フィレンツェだより番外篇
2010年8月20日



 




タイル装飾による「ドン・キホーテ」の一場面
セビリア,スペイン広場



§スペインの旅 − その1

誰かと美術っぽい話をしていて,相手が熱く語りだすと,苦手なものとして,建築ではガウディ,絵画ではエル・グレコ,ベラスケス,ゴヤが挙げられる.


 これらの芸術家たちの作品を写真で見せられると,「またか」と思って,うんざりすることが少なくない.「スペインに行こう」と妻に言われて,私が行ってもいいかなと思った動機は,ほとんどただ一つ,「プラド美術館でフラ・アンジェリコの「受胎告知」を見たい」ということだけだったと言っても過言ではない.

 多くの人にとって,スペインを想起させるものと言えば,「闘牛とフラメンコ」かも知れない.見たこともないくせに,私にとってはこれらも,スペインに対するマイナス・イメージを助長するものだった.


サンティアゴ・デ・コンポステーラ
 今年の夏の計画は,色々迷った末に漠然と,見残したものの幾つかを見るためにローマに滞在し,オスティアの古代遺跡を訪ねようかと考えていた.

 風向きが変わったのは,サンティアゴ・デ・コンポステーラの聖ヤコブの聖年(聖ヤコブの祭日である7月25日が日曜に重なる年とのこと.2010年はそれにあたる)に因んだおもしろそうなツァーの宣伝を見たあたりからだ.次第に「スペインに行ってみるのも良いかな」と思い始めた.

写真:
剥離フレスコ
プセウド・ヤコピーノ
「白馬にまたがる聖ヤコブ」
ボローニャ 国立絵画館


 イタリア滞在中に,ボローニャの国立絵画館で旧修道院,旧教会にあった剥離フレスコ画を幾つか見ることができた.それらの中にはヴィターレ・ダ・ボローニャの「最後の晩餐」もあり,その展示の貴重さは論を俟たないが,特に「白馬にまたがる聖ヤコブ」は印象に残った.

 それでも,なぜ,聖ヤコブは白馬に跨って疾駆しているのか,どうして,これが西欧のキリスト教徒にとって重要な絵柄なのか,よく理解できてはいなかった.



 大学院生時代に友人と,夏休みに毎日,ジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』を中期英語で通読するという稀有の体験をした.

 カンタベリーの聖人はトーマス・ア・ベケットだが,この作品は,彼が大司教を務めていた大聖堂を目指してロンドンから巡礼に向かう一行が一人ずつ物語を語るという形式になっており,原題は「物語」が複数形になっている.

 カンタベリーがイングランドでウォルシンガムと並ぶ2大巡礼地であったように,大陸ではローマ,エルサレムと並んでスペイン北西部のガリシア地方にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラが3大巡礼地の1つ(ケルンを入れて,4大巡礼地とする紹介もあったが,未だに確認できていないので,多くの書物等に従って「3大巡礼地」としておく)であった.

 サンティアゴのイアーゴとはヤコブのことであり,スペイン語では他にサンディエゴのディエーゴもヤコブを意味する.英語にもジェイムズとジェイコブ,イタリア語のジャーコモ,ヤーコポ,ディエーゴがあり,シェイクスピアの『オセロ』にはイアーゴも登場する.

 聖書にヤコブという人物は複数登場する.アブラハムの子イサクの次男がヤコブであり,長男のエサウから長子権を奪い,イスラエル12支族の始祖となった.「ヤコブの子ら」はイスラエル人,ユダヤ人を指す.このヤコブはもちろん「旧約聖書」の登場人物である.

 「新約聖書」の中にも,少なくとも3人登場する.ゼベダイの子で,福音史家ヨハネの兄ヤコブ,アルファイの子ヤコブ,「イエスの兄弟」と称されるヤコブである.最初の2人は12使徒に数えられるので,父称の他に,ゼベダイの子は大ヤコブ,アルファイの子は小ヤコブとして区別する.

 大ヤコブの「大」は先に弟子になったからだけでなく,ヘルモン山でのキリストの変容を目撃するなど,キリストとの親密さや,弟子としての重要性をも意味するようだ.12使徒の中で最初の殉教者とされていることも理由の一つのようだ.

