フィレンツェだより番外篇 |
カトリーヌ・ド・メディシスの居室 シュノンソー城 |
§フランスの旅 - その7 (ロワール)
写真で見る限り,「城」と言うより,絵空事のような成金趣味の邸宅という印象で,ロワール渓谷の古城巡りという企画自体,あまり好ましく思えなかった.
しかし,シュノンソー城見学は,結果として満足のいくものだった.その理由は主として,城内でイタリアとスペインの傑作絵画が多数見られたことだ. このコレクションを,歴代の城主のうちの誰が集めたのかは定かではないが,美術館ではないコレクションで,これだけのビッグネームの画家の作品を集めた例はそれほど多くはないだろう.ほとんどは,この城のために描かれたものではないだろうから,買い集めたか,贈答品である可能性が高いと思う. 有名な順に並べると,ルーベンス,ヴェロネーゼ,ティントレット,ムリーリョ,スルバラン,コレッジョ,アンドレア・デル・サルトと,まるで後期ルネサンス,マニエリスム,バロックの作品を集めた美術館のようだ.
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しかし,ここで見ることができたスペインの画家たちの作品は,ムリーリョも含めて,彼らの実力を発揮した最良の作品とは言い難いものであった. ただ,「聖母子」(イタリア語ならマドンナ・コル・バンビーノ,スペイン語ならビルヘン・コン・エル・ニーニョだが,フランス語ではラ・ヴィエルジュ・エ・ランファンと言うようだ)は,いかにもムリーリョらしい作品だ. 「聖ヨセフ」は,ミラノの司教区博物館で見ることができたグイド・レーニの作品を思い出すが,いわゆるサン・ジュゼッペ・コル・バンビーノの図像で,老人ではなく力に溢れた頼りになる父親のヨセフ像が求められた対抗宗教改革以降の特徴が現れていて,興味深い. いずれにせよ,ムリーリョ自身が大人になったキリストよりも幼児のキリストを描きたかったか,あるいは,彼にそれを描かせたい人が多かったか,いずれかだろう. パドヴァのアントニウスの前に幼児イエスが現れる幻視の絵は,より素晴らしい作品をセビリアの大聖堂で見ている.
ルーベンスの作品が2点見られたのは,全く意外だった. 「三王礼拝」よりも,「幼児のキリストと洗礼者ヨハネ」が圧倒的に良かった.顎の肉が余っているキリストより幼児ヨハネ(ジョヴァンニーノ)が可愛いと言ったら,ばちが当たるだろうか.
![]() ほぼ同じ絵柄の作品が,ロンドン・ナショナル・ギャラリーにあるようだ.そちらはマントヴァ公爵フェデリコ・ゴンザーガのために,カンヴァスに描かれたとのことだ(ウェブ・ギャラリー・オヴ・アート).シュノンソーの絵は板に描かれていると,もらった案内書には書いてある. 写真で見る限り,私はシュノンソーの作品の方が好きだ.ヴィーナスとヘルメスの間で,エロス(キューピッド)が,べそをかいている.古典を題材にした寓意画である. 絵画史上,重要な画家であるのは間違いないだろうが,私たちがイタリア・ルネサンス絵画の作家を複数思い浮かべる時,他の天才たちをおしのけて,コレッジョの名前を挙げる人は決して多くないだろう.それでも,昨年のプラド美術館でも,一昨年のスフォルツァ城絵画館でもコレッジョの傑作を見ることができたし,この後,ルーヴルでも彼の傑作に出会って,この画家の魅力を日増しに感じないではいられない. いつの日か,彼の壮大な天井フレスコ画を見るために,パルマの大聖堂を訪れて見たい.
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![]() 行く以前には,シュノンソーにほとんど関心がなかったが,さすがに王族や貴族,富豪が居館としただけのことはあり,様々,興味深いものが見られた. 幾何学的な庭園も見事だったが,入場口から続く並木道が周囲の自然と調和していて,私にとっては最も印象に残る風景だった.
シュノンソーで昼食をとったので,「町」というよりは「村」ではあったが,その町並みを見ることができた.そこにあった教会も一つだけ拝観した,堂内には,ムリーリョ風の聖母子の絵もあり,その鄙びた感じが好感が持てた.
![]() しかし,ここにいたフランス国王フランソワ1世にレオナルド・ダ・ヴィンチが伺候したことを,私たちは知識として知っている.この城の近くの邸宅に居住して,国王のイタリア芸術への憧れを満足させながら,ここを終焉の地としたレオナルドのことを思うと,やはり来ることができて良かった.
アンボワーズの町は垣間見ただけだが,いつか拝観してみたいと思う教会もある.バスの車窓から瞬間的に見えただけだが,レオナルドが一時的に住んだ居館もあった.アンボワーズにはもう一度行ってみたい. ![]() レオナルドを保護したフランソワ1世が,イタリアの画家たちを招き,そこからフランス絵画の基礎を作る「フォンテーヌブロー派」を形成した.それに貢献したイタリア人の中にはロッソ・フィオレンティーノ,ニッコロ・デッラバーテがいた. その詳細はわからないが,その中から「フォンテーヌブロー派の親方」(この時代になると,工房を差配する「親方」と言うより,単に「画家」と言う方がふさわしいかも知れない)と呼ばれる画家が出た.「狩りをする女神ディアナ」はよく知られた絵で,この女神ディアナ(ギリシア神話のアルテミスのローマ名で,フランス語でディアーヌ,英語風にはダイアナ)のモデルとされるのがディアーヌ・ド・ポワティエだ(ウェブ・ギャラリー・オヴ・アート)とする説も有力だ. フォンテーヌブロー派との関係は不明だが,フランソワ1世の肖像画を描いたジャン・クルエの息子フランソワ・クルエが,ディアーヌの肖像画を描いており,上半身が裸体であるのはギリシア神話の女神を意識してのことだろう. フランソワにはカトリーヌ・ド・メディシスの肖像画もあるが,ディアーヌの肖像画を彼が描いたことには意味があるように思える. シュノンソー城にも,「狩をする女性の姿のディアーヌ・ド・ポワティエ」の絵があるようだ.ウェブ・ページの写真と解説しか見ていないが,作者は16世紀のボローニャ出身の画家フランチェスコ・プリマティッチョで,この画家の作品は,オハイオ州トレドの美術館にある「オデュッセウスとペネロペイア」を私は,写真で見たことがある. シュノンソー城の歴史の中で,フランソワ1世の後継者アンリ2世にとって母親のような存在であったディアーヌ・ド・ポワティエと,王妃であったカトリーヌ・ド・メディシスが,館主であったことには重要な意味があり,それがイタリア文化とフランス文化の重要な接点を形成したことに私たちは思いをいたすべきだろう. |
シュノンソー城近くの村で 昼食後 |
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