フィレンツェだより番外篇
2013年10月17日



 




ゴーギャン作
「アハ・オエ・フェイイ」(え,何,妬いてるの)
カンヴァス油彩,1892年
プーシキン美術館


§ロシアの旅 - その9 19-20世紀の作品

絵を観るに際して,人文主義的な教養が確かに必要だと思うことがある.


 例えば,ゴシック,ルネサンスの宗教画,ルネサンス,バロックの神話画を観る場合,聖書の記述,聖人伝の物語,ギリシア神話や英雄伝説に関する何かしらの知識があって,初めて描かれている内容を理解でき,同じ画家が描いた別の画題の絵,別の画家が描いた同主題の作品の関連性に思いが至る.

 その関連性が,また新たな興味を産んで,少なくとも,フィレンツェ滞在以来,ゴシック,ルネサンス,バロックの宗教絵画に魅せられ続けている.一方,近現代の絵画に関しては,正直な所,自分が今までに多少とも積み上げてきた人文主義的教養が,それらを鑑賞する際に活かされるという確信が全くない.

 では,全然興味が無いかと言えば,子供の頃から「名画」として刷り込まれ続けてきた作品群だけに,鑑賞する機会があると,「なるほど,良い作品だ」と納得し,満足感も得られることが多い.

 サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館と,モスクワのプーシキン美術館で観ることができたヨーロッパ近代の作品群は,すばらしいものだった.


印象派・後期印象派
 下の絵がセザンヌの作品であると言われて,「確かにそうだ」と言うほど,セザンヌの絵を観たことがないような気がする.それでも,セザンヌが偉大な画家であろうことは,その通りだろうと思うし,この絵も,観られて良かったと思う.

写真:
セザンヌ
「ピエロとアルルカン」
カンヴァス油彩
1888-90年
プーシキン美術館


 セザンヌからピカソへの流れって,もしかしたらあるのかな,とか思ってしまうが,この感想がまったくトンチンカンなものであったとしても,あくまでもこれは個人的感想だからと言い訳しておく.

 プーシキン美術館のブックショップで購入した案内書,

 The Pushkin State Museums of Finen Arts: Gallery of 19th and 20th Century European and American Art, Moskow: Red Square Publishers, 2013

に拠れば,モデルは画家の息子ポールとその友人のルイ・ギョームとのことで,であれば,本当のピエロとアルルカンを描いたものではないということなのだろう.

写真:
ドガ
「青い踊り子たち」
紙にパステル
1898年頃
プーシキン美術館


 ドガが描いた「踊り子」の絵もたくさんあるように思われるが,実際はそれほどでもないのかも知れない.それでもグーグルで,「degas ballet dancer」を画像検索すると,やはり複数の絵の写真が見られ,プーシキン美術館のこの絵もある.

 たまたま観ることができたからの感想かも知れないが,この作品は傑作度が高いと思う.特にドガが好きと言うわけでもない私が観ても,動きや表情,色の組み合わせが成功を収めていると思う.

 ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートには,近現代の作品はあまり掲載されていないが,ドガの全作品とうたっている写真付きのウェブページもあるようだ.1165点の写真は壮観だ.

 わずか4人なので「群舞」と言う表現は的を射ていないかも知れないが,群舞感を感じさせる作品だ.しかし,前出の案内書に拠れば,一人の同じ踊り手の動作を描いたものとのことなので,「群舞」感は,はずれのようだ.

写真:
ルノワール
「黒い服の少女たち」
カンヴァス油彩
1880年代
プーシキン美術館


 私たちがロシアに行っている時期に,横浜で「プーシキン美術館展」が開催され,ルノワールの有名な「ジャンヌ・サマリーの肖像」が来ていた.モデルに関しては仏語版ウィキペディアに立項されており,そこでプーシキン美術館の作品と,エルミタージュ美術館の作品,ルイーズ・アベマという女性の画家が描いた肖像画の写真が掲載されている.

