フィレンツェだより番外篇 |
![]() カテドラーレにて ペーザロ |
§ペーザロ観光(その2)
それでも,限られた時間の中で押さえておくべきポイントは旧市街地に集中しており,目抜き通りもロッシーニ通りからブランカ通りと,それに交差する幾つかの通りだけといっても過言ではない.ロッシーニ通りとブランカ通りの中間点にあるポポロ広場まで行けば,幾つかの観光ポイントに容易にたどり着くことができる. 旧サン・ドメニコ教会 ポポロ広場の西側には郵便局があるが,この建物が立派だ.これは旧サン・ドメニコ教会で,隣り合う旧修道院の中庭付き回廊は,現在は野菜市場になっている.19世紀以来イタリア各地で起こった,教会,修道院勢力の衰退の結果であろう. 扉の奥には郵便局のATMがあり,順番待ちの人たちが並んでいる.通りの名前が変わるブランカ通りに面しているファサードにある扉の装飾(フランス語でポルターユと言うそうだ)は,大変印象に残るものだった. イタリア語ではファサードはファッチャータ,ポルターユはポルターレ(英語のポータル)と対応する語がきちんとあるが,日本語で言う場合はフランス語の名称を使うようだ.いずれにせよ,旧サン・ドメニコのポルターユは,聖人たちの彫刻も,全体の形も,見事だ. カテドラーレには無かったが,夕方行った旧サン・フランチェスコ教会,サンタゴスティーノ教会にも見事なポルターユがあり,もしかしたら,ある時代のペーザロの教会建築の特徴なのかも知れないと感じた.
旧サン・フランチェスコ教会 旧サン・フランチェスコ教会は,現在はサントゥアリオ・デッラ・ベアータ・ヴェルジーネ・デッレ・グラーツィエ(恩寵の聖処女の聖所)という名称になっている.教会(キエーザ)という名称ではないが,事実上の教会として生きた信仰の場であるようだ. 運営母体は,フランチェスコ会から聖マリア下僕会に変わっているようで,堂内に祭壇画「聖フィリッポ・ベニーツィの幻視」があるのはそれと関係があるのだろう.フィレンツェのサンティッシマ・アヌンツィアータ教会でも絵や彫刻を見た聖人だ.この絵は18世紀の画家セバスティアーノ・チェッカリーニの作品だそうだが,この人については今のところ情報は得られない.
見た記憶が無いが,喜捨によっていただいた冊子に拠れば,ファサード裏には「贖宥認可を授かるフランチェスコ」という立派な絵があるらしい.南イタリアのガエータ生まれでローマでも活躍したセバスティアーノ・コンカの作品ということで,17世紀から18世紀にかけての画家だが,写真で見る限り立派な作品なので残念なことをした. ![]() ズッカーリは,ウルビーノ近くのサンタンジェロ・イン・ヴァードの出身だから,マルケ州の地元の画家と言っても良いが,ローマでは教皇ピウス4世とグレゴリウス13世のために働き,フィレンツェではヴァザーリが手がけたドゥオーモのクーポラの天井画「最後の審判」を完成させたほどの人なので,その画業に毀誉褒貶はあるにしても,ローカルを超えた,イタリアのある時代を代表する画家のひとりと言えよう.イングランドでエリザベス1世やメアリ・ステュアートの肖像を委嘱されているので,国際的な画家と言っても良いかもしれない. ここにあった絵は絵葉書もあったので,地元としては一押しの作品かも知れない.上手に書かれ,破綻が無く,華やかだが,私たちの心を打つような作品ではない.
修道院長アントニウス,守護聖人テレンティウスが描かれていた.どんな謂れがあるのかわからないが,ファサード裏左端上部の壁にかすかに残る「天使の姿をしたイエスに助けられる聖ドロテア」が,巧拙はともかく美しい絵だった.アントニオ・アルベルティ・ダ・フェッラーラという15世紀の画家に帰せられる作品が多いようだ.
