵にははまってしまいそうである.

東大寺三月堂の仏像群(こちらの方がずっと古い)でもそうだが,信仰と芸術の幸福な融合が見られるように思う.


 とはいえ,オルカーニャにとって上記の作品の制作動機は,有力ギルド銀行家組合からの注文であり,それを支える経済力もまた芸術にとって大事なものであることも間違いないだろう.

 ボッティチェルリは,ラファエロと同じく「聖母子」が良い,聖母の顔,キリストの顔,幼年時代の洗礼者ヨハネの顔,天使に擬せられた少年たちの顔が良い.マッチョな男女がすごいミケランジェロとは好一対で,やはりそれぞれの作家の好みが反映しているのだろう.

 「ニオベの部屋」は,部屋自体も,数少ない「宮殿」を思わせる豪華な作りで素晴らしいが,何と言ってもニオベは圧巻だ.ギリシア彫刻のローマ時代のコピーだが,古代彫刻で私たちが見ているものはコピーが多く,その時代のコピー作家の力量と,失われてしまったオリジナルのすごさを思わないではいられない.ルネサンスや中世だけでなく,古代もすごいのである.

 ウフィッツィはシニョリーア広場の傍にあり,下の写真は美術館を出てから広場に向かって撮影したものだ.左端の建物がウフィッツィ宮で,向かいにはヴェッキオ宮殿(右端の建物)がある.

 後方にあるのは,ランツィのロッジアと呼ばれる柱廊で,一部はコピーだが傑作彫刻群で知られている.人出はまずまずだった.





ウフィッツィを堪能後
賑やかな人混みに戻って