フィレンツェだより番外篇 |
![]() サン・マウリツィオ・アル・モナステーロ・マッジョーレ教会 中央祭壇のルイーニ作のフレスコ画とカンピ作の祭壇画 |
§ミラノを歩く - その9 (教会篇7)
その中でも,サンテウストルジョ聖堂のヴィンチェンツォ・フォッパ「殉教者ペテロの物語」,サン・シンプリチャーノ聖堂のアンブロージョ・ベルゴニョーネの「聖母戴冠」は,ミラノの盛期「ルネサンス」を現出した作品と言えよう. これにサン・ピエトロ・イン・ジェッサーテ教会のブティノーネとゼナーレの「聖アンブロシウスの物語」を加えても良いだろう. しかし,ミラノの教会で,「これがミラノのルネサンス」ということを堪能させてくれるのは,サン・マウリツィオ・アル・モナステーロ・マッジョーレ教会(英語版/イタリア語版ウィキペディア)であろう.モナステーロは修道院のことだが,ベネディクト会の女子修道院に付属する教会ということらしい.
![]() もちろん,現役の宗教施設だが,ボランティアの女性たちが訪問者にイタリア語や英語のパンフレットを配布して,簡単な紹介をしてくれるなど,ツーリストへの対応がなされており,ミラノ観光の重要なスポットとしての位置づけがなされているように思える. 入堂した瞬間に,壁面と天井を覆っているフレスコ画に驚く. 少なくとも現存する作品を見る限り,レオナルデスキの一人として画工のキャリアが始まったベルナルディーノ・ルイーニが,ミラノを代表する画匠となって,自らが経営する大工房を率いて,その総力を挙げて取り組んだと思われる仕事だ. 「総力」は大げさだと思うかもしれないが,幾つもの礼拝堂があり,中央祭壇の後ろは仕切り壁になっていて,その奥には,通常の教会なら身廊にあたる大きな空間があり,その壁面にも,仕切り壁の両面にも,フレスコ画が隙間なく描きこまれている. ![]()
![]() Carlo Capponi, ed., San Maurizio al Mnostero Maggiore in Milano: Guido strico-artistica, Milano: Silvana Editoriale, 1998 を購入したので,それを参考にしているが,全ての絵についての情報があるわけではない.それほどたくさんのフレスコ画に満ちている.カンヴァスの祭壇画もある. ベルナルディーノ自身が担当した部分はそれほど多くはない.複数の息子たちを含め,多くの画家がこの仕事に参加している.工房の構成員ではないと思われる人もいる. その中で,目立つ名前は,シモーネ・ペテルザーノ(ペテルツァーノ)(イタリア語版ウィキペディア)だ.カラヴァッジョの最初の師匠とされる人だが,本人もティツィアーノの弟子という説明をされるので,北イタリアの美術史の大きな流れの中でそれなりの役割を果たしたことになる.マニエリスムからバロックへの橋渡しの時代の画家と言えようか. ペテルザーノの「放蕩息子の帰還」は1573年頃の作品で,ベルナルディーノ・ルイーニの死後であるし,もちろん彼はベルナルディーノの弟子ではないので,工房の一員とは言えない. 教会の説明板に拠れば,「律法の板を示すモーゼ」,「神殿から商人たちを追い立てるイエス」もペテルザーノの作品とされる.
彼の作品はアンブロジアーナ絵画館で,かつてはミラノのドゥオーモを飾っていた「聖ゲルウァススと聖プロタススの間にいる聖アンブロシウス」を見ているはずだが,今は絵画館の図録で確かめるしかない.カラヴァッジョとの共通性も,「ある」と言われるヴェロネーゼやティントレットの影響も私にはわからないが,まあまあの綺麗な絵だ. 見られなかったサン・フェデーレ教会の「ピエタ」はウィキペディアの写真では綺麗な絵に見え,こころなしかカラヴァッジョのように黒い背景が目につく.もっとも,黒い背景はティントレットにも顕著なので,素朴すぎる推測だが,ヴェネツィア派の影響だろうか. 英語版ウィキペディアの「カラヴァッジョ」を見てみると,「ティツィアーノのもとで修業した師匠」としか書いておらず,名前も挙げられていない(イタリア語版にはある).気の毒だが,カラヴァッジョの天才とは比べられないかも知れない. しかし,サン・マウリツィオの「放蕩息子の帰還」は,かなり剥落しているが,なかなかのできに思える.ルイーニ風のフレスコ画に満ち過ぎているこの教会の堂内ではやや異色な作風が,功を奏しているだろう.