同じくファサード裏(向かって)右側の壁面に,「修道院長アントニウス,アレクサンドリアの聖カタリナ,聖キアラ,聖母子」のまとまったフレスコ画が残っている.聖母子が右端にあるということは,その右側に別の聖人たちが描かれていたのだと思う. この作品は14世紀のジョット派の作品と冊子には説明してある.やや画力に劣る感があるが,アントニウスは立派だし,王冠をかぶった聖母も印象的で,聖キアラがいるのがさすがに当時フランチェスコ会の教会だったということだろう. ![]() 聖母の両側に描かれている聖人はヤコブと修道院長アントニウスで,作者は今回の最大の学習項目,ヤコベッロ・デル・フィオーレだ.初めて聞く名前だと思ったが,ヴェネツィアのアカデミア美術館(「聖母戴冠」,「大天使ミカエルとラファエルの間にいる「正義」」,「慈悲の聖母と聖人たち」)とコッレル美術館(「聖母子」)でその作品を見ているはずだった.
ヤコベッロ・デル・フィオーレは15世紀ヴェネツィアの画家で,後でヴェローナで感銘を受けることになるカルロ・クリヴェッリの師匠ということなので,ジョヴァンニ・ベッリーニ以前のヴェネツィア派の画家として重要な人物であろうと思われる.国際ゴシックの影響を受けながら,ヴェネツィアの絵画に革新を齎した歴史的意味を持つ画家のようだ. 私の鑑賞力ではそこまで重要な画家とはわからなかったし,フィレンツェの美術館にあったら,たくさんある美しい作品の一つとして見逃した(実際にヴェネツィアの美術館でも注目しなかった)と思うが,この教会の中で見られることに意味があるのだと思う.燦然と輝いて見えた. 市立美術館 サン・フランチェスコ教会の注文で描かれ,1797年に教会が解散するまではこの教会を飾っていたのが,超弩級の芸術作品で,通称「ペーザロ祭壇画」と呼ばれるジョヴァンニ・ベッリーニの「聖母戴冠」だ.現在はペーザロの市立美術館にあり,今回ペーザロに行くにあたり,是非見たいと思っていた. しかし残念なことに,ローマの特別展に出張中で見られなかった. この作品には遠く及ばないし,画家の知名度としてもジャンベッリーノ(ジョヴァンニ・ベッリーニはこう称されることが多いようだ)の比ではないが,ボローニャの特別展で,私たちにアペニン以北のルネサンスについて考えさせてくれたマルコ・ゾッポの「ピエタのキリスト」があることも,美術館のHPを下調べすることによって知っていた.
この他,市立美術館には彩色木彫の福者ミケリーナを中心に置いた多翼祭壇画があり,これが今回の学習項目となったヤコベッロ・デル・フィオーレの作品であることも,やはりヴェネツィアの画家,伝パオロ・ヴェネツィアーノのプレデッラ画「聖母の生涯」があることも情報としては知っていたが見られなかった. 17世紀ボローニャの巨匠グイド・レーニの神話画「巨人族の没落」も展示されていなかったが,彼の弟子でペーザロ出身のシモーネ・カンタリーニの「マグダラのマリア」と「聖ヨセフ」を見ることができ,これも今回の大きな学習項目となった.
![]() ジョヴァンニ・アントーニオ・ダ・ペーザロ(1415年頃‐1477年頃) ジョヴァンニ・ジャーコモ・パンドルフィ(ジャンジャーコモ・パンドルフィ)(1567年‐1636年) シモーネ・カンタリーニ(1612年‐1648年) ジョヴァンニ・アンドレーア・ラッザリーニ(ジャンナンドレーア・ラッザリーニ)(1710年‐1801年) の4人である. ジョヴァンニ・アントーニオ・ダ・ペーザロに関しては,市立美術館で買った英訳版ガイドブック, Chiala Barletta & Erika Terenzi, tr., Angela Gibbon, Pinacoteca, Museo della ceramiche, Comune di Pesaro, 2001 に,カテドラーレから美術館に移された板絵「聖テレンティウス」の写真が掲載されている.ペーザロでもらった他のパンフレットなどにも,この絵が載っていたが,今回はやはり展示されていなかった. 聖テレンティウスの描き方は,老司教の姿で描かれる場合と,若いローマ兵士の姿で描かれる場合があり,今回見たのは殆ど後者で,ベッリーニの「ペーザロ祭壇画」の周辺部に描かれた絵も,旧フランチェスコ教会で見たフレスコ画もそうだった.