§フィレンツェ再訪 - その3
今回の旅程は,諸事情により当初の案内とは多少順番が変わったが,最終的には次のようになった. |
1日目(3月13日):旧サンタポロニア女子修道院食道→アカデミア美術館→ウフィッツィ美術館→ヴァザーリの回廊→自由時間
2日目(3月14日):サンタ・フェリチタ教会→パラティーナ美術館→サンタ・マリーア・デル・カルミネ教会のブランカッチ礼拝堂→自由時間
3日目(3月15日):アレッツォのサン・フランチェスコ教会→モンテルキの「出産の聖母」美術館→サンセポルクロ市立博物館
4日目(3月16日):サンタ・マリーア・ノヴェッラ聖堂(緑の回廊→聖堂)→サン・マルコ修道院美術館→サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂→サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会→ミケランジェロ広場→自由時間
5日目(3月17日):自由時間
1日目の自由時間には,ウフィッツィ美術館に戻ることが許されたので,美術館を比較的丁寧に見学したのは前述した.
2日目の自由時間は,まずサント・スピリト聖堂を訪ねたが,まだ開いていなかったので,ピッティ宮殿の前のドストエフスキー旧居の(日本式に言えば)1階にある紙屋ジャンニーニで土産物を買って時間を潰し,引き返してサン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会を拝観,再びサント・スピリト聖堂に行って,開いていないのを確認してサンタ・トリニタ聖堂を拝観した.
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写真:
ツーリスト・インフォ
メーションが置かれて
いる「ビガッロの開廊」 |
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次に,以前滞在した時には何度も前を通りながら一度も入ったことのない「ビガッロの開廊」博物館を訪ねたが,入り口だと思ったところはツーリスト・インフォメーションになっており,博物館は予約した人に限られた日時に公開するようになったとのことだった.他にも観たいところはたくさんあるので,今回は断念し,すぐ近くのサン・ジョヴァンニ洗礼堂を拝観した.
宿に帰る途中,サンタ・マリーア・マッジョーレ教会が開いていたので拝観し,チーゴリ,マッテーオ・ロッセッリのカンヴァス画,中央礼拝堂のフレスコ画のシノピア(下絵),柱に残るマリオット・ディ・ナルドのフレスコ画を確認した.
3日目は,フィレンツェに戻ったのが7時頃で,実質的に自由時間は取れなかった.
4日目は,ミケランジェロ広場で解散となったので,サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ通りの坂を下った.丘を下り切ったところに有る未拝観のサン・ニッコロ教会の外扉が開いていたので,小躍りしたが内側の扉が開かず,今回も拝観は果たせなかった.
次いでサンティッシマ・アヌンツィアータ広場に向かうべく,ひたすら街中を歩いたが,途中サン・フィレンツェ教会の扉が開いていたので拝観した.
バディア・フィオレンティーナ教会を横目に見て,ドゥオーモの裏側に出ると,側面に回り込んで,ファサードから見て左側外壁にあるはずのナンニ・ディ・バンコの「聖母被昇天」の浮彫のある部分がどうなっているか確認した.フィレンツェ滞在中には修復中で見られなかった部分だ.しかし,4年以上経った今も,まだ修復中で覆いがかけられていたので,セルヴィ通りに入り,サンティッシマ・アヌンツィアータ広場に出た.途中,サン・ミケリーノ・ヴィスドミニ教会の扉が開いていたので入ろうとしたが,儀式中だったので遠慮した.
広場に出ると,まず考古学博物館に向かった.「アレッツォのキマイラ」,「フランソワの壺」と再会したかったし,滞在中見られなかった「演説者」のブロンズ彫刻が見られるようになったらしいので,是非館内も見学したかったが,時間,体力と相談して,入り口近くの売店で,友人から頼まれた,イタリア・アマゾンでも入手できない「フランソワの壺」のDVDを自分用の分とあわせて2つ購入しただけで辞去し,通りを挟んで向かいにあるサンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂に急いだ.
未見だったアンドレア・デル・カスターニョのフレスコ画の修復が終わっていることも楽しみの一つだったが,何より,一般には開放されていないと思っていた死者の回廊の入り口が左翼廊の付け根部分にあるという教示を得たので,アンドレア・デル・サルトのフレスコ画「袋の聖母」が見られることを期待していた.
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写真:
カスターニョ作
「三位一体と聖人たち」 サンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂 |
無事に両者の作品を確認した後,滞在初期の頃にたった一度,不十分に見学しただけの「捨て子養育院」(オスペダーレ・デリ・インノチェンティ)美術館を丁寧に見た.サン・マルコ聖堂にも寄ってみたが,重要な儀式中だったようなので拝観は遠慮した.
