フィレンツェだより番外篇
2012年5月3日



 




ジョット派「キリスト磔刑像」
サン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会



§フィレンツェ再訪 - その15 フィレンツェの小さな教会

大聖堂,サンタ・マリーア・ノヴェッラ,サン・ミニアート・アル・モンテなどの大きな教会は,今回のツァーのコースに入っていた.ごく当たり前の観光ポイントで,フィレンツェを訪れた大抵の人が行く場所であろう.


 上記の3つの大教会の他にも,サンタ・クローチェ,サンティッシマ・アヌンツィアータ,サント・スピリト,サンタ・トリニタ,オンニサンティ教会といった比較的大規模な教会を訪ねることができた.オンニサンティ以外はバジリカ(聖堂)の呼称を持っている.

 修道院の美術館は有名だが,教会本体はあまり観光コースには入らないサン・マルコもバジリカだ.今回,ここは2回訪ねて,2回目に入ることができた.

 滞在中に一度だけオルガンコンサートを聴きに行ったサン・フィレンツェ教会も再訪した.この教会は,堂内は地味だが,他の宗教施設も同じ建物内にあって,見た目は大きい.オラトリオ会という比較的新しい修道会の教会で,外観も堂内もバロック的で,フィレンツェではめずらしいので,いつの日かこの教会についても考えてみたい.

 一方,市内には小規模な教会もたくさんある.例えば『地球の歩き方』には,いくつか紹介されているので,こうした小規模な教会に行くこと自体は決して稀有の体験ではないかもしれないが,タイトな日程の中であえて複数廻るには,土地勘や,ある程度の知識が必要かもしれない.

 サンタ・フェリチタ,サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ,サン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ,サンティ・アポストリ,サンタンブロージョ,サン・ミケリーノ・デイ・ヴィスドミニ,サン・ジョヴァンニーノ・デイ・スコローピなどを自由時間に廻ったが,多少ともフィレンツェに土地勘がある利点を活かして,夕方,教会が開く時間帯に効率よく訪ねることができたと思う.

 今回はこれらの中からサンティ・アポストリ,サンタンブロージョ,サン・フェリーチェ・イン・ピアッツァに絞って,小規模な教会の拝観報告をしたい.


サンティ・アポストリ教会
 サンティ・アポストリは,滞在中にも報告をまとめたことがあり,特に新しいものを見たわけではない.中央祭壇の金地板絵の三翼祭壇画,その向かって左隣のジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの祭壇飾り,スキアーヴォの剥離フレスコ画,ヴァザーリの「無原罪の御宿り」にまた出会うことができた.

写真:
コリント式の柱頭と
木組みの天井
サンティ・アポストリ教会


 小さい教会ながら,身廊と側廊を2列の柱が区切る3廊式の教会で,その柱列の一部は古代ローマの遺構からの再利用であり,その他はプラートの緑大理石を使って,コリント式の柱廊をつけたロマネスク時代のものとされる.

 古代末期と初期中世の雰囲気をたたえた教会だが,天井は木組みで,この点が,やはりイタリアらしい.


サンタンブロージョ教会
 サンタンブロージョは,滞在中も,知識がないままに偶然立ち寄った教会で,訪問した回数も,今回を含めても精々3回か4回にすぎない.しかし,ここで見られる,地味だがフィレンツェの芸術を考える上で重要な諸作品には毎回,心奪われる.

 暗い堂内に入って最初に目が行くのが,後陣左にある礼拝堂で,壁面にフレスコ画が描かれているのは遠目にも一目瞭然だ.そこまで駆けて行きたい気持ちを抑えながら,ファサードに近い所から,左壁面を順番に見て行く.

 まず,アレッソ・バルドヴィネッティの「天使たちと聖人たちに囲まれた聖母の嬰児キリスト礼拝」があり,その側には,伝・アーニョロ・ガッディの「聖セバスティアヌスの殉教」,アンドレア・ボスコリの「エリザベト訪問」,レオーネ・タッソーの木彫「聖セバスティアヌス」,コジモ・ロッセッリの祭壇画「聖アンドレアと聖フランシスの間の栄光の聖母子」,ラファエッリーノ・デル・ガルボの「聖アンブロシウス,トビアスと大天使ラファエルに囲まれた修道院長アントニウス」があり,上部には「受胎告知」も描かれている..