![]() カンピ一族はクレモナ,ペテルザーノはベルガモ出身で,同じロンバルディアだがミラノ出身ではない.こうした画家たちを取り込んで,栄えてゆくルネサンス,マニエリスム,バロックのミラノ絵画の歴史を思わせる.カラヴァッジョほどの天才になると,その枠からまったくはみ出てしまうところが,またミラノらしく,ロンバルディアらしいように思われる. それ以外に,ルイーニ姓ではない作者の絵もあるが,その殆どは,ルイーニ工房の作品と想像される.レオナルデスキの中で,職業画家,工房経営者として,最も成功したのがベルナルディーノ・ルイーニであることは議論の余地がないだろう. 「三王礼拝」周辺の,中央祭壇後ろ壁面を飾るフレスコ画は華やかだ.男女の聖人たちや,聖母被昇天,寄進者夫妻,教会の名のもとである聖マウリティウス(サン・マウリツィオ)の殉教と故事など,重要なテーマがびっしりと描き込まれている. それぞれの人物の顔も,すでにレオナルデスキというよりもルイーニ風(ルイネスコ,ルイネスキ)であるが,親方自身の作ではない部分もあるとすれば,いかに工房の統率がとれていたかがわかる.
![]() その最後の段落に,ガウデンツィオとベルナルディーノ・デル・ルピーノという名前が挙げられている(エヴリマンズ・ライブラリー英訳版第3巻の最終ページ).前者はガウデンツィオ・フェッラーリ,後者はベルナルディーノ・ルイーニである. ヴァザーリはそこで,ベルナルディーノがジャンフランチェスコ・ラッビアの屋敷に描いた,オウィディウス『変身物語』に取材した神話画を賞賛した上で,「モナステリオ・マッジョーレ」(ママ)の中央祭壇に描かれた諸場面と,礼拝堂の「柱に縛られたキリスト」について,わざわざ言及している. 親方自身の作品である,この「柱に縛られたキリスト」(キリスト笞刑)とその周辺の絵は,中央祭壇に向かって右側の一番奥のベゾッツィ礼拝堂(別名カテリーナ礼拝堂)にある.
縛られたキリストの右側に若く愛らしい聖ステパヌスが,左側に寄進者フランチェスコ・ベゾッツィを紹介するアレクサンドリアの聖カテリーナが描かれていて,美しい.「カテリーナの奇跡」,「カテリーナの斬首」も,美しい女性を描くのが得意であったと思われるルイーニらしい絵だ. 19世紀イギリスの批評家ジョン・ラスキンが「ラファエロの同主題作品よりも美しい」と言ったことが,教会でいただいた冊子に書かれているが,それは褒め過ぎにしても,この絵の前に実際に立ってみて,そう言いたい気持ちになるのはわかるような気がする. 「奇跡」の方では乳房も露わな,ふくよかなカテリーナだが,「斬首」の方は王族の服装をした高貴な姿で,描き分けられている.「柱に縛られたキリスト」の上部にはリュネット型の画面を,上に伸びる笞刑の柱で半分に分け,左側に「聖母と福音史家ヨハネの遭遇」,「ペテロの否認」が描かれている. ![]() しかし,「偉大なホメロスも時には居眠りをする」(ホラティウス『詩論』),ましてベルナルディーノはレオナルドと違い,超一級の天才ではないのだから,多少のことには目をつぶりたい.全体としては美しく華やかな「我に触れるな」だ. さらにリュネットの「降架後のキリスト」とその下の「聖人たちと天使たち」,さらにその隣の「死せるキリストへの嘆き」(コンピアント)もある.グリザーユと彩色で描き分けられた天使たちが可愛らしいし,よく見ると,地味な単色のメダイオンには「洗礼者ヨハネの首を抱くサロメ」,宗派(?)違いだが「殉教者ペテロ」まで描かれている. 「聖人たち」はロッコとアガタの他に,またしてもカテリーナが堂々たる姿で登場する.この教会でベルナルディーノが描いた4作のカテリーナが見られたわけだが,「寄進者ベゾッツィを紹介するカテリーナ」が最も美しく見えた.第2位は「カテリーナの斬首」だ.ラスキンが魅せられたカテリーナもこのどちらかに違いない.
