フィレンツェだより
2008年3月4日



 




ルドヴィージの玉座
「笛を吹く乙女」,「ヴィーナスの誕生」



§3度目のローマ旅行 - その7

ホテルに戻り,手早くお昼を済ませてからチェックアウトした.荷物はしばらくの間,ホテルに預かってもらうことにした.向かった先はヴェネツィア宮殿だ.


 ローマに着いてすぐに,街のあちこちで宣伝ポスターを見かけて,ついに予定を変更して見ることにした「セバスティアーノ・デル・ピオンボ展」が,ここで開催されていた.



 原油の高騰を報ずるテレビのニュースでガソリン・スタンドが映るときに,必ず見える表示に「センツァ・ピオンボ」がある.ピオンボとは「鉛」を意味するので,無鉛ガソリンのことだろう,.

 ヴェネツィア出身でローマで活躍した画家セバスティアーノ・デル・ピオンボの本名はセバスティアーノ・ルチアーニ,ピオンボは通称である.教皇の書簡に鉛の封印をする役職に由来する仇名らしい.彼をこの役職に任命したのはフィレンツェ出身にジュリオ・デ・メディチこと教皇クレメンス7世だった.

 ジョヴァンニ・ベッリーニのもとで修業したピオンボは,ジョルジョーネの影響を受けてヴェネツィアでも活躍したが,ローマに活躍の場を求め,豪商キージ家の注文でファルナジーナ荘のフレスコ画を描き,そのときラファエロと一緒に仕事をした.

以来,彼はラファエロのライヴァルとなり,ミケランジェロの影響を受けた.


 親交を結んだミケランジェロとも最終的には決裂するが,彼の傑作とされる作品にはミケランジェロの影響が濃厚で,ヴァザーリ以来多くの人がそれを指摘している.

 ピオンボの作品は,フィレンツェでも少なくともウフィッツィで2点(「アドニスの死」と「男性の肖像」),パラティーナで1点(「聖アガタの殉教」)を見ているが,ヴェネツィア出身とは知らなかった.

 この特別展では彼がヴェネツィアで描いた絵も何点か見られる.それぞれ見事なものだったが,特別展の趣旨に沿って,ミケランジェロの影響が強調される展示になっており,これは大変説得的で良い見せ方だったと思う.

 会場は暗くしてあったが,照明に工夫があって見やすかったし,この特別展がなければ中に入ろうとは思わなかったヴェネツィア宮殿の内部装飾もすばらしかった.

写真:
ヴェネツィア宮殿
中央のバルコニーで
ムッソリーニが演説した


 「トラステヴェレ地区の探訪」という今回の旅のテーマに沿って,リストアップした教会のひとつにサン・ピエトロ・イン・モントーリオ教会があった.ジャニコロの丘(モンス・ヤニクルス)に向かう途中にあり,今回は時間の関係で拝観をあきらめたが,ピオンボの「キリスト笞刑」がある.

 下調べの段階で小さな写真を見ていたが,それとよく似ている作品の展示があった.よく見るとキリストの両側で鞭を振るう人物がかなり違っているが,大理石の柱に縛り付けられたキリストの裸体は筋肉質でよく似ており,当然どちらもミケランジェロの影響があるのだろう.

 残念ながら,この「キリスト笞刑」が本来どこにある作品か今はわからない.事前情報で,定価50ユーロくらいのカタログを会場価格35ユーロで入手できるとのことだったので,初めからそれを買うつもりでメモを取らなかったからだ.

 ところがブックショップでカタログの現物を手にとって見ると,お得感はあるだろうが,ものすごく分厚い上に,紙表紙で,熱心に読めば背中が割れることは目に見える作りのものだった.英語版もあって随分迷ったが,まだこの後に予定が残っており,しかも,この日の天気予報は雨だったので,カタログを買うことはあきらめた.したがって,一部この特別展についてウェブ上に情報があり,紹介されている絵もあるが,どこにある作品かは今のところ確認できていない.



 ウフィッツィの「アドニスの死」でもわかるように,ピオンボにはギリシア神話を題材にした作品もあるが,キリスト教のテーマで描かれた作品の方が優れていると思われた.