伝アーニョロ・ガッディ
「聖セバスティアヌスの殉教」
左:全体/上:部分



 さらに進むとルイージ・アデモッロの「最後の晩餐」があり,その奥にコジモ・ロッセッリのフレスコ画「聖杯の奇蹟」が同名の礼拝堂にある.フィレンツェでおきたとされる奇蹟を記念したこの礼拝堂には,ミーノ・ダ・フィエーゾレのタベルナコロと彼自身の墓がある.

 この礼拝堂のリヴ・ヴォールト天井には,コジモ作の「4人の教会博士」が比較的立派に残っており,その中にももちろん,教会の名のもとになっている聖アンブロシウスもいる.

 堂内には,レオーネ・タッソー,ヴェロッキオ,建築家のイル・クロナカ,ミケランジェロとともにギルランダイオ工房にいたフランチェスコ・グラナッチの墓があって,大げさに言えば,フィレンツェのルネサンス芸術家のパンテオンのようでもある.ただし,目を引くモニュメントとしては,ミーノの自作のものがあるだけだ.



 この教会は単廊式で,礼拝堂は中央礼拝堂の両側にあるだけだと記憶する.中央礼拝堂奥の後陣にも左右に壁画()があるが,これはどういう絵かは確かめていない(作者はアデモッロらしい).

 中央祭壇の向かって右前壁にアデモッロの「嬰児虐殺」があり,その隣の礼拝堂(と言うよりは壁龕)に伝ロレンツォ・ディ・ビッチの三翼祭壇画「聖母子と聖人たち」がある.この絵は,今回じっくり見たが,ロレンツォと言うよりも,息子のビッチの作品を少し下手にしたような印象の祭壇画だ.可憐な感じがするので,傑作ではなくても好感が持てる.私は好きだ.

 右側壁を奥からたどると,まず,作者の確認はできていないが,多翼祭壇画の中央のプレートだったのではないかと思われる「玉座の聖母子と聖人たちと寄進者」の金地板絵があり,これについては,ウィキメディア・コモンズの写真のタイトルからヒントを得て辿って行くと,ジョヴァンニ・ディ・バルトロメオ・クリスティアーニと言うピストイア出身の15世紀後半の画家に辿り着く.聖人たちは杖の形から,修道院長アントニウスと大ヤコブと思われる.

 次に,記憶に間違いがなければ,伝フィリーネの親方の「聖オノフリオ」(ウィキメディア・コモンズに掲載の写真は,前にマザッチョとマゾリーノの作品のコピーが置かれているが,私は見た記憶ないように思う),説教壇,オルカーニャ派の「授乳の聖母子と聖人たち」(聖人は洗礼者ヨハネとバルトロマイか),14世紀の作者不詳のフレスコ画「受胎告知」,ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ作とされる「キリスト降架」とそのシノピアと続く.

 他にも新しい感じのする絵も何点かあるが,未確認だ.かつては,ここにマザッチョ,マゾリーノ共作の「聖母子と聖アンナ,天使たち」,フィリッポ・リッピの「聖母戴冠」,ボッティチェリの「玉座の聖母子と聖人たち」があり,これは全て現在ウフィッツィ美術館に展示されている.


写真:
コジモ・ロッセッリ
フレスコ画「聖杯の奇蹟」


 しかし,教会に現存する最高傑作は同じ空間にあるミーノのタベルナコロと,「聖杯の奇蹟の礼拝堂」のコジモ・ロッセッリのフレスコ画であろう.ここに描かれているのは,確かに,12世紀にあったかも知れない中世の奇蹟の物語だが,私たちの目に見えるのはコジモの同時代の15世紀半ば頃のルネサンスのフィレンツェではないだろうか.建造物の様子といい,人々の服装と言い,まるで目の前にコジモが見ていた町の様子が再現されているかのようだ.