美しい女性を美しく描きたいというのが,この画家の最大の動機だったのではなかろうか.なにせレオナルデスキの1人であることがベルナルディーノの出発点だから,彼の描く男性も美しい.しかし,女性を描いて力を発揮する画家だという確信を今回持つことができた. ![]() そこまで確信するには,この教会にはあまりにもたくさんの作品がありすぎる.なにせ,この後,レオナルデスキに芸術的動機を与えて,総元締めのレオナルドの「最後の晩餐」を見る予定が控えていたので,何時間でも見ていたいという欲望を抑えて,辞去した. 遠目に見えただけで,今は案内書の写真で確認できるだけだが,ジョヴァンニ=ピエトロ・ルイーニの「最後の晩餐」は,レオナルドはもちろん,フィレンツェでたくさん見ることができた,どの「最後の晩餐」にも遠く及ばない平凡な作品だ. しかし,この絵がそこに描かれていることにはやはり,意味があるだろう.「ルイーニ工房」の存在感をはっきりと意識させてくれる.
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レオナルデスキとされるルイーニだが,一見して彼の作品の特徴とわかる顔の綺麗さを見ていると,ペルジーノや,ボローニャの画家フランチャの画風を想起させる.ラファエロは,こうした流れを超えてしまった画家だが,彼の作品のかなりの部分も,同じ,もしくは,良く似た伝統の中にいるのではないかと思われる. ルイーニとペルジーノ,フランチャとの類似性に関しては,ブレラ絵画館のブックショップで購入した, Maria Teresa Bianghi Olivari, Bernardino Luini, Milano: 5 Continents Editions, 2007 にも指摘されていた.レオナルデスキとしての出発点を持ちながら,ベルナルディーノ・ルイーニは独自の画風を確立して,ミラノ,ロンバルディアで確固たる地歩を築いて活躍した.綺麗な「お人形さん」的造形の人物たちにも,ルイーニの才覚と個性としたたかさが見えるような気がする. ![]()
写真はうまく撮れなかったが,その全体像を案内書で確認できる.誰が描いたか特定されていないようだが,この絵を息子たち,弟子たちの誰かに描かしめたとしたら,その事実をもってしても,ベルナルディーノが工房の偉大な親方であったことがわかる. サン・マウリツィオの修復工事が終わったら,是非もう一度拝観し,この「受胎告知」をじっくりと見たい. サン・ジョルジョ・アル・パラッツォ教会 ベルナルディーノ・ルイーニの作品を見ることのできる教会として,2日目の16日午前中に拝観した,サン・ジョルジョ・アル・パラッツォ教会(イタリア語版)がある. 「キリスト受難の礼拝堂」のベルナルディーノの「ピエタ」他のフレスコ画は,入念な修復を経ているとは言え,ウィキペディア,関連書籍等で見ても華やかな作品だ.ところが,午前中であっても堂内は暗く,実物の十分な鑑賞ができず,残念だった.もちろん,写真は「全く」と言って良いほど写らなかった. それでも,肉眼というのは優秀だなと思うのは,だんだん目が慣れてきて,「まずまず見た」という実感は得ることができたことだ. この教会には,ガウデンツィオ・フェッラーリの「聖ヒエロニュモス」もあり,小規模ながら,ミラノのルネサンスを代表する2人の芸術家のまずまずの作品が見られる.しかし,フェッラーリの絵は,ルイーニの絵よりももっと絶望的に暗い礼拝堂にあって,これは目が慣れてもどうにもならなかった.今は写真で確認するしかない.絵はがきを売っていたので,せめてそれを入手したかったが,係りの人がいなくて買うことができなかった. 3日目の17日の午後,アンブロジアーナ絵画館からサンテウストルジョ聖堂に向かう途中,通り道だったので,絵はがきを売ってくれる係りの人がいてくれないかなと思って,再訪した.残念ながら,係りの人はいなくて,絵はがきは買えなかった. その代わり,前日の午前中よりも,だいぶ光が良くて,特にルイーニの「ピエタ」,「笞刑」,「侮辱」などはまずまずの鑑賞ができた.
フェッラーリの絵も,おぼろげなら見えたし,写りは悪いが写真も撮る事ができた.イタリアの教会は,可能なら,色々な時間に何度か足を運んでみることも大事だろう.
サン・マウリツィオの後,再訪を果たしたサンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会,その他の諸教会に関しては次回にまとめ,「教会篇」を終わることにしたい. |
![]() 仕切り壁の裏側で 中央下に風景のフレスコ画断片 サン・マウリツィオ教会 |
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