フィレンツェだより |
ローマ通り 大晦日 |
§フィレンツェの年越し
サンタ・フェリチタ教会 扉の外側と,中央祭壇の前にプレゼピオがあり,どちらも良かった. それとは別に,左側の礼拝堂にも小学校低学年の子たちが画用紙に描いたプレゼピオ(と言ってよいのかどうか)があったので,これも興味深く拝見した.夢中になって見ていて,妻は大学入試のとき以来愛用している毛糸の帽子を置き忘れたくらいだ.幸い,気づいて引き返したのでなくさずに済んでよかった.
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サント・スピリト教会 次に,大晦日は4時から6時まで開いているという貴重な情報を入手していたので,フェリチタの近くのサント・スピリト教会に向かった. 今回は奥のところにロープが張られていなかったので,中央祭壇の向こう側にも入ることができた.ラファエッリーノ・デル・ガルボ,コジモ・ロッセッリ,フランチェスコ・ボッティチーニの祭壇画も見ることができたが,何よりもマーゾ・ディ・バンコの多翼祭壇画「聖母子と聖人たち」をようやく目の前で見ることができた.
マグダラのマリアの隣の聖人は,前回遠目に見たときは,杖を持っているので,洗礼者ヨハネかと思ったが,聖アンデレだった. キリストは鶸を持っている.聖母子の右隣は聖ユリアヌス(ジュリアーノ),右端はアレクサンドリアの聖カタリナだった.美人に描かれることの多いカタリナは暗く厳しい表情で,いかにも殉教者というように描かれていると思う.ジュリアーノの顔がやはりジョット風かなと思うが,全体としてはマーゾ独自の世界になっていると感じた.
マーゾの作品を見る機会は少ない.まだ見られていないサンタ・クローチェ教会のバルディ・ディ・ヴェルニオ礼拝堂「聖シルウェステルの物語」とともに,他にもどこかで作品を見ることができるなら,是非見てみたいと思った. サント・スピリト教会にある絵は,フィリピーノ・リッピとマーゾ・ディ・バンコの作品を除くと,大傑作とは言えないかも知れないが,後陣奥の4つの礼拝堂にアウレリオ・ローミ「三王礼拝」,アレッサンドロ・アッローリ「1万人の殉教」,同「キリストと不義の女」,ヤコポ・ヴィニャーリの「モンテファルコの福者キアラ」という4枚の立派な絵が並んでいるのは圧巻であるし,サンソヴィーノの彫刻による墓碑も見事で,その他の祭壇画も1つ1つが興味深い.是非,ゆっくり時間をかけて拝観したい.
![]() もちろん相手がどんな人であっても,常に係員の皆さんの指示には従うが,サント・スピリトは公務員ではなく,ボランティアの皆さんが整理にあたって,一般人の拝観を実現してくれていると教えていただいたばかりなので,特に頭が下がる思いで,「はい,承知しました」と答え,絵葉書を2枚買って(マーゾのはない,残念)辞去した.
年越しパーティー 夜は大家さんのお宅の年越しパーティーにお招きいただいた. そこで,こちらに長いことお住まいの日本人の方々にお会いしたが,どの方もご自分の世界があり,いろいろとお話を聞かせていただいたのは貴重な体験だった.とても楽しい時を過ごすことができた. 街中は爆竹や花火で夜通し大騒ぎのようだった. ニュー・イヤー・コンサート 元日は,11時半からテアトロ・コムナーレで,ニュー・イヤー・コンサートがあった.「コンチェルティ・ディ・ナターレ」の一環で,演奏はフィエーゾレ音楽学校のオーケストラ(オルケストラ・デッラ・スクオーラ・ディ・ムージカ・ディ・フィエーゾレ)だった. 最初のヨハン・シュトラウス2世「ロシア風行進曲」は,少年,少女たちが中心だったが,2曲目ヴィエニャエフスキ「ヴァイオリン協奏曲2番」,3曲目ヨハン・シュトラウス2世「こうもり」序曲,4曲目ドヴォルザーク「スラヴ舞曲」7&8番,5曲目ボロディン「イーゴリ公」から「ダッタン人の踊り」は,ヴェテランと若手が交じり合う大人の楽団だった. オルケストラ・デーイ・ラガッツィ(若者たち),オルケストラ・ヴィンチェンツォ・ガリレイ,オルケストラ・ジョヴァニーレ・イタリアーナなどがあるようだが,どういう組み合わせだったのかは正確にはわからない.1曲目をラガッツィが演奏したのは間違いないが,メンバーがそろわないのか,ラガッツィではない人も混じっていたように思う. 指揮者の名前は正確にどう発音するのかわからないが,ルーク(リュックか)・バグダッサリアンという人でイタリア人ではないようだ.ジュネーヴ高等音楽院で学び,スイス,オーストリア,ルーマニア,アルメニア,イタリアの楽団や合唱団を指揮しているようだ.ヴィエニャエフスキの協奏曲のソリストは,マリア・クズネツォワ(と読むのだろうか)という1991年ロシア生まれの16歳の少女で,フランス,イタリアのコンクールで入賞,優勝歴があるようだ.美しい音を出して,堂々と演奏していた.アンコールでは,1曲目に登場した少年・少女(ラガッツィ?)たちも参加した大編成の楽団でヨハン・シュトラウス1世「ラデツキー行進曲」だった. ウィーンのニュー・イヤー・コンサートのように最後はラデツキーで盛り上がったが,ヨーゼフ・ラデツキーという将軍は当時オーストリアの支配下にあった北イタリアの独立運動を鎮圧した人物らしいので,イタリアのナショナリズムが前面に出れば,ラデツキーは「無し」かなと予想していて,秘かに,ヴェルディ『ナブッコ』の「行け,わが思いよ,黄金の翼に乗って」の観客の大合唱を期待しないでもなかったが,ラデツキーを2回も演奏して,聴衆も手拍子で応えていたので,大人の反応というところだろうか.このあたりは,即断はできない. イタリアのニュー・イヤー・コンサートと言えば,フェニーチェ歌劇場で行われ,ライ・ウーノ(国営第1放送?)で同時中継されるとのことだったが,帰宅してテレビをつけたら,ちょうどそれが終わったところだった. その後,ライ・ドゥーエ(国営第2放送?)が録画放送した本家ウィーンのニュー・イヤー・コンサートを,遅いお昼を食べながら楽しんだ.指揮者はジョルジュ・プレートル.地味なお爺さんに見えるプレートルがなかなかの味わいを見せていて,おもしろかった.最後はもちろん手拍子入り「ラデツキー行進曲」だった. ![]() |
寓居のリビングから 元日の空 |
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