フィレンツェだより
2007年12月27日



 




夜のサンティッシマ・アヌンツィアータ広場で
(奥はサンティッシマ・アヌンツィアータ教会)



§写本の世界

今日は午前中にラウレンティアーナ図書館を見学した.


 図書館は常時開いているわけではなく,今は「想像上の動物たち」という特別展を開催しているので,12月31日までずっと開いている.特別展が終了したら,またしばらく閉館になる可能性が高そうだったので,行くなら今だと思った.

 ラウレンティウスはイタリア語ではロレンツォ,つまり,ラウレンティアーナ図書館(ビブリオテーカ・ラウレンティアーナ「ラウレンティウス図書館」)は,聖ロレンツォという聖人の名を冠していて,サン・ロレンツォ教会とその付属の修道院に由来してつけられた名前ということになる.

 下の写真の左側がキオストロと図書館への通路で,上部に特別展の垂れ幕が見える.右側はサン・ロレンツォ教会のファサードだ.

写真:
サン・ロレンツォ教会横の
図書館への通路
サン・ロレンツォ教会


 サン・ロレンツォ教会は,日本風に言うとメディチ家の「菩提寺」にあたる教会で,ここには「祖国の父」老コジモをはじめ,共和国時代に事実上の支配者だったメディチ家の当主たちのほか,ヌムール公,ウルビーノ公,フィレンツェ公という領主貴族やトスカーナ大公国の君主になったメディチ家の人々とその家族の墓所がある.その修道院の一角に図書館を作り,老コジモ以来収集した蔵書を収めさせたのが,やはりメディチ家出身の教皇クレメンス7世である.

 クレメンス7世は1524年にミケランジェロに設計を依頼するが,ミケランジェロはメディチ家が失脚した後の第2共和国政府の時代に共和主義的考えを持ち,メディチ家との間が一時疎隔になる.結局,メディチ家復権後に赦しを得て,再びこの仕事に取りかかったが,やがてクレメンス7世が亡くなり,ミケランジェロ自身もローマに行ってしまい,最終的には1571年,コジモ1世の治世下にバルトロメオ・アンマンナーティとジョルジョ・ヴァザーリによって完成された.

 したがって,「薔薇の名前」に出てくるような中世の図書館ではなく,比較的新しいものだ.それでも当時シェイクスピアが7歳,関が原の戦いの29年前である.


セネカのE写本
 ローマ時代の哲学者セネカは紀元後1世紀の人だが,彼が書いたとされる悲劇の現存する最も古い写本は11世紀後半のものだ.どこで書かれたかはわからないが,11世紀の終わりにはフェッラーラの近くの修道院にあった可能性がある.

 この写本には通常エトルスクス(エトルリアの)という形容詞が付され,Eという記号で表記されるが,この写本もラウレンティアーナにある.

 セネカの悲劇の写本は多数存在するが,E以外はAと総称され,重要なものはパリ,ケンブリッジ,ヴァチカンなどにある.Aには,Eにない偽作のローマ史劇『オクタウィア』が含まれているなど,その重要性は決して侮れないが,E写本の価値は,セネカの悲劇のテクストを校訂する際には最も尊重されるべきものであろう.最古の写本と言っても作者の時代から1000年後のものだ.

古典文学が現在まで伝わっているのは,奇跡に近いと言えるだろう.古典作家のオリジナル原稿はもちろん一つも現存しない.


 古代末期の写本が残っているのはウェルギリウスくらいで,多くの場合10世紀以降の中世のものだ.もちろんギリシア語作品は,古代のパピルス写本の断片がエジプトなどから出てくるので,作品自体が存在したことは信じても良いだろう.

 もちろん,今日は観光客の一人として,一般に見学可能な所を見せてもらっただけなので,E写本が見られたわけではないが,そのすぐ近くにいるのかと思うと,少し背筋がシャキッとした.


挿絵の美しさ
 写本の展示は,「想像上の動物たち」という特別展に合わせて,龍,半人半馬のケンタウルロス,下半身が山羊の怪人サテュロスなどの挿絵が施されたものが中心だった.

 古典の写本としては,大プリニウス『博物誌』の彩色された挿絵の美しいものがあった.私が生まれる丁度500年前の1458年の完成で,すでにグーテンベルクによる活版印刷