 あるいは,同じくアレッソ・バルドヴィネッティの影響を受けた後進のギルランダイオに対して先蹤となったかも知れない.このフレスコ画は,コジモの作品としては清新の気風が漲っているように思える.



 コジモ・ロッセッリの作品は薄い青に特徴があるように思える.

 同じくサンタンブロージョにある,「栄光の聖母子と聖人たち」,サンタ・マリーア・マッダレーナ・デイ・パッツィ教会の「聖母戴冠と聖人たち」(マンドルラ型の熾天使たちの環の中で,中空で聖母が全能の神から戴冠されている)の板絵の背景の青も印象的だし,フレスコ画「聖杯の奇蹟」も,サンティッシマ・アヌンツィアータの奉納物の小開廊の聖フィリッポ・ベニーツィの生涯を描いたフレスコ画も,やはり青に特徴があるように思える.

 わざわざ,大層な本を引用するほど,きちんと勉強したわけではないが,以前から持っていた

 Edith Gabrielli, Cosimo Rosselli: Catalogo Ragionato, Torino: Umberto Allemandi & Co., 2007(以下,ガブリエッリ)

に,工房作品も含めほぼ全作品がカラーと白黒写真で掲載されているので,何とかその作風を追うことができる.この本には白黒写真しか掲載されていないものの,サン・サルヴィ修道院の旧食堂美術館で実物を見た祭壇画「玉座の聖母子と幼児の洗礼者ヨハネと聖人たち」(聖人は大ヤコブとペテロ)の聖母と聖人たちの衣の色もこの青で,これらの絵は魅力的だ.

写真:
コジモ・ロッセッリ
「玉座の聖母子と幼児の
洗礼者ヨハネと聖人たち」
サン・サルヴィ美術館


 ガブリエッリの本の表紙カヴァーも水色なのは,やはりコジモの魅力的な特徴の色を意識してのことだと思いたいが,この出版社の本は,水色のカヴァーが多いので,偶然かも知れない.

 ガブリエッリの索引と図版を参照すると,パラティーナにもコジモの作品「嬰児イエスの礼拝」があるようだ.見た記憶がないし,カラー写真で確かめることができないので,色はわからない(美術館の図録にはこの絵の写真は掲載されていない).

 一方,フィレンツェで見たコジモの絵が全て魅力的なわけではない.アカデミア美術館で見られる「洗礼者ヨハネと使徒マティアの間の聖バルバラ」は顔が変だ.青も良く見るとけっこう使っているが,両側の聖人の外衣が赤いので,全体的に赤っぽくて,私のコジモへの印象とは異なる.

 サント・スピリト聖堂後陣周廊のコルビネッリ礼拝堂にある祭壇画「玉座の聖母子と聖人たち」は,主要な画面は赤っぽい感じ(ガブリエッリの図版は白黒だが,滞在中にまだ撮影が禁止されていなかった時に撮った写真がある)がするし,聖母の外衣の青も濃いが,背景上部の空と,プレデッラ(裾絵)の3場面の背景に薄い青が使われており,私にとってのコジモ的な特徴が見られるように思える.

 しかし,聖母の顔はまずまずとして,聖人たち(トマスと,もう一人は鍵を持っているのでペテロだと思うが,裾絵にはアウグスティヌスの説教場面が描かれているので,あるいは当初の意図はアウグスティヌスだったかも知れない)の顔は変な顔だ.

 ガブリエッリの白黒図版が,制作年順だとすれば,アカデミアの「聖バルバラ」もサント・スピリトの祭壇画も初期の頃の作品の可能性が高い.私が勝手にコジモ的と考える特徴がはっきり表れている.サン・サルヴィ,サンタンブロージョ,サンタ・マリーア・デイ・パッツィの3つの祭壇画は,後期の作品の可能性が高い.

