フィレンツェだより
2008年3月23日



 




ギリシア劇場とエトナ山
タオルミーナ



§シチリア行 - その4

シラクーザの州立考古学博物館は,先史時代から歴史的順番に発掘品を展示している.


 しかし,シチリア一のギリシア人都市だったシラクーザの博物館だけに,やはりギリシア人の遺産が人を引き寄せるだろう.絵皿,絵壺,大理石像,石棺に見るべきものがある.首が取れてしまっているが,ヴィーナスが水浴の後,体を折り曲げて,衣を身に引き寄せる羞恥のポーズを取っている像が最大の注目作品のようだ.

 プラトンの胸像もあったが,これが考古学的,美術史的に価値のあるものかどうかはわからない.いずれにしろシラクーザで見た唯一のプラトン所縁のものだが,この博物館は撮影禁止なので,写真はない.

 パレルモ,アグリジェントの考古学博物館には情報量豊富な英訳版ガイドブックがあり,シラクーザにも英訳版のガイドブックはあったが,やや情報量に欠ける憾みがある.

 考古学博物館を辞し,もう一度公園の方に向かった.昼食に考古学公園近くのレストランを予約してもらっていた.食事を済ませると,露店の土産物屋を覗きながら待ち合わせの場所に向い,最後の見学地で2泊するタオルミーナに向かった.


タオルミーナ
 タオルミーナは,古代名をタウロメニオンというギリシア人植民市である.シチリアのギリシア人都市のうち最古のものとされるのはナクソスで,ギリシア本土に隣接するエーゲ海の大きな島エウボイア島カルキスという都市から植民して来た人々によって建設された.紀元前735年のことで,コリントス人によるシラクーザ建設の前年にあたる.

 ナクソスは前403年にシラクーザの僭主ディオニュシオス1世に滅ぼされたが,住民の一部が近傍のタウロス山の中腹に新しい都市を建設したのがタオルミーナの発祥とされる.シチリアのギリシア人都市としては新しい方と言えるだろう.

 しかし,ここには立派な考古学的遺跡がある.ギリシア劇場(テアトロ・グレーコ)だ.シラクーザに次いでシチリアで2番目に大きなギリシア劇場だそうだ.

 その大きさもさることながら,立地がすばらしい.町自体が海岸線からだいぶ上の切り立った山の中腹にあり,その高台にある劇場跡からはエトナ山が美しく見える.雪の衣をまとった姿もすばらしいが,ここからははっきり噴煙が見え,現役の活火山であることがわかる.最近の噴火は2002年だそうなので,またいつ火を噴いても不思議は無い.

写真:
ギリシア劇場
中央にエトナ山の姿


 タオルミーナは紀元前3世紀にはシラクーザの王ヒエロン2世の領土に組み込まれたが,ギリシア劇場はその時代の建造と思われる.ヒエロンの死後ローマの支配下に入ったが,同盟市という恵まれた地位にあったようだ.

 しかし,ローマ内乱の最後にポンペイウスの遺児セクストゥス・ポンペイウスに与して,オクタウィアヌス・カエサル(アウグストゥス)に敗れ,ローマからの植民者を受け容れることとなる.ギリシア劇場はローマ時代に改築され,その痕跡も残っている.

 ともかくタオルミーナのギリシア劇場は眺めが良い.

 タオルミーナの町からタウロス山に登ると,頂上にイスラム教徒が築いたとされる城塞があり,そこは現在非公開で入れないが,そこまで行く道は階段が整備されていて,ゆっくりならわりと楽に登れる.途中見おろすギリシア劇場の眺めもまた絶景である.

写真:
教会後方のタウロス山


 19世紀以来,タオルミーナは観光地,リゾート地として名高い.海も近く,イゾラ・ベッラ(美しい島)という島が有名で,干潮時には海岸から歩いて行くことができる.切り立った崖を登る自動車道も整備され,高台の市街にはホテルも林立している.

 今回は観光シーズンから外れていたせいもあるかも知れないが,市街地は思ったより落ち着いていて,地元の人たちの生活も垣間見えた.


「枝の主日」
 タオルミーナに着いた翌日は日曜日で,復活祭(パスクァ)の直前の日曜日は「枝の主日」だった.イエス・キリストがロバに跨ってエルサレムに入城し,彼の受難が始まったことを記念する日で,イエスのエルサレム入城の時に,民衆が棗椰子の枝を持ってこれを歓迎したとされるのにちなむ行事が行なわれる.

 復活祭が「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」で移動祭日なので,必然的に枝の主日も移動祭日になり,年に拠って日にちは異なる.

 タオルミーナの町でも,子どもたちを先頭にした行列が,棗椰子の代わりの棕櫚の枝を持って「ホザンナ」と唱え,歌いながら行列していた.

写真:
棕櫚の枝を手に
行進する子どもたち


 前日から,教会の前で,棕櫚の葉を様々な形に編みながら売っている人たちがおり,観光客も随分買っていた.何らかの宗教行事であることが察せられたが,私たちはキリスト教徒ではないので買わなかった.