 巡礼の地サンティアゴ・デ・コンポステーラに墓所があるとされるヤコブは大ヤコブだ.この人はもちろん新約聖書の複数の箇所に登場するが,その詳細な事績はわからない.



 後世の聖人伝説をまとめた,13世紀のジェノヴァの大司教ヤコブス・デ・ウォラギネの浩瀚な『黄金伝説』(人文書院から邦訳が出て,現在は平凡社ライブラリーに入っている.私が参照しているの人文書院版)に「使徒聖大ヤコブ」伝(人文書院版の第2巻の最後)がある.

 参照すると,大ヤコブがスペインで布教活動を行なったことへの言及があった.

ゼベダイの子の使徒ヤコブは,主のご昇天後ユダヤとサマリアの地を伝道して歩き,その後主のみ言葉をひろく伝えるために,スペインに渡った.しかし,成果があがらず,この地で得た弟子はわずか九人にとどまったので,そのうちのふたりを伝道のためにスペインにのこし,あとの七人をつれてユダヤに帰った.
 (前田敬作,山口裕訳『黄金伝説』2,人文書院,1984,pp.468-469)


 著者の名がラテン語のヤコブスで,聖人と同じでややこしいので,便宜的にウォラギネと言っておくと,ウォラギネはこの後,ヤコブが斬首によって殉教したこと,その遺体を船に乗せてユダヤの地を去る際,行く先を神の意思に委ねると,ガリシアの地に漂着し,奇跡に驚いて改宗した女王が宮殿を聖ヤコブ教会としたことを報告している.

 はっきりとは述べられていないが,文脈上,これがヤコブの墓となり,後のサンティアゴ・デ・コンポステーラ聖堂の基となったという起源譚になっているのだろう.

 ウォラギネではこの後,この地への巡礼に関係する奇跡が語られるだけだが,訳者の注解には次のようなスペインの伝承があることが記されている

813年に星(ステラ)が,とある野原(カンプス)に現れ,イスラム教徒支配の時代に忘れられていたヤコブの墓が野原のヘリにあった洞窟で発見され,当時のアストゥリアス王国の王アルフォンソ2世が教会を建て,その地は「星の野」(カンプス・ステラエ)が訛ってコンポステーラと呼ばれるようになった.


 これは伝承をもとにした,一種の「通説」で,別の考えもあるようだ(異説に関しては,大高保二郎「サンティアゴ・デ・コンポステーラ 聖地巡礼」,『地中海歴史散歩1 スペイン』,河出書房新社,1997所収,p.42).

 977年に再びイスラム教徒がこの教会を破壊したが,すぐにサンティアゴ・デ・コンポステーラの聖堂と町が再建された.現在の聖堂はバロック風の外観だが,一部にロマネスク様式が見られるので,再建は少なくとも12世紀以前には遡ると考えられている.



 ウォラギネには,聖ヤコブが白馬に跨って疾駆することへの言及はないが,訳者注解にあるように,大天使ミカエルとともに,大ヤコブがスペインをイスラム教徒から解放する守護者であると考えられ,12世紀にトルコ人によってエルサレムが占拠されると,サンティアゴ・デ・コンポステーラは西欧の主要な巡礼地となった.

 馬に跨り,剣や旗を持っている聖人の絵はスペインで多く見られるとのことだ.イタリアでは,巡礼の杖を持った姿で描かれることが多いとのことだが,そう言えば,コルトーナのエトルリア・アカデミー博物館で見たピエトロ・ダ・コルトーナの「玉座の聖母子と聖人たち」で,洗礼者ヨハネの後ろにいるのが,巡礼の杖も持った大ヤコブであったことが思い当たる.

写真:
ピエトロ・ダ・コルトーナ作
「玉座の聖母子と聖人たち」(部分)
エトルリア・アカデミー博物館
コルトーナ


 もとはフィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ教会のポルトガル人枢機卿の礼拝堂にあった作品で,現在はウフィッツィ美術館に展示されているアントニオ・デル・ポッライオーロの聖人たちを描いた祭壇画の中央の人物も大ヤコブであることがわかる.