 ここからは私の空想に近い想像だが,ネーリ・ディ・ビッチの工房にいたとされるコジモが,画家として技能がそれほど高くないまま,もしくは,私たちが高いと感じなくても当時は受け入れられた画風のまま独立し,アレッソ・バルドヴィネッティの影響はあったかも知れない(アレッソの板絵アカデミアやウフィッツィにあるものは,私は良いとは思わないが,サンタンブロージョやルーヴルの板絵は良いし,フレスコ画はどれも素晴らしい,少なくとも私の好みに合う)が,むしろ1440年生まれのコジモにとっては後進にあたるボッティチェリやギルランダイオの刺激を受けながら,フィレンツェのルネサンスを生き抜く芸術家に成長していったのだと思いたい.

 この空想に難があるのは,ガブリエッリの本ではサント・スピリトの祭壇画が,フィレンツェから選抜されてローマに行き,システィーナ礼拝堂に描いたフレスコ画の後に掲載されていることだ.

 システィーナでは,ミケランジェロの世紀の傑作に圧倒されて,目だたず,私も殆ど気づかなかったが,写真で確認すると,3場面とも,初期コジモの変な顔の特徴も現れているものの,概ね群像表現などは見事で,さすがにボッティチェリや,ギルランダイオ,ペルジーノ,ルーカ・シニョレッリと並んで,フレスコ画を任された画家の作品だけのことはある.

 単純な事情ではないだろうが,30歳になる頃で,既にその天才が注目されていたであろうレオナルドは選ばれなかったのだ.

 特に弟子のピエロ・ディ・コジモが担当した可能性のある「キリストの説教」の背景場面が面白いが,そのことについては,ここでは立ち入らない.コジモ・ロッセッリが40歳くらいの時の作品なので,画家としては一家を成して,当然その作風も確立されていたと思われる.後世に名を遺した画家のこの時期の作品が見事なのは当然だが,それでは,この直後のフィレンツェ帰還後(1482年)に描かれたと考えられるサント・スピリトの祭壇画の方は,師匠の初期の画風に忠実だが,力の足りない弟子に任せた部分のあると言うことなのだろうか.

 いずれにせよ,私が考えて結論の出る問題ではないので,今後,専門家の論考を参考にしながら,少しずつ考えて行きたい.



 フィレンツェ以外では,アヴィニョンのプティ・パレ美術館で「受胎告知と聖人たち」を見ている.撮ることができた写真と図録,ガブリエッリの白黒写真で確認しても,この作品は,意識して取り入れている遠近法が稚拙で,上手な絵とは思えない.

 それでも,聖人たちの顔にはコジモの個性が滲み出ていて,これが彼の初期の作品で,技量が上がる前に個性を発揮したものだと思えば,愛おしい気持ちになりながら,再鑑賞ができると思う.細かく見ると,神殿風の柱頭とか,僅かに覗く背景に,後にコジモの特徴になる(と,私が勝手に思っている)青も垣間見え,成長過程にあったコジモの実験精神に満ちている作品なのかも知れない.

 写真がうまく撮れていないので,はっきりとはわからないが,大天使ガブリエルと,殉教者ペテロの中の衣が,本来は白いことが予想されるのに,気のせいか淡い青に見える.聖人たちの顔も,システィーナのフレスコ画に近い.ガブリエッリの掲載順が,制作順であれば,やはり初期の作品で,ウフィッツィにあるアレッソ・バルドヴィネッティの「受胎告知」からの影響があるかも知れない.


サン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会
 サン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会(以下,サン・フェリーチェ)は,ラテン語でフェリックス(フェーリックス)と言う聖人の名を冠して建てられた教会で,この名はラテン語でも,イタリア語でも「幸福な」と言う意味の形容詞がもとになっている.

 最初は偶然訪れたこの教会の堂内に入って,向かって左側の壁に立派な祭壇画があるのに気が付いた.当時は聖人の名前をすぐに認識できる知識がなかったが,今なら,それぞれのアトリビュートに拠って,向かって左から大修道院長アントニウス(T型の杖),聖ロクス(太腿の傷),アレクサンドリアの聖カタリナ(壊れた車輪)であるとすぐにわかる.