 肖像画も描き続けたようだ.多分,この分野に最も力を発揮した画家だろう.特別展のポスターに使われていたのも肖像画作品だった.

写真:
地下鉄構内をはじめ,
街のあちらこちらで見かけた
ピオンボ展のポスター


 ミケランジェロの精神的支えであったと言われているローマ貴族の女性ヴィットリア・コロンナの肖像かも知れないとされる作品が2点あった.そのうち1点はウェブ上にも紹介があるが,私が良いと思ったもう1点はどこにも紹介されていない.記憶が不確かだが,所蔵しているのもイタリアの美術館ではなかったと思う.

 宗教的な作品では「ピエタ」と未完の「ソロモンの審判」が立派な絵だった.前者はヴィテルボの市立美術館,後者はナショナル・トラストの所有でイギリスにあるようだ.

 「ピエタ」は素人目にはミケランジェロの影響を超えて,独自の世界を作っているように見えるが,通説としてはミケランジェロ的な特徴が随所に見られるらしい.1516年から17年頃の作品ということで,この後彼には30年の寿命があり,ブダペストの美術館にある「十字架を担うキリスト」などは「ピエタ」の20年後以降に描かれた作品とされるようなので,この「ピエタ」がピオンボの完成形というわけではないようだ.

 しかし,今回の特別展とウェブ上の写真で見た作品と見比べて,この「ピエタ」が彼の最高傑作ではないかと思った.

 ミケランジェロの影響を受ける前のヴェネツィアで描いた絵にも優れたものがあった.サン・バルトロメオ教会のカンヴァス油彩の祭壇画「トゥールーズの聖ルイと聖シノバルドゥス」その他だ.

ヴェネツィアのアカデミア美術館収蔵の「聖なる会話」を見ると,なるほどジョヴァンニ・ベッリーニの影響を受けた「ヴェネツィア派」だったのだなあと思う.


 ティツィアーノ,ジョルジョーネ,ピオンボの3人が1枚の絵に1人ずつ人物を描いた作品も展示されていた.

 今回見られなかった作品だが,ロンドンのナショナル・ギャラリーにある「ラザロの復活」あたりが,彼の大転換を示しているのだろう.ラザロの肉体が筋肉質でミケランジェロの絵や彫刻のようだ.これが1517年頃の作品とされ,その前年あたりに描かれたサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館所蔵の「キリスト降架」にもすでにミケランジェロの影響が見られるようだ.

 この特別展にはミケランジェロとピオンボの素描も出展されており,この時代の絵画に興味のある人にはこたえられない展示だろう.絵を描くのが苦手なので,素描を見ても普段あまり何とも思わない私ですら,これらの素描は見応えがあった.



 最後の部屋はピオンボの周辺で影響を受けた人たちの絵だったのだと思う.その中にイエスが帽子を被ってスコップを持った「我に触れるな」があった.コモ出身の16世紀の画家マルチェッロ・ヴェヌスティの作品だ.メモをとらず,カタログも買わなかったのになぜ分るかと言えば,この絵は普段はサンタ・マリーア・ソプラ・ミネルヴァ教会に左側廊のファサード裏から一番近い礼拝堂にあり,ミネルヴァ教会で聖具室係助手の方から購入したすぐれもの英語版ガイドブックに写真と作者名が載っているからだ.

 影響を受けた画家たちの作品には特に心に残るものはなかったが,何よりもピオンボというヴェネツィア出身で,ヴェネツィア派の大芸術家たちの弟子筋にあたる画家が,ローマに出て,ラファエロと競うように,ミケランジェロの影響を受けながら画風を築き上げていく過程を,各地から集めた彼の作品を通じて理解させてくれた,すばらしい特別展だった.

 常設展示は別料金になるので,入場料10ユーロは少し高めだが,それ以上の価値のあるモストラだった.


サンタンドレーア・デッラ・ヴァッレ教会
 ピオンボ作品を堪能して,外に出ると少し雨が降っていたが,傘を差すほどではなかった.次の目的地であるスパーダ宮殿に向かったが,途中サンタンドレーア・デッラ・ヴァッレ教会(以下,ヴァッレ教会)の扉が開いていた.事前の情報では4時半にならないと昼休みが終わらないはずだったが,まだ3時前だった.