 コメディアン(フランス語では女性形でコメンディエンヌ)とのことだが,この語は.おそらくコメディー・フランセーズの役者ということで,日本語で言うコメディアンとは多分,違うのだろう.喜劇役者と言う限定は可能かもしれない.

 デビューが,「タルチュフ」のドリーヌ(1874年で17歳)ということなので,モリエールの古典作品を演じられる堂々たる女優だったことになる.1890年にチフスで亡くなった時には,まだ33歳だった.ルノワールの肖像画に醸し出されるやわらかな表情からは,早世は想像もつかない.

 エルミタージュで,ルノワール作の彼女の全身像を見ることができたが,やはり印象に残る作品だ.プーシキン美術館の案内書では,「ジャンヌ・サマリーの肖像」と「黒い服の少女たちは,見開きの反対側のページで紹介されており,前者が描かれた1877年(ジャンヌは20歳)と,後者が作成された1880年代の初期の間には,ルノワールの画風に変化が起こり,色彩に関する科学的理論の影響を受けて,印象派的雰囲気が後退して行く時期にあたるとのことだ.

 その意味では,革新的な意義を持つ作品かも知れないが,「やはり,ルノワールの作品」と思わせる連続性は間違いなくあると思う.佳品だ.私は好きだ.

写真:
シスレー
「ヴィルヌーヴ・ラ・ガレンヌ」
(セーヌ河畔の村)
カンヴァス油彩
1872年
エルミタージュ美術館


 アルフレッド・シスレー(英語ではシスリーかシズリーのような発音になるようだ)が,イギリス人であったとは不明にして知らなかったが,彼はパリの生まれだし,終生フランスで暮らしたので,実質はフランス人と言って良いのだろう(日本語ウィキペディア「アルフレッド・シスレー」は相当詳しい.瑕瑾だが,整理の所に「国籍 フランス」とあるのは,市民権申請が却下されたとの本文と矛盾している).

 ルノワールと親しく,ルノワールはシスレーの肖像画(1868年,チューリッヒ,ビュールレ・コレクション)を描いている.

 五木寛之(編著)『エルミタージュ美術館 3近代絵画の世界』日本放送出版協会,1989(以下,『エルミタージュ2』)

にも,この作品は小さいがカラー写真掲載で取り上げられている.「前景に樹木を大きく配してその上部を大胆に断ち落とした構成は,はったりのない中庸を好むシスレーの空間表現の中では特異な位置を占めている」(p.80)との指摘は,なるほどと思わされるが,この絵の前では光に満ちた美しい景色を楽しみたい.

 エルミタージュのHPの解説に拠れば,印象派初期の作品だが,伝統的構図が残されており,中心にある風景を樹木が枠となって囲い,舞台のような効果をあげている,としている.

 シスレーは,「印象派」の画家とされるが,そういう分類が必要とは思われないほど,「シスレー」という画家の作品に個性を感じ,魅力を感じる.エルミタージュにはHPに拠れば4点,プーシキンには案内書に拠れば2点,彼の作品があったようだが,「ヴィルヌーヴ・ラ・ガレンヌ」が圧倒的に良かったからか,他の作品見た記憶がない.

写真:
ゴッホ
「ライラックの茂み」
カンヴァス油彩
1889年
エルミタージュ美術館


 翌年,自死を遂げるゴッホが,1889年南仏アルル近郊のサン・レミ療養院の部屋から庭を見ながら描いたとされる「ライラックの茂み」は,最晩年の作品で,美術館のHPによれば,印象派の影響は見られるが,印象派絵画に無い空間表現を確立して,ゴッホ独自の世界を築いているとのことだ.

 私にとっては,言われなければ,ゴッホの作品であることすら意識しない,自分の好みに合った絵だと思えた.

 「発作の合間を縫って,精神の悲劇的な昂揚を絵に表現」し,「精神的な緊張感を反映するかのように繊細な色彩やタッチが画面に響きあっている」(『エルミタージュ3』,p.103)ということだが,私はむしろ,一時的なものかも知れないが,精神の安定を感じる.素人考えだが,構図的にも,色彩的にも,いつか来る嵐を思わせながらも,落ち着いた風景に思える.完全に主観的な解釈だとは思うが.

 ゴッホの人生に関しては,日本語ウィキペディア「フィンセント・ファン・ゴッホ」が驚くほど詳細で,一読して,天才の生涯に引き込まれてしまう.出典や注解も豊富で,「日本での受容」という項目は欧文ページでは読めないものであり,専門家でない限りは,ここから得られる情報で,かなり満足が得られると思う.事実関係に誤りがないかどうかは私には判断しかねるが,執筆者は専門家ではないかも知れないが,相当の知識を持った愛好者と思われる.

 そこでは,同時期に描かれたと思われ,そのことが弟テオへの手紙で言及されている(『エルミタージュ3』,p.101)「アイリス」(ポール・ゲッティ美術館)は紹介されているが,この作品は取り上げられていない.私は傑作だと思う.



 『エルミタージュ3』はエルミタージュ美術館にはゴッホの作品が4点あるとしているが,HPに拠れば8点あるようだ.全部は観た記憶がないが,『エルミタージュ3』にも写真が掲載されている「藁葺き小屋」に魅かれた.HPの解説に拠れば,ゴッホの手紙に藁葺き屋根ある小屋の魅力を語った一節があるようで,彼を魅了した光景だったのだろう.

 英語版ウィキペディアには,この作品とは別に,「ゴッホの描いた小屋」という項目が立てられていて,そこに挙げられた複数の作品はどれも魅力的だが,エルミタージュの絵が最もゴッホらしいように思われる.終焉の地オーヴェール・シュル・オワーズで,死の2か月前に描かれた作品で,まさに最晩年の作ということになる.

 プーシキン美術館の案内書には,ゴッホの作品は4点紹介されているが,「オーヴェールの雨後の風景」(荷車と汽車の見える風景)に最も魅かれた.英語版ウィキペディアに「ゴッホの作品リスト」を見ると,最晩年の1890年,彼はオーヴェールの風景をたくさん描いている.いかに精神が不安定であっても,これから自死という結末が待っているとは思えない.

 生前,売れた彼の作品がたった1点であったとよく言われるが,天才が,枯れない泉のように次々に作品を産み出したのだ.間違いなく,自分の絵が傑作であると言う確信があったのではないだろうか.日本語ウィキペディアが,確証がなく,認められていないとしながらも紹介している,自死ではなく,事故だったという新説にすがりたいような気持になる.


バルビゾン派
 エルミタージュ美術館のHPに拠れば,同美術館にはコローの作品が8点あり,プーシキン美術館の案内書には6点紹介されているが,下の絵はどちらにも取り上げられていない.かろうじて,プレートの写真も撮っていたので,プーシキン美術館で観た「アヴレー村の池」という作品であることが確認できる.

 グーグルの画像検索で「corot avray pushkin」を検索しても,それらしい白黒写真がヒットするくらいで,あまり有名な絵ではないのかも知れない.

写真:
コロー
「アヴレー村の池」
カンヴァス油彩
1850-70年代
プーシキン美術館


 しかし,いかにもコローらしい絵で,私は魅かれた.同じような絵を山ほど描いているようだが,ワシントン・ナショナル・ギャラリーにあるが最も有名で,いつどこで見たのか覚えていないが,日本の特別展で見て,小さな複製を買い,額装してずっと自分の部屋に飾っていた.何かしらの郷愁をかきたててくれる,こういう分かり易い絵が私は好きだ.

 ウェブページを探すと,「コロー 全作品」というページがあり,仏語版ウィキペディアにも「コローの作品リスト」が立項され,全作品ではないかも知れないが,写真も見られる.ただ,そこからたどっても,ゴッホの場合と違い,個々の作品の情報はあまりない.

 そのどちらにも,この絵の写真は掲載されていない.前者で「Avray」で検索をかけると,43作品がヒットするが,その中では,「アヴレー村で薪を集める女性」という絵が良く似ているが,複製画を売るサイトだからかどうかわからないが,どこに所蔵されいるかはわからない.女性の向きが反対だし,多分同じ場所だとは思うが,樹木や建物がかなり違う.

 と言うわけで,今の所,この作品の個別情報は全くない.

 撮って来た写真を確認すると,プーシキン美術館でコローの作品を8点見ており,案内書と1点(「マリオット・ガンベの肖像」)が重ならないので,少なくとも9点をこの美術館は所蔵しているはずだ.その中では「ヴェネツィアの朝」がやや特異だが,他は観ていない(横浜に来ていたのだろうか).肖像画の他は全てコローらしい絵で,大いに満足の行く鑑賞ができた.

 同じ部屋にあった絵では,クールベの「海」,ディアス・デ・ラ・ペーニャ(両親はスペイン人だが,本人はフランス人なので,違う読み方になると思うが,その場合nの上のニョロニョロ記号ティルデはどう読むのだろうか.以下,ディアス)の「フォンテーヌブローの秋」が良かった.

 「バルビゾン派」に分類される画家では,案内書にはコロー,ディアスの他に,ドービニェ,デュプレ,ミレー,トロワイヨン,テオドール・ルソーの作品も紹介されているが,観た記憶がない.

 こうした一連の風景画については,プーシキン美術館のコレクションは上質で,感動した.何度でも行きたい.


ナビ派
 「ナビ派」と言う用語を特に意識したことはないが,印象派の後に来る,フランス美術の流れで,19世紀末のパリで活躍した,当時としては前衛的な芸術家たちを指すらしい(日本語ウィキペディア「ナビ派」からも必要な情報が得られる).

 「ナビ」はヘブライ語もしくはアラビア語の「預言者」から来ているとのことだが,最初はゴーギャンの色彩に関する教示に,ポール・セリュジエが感銘を受けたところから,それに共鳴したモーリス・ドニピエール・ボナールエドゥアール・ヴュイヤールらが中心になって,芸術活動が行われた.

写真:
ヴュイヤール
「室内にて」
厚紙油彩
1903
プーシキン美術館


 ヴュイヤールの作品は,エルミタージュHPには4点(うち,1点はやはり「室内にて」という題名),プーシキン美術館案内書には1点取り上げられている.ボナールはエルミタージュHPには11点,プーシキン美術館案内書には2点,ドニはエルミタージュHPには12点,プーシキン美術館案内書には1点取り上げられている.

 このうち,ドニの「邂逅」(エルミタージュ美術館)は,ピカソの「出会い」(1番下の写真の向かって右)同様,聖母エリザベト訪問を思わせ,噴水で水を飲む2羽の鳩は,やはり初期キリスト教の古代的装飾を思わせる.またプーシキン所蔵の「緑の浜辺,ペロス=ギレク」は,案内書でも述べられているように,トップの写真のゴーギャンの絵によく似ており,明らかに影響を受けている.

 案内書にのっていないし,観た記憶がないが,ウェブ上にプーシキン美術館の作品を集めたページがあり,ドニの「ポリュペモス」が掲載されている.ギリシア神話を扱った作品もあったことになるが,観られなかったか,気づかなかったか,いずれにせよ,残念だった.


ピカソ
 ピカソに関して,私が,何かを語ることは,意味がないだろう.誰もが知っている作品だが,やはりインパクトがある.

写真:
ピカソ
「玉乗りをする曲芸師」
カンヴァス油彩
1905年
プーシキン美術館


 今回,エルミタージュでも,プーシキンでも相当数のピカソ作品を観た.個人的にはキュビズムの作品と,陶器に興味を魅かれたが,どの作品も,機会があれば,じっくり時間をかけて観たいと思わせるものだった.






人気(ひとけ)の少ない ピカソの作品が並ぶ部屋
エルミタージュ美術館