写真:
ボッティチェリ派
「聖人たち」


 大聖堂博物館のブックショップで買った,

 Alta Macadam, Florence: Where to Find Giotto, Brunelleschi, Masaccio, Donatello, the Della Robboa Family, Fra Angelico, Botticelli, Ghirlandaio, Michelangelo, Firenze: Scala, 2001

は,滞在中,マカダム本と呼んで重宝したが,大事な思い出と思って実家に置いていたので津波で流された.幸いに,フィレンツェ再訪に先立って,イタリア・アマゾンで再入手できた.ウッチェッロ,カスターニョ,コジモ・ロッセッリ,ロレンツォ・ディ・クレーディ,ピエロ・ディ・コジモなどは紹介されていないし,もちろんネーリ・ディ・ビッチも取り上げられていないが,「フィレンツェのルネサンス」を知る上で,日本ではそれほど一般的に関心を持たれていないロッビア工房,ギルランダイオを力を込めて紹介している点が非常に参考になる.

 この本で,フィレンツェで見ることのできるボッティチェリの作品を,小さいがきれいなカラー写真で紹介している(p.127).上の写真の祭壇画も,裾絵も含めた写真付きで紹介され,「追随者」の作品としているが,可能性のある作者としてフィリピーノ・リッピを挙げている.

 ボッティチェリの名を冠していながら,工房もしくは追随者の作品とされる絵は山ほどあり,確かにボッティチェリ風だが,全く魅力を感じさせないものが殆どだ.しかし,サン・フェリーチェの祭壇画は,一見して観るものを魅きつける力を持っている.端正で力感があり,上品で美しい.「傑作」かどうかの判断は私にはできないが,本来あった祭壇から移されているとは言え,そのために描かれた同じ教会の中に飾られていてこそ,輝き続ける作品に思われる.

 この教会で見られる主な芸術作品を,伊語版ウィキペディアと堂内の説明を参照して,なるべく時代順に並べると,

ジョット派 「キリスト磔刑像」 c.1308 
バルジェッロの親方 「聖母子と大ヤコブ,教皇にしてノナントーラの大修道院長
聖シルウェステル」
(ネーリ作の祭壇画の上のリュネット型フレスコ)
c.1365
ビッチ・ディ・ロレンツォ フレスコ画「腰帯の聖母と聖人たち」  15世紀
シーニャの親方(?) フレスコ画「聖ベルナルディーノと天使,福者ジェラルドと
牧人,聖イヴォとアンサヌス,寄進者」
(ファサード裏,後陣に向かって右側の壁面)
1470-80
ネーリ・ディ・ ビッチ 祭壇画「聖人たち」
(アウグスティヌス,洗礼者ヨハネ,ユリアヌス,ジギスムント)
1467
ボッティチェリ派 祭壇画「聖人たち」(大修道院長アントニウス,ロクス,
アレクサンドリアのカタリナ)
1480
アンブロージョ・
 デッラ・ロッビア
立体テラコッタ像「降架後のキリスト哀悼」
(この上部には「キリスト洗礼」のフレスコ画断片)
c.1510
リドルフォ・デル・
 ギルランダイオ
「聖母子と聖人たち」 1520
エンポリ 「聖ヒュアキントスと殉教者ペテロの前に現れた
聖母の幻視」
1595
ジョヴァンニ・ダ・
 サン・ジョヴァンニ&
ヴォルテッラーノ
「聖マクシムスを助ける聖フェリックス」 c.1636
サルバトール・ローザ 「破船からペテロを救うキリスト」 17世紀


 以上については,かろうじて,どこのどの作品かほぼ確認できたが,伊語版ウィキペディアに,左身廊上部に伝ゲラルド・スタルニーナ,「聖母子と聖人たち」(1409-10)があると書いてあるが,これは確認していない.

 中央礼拝堂の両脇にも作品があり,特に向かって左側には未確認のフレスコ画がある.さらに,撮って来た写真にも「キリスト哀悼」の多分フレスコ画断片に枠装飾を施した絵があり,14世紀末から15世紀初頭のゴシックの遺風を湛えたフィレンツェ派の絵に見えるが,どこにも言及がないので,わからない.


サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会
 今回,サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会は殆ど通過しただけで,あまりじっくり見たわけではない.

 ここにはすごい傑作があるわけではないが,ネーリ・ディ・ビッチの2点の祭壇画「玉座の聖母子と聖人たち」,「ピエタと聖人たち」,ロッセッロ・ディ・ヤコポ・フランキの多翼祭壇画の中の2枚のパネル「コスマスとダミアヌス」,「アッシジのフランチェスコとパドヴァのアントニウス」,フラ・バルトロメオ派の「ヴォルト・サント」,彩釉テラコッタの作品として,ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの「降架後のキリスト哀悼」,サンティ・ブリオーニの「キリスト哀悼」が見られる.

 また,中央祭壇の十字架はバッチョ・ダ・モンテルーポとベネデット・ダ・マイアーノの周辺の人物による作とされる.フィレンツェ・ルネサンスのマイナーな深みにはまりたい人にはお勧めの空間である.

 堂内の木組みの天井や,小さなステンド・グラスも魅力だが,外観がいかにもフィレンツェのルネサンスと言う感じで,木立に囲まれ小高い所にあるのも,心魅かれる.


サンタ・マリーア・マッジョーレ教会
 フランス,スペイン,ドイツの大きな「ゴシック教会」をイメージすると大きく異なる姿ではあるが,この教会のごつごつとした外観は,フィレンツェのゴシックを想起させる.起源は古く9世紀まで遡るので,探せばもっと古い要素もあるのかも知れないが,基本的に13世紀のゴシック様式による再建が現存する教会の基礎であり,そこにルネサンスから近現代に至る改築が加えられてきた.

 堂内は古いものではコッポ・ディ・マルコバルド作の可能性もあるとされる「聖母子の聖遺物容器」(13世紀),ダンテの師匠ブルネット・ラティーニの墓(13世紀末),ティーノ・ディ・カマイーノ作(もしくはその様式)とされる墓碑(14世紀)が現存する.

 ゴシック末期にヤコポ・ディ・チョーネ,アーニョロ・ガッディ,スピネッロ・アレティーノがフレスコ画で壁面を装飾したことが知られているが,現存しない.現在,中央礼拝堂の壁面に飾られているシノピア「嬰児虐殺」はスピネッロ作とする説もある(伝ヤコポ・ディ・チョーネ説も).

 堂内左前方の柱のフレスコ画は古い感じがして,中世の作品のように見えるが,マリオット・ディ・ナルドの作なので,まもなく人文主義に遅れて,絵画芸術にもルネサンスが訪れようとしている時代の作品だ.

 ルネサンスの傑作は現存しないが,マザッチョとマゾリーノ共作の「カルネセッキ三翼祭壇画」,ボッティチェリ「聖セバスティアヌス」(ベルリン美術館の絵画館),同「キリスト哀悼」があったとされる.最後の作品は,ミラノのポルディ・ペッツォーリ美術館で2回見ている,

 むしろ,対抗宗教改革以降の作品が堂内に現存しており,後世の修復を経ているとは言え,一見すると「街中のゴシック教会」に思える外観とミスマッチで面白い.以下,確認できた作者名をあげるとをあげると(撮って来た写真と伊語版ウィキペディアで,なお不明なものは,Guida d' Italia: Firenze e Provincia, Milano: Touring Club Italiano, 2007を参照した),

ベルナルディーノ・ポッチェッティ 聖ゼノビウスの生涯を描いた天井の装飾フレスコ画
チーゴリ 「2人のユダヤ人を救う聖アルベルト」
ピエール・ダンディーニ 「2人の天使に支えられるフランチェスコ」
ドメニコ・パッシニャーノ 天井装飾フレスコ画「慈悲の聖母,カルメル会,
カルトゥジオ会,シトー会の聖人たちの物語,旧約聖書の物語」
ヴォルテッラーノ  天井装飾フレスコ画「預言者エリアの天上での法悦」
マッテーオ・ロッセッリ 「グレッチョで聖母から嬰児キリストを託されるフランチェスコ」
ヴィンチェンツォ・メウッチ  天井装飾フレスコ画「聖テレサの栄光」
オノフリオ・マリアーニ 「マリーア・マッダレーナ・デイ・パッツィの前に現れたキリストの
幻視」


