§フィレンツェ再訪 - その6 サント・スピリト聖堂の博物館
ティーノ・ディ・カマイーノの作品は,フィレンツェでは,バルジェッロ国立博物館,大聖堂,大聖堂付属博物館,サンタ・クローチェ聖堂博物館,サンタ・マリーア・マッジョーレ教会,バルディーニ博物館,サント・スピリト聖堂脇の旧食堂博物館,で見られる. |
一応,これらの作品は全て観たはずだ.シエナ大聖堂の「ペトローニ枢機卿の墓碑」は感心もし,写真にも収めたが,ピサのカンポ・サントの「皇帝ハインリッヒ七世の墓碑」も見た可能性があるかも知れないが,記憶にはないし,写真にも収めていない.ナポリでも複数の教会に作品が残っているようだが,ナポリに行ったことがないので,見ていない.
2007年のフィレンツェ滞在中の6月から7月にかけて,「最後の晩餐」行脚を敢行していたが,7月20日に,サント・スピリト聖堂脇の旧食堂博物館でオルカーニャ(派)の「最後の晩餐」断片と「キリスト磔刑」その他の場面の大きなフレスコ画を見ることができた.
この博物館に展示されていた,骨董商サルヴァトーレ・ロマーノのコレクションは興味深いものだった.中でも,ティーノ・ディ・カマイーノの2つの作品を見たときの驚きは忘れ難い.
「礼拝する天使」と「女性像柱」と言う2つの小さな像だが,全角度から見られる展示のおかげもあって,その個性に満ちた造形に引き込まれないではいられない.
ティーノは概ね承認されている生年で比べると,ジョットよりも少し若い世代であり,ゴシックの時代の芸術家だが,後世の眼から見ると,百年後にイタリアはルネサンスを迎える,新たな胎動の時代の人であり,すごく古い時代の人ではない.
特に,トスカーナの彫刻の歴史の中でルネサンスを先取りしているニコラとジョヴァンニのピザーノ父子,フィレンツェ芸術の先頭に立つアルノルフォ・ディ・カンビオの後進にあたるが,偉大な先人たちよりもずっと古拙感に満ちている.
そうは言っても,ティーノはトスカーナの主要な都市で活躍した上,ナポリまで呼ばれて大きな仕事を複数こなし,その地で死んだローカルを超えた芸術家だ.
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写真:
ティーノ・ディ・カマイーノ
「女性像柱」 旧食堂博物館 |
彼の作品を別にすると,この旧食堂博物館で見られるのはクエルチャ,ドナテッロ,ドメニコ・ガジーニ,アンマンナーティ,ブォンタレンティの周辺の芸術家や,帰属伝承作品があるだけで,多くは無名の彫刻家の断片的な作品ばかりだ.しかし,この博物館は魅力的だ.
参考書としては今の所,
Luisa Becherucci, ed., I Musei di Santa Croce di Santo Spirito, Firenze:
Electa Editrice, 1983(以下,ベケルッチ)
Serena Pini, ed., Fondazione Salvatore Romano, Firenze: Edizioni Polistampa,
2011(以下,ピーニ)
がある.ベケルッチに拠れば11世紀,ピーニに拠れば,12世紀のロンバルディア地方の建築装飾の断片と思われる浮彫が古拙で面白い.都市連合が神聖ローマ皇帝を破った戦いで有名なヴェローナ県レニャーノ近傍のサン・ピエトロ・イン・ポルト教区教会が出自とのことだが,複数の断片のうち,門の下に大小2人の人と,門の両脇に2人の小さな人物,門の上に人の顔があり,その口からアーチを両側に這うように下り,それぞれの下に蛇が舌を出している浮彫が面白く思えた.
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写真:
ロンバルディア地方の
建築装飾の断片
11あるいは12世紀 |
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私には,日本の漫画家が描いた母子のように思えたが,ピーニに拠れば,大きな人物は鍵を持っているので,この教会の名のもとになっている聖ペテロであろうということだ.もう1つ目立つ3人の浮彫は軍装に見えるので,この教会の建築に貢献した寄進者であろうと推測されている.
