フィレンツェだより番外篇
2011年11月9日



 





大聖堂の眺望を楽しむ
サンティアゴ・デ・コンポステーラ アラメダ公園



§巡礼街道の旅 - その12
   サンティアゴ・デ・コンポステーラ (その1 大聖堂)


憧れのサンティアゴ・デ・コンポステーラに着いた.宿は,かつては巡礼者のための王立救護院だった,歴史的建造物であるパラドール(国営ホテル)だ.


 パラドールは,大聖堂(カテドラル)(英語版西語版ウィキペディア)の前のオブラドイロ広場に面している.ホテルのレストランで夕食を採った後,部屋に戻る前に少しだけ夜風に当たることにして,大聖堂の夜景を眺めながら広場を横切り,一番賑やかな通りの入り口付近を散歩した.

写真:
大聖堂のファサード


 翌朝,地元在住の日本人ガイドさんの案内で,サンティアゴ観光が始まった.まずは大聖堂の拝観だが,正面からではなく,北側翼廊の入り口(以下,アサバチェリア門)から入堂した.

 アサバチェリア門という名称については,名産品である黒玉(アサバーチェ)細工の工房(アサバチェリア)があったのか,インマクラーダ「無原罪」広場の一角がアサバチェリア広場と呼ばれていて,北側翼廊の入り口がそこに面していることに由来するようだ.

 堂内をぐるりと一周したところで,若い修道士がガイドさんに近づいてきて,これから宗教儀式が始まるので団体客は退出するようにと言い,半端なまま最初の大聖堂観光は終わった.
 
 それでも,巡礼者たちと同じように,中央祭壇に鎮座している聖ヤコブの彩色木彫の裏側にまわり,その肩に触れることはできた.まだ早い時間で行列ができていなかったのが幸いした.

写真:
栄光の門から主祭壇を見る
中央の柱はエッサイの樹


 退出するときは,アサバチェリア門の反対側の南側翼廊の出口(以下,プラテリアス門)から出た.プラテリアスは,銀細工師工房の複数形のはずだから,工房や店が近くにあったことから広場の名称となり,門の名前となったのであろう.

 プラテリアス門には,2つのポルターユがあり,それぞれにタンパンがある.これらとその周辺にある浮彫彫刻が実は,堂内の列柱と天井(上の写真)などともに,サンティアゴ大聖堂の誇るロマネスクの遺産であったのだが,その時点では知らずに写真を撮っていただけだった.


ミサと大香炉
 市場や,土産物屋の並ぶ通りなどを中心に旧市街を案内してもらい,巡礼博物館を見学した後,自由行動となった.

 添乗員のTさんが,その日の朝に仕入れた情報では,“大香炉は,今日はお昼のミサで振られ,夜のミサでは振られない”ということだった.

 ミサの最後に,内陣の高い天井から下がった大香炉を翼廊を左右に揺り動かす儀式は有名で,映像で紹介されることも多い.せっかくなので,この目で見ておきたいと思い,ミサに最初から参列するつもりで早めに大聖堂に戻った.

 すごい人数の信者,観光客が押し寄せていて,大げさに言えば立錐の余地もない程だったが,運良く,左側翼廊のアサバチェリア門近くの階段に腰かけることができた.

 ミサは40分くらいで終わった.全体の印象としては,やはり観光化は免れていないので,それほど荘厳な感じもしなかったが,もっとも,おかげで異教徒の私たちも参列することができたわけだし,サンティアゴ巡礼の再活性化には,ツーリズムの力も大きいのだから,それはそれで仕方がないだろう.

 参列者に全く宗教心がないかと言えば,司式者の統率力だけでは,あれだけの人数での儀式は成立しないであろうから,やはり,多くの人の宗教心も支えられているのは間違いないと思う.

 大香炉が揺れ動いている時は,かなりの数の人たちが,ビデオを回したり,フラッシュを焚いて写真を撮っていたりした.どさくさにまぎれてシャッターチャンスはあったわけだが,ボタフメイロ(大香炉)の写真は,儀式が終わった後の静止したものしか撮っていない.

写真:
大香炉ボタフメイロ


 聖人と言っても,神ではないからご本尊ではないが,崇敬を集めている聖ヤコブの像は,遠くからズームで撮らせてもらった.

 ヤコブの像が祀られた主祭壇の地下にはヤコブの棺があり,こちらは少し離れたところから見るようになっている.銀細工のなかなかの工芸作品だが,これは撮影禁止なので,撮っていない.しかし,これも行列を待たせて撮影している人は少なくない.禁止されているものは案内書やウェブページの写真で見れば良い.

写真:
中央祭壇のサンティアゴ像
肩に手を置いて祈りを捧げる



古い教区教会
 大聖堂の堂内を1日で都合3回拝観したが,広いし,人も多いので,なかなか全体は把握しきれない.優先順位としては,古そうなもの,なるべくロマネスク,ゴシックの時代のものと思われるものに注目した.