 有名な芸術家の描いたヤコブの絵で,白馬に乗って剣と旗を持ったものはなかなか見つからないが,18世紀ヴェネツィア出身のジョヴァンニ=バッティスタ・ティエポロの,現在はブダペストの美術館にある「ムーア人を征服する大ヤコブ」がかろうじてその絵柄だ.ティエポロはスペインでも活躍したので,あるいはそれが関係しているかも知れない.

 18世紀にスペインからの仕事も請け負ったティエポロに比べ,14世紀のボローニャの画家による前述のフレスコ画は特異なものに思われる.ボローニャの国立絵画館のHPの解説によれば,14世紀前半のプセウド・ヤコピーノに拠るもので,ボローニャのサン・ジャーコモ・マッジョーレ教会にあったものとのことなので,作者も依頼者の教会も何らかの形でヤコブを想起させる.プセウド(偽)とあるが,その比定が正しければ,国立絵画館に複数の作品があり,一定の活躍をした画家と思われる.

 いずれにしても,名を残したイタリアの画家で,白馬に乗ってイスラム教徒を駆逐するヤコブを描いた者は,今のところ,プセウド・ヤコピーノとティエポロしか思い当たらない.

 では,スペインの画家はどうであろうか.と思って,スペイン出身の有名な画家というのは誰だろうかと指折り数えてみた.

 エル・グレコ(1541-1614)
 フセペ・デ・リベーラ(ホセ・デ・リベーラ)(1591-1652)
 フランシスコ・スルバラン(1598-1664)
 ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)
 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617-1682)
 フランシスコ・ゴヤ(1746-1828)

 よく考えると,私はこれ以上のスペインの画家を知らない.もちろん,ミロ,ダリ,ピカソを加えれば話は別だが,ゴヤですら新しすぎて,白馬を駆る大ヤコブを描いたとは思えない.グレコはクレタ島出身で,イタリアで修行しており,彼の描いた「使徒大ヤコブ」(トレド,グレコ美術館)は巡礼の杖を持っていて,白馬には乗っていない.

 ウェッブ・ギャラリー・オヴ・アートで,「聖ヤコブ」(Saint James)を検索しても,白馬に乗った聖人はティエポロの他には,17世紀スペインの画家ホアン・カレーニョ・デ・ミランダの「クラビホの戦闘の聖ヤコブ」くらいだ.

そもそも外国出身のグレコを加えても,16世紀以降生まれの画家しか思いつかないのは,私が知らないからなのか,スペインには16世紀前半以前には偉大な芸術家がいなかったのか,その疑問自体が自分にとっては興味深く思われてきた.


 グレコ,ベラスケス,ゴヤは苦手だが,スルバランとムリーリョは好きだ.闘牛とフラメンコも,一度は見てみても良いかもしれない.

 スペインは行ったことがないし,スペイン語も全くと言ってよいほど勉強したことがないから,乗り物と食事が手配されていて,かなり広いスペイン国土の諸都市を効率よく回って,多くの世界遺産を見せてくれるツァーも初めての時は良いかもしれない,と思うようになった.



 大学2年の時,妻と一緒のフランス語のクラスで,プロスペル・メリメの作品を読む機会があった.そのうちコルシカ島を舞台にした『マテオ・ファルコネ』に最も深い感銘を受けたが,スペインを題材にした『カルメン』,『トレドの真珠』の両作品もまずまず印象に残った.

 広く「地中海世界」に興味があると言っても,今まで行ったことがある国は,ギリシア,イタリア,フランス,キプロス,トルコ,イスラエル,エジプトだけで,フランスも地中海沿岸の南フランスには行ったことがないし,トルコも古代都市エフェソスの遺跡を見ただけだ.多少なりとも見たとはっきり実感できるのは,ギリシアとイタリアくらいだ.

 まず,「イタリア熱」を少し冷まして,スペインに行ってみようと決意するに至った.

 さて,その結果はどうだったか.明日以降に続く,としたい.





セビリア
ヴァカンスシーズンのひっそりとした街角で