夕暮れの中,懐かしいヴェンティセッテ・アプリーレ通りを歩きながら,私たちが「シニョーラの古本屋」と呼んでいた古書店に寄り,「シニョーラ」は若い人に世代交代していたが,雰囲気の良く似た女性主人で,気持ちよくセネカの悲劇『フェニキアの女たち』の伊語対訳付き注解本,研究書『哲学者セネカの悲劇の作劇上の文体』を入手できた.狭い店内に2人先客がおり,お気に入りの古書店が繁盛しているのは嬉しかった.
サン・ザノービ通りを歩いて,やはり懐かしいサン・バルナバ教会の前を通ったが,教会の扉は開いていなかった.
5日目は完全にフリーなので,朝宿を出て,まず中央市場(メルカート・チェントラーレ)のパニー・ダ・ローリーで,お昼用に塩漬けオリーヴを練り込んだパンを買い,ファエンツァ通りにある旧フリーニョ修道院食堂にある博物館を訪ね,ペルジーノの下絵による「最後の晩餐」その他の絵画を十分に鑑賞した.
それから,サンタ・マリーア・ノヴェッラ駅を越えて,アルノ川に向かい,サンタ・ルチーア・スル・プラート教会が開いているのを横目に見ながら,ヴィーニャ・ヌオーヴァ通りに出て,オンニサンティ教会の修道院食堂で,ギルランダイオの「最後の晩餐」を観,教会も拝観した.
カッライア橋を渡って,サント・スピリト聖堂を拝観した.この日は開いていたが,滞在中は「ノー・フラッシュ」とあって,写真撮影が許されていたのに,撮影全面禁止と言う再開以前の体制に戻っていた.しかし,観ることが大事なので,主要な作品とルネサンス建築の代表とされる堂内はしっかり鑑賞させてもらった.
聖堂の隣の旧食堂の博物館を再訪した.「写真撮っても良いですか」と聞くと,「フラッシュ無しなら」(センツァ・フラッシュ)と言う嬉しい答えだったので,別途報告するが,オルカーニャ(派)の磔刑図,「最後の晩餐」断片,ティーノ・ディ・カマイーノの彫刻はもちろん,興味深いコレクションを十分に堪能した.
サンタ・トリニタ橋を渡り,サンタ・トリニタ聖堂の所から右に曲がって,サンティ・アポストリ教会を拝観した.午前中で光は比較的良かったが,以前はあったコインで堂内に明かりをつける機械は故障していたのか,覆いがかけてあった.しかし,この教会はフィレンツェ観光の際は拝観が必須であるとの思いを新たにした.それに関しては,別途報告する.
サンティ・アポストリを辞して,ダヴァンツァーティ宮殿の中世邸宅博物館を見学した.中世からルネサンス期の貴族の館を観ることができ,スケッジャの装飾画,マリオット・ディ・ナルドの「祝福するキリスト」,ネーリ・ディ・ビッチの「受胎告知」が興味深かったが,写真撮影は一切禁止だった.
パンを齧りながらヴェッキオ橋を渡って,ジェラテリーアで水分を補給し,念願のバルディーニ博物館を見学したが,これは素晴らしいムゼーオだった.これについても別途報告する.
大満足で,グラーツィエ橋を渡って,ホーン美術館を横目に見ながら,サンタ・クローチェ聖堂を拝観した.ジョットにも,チマブーエにも,タッデーオ・ガッディにも,マーゾ・ディ・バンコの「聖母戴冠」にも再会できたが,中央礼拝堂のアーニョロ・ガッディの「真の十字架の物語」はまだ修復中で,マーゾ・ディ・バンコのフレスコ画のあるバルディ・ディ・ヴェルニオ礼拝堂は相変わらず一般観光客には開かれていなかった.
サン・ジュゼッペ教会はあきらめ,一路サンタンブロージョ教会に向かうと,扉が開いていて,充実の拝観を果たした.
教会を出るとアルファーニ通りから,セルヴィ通りに出て,ヴィスドミニ教会でポントルモ「聖なる会話」と再会し,カヴール通りに向かってサン・ジョヴァンニーノ・デイ・スコローピ教会を拝観した.もちろん,教会前の露店の古本屋も覗いたが,掘り出し物はなかった.
カヴール通りを北に向かって,サン・マルコ聖堂再訪を果たして,疲れた足を引きずりながらも,大きな満足感とともに宿に帰った.
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サンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂
アンドレア・デル・サルトの「袋の聖母」
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