 大聖堂の基本構造がラテン十字(東西の長い線分と,南北の短い線分が交差し,交差部分から西側が長く,東側が短い)になっているはずなので,北翼廊の東側,後陣の周廊から見ても北側の部分は,本来は大聖堂の内部ではないはずだ.北翼廊から階段を上って行く礼拝堂は,大聖堂のブックショップで買った英訳ガイドブック

 Jesus Precedo Lafuente, tr., Nigel Williams, The Cathedral of Santiago de Compostela, Ediciones Palacios y Museos, 2011(アクセント記号等省略.以下,ラフエンテ)

に拠れば,ラ・コルティセラ教区教会といい,9世紀の祈祷堂(オラトリオ)にその起源を遡り,ベネディクト会の修道院によって管理されていた,大聖堂とは別の宗教施設らしい.中世には外国人,バスク人の巡礼者のためにそれぞれの言語で告解を受ける教区教会になっていたとのことだ.

写真:
ラ・コルティセラ教区教会
(11世紀~13世紀)


 ポルターユが動植物のモティーフで飾られたロマネスクの遺産で,タンパンは「三王礼拝」になっている.マギのひとりは聖母子の向かって左側にいるが,残り2人は,内側の半円弧のさらに左下方,柱頭の上の部分にいる造形が珍しいように思える.西語版ウィキペディアとラフエンテの解説がなければわかりにくい.外側の半円弧にも,左下方にはマギたちの馬が彫られている.

 現在の礼拝堂は,12世紀から13世紀に教会として創られ,18世紀には大聖堂に組み込まれ,20世紀半ばに修復されたものとのことで,内部には14世紀の枢機卿の墓碑もあり,本来のものではない要素が後世付加されて,様々な信者の崇敬を集めている.


「聖なる門」
 後陣の裏にあたる,大聖東側のキンターナ広場に面して,「王の門」(プエルタ・レアル,または「キンターナ門」)と「聖なる門」(プエルタ・サンタ,または「免罪の門」プエルタ・デ・ペルドン)がある.

 「王の門」は17世紀後半に着工され,1700年に完成したバロック様式の門で,着工したのはホセ・デ・ヴェガ・イ・ヴェルドゥホ,完成したのは,ドミンゴ・デ・アンドラーデと言う名前も知られている.後者は,修復中で覆いがかかっていたバロックの時計塔の設計者でもある.

写真:
免罪の門
別名「聖なる門」
17世紀のファサード
上部の3体の像は
ドカンポの作(1694年)


 「聖なる門」(ガリシア語ではポルタ・サンタ)は,7月25日の聖ヤコブの日に,日曜が重なる聖年の直前の12月31日午後開扉され,翌年(聖年)の12月31日の夕方閉じられることになっており,昨年(2010年)は開けられていたはずだ.12世紀以来の慣習だそうだ.

 現在の門を含むファサードは,1611年フェルナンデス・レチューガ(サント・アゴスティーノ教会の設計者の1人)の設計で創られ,上部の聖ヤコブと2人の弟子(アナスタシオスとテオドロス)はペドロ・ドカンポの作(1694年)で,門の周辺の24人の使徒たちと預言者たちの浮彫は,12世紀の芸術家マテオ親方(マエストロ・マテオ,ガリシア語ではメストレ・マテオ)の石造聖歌隊席の作品を再利用したものだそうだ.

 であれば,ロマネスクからゴシックへの移行期の作品と言うことになるが,印象としては新しいものに感じられる.

写真:
「聖なる門」内側


 「聖なる門」の裏側,すなわち堂内には,ロマネスクの造形が残っている.上の写真の扉の両側の彩色石像はマテオ親方の工房作品とのことだ.


プラテリアス門
 サンティアゴ大聖堂のロマネスクと言えば,やはりプラテリアス門の2連ポルターユとタンパン,およびその周辺の浮彫彫刻であろう.

 馬杉宗夫『ロマネスク美術紀行 スペインの光と影』日本経済新聞社,1992

が,12世紀の『巡礼案内』(『聖ヤコブの書』第5巻)の説明を日本語に訳しながら,オリジナルの姿ではないことを詳細に説明してくれている(pp.207-214).

 そう思って見るせいか,全体的に統一感に欠ける憾みはあるが,個々の彫刻はやはり魅力的である.

写真:
プラテリアス門(11世紀末)
他の門のから移された
浮彫も嵌め込まれている


 向かって右側のタンパンは,上層部が三王礼拝,下層部がキリストの捕縛,鞭打ちの場面になっているが,左端の盲人の治癒,右端のユダの接吻,ユダの接吻の上部の天使が,『巡礼案内』では言及されていないの後世の付加と考えられる.

 左側タンパンは「キリストの誘惑」の場面に,骸骨になった恋人の首を膝に抱いている半裸の女性が加えられており,不義の罪を戒める寓意になっているようだ.これは,馬杉が訳している『巡礼案内書』の記述と一致するようだ.

 タンパンの上のフリーズ部分は,荘厳な姿のキリストの周囲にペテロ,大ヤコブ,福音史家ヨハネがいるということは,「キリスト変容」の主題の可能性があり,『巡礼案内』には主題への言及がないが,キリストと聖人の配置は現在のものと同じだ.