11世紀から12世紀の北イタリアの素朴な芸術に魅かれる.
ラヴェンナでよく見られた5世紀か6世紀の石棺もあり,蓋の両端の円弧に,2羽の孔雀の間にクリスム(円の中にΧキーとΡローと言うギリシア文字を組み合わせたキリストを表す記号があって,その両脇にΑアルファと小文字を大きくしたタイプのωオメガが記されているクリスムはフランス語で,英語ではクリスモンまたはカイ‐ロウ)が彫られている.古いのは蓋だけで,その下は新しいようだ.「サルヴァトーレ・ロマーノ」と言う名前が彫ってあるが,骨董商の遺体が入っているかどうは情報がない.
古代彫刻の「猫」の頭部,12世紀のライオン像,13世紀の「海獣」が興味深かった.最後の「海獣」はイタリア語のレオーネ・マリーノ,英語でシー・ライオン,すなわち「アシカ」(海驢)と言う名前になっているが,まさに「海の獅子」と言いたいほど立派な造形なので,「アシカ」と言う名称は避けたい.13世紀初めと言うと新しいような気もするが,ベケルッチは南イタリア,カンパーニアのロマネスク彫刻と説明していている.
ピーニの解説に拠れば,頭部はやはりライオンで,前足で野猪を捕えている.また尻尾は海蛇(2体のうち1体の尻尾は復原)になっていて,ペルシャ織物に見られる造形で,交易を通じてイタリアに流布したされている.ロマーノは直接にはナポリのパラッツォ・デル・バルツォにあった作品を入手したようだが,もともとはナポリのかつて大聖堂(司教座教会)であったサンタ・レスティトゥータ聖堂の説教壇を飾っていた作品と推定する研究者もいるそうだ.
古代・中世の浮彫,テラコッタ,フレスコ画断片,大理石の門枠,ロマネスク教会の柱頭など,興味は尽きないが,やはりこの博物館の最大の見物はオルカーニャ(派)のフレスコ画であろう.
「最後の晩餐」は食卓の前の2聖人と,もう1人の頭部の部分のみしか残っていないが,サンタ・クローチェのタッデーオ・ガッディに次ぐ,14世紀半ば過ぎの時代を代表する芸術家の「最後の晩餐」であり,貴重な作品だ.しかし,何分にも残存部分が少なすぎる.
それに比べると,上部のキリスト磔刑を中心とする場面のフレスコ画は大部分が残っており,相当な迫力を持っている.磔刑のキリストの周りを飛翔しながら嘆いている天使たちがよく描けており,顔に不満は残るが修復を経たであろう保存状態の良い福音史家ヨハネの金髪が印象深い.
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写真:
「キリスト磔刑」
(部分) |
旧・修道院の食堂には多くの場合「最後の晩餐」のフレスコ画があり,今回もサンタポロ―ニアかから始まって,サント・スピリト,フリーニョ,サンタ・クローチェ,サンタ・マリーア・デル・カルミネの食堂を見ることができ,フレスコ画ではない「最後の晩餐」があるサンタ・マリーア・ノヴェッラ,食堂には「聖ドメニコの神秘の食事」があり,「最後の晩餐」は食堂ではない部屋にあるサン・マルコの各修道院を訪ねることができた.
今回,見ていないのはサン・サルヴィ修道院のアンドレア・デル・サルト,カルツァ修道院のフランチャビージョ,市外のバディア・パッシニャーノの未見のギルランダイオ兄弟の「最後の晩餐」だ.サン・フェリーチェ・ピアッツァの旧修道院にあることは情報として知っているマッテーオ・ロッセッリのカンヴァス画の「最後の晩餐」もまだ見ていない.
次回は,今回再び訪れることができた,修道院の旧食堂とそこで見られる芸術作品を中心に報告したい.
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「最後の晩餐」の断片を見る
手前には「レオーネ・マリーノ」
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