それに比べると,ジョヴァンニ・アントーニオの作品は,中世からルネサンスの時代のフィレンツェの若者のような姿に見え,その意味でも大変興味深く,見られなかったのは残念だ. パンドルフィはフェデリコとタッデーオのズッカーリ兄弟の門下ということになので,旧サン・フランチェスコ教会でフェデリコ・ズッカーリの絵が見られたこととつながる.フェデリコ・バロッチの影響があるということなので,マルケ州北部のサークルの中から出てきた典型的な地元の画家と言えるだろう.師匠筋のウルビーノの画家たちはローカルを超えた人々だが,パンドルフィの作品は写真で見る限り立派だが,ローカルに止まった芸術家と言えるだろう. それに比べるとカンタリーニは,夭折(毒殺の噂もある)によって大成するには至らなかったかも知れないが,ミラノのブレラ美術館にもボローニャの国立絵画館にも作品が収蔵されており,半ばローカルを超え,それなりに知名度のあった画家だったといえよう.エッチング版画家でもあったようだ.美術館で見られた2枚の絵は見事だったが,グイド・レーニに似すぎていて,あるいは夭折しなくてもローカルは超えられなかったかも知れない. ラッザリーニの作品は,夕方行った司教区博物館で「聖母子」を見たが,とりたてて感銘はうけなかった. 同博物館でもらったペーザロの観光案内によるとロッシーニ音楽院のあるオリヴィエーリ宮の装飾画は,ラッザリーニの作品とのことだ.ロッシーニ劇場があるのはラッザリーニ広場という名前になっているから,やはり地元一押しの画家と言うことだろう.
サンタゴスティーノ教会 ポポロ広場から北に向かう9月11日通り(コルソ・ウンディチ・セッテンブレ)も繁華な通りだが,これをしばらく行くとサンタゴスティーノ教会がある.この教会のポルターユも見事だ. 堂内で見られる作品としては,パンドルフィ(「聖家族」),カンタリーニの他に,パルマ・イル・ジョーヴァネ(「受胎告知」),イル・ポマランチョと通称される2人の画家の1人クリストフォロ・ロンカッリ(「煉獄の霊たちの間に立つトレンティーノの聖ニコラウス」)があり,絵画作品以外では,ウルビーノの化粧漆喰彫刻家フランチェスコ・ブランディーニの「キリスト磔刑」,その他,司教博物館でもらったペーザロ大司教管区編『芸術と信仰の旅路』(英訳付き)によれば,この教会で「最高の芸術的価値」を有する木製の合唱隊席(伝フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ作)があるということで是非拝観したかった. ところがポルターユを写真に収めた後,堂内に入ったら,現役の宗教施設であるため,既に司祭様の夕方の説教が始まっていた.聴衆は広い堂内に僅か3名と,いささか寂しい状況だったが,お祈りの邪魔はしない方針なので,後ろ髪引かれながら,入口から堂内を見回しただけで,一礼して辞去した.
司教区博物館 この後,ロッシーニ通りを東に戻って,カテドラーレの向かいにある司教区博物館に行って,床モザイク,石棺,陶器,銀器,衣装,絵画など興味深いものを見た.清潔で感じの良い博物館だった.
この博物館の入場券で,同時に,拝観料の要る「神の御名」教会(キエーザ・デル・ノーメ・ディ・ディーオ)も拝観できること(パンドルフィの美しい天井画がある),「告知された聖母」教会(キエーザ・デッラヌンツィアータ)の化粧漆喰装飾がすばらしいことを熱心に説明してくれたうえ,ペーザロやウルビーノの教会を紹介した資料を数点と,それらを入れるために博物館のマーク入りの布バッグをプレゼントしてくれた. 異国で熱心に宗教施設をまわり,カタコトのイタリア語を健気に使う日本人の中(高)年夫婦の姿が興味を誘うのであろうか,旅先の所々でこうした親切に巡りあうことがある. 「神の御名」教会も,申し込みによって博物館の係員の案内つきでのみ見学できる「告知された聖母」教会も大変興味深く思われたが,今回は時間切れで拝観できない旨を告げると残念がってくれた. 皆さんにお礼を述べて博物館を辞去し,オペラ鑑賞に出発する集合時間に間に合うべくホテルへと急いだ.オペラに関しては「続く」としたい. |
![]() 司教区博物館でいただいた バッグと資料 |
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