 しかし,馬杉に拠れば,キリスト像は13世紀初頭のものでロマネスク彫刻ではなく,ヤコブも西側ファサードにあった「キリスト変容」(『巡礼案内』に言及があるそうだ)のヤコブが移されたもののようだ(背後の銘文が根拠らしいが,私は見ていない).

 西語版ウィキペディアの写真を拡大すると,『巡礼案内』に言及がある,「ラッパを吹く4人の天使たち」や,馬杉にも,他の案内書にも言及されていない,「アダムとイヴの追放」,パーシアン・ショット(後ろ向き騎射)を試みているケンタウロス,人魚に見える人物など興味深い浮彫を一つ一つ確かめることができる.しかし,やはりバラバラなものを張り合わせたと言う感じは免れない.

 考え方次第では,時代の重層性が読み取れて,かえって面白いかも知れない.ポルターユを囲む壁面が扉に向かって垂直になっている柱状の部分(馬杉の用語では「扉口側壁」)には,右側に女性像,左側に竪琴を奏でるダヴィデ像などがあり,これらは北側の扉口が破壊された時に移されたものであり,足を交差している姿が,巡礼路を通じてのフランス・ロマネスクの影響(トゥールーズに作例)を想起させるとのことだ.


大聖堂の回廊
 プラテリアス門を,馬杉は「金銀細工師の門」,『地球の歩き方』は「銀細工の門」としている.スペイン語でプラタは銀,銀器,銀貨などを意味する語で,プラテロは銀細工師,プラテリアは銀細工の意味になる.プラテリアには銀細工工房,貴金属店,銀細工師居住地域の意味もあり,複数形のプラテリアスは工房や店が複数あったことを示すと思われる.

 この同系の語にプラテレスコがあり,銀細工のような装飾性に特色がある16世紀スペイン・ルネサンスの建築様式を意味する.小学館『西和辞典』に「プラレスク様式」とあるのは,フランス語読みが優勢だからであろうが,以下ではこれまで同様「プラテレスコ様式」と言うことにする.

 今回の旅行で見ることができたものの中では,レオンのパラドール,ブルゴス近郊のミラフローレス修道院が,この様式の建築物だった.サンティアゴのプラテレスコ様式の建築を代表するのが,パラドールになっている旧・王立救護院だが,大聖堂の回廊もこの様式で作られている.

写真:
大聖堂博物館2階
ルネサンス回廊


 有料の博物館に入館して,私たちの感覚でいうと,3階部分まで行くと,この回廊に出ることができる.3度目の堂内拝観の後,博物館に行き,図書館やタピスリーの他に,ロマネスクやゴシックの彫刻を見て,この回廊と,回廊に付属した,「聖母被昇天」のレタブロのあるアルバ礼拝堂を見学した.

 中世の修道院の回廊の多くが非常に魅力的であるのに比べ,サンティアゴ大聖堂の回廊は大きすぎてピンと来ない感じがしていたが,撮って来た写真や案内書を確認すると,やはり良いものが見られたのだなあと思う.建築家は,フアン・デ・アラバロドリゴ・ヒル・デ・オンタニョンの2人で,16世紀中頃の建造とされる.

写真:
3階バルコニーから
オブラドイロ広場を見る


 博物館の3階には,バルコニーがあり,ここからオブラドイロ広場を見渡すと,右にパラドール,中央に市庁舎,左側に聖ヒエロニュモス学院が見える.

 言及が遅くなったが,オブラドイロ広場から見上げる西側ファサード(上から2つ目の写真)が,私たちが知っているサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂の姿だが,18世紀の遅いバロック,スペイン独特のチュリゲラ様式なので,巡礼が最も盛んだった中世には存在しなかった.

 ここから入った内部に,「栄光の門」と言うポルティコがあり,マテオ親方による彫刻群が見られる.ロマネスクからゴシックへの移行期のサンティアゴ大聖堂で,1番の見ものではあるが,これに関しては別の回に報告することにする.修復中で覆いがかかっていて,最初の2回はほぼ全く見られなかったが,3度目に拝観した時には,覆いの一部が外されていて,聖ヤコブが彫り込まれた柱だけは見ることができた.

 北側のアサバチェリア門は,イメージ的にやはりチュリゲラ様式にも思えていたが,写真でよくよく確認し,案内書も読むと,バロック風も加味されてはいるが,もう少し新しくてすっきりとした新古典様式で作られているようだ.西語版ウィキペディアには,他の建築家の名前が連ねられているが,ラフエンテの案内書には,パンプローナ大聖堂のファサードを創ったベントゥラ・ロドリゲスの名前も挙げられている.

 多くのロマネスク,ゴシックの遺産が既に失われてしまっていることは残念だが,サンティアゴ大聖堂の歴史的重層性は,この教会が常に生きた宗教施設であったことを物語ってくれる.






大聖堂博物館の3階バルコニーで
奥に見えるのは宿泊したパラドール