 この教会ではドメニキーノとランフランコの天井フレスコ画が見るべきものとされている.

 ローマで活躍した芸術家の出身地は,16世紀はミケランジェロがフィレンツェ,ラファエロがウルビーノ,ピオンボがヴェネツィアとイタリア中部と北部の様々な地域にわたる.ヴァティカンのシスティーナ礼拝堂にミケランジェロが「最後の審判」を描いたのは16世紀だが,それ以前の15世紀に,ここにフレスコ画を描いたのは,ボッティチェルリ,ギルランダイオ,コジモ・ロッセッリ,ペルジーノとフィレンツェで活躍した画家たちだ.

 そして,ドメニキーノがボローニャ,ランフランコがパルマ出身で,ほかにグイド・レーニ,グェルチーノなど,17世紀のローマのバロック絵画を支えたのは圧倒的にエミリア・ロマーニャの画家たちが多いように思える.

 この教会はファサードがバロック風の豪壮な建築で,クーポラはヴァティカンのサン・ピエトロに次いでローマ第2位の高さを誇るそうだが,堂内も豪華絢爛でただただ驚きあきれる.

写真:
豪華な大伽藍
サンタンドレーア・
デッラ・ヴァッレ教会


 後陣壁面に描かれた17世紀カラブリア出身のマッティア・プレーティ「聖アンデレの物語」は巨大な絵だ.後陣の半穹窿型天井やクーポラの天井に描かれたドメニキーノやランフランコの絵も大きいが,天井が高いので肉眼ではとても絵柄を追うのが大変だ.こうなると芸術性というよりは,ただただその大きさと高さに驚くばかりだ.


スパーダ宮
 短時間でヴァッレ教会の拝観を終え,スパーダ宮殿に向かった.入口が少しわかりにくくて手間取ったが,1人5ユーロの入場料を払って絵画館の見学を始めた.ボッロミーニ設計の「遠近法の間」は同料金内で見られるが,これは時間の都合で割愛した.

写真:
スパーダ宮殿


 この絵画館には規模に比べて驚くほどの点数の絵があるが,目をひくものはそれほど多いわけではない.

 ジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリーニの「ゴリアテの首を持つダヴィデ」が一押しのようだ.確かにきれいな絵だ.ペルージャ出身だが,影響を与えたのはレーニ,グェルチーノ,ランフランコ,ドメニキーノとあるので,やはりエミリア・ロマーニャの画家たちの流れを組むと言えるだろう.

 彼は宮殿の主バルトロメオ・スパーダ枢機卿の保護を受けていた.バルトロメオ枢機卿はラヴェンナ近傍の生まれでボローニャ大学で学んでいるので,やはりエミリア・ロマーニャ出身ということになる.

 カルロ・チニャーニの「春,もしくは花の女神」も美しい絵だが,この画家はボローニャ出身だ.ボローニャ近郊出身のグェルチーノの「ディドーの死」がこの絵画館で1番印象に残る絵だった.

 ピサ出身でローマで活躍したオラツィオ・ジェンティレスキの作品が1点(「ゴリアテの首を見つめるダヴィデ」),その娘でローマで生まれ,父同様重要なカラヴァッジェスキの1人とされるアルテミジア・ジェンティレスキの作品が2点(「授乳の聖母子」,「聖チェチーリア」)で,いずれもカラヴァッジョの影響の少ない佳品に思えた.

 特にアルテミジアの作品はウフィッツィ美術館の「ホロフェルヌスの首を切るユディット」,パラティーナ美術館の「ユディットと侍女」と相当に印象の違う作品なので驚いた.

 ニッコロ・トルニオーリの複数の作品も目をひくものだった.シエナの生まれだが,ボローニャでも絵を描いた17世紀の画家とのことだ.

 先日ルッカで初めて出会ったピエトロ・テスタの作品(「イピゲネイアの犠牲」,「ヘロデの嬰児虐殺」)もあった.ルッカの生まれだが,早い時期にローマに移り,師匠筋にあたるのはピエトロ・パオリーニ,ドメニキーノ,アンニーバレ・カッラッチということなので,パオリーニはルッカ出身だが,あとの2人はボローニャの人なので,やはりエミリア・ロマーニャの流れに属すると言って良いのだろう.