 ファサード裏の入り口を挟んでチーゴリの絵と反対側にある,「授乳の聖母子」のフレスコ画断片は後に加えられた石の枠で囲まれていて,上部のリュネット型の空間には,おそらく「全能の神」のうすぼんやりとしか見えない色落ちしたフレスコ画が描かれている.そのはす向かいの壁におそらく「大天使ラファエルとトビアス」のフレスコ画もある.少なくとも,最後のものはフレスコ画と言っていも新しい感じがするが,それでも教会の薄暗い堂内で観ると,ありがたいものが見られた感じがする.

 ファサードはヴェッキエッティ通りに面しているが,大聖堂から中央駅に向かうチェレッターニ通りに面した側壁に穿たれた入り口からも入れる.現役の教会なので,昼休みもあるが,午前中と夕方は間違いなく入れる.

 以上,報告した比較的小ぶりな教会は,イタリアに多くみられるラテン十字型ではなく,翼廊の無い長方形の箱型で,場合によっては「納屋型」と呼ばれるタイプである.サン・マルコの本堂,サン・ジョヴァンニーノ・デイ・スコローピ教会,サン・フィレンツェ教会についても触れたいと思う気持ちはあるが,次回を期すことにする.


バッチョ・バンディネッリ
 今回,できれば作品を再確認したかったフィレンツェの芸術家として,バッチョ・バンディネッリがいる.

 バンディネッリは,身の程知らずにもミケランジェロに対抗意識を持っていた2流の芸術家のように言われることもあり,ヴェッキオ宮殿前の「ヘラクレスとカクス」などは不評のようである(石井元章『ルネサンスの彫刻』p.204).

 確かに生硬な感じは否めないが,量感に満ちたこの作品が私は嫌いではないし,メディチ・リッカルディ宮殿中庭にある「オルペウスとケルベロス」を見て以来,気になっている彫刻家だ.

 ヴァザーリの『芸術家列伝』に長い「バッチョ伝」(英訳版で27ページ)があり,同時代の,同じく封建君主となったメディチ家の周辺に活躍した同時代の先輩芸術家に対するヴァザーリの関心が伺われる.キャンティ渓谷のガイオーレ出身の金細工師ミケランジェロ(ミケラーニョロ)・ディ・ヴィヴィアーノの子としてフィレンツェに生まれた.父はメディチ家に寵用された芸術的センスに溢れた職人だったようだ.

 詳述は避けるが,「バッチョ伝」を読むと,父と同名の18歳年上の大芸術家と同じく,激動の時代を生きたメディチ家との関係抜きには考えられない芸術家人生だったようだ.終生ミケランジェロに対抗心を抱き続けたことにも見られるように,狷介な性格で,後進のベンヴェヌート・チェッリーニやバルトロメオ・アンマンナーティとも激しい競合関係にあったようだ.ヴァザーリはその性格を大きな欠点としながらも,才能を高く評価している.

 今回,ヴァザーリの回廊で自画像を見て,絵も描いたことを知り,さらに,以前からじっくり確認したいと思っていた,サンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂の左翼廊にあるピエタ礼拝堂の「ピエタ」をしっかり見ることができた.この聖堂は宗教儀式が行われていることが多いので,滞在中もどうしても奥まで行くのは遠慮することが多かったが,今回は写真にも収めることができた.

写真:
バッチョ・バンディネッリ
「ピエタ」


 ヴァティカンのサン・ピエトロ聖堂のミケランジェロの「ピエタ」は,キリストの遺体を抱えているのが若い聖母であるのに対し,この「ピエタ」は髭を生やした中高年男性がイエスの遺体を抱えていて,おそらくニコデモであろうと思われる.