 有名な一大観光地であっても,タオルミーナもまたローマ・カトリックを信奉するイタリアの町の一つで,行列は古代神殿の跡にできたサンタ・カテリーナ教会から,カテドラーレまで行われたようだ.地方の小さな町に数多くの子どもたちがいて,地元の行事にみんなで参加しているのは,まことに慶賀すべきことだと思う.

 サンタ・カテリーナ教会は前日に,カテドラーレの方は「枝の主日」の当日,行列が到着する前に拝観させたもらった.いずれも簡素な雰囲気の美しい教会で,「枝の主日」のために棕櫚の枝で飾りつけされていた.

写真:
カテドラーレ前の広場で
棕櫚の葉を編んだものを
売る売り子たち



タウロス山
 シチリアを回って多くの古代遺跡を見た後,最後はイタリアの町らしく,キリスト教会を拝観させてもらい,美しい自然を眺めながら,ゆっくり過ごすことができた.それでも,私たちはのんびりすることに慣れていないのか,ガイドブック片手にイゾラ・ベッラを目指して海岸線を歩いてみることにした.

 町のはずれから海岸に一直線に下りるケーブル・カーがあることになっていたが,駅に着いてみたら修理中で動いていない.代行バスが近くの広場から出ていたが,直近のバスが出たばかりで,次のバスまでかなり時間があった.

 それではと,タオルミーナの母市ナクソスの遺構があるジャルディーニ・ナクソスに行くバスを探したが,これはその広場からは出ていなかった.

 どうやって時間を過ごそうかと思案したが,幸い天気が良いので,タウロス山に登ってみることにした.日曜日なのでツーリスト・インフォメーションが閉まっていて,市内地図をもらうことはできなかったが,見当をつけて,イスラム教徒の城跡のある山頂への道を探した.

 道はすぐに見つかった.

写真:
タウロス山頂への道


 ラテン語で「十字架の道」(ウィア・クルーキス)と名づけられた道には,九十九折の角々にゴルゴタへ向かうキリストの受難の彫刻が順番に置かれていた.登山者はそれを眺めながら,急勾配の小道を登ることになる.

 海の方を振り返ると絶景が広がっていた.さっき見てきたばかりのギリシャ劇場が丘の頂に小さく見えた.

写真:
タウロス山から見た
タオルミーナの町と
ギリシャ劇場


 「磔刑」に至らないうちに,マリーア・サンティッシマ・デッラ・ロッカ(岩の聖母)の至聖所(サントゥアリオ)に着いた.「祠」というよりはかなり大きい一種の祈祷堂で,堂内には祭壇があり,幾つか絵や彫像も飾られているが,天井を見上げるとむき出しの岩が見える.この御堂の向こう側の断崖に大きな白い十字架があり,これがイスラム教徒の城跡の隣の峰にあるのが,町から山を見上げた時に見える.

 ボランティアであろうか「堂守」のような年配の女性がおられ,どうやって登ってきたのだろうかと思ったら,至聖所の裏に,駐車場があり,そこまで自動車道が通じていた.その駐車場を通り抜けて,さらに登ると城跡の入口に着くが,柵で閉ざされ,鍵がかけられていて,そこから先には行けない.

 来た道を引き返しながら,右手に目をやると,別の高い峰が見えた.その山上にはカステルモーラの集落がある.ここまで行った体験記などもウェブ上にたくさんあるようだが,私たちはタオルミーナの街に降り,4月9日広場でジェラートを食べながら海を見て,ゆっくり街を散策しながら宿に帰った.


太陽とオレンジの島
 シチリアではともかく日焼けした.顔が真っ赤になってしまった.島の南東岸にあるシラクーザが北緯37度くらいで,大体北緯35度の東京より北に位置している.東京も夏は熱帯のように思えるが,さすがに3月にこれほど日焼けをしたことがない.

アフリカからの熱風などで,緯度が高い割には暑いのはわかるとしても,陽射しが強烈なのはどういう理屈になっているの誰かに教えてほしいと思った.


 町にも野にもオレンジの木があり,たわわに実がなっていた.

 シラクーザではオレンジが街路樹の道もあった.さすがにそこから採っては食べなかったが,パレルモの八百屋でオレンジを買った.2個で良かったのだが,3キロ2ユーロからしか売らないと言われ,その結果,10個以上のオレンジを持って移動するはめになった.数日間の旅の宿ですべて食べつくしたが,他にもホテルのレストランや町の食堂で,デザートに丸一個出されることもあり,どれもうまかった.オレンジはシチリアに限るかどうかはわからないが,ともかくおいしい.

 もう一度シチリアに行くかどうかはわからないが,もし行くのであれば,今回のように,それほどは暑くなくて,しかも太陽が輝いていて,美しい花々が咲き,オレンジがおいしい季節に行きたいものだと思う.





岩の聖母の至聖所を後にして
さらに山頂への道を進む