 時代的には古いがコレクションの中にはアミーコ・アスペルティーニの作品があるそうだ.ボローニャの人で,私が好きな画家だが,これは見られなかった.

 こうしたコレクションの傾向とどう関係があるのかはわからないが,ペルジーノの先達の1人で,ペルージャで出会ったフィオレンツォ・ディ・ロレンツォの「聖セバスティアヌス」を見ることができた.特に優れた作品とは思えないが,ペルジーノが好んで描いたセバスティアヌスとはあまり似ておらず,個性がはっきりしているし,ペルージャで見たこの画家の作品はとても私の好みに合うものだったので,好きな画家のめずらしい作品に出会えたのが嬉しかった.

 ブックショップで英語版のガイドブックを買って,スパーダ宮殿を辞し,途中パンテオンでラファエロの墓に参った後,アルテンプス宮殿に向かった.午前中に拝観したサンタゴスティーノ教会の近くだ.この教会のフルネーム,サンタゴスティーノ・イン・カンポ・マルツィオからもわかるように,古代ローマの軍事教練が行われた「マルスの野」(カンプス・マルティウス)に位置している.


アルテンプス宮殿(ローマ国立博物館)
 アルテンプス宮殿はテルミニ駅近くのマッシモ宮殿などともにのローマ国立博物館になっていて,17世紀ボローニャ出身の枢機卿ルドヴィーコ・ルドヴィージ(ルドヴィシ)の収集に,この宮殿の所有者だったがアルテンプス枢機卿などの収集を加えた,古代彫刻の一大コレクションになっている.

 アリストテレスの胸像に始まり,ルドヴィージ枢機卿の名を冠した「アレス像」,「ヘルメス像」,「ヘラ胸像」,「自害するガリア人」,ヴィーナスの誕生,笛を吹く乙女,香を焚く乙女の浮彫のある玉座(トップの写真),ローマ人と異民族との戦争の細密な浮彫のある石棺などが見事だ.


写真
左:「アレス像」
左下:ローマ人と異民族との戦争の
    細密な浮彫のある石棺
右下:「自害するガリア人」




 他にも「牧神とダプニス」,「竪琴を弾くアポロ」,「アテナ立像」,「復讐の女神の首」,「バッカスとサテュロス」,「水浴びするヴィーナス」,「エレクトラとオレステス」など,傑作は枚挙に暇がない.

 枢機卿の宮殿だった名残で,輝石細工のある礼拝堂や,フレスコ画のある居室など16世紀の建築物としてもおもしろい.

 入場料は,マッシモ宮殿などとの共通券(3日間有効)で1人10ユーロと少し高い.でも,一昨年の9月のローマ旅行が,たまたま「ヨーロッパ遺産の日」にあたっていて,国立の美術館,博物館が入場無料だったから,マッシモ宮殿の博物館にタダで入り,古代彫刻と床モザイクを堪能したので良しとしよう.ガイドブックは写真豊富で大変すばらしいが,英語版はないそうなので,イタリア語版を8.2ユーロで購入した.



 暗くなってきたので,急ぎ足で「マルスの野」からトレヴィの泉を通り,クィリナーレの丘を超えてテルミニ駅に向かった. 途中,初日は昼休みで外からしか見られなかったベルニーニ設計のサンタンドレーア・アル・クィリナーレ教会を拝観した.

もう暗くなっていたので細部は見えなかったが,立派な堂内で,次にローマに来るときは,ベルニーニとボッロミーニというバロック建築の巨匠たちに注目しながら,教会を見て歩くのも悪くないなと思った.


 そうこうするうちにテルミニ駅に着き,ユーロスターに乗って,フィレンツェに帰った.

 全てではないが,テコテコ歩くことによって,ローマの「七つの丘」と「マルスの野」を大体把握することができた.気になっていたピエトロ・カヴァッリーニとその周辺の画家の作品を見ることができた.何よりも掏りに遭わずに過ごすことができた.やはりローマは何度でも訪れたい街である.





アリストテレスとともに
(偉人の傍で目が虚ろ)