 大聖堂博物館にあるミケランジェロの未完のピエタで,イエスを後ろから抱えているのが,ニコデモか,アリマテアのヨセフとされ,前者であれば,彫刻家の祖とされることもあるこの聖人に,作者が自己投影していると言われることもある.そうであれば,バッチョもそれを意識して,この彫刻を作成したのかも知れない.いずれにしても注文主があって,初めて作品を創れるわけだから,作者の独断ではできなかっただろう.

 しかし,これは墓碑で,バッチョ自身の墓とされる.石井元章はそのことに触れた上で,この彫刻をバッチョの「最高傑作とされる」と言い添えている.私も,バッチョの作品を全て見たわけではないが,この評価には賛成する.やはり教会の堂内に置かれ,四隅を骸骨に囲まれた石棺の上にあって映える作品であろう.

 ヴァザーリの「バッチョ伝」に拠れば,ローマで夭折した息子クレメンテが,ニコデモを父に似せたこの像を未完成のまま残し(英訳版第3巻,p.211),バッチョがそれを完成させた.もともとパッツィ家の礼拝堂であった所を,大公妃の仲介で墓所として譲り受け,聖マリア下僕会の修道士たちと交渉して,この像を置くこととし,両親を改葬し,まもなく自身もそこに埋葬された(同書,pp.212-3).

写真:
夕方のサン・ロレンツォ広場
屋台の土産物屋の右に
「黒隊長ジョヴァンニ」像


 バッチョの作品で目立つものとしては,サン・ロレンツォ聖堂前の広場にある「黒隊長ジョヴァンニの像」がある.この台座の浮彫に関しては,石井元章も「すぐれた素描家であった彼がその才能を遺憾なく発揮した作品である」と評している.

 今回,その浮彫の写真を初日に何枚か撮ったが,新しいデジカメの初期設定が高画素になっているのに気付かず,そのまま撮影していて,思ったよりも早くメモリーを使い尽くしてしまった.予備のメモリーカードはもちろん持って行ったが,念のために初日に撮った重たい写真を相当数消去して,メモリーに空きを作ったため,台座の浮彫パネルの写真は全て無くなった.いつでも撮れると思って,そうしたのだが,やはり行きたい場所が多すぎて,サン・ロレンツォ広場は,最終日の夕暮れに通りかかっただけで終わってしましまった.

 フィレンツェに行くときは,デジカメのメモリーのことをよく考えた方が良い.

 いずれにしても,少し思いを残しながら帰国した方が,またフィレンツェに行きたいと言う気持ちになるだろう.これから何度行けるかはわからないが,何度行っても(まだ3回目だが),また行きたいと思うのがフィレンツェだ.お金を貯め,時間をつくって,また行こう.大芸術家たちの作品と大教会,有名美術館だけではなく,小さな教会,知る人ぞ知る美術館,博物館,中堅や無名の芸術家たちの作品を自分の足で,様々な季節,時間帯に訪ね歩くために.

 フィレンツェの街中から,住民以外の自動車が殆ど閉め出され,駅前から郊外にトラムが走り,ゴミ箱と収集の仕方が一部変わっており,印象は多少変わった所もあるが,当然ながら,フィレンツェは以前のフィレンツェのままだった.



 書きたいことは一杯あるが,学期が始まってしまい,連休になって,ようやく最終回が書けた.もう夏休みまでは無理だと思うので,今回は,ここまでとする.

 次回は,今まで通過だけで,本格的に観光していないトゥールーズを中心に,コンクやアルビを訪ねる南仏の旅を予定している.ロマネスク,ゴシックに関しては,少しずつフランスも観なければ,と言う思いに駆られる.本当に行けるかどうかは,諸々の調整の上だが,行けるものと信じている.

 5月2日,旅行をご一緒した画家のSさんこと,佐藤勤氏の個展を観に,麻布に行ってきた.「水の誕生」と言う比較的大きな絵のシリーズ4点が印象に残る.昔の有名な画家の作品鑑賞には絵空事のような非現実性が常に伴うが,さすがに同時代を生きる芸術家の迫力は,大変なものだ.豪快にして繊細な佐藤さんの個性に溢れている.






オンニサンティ教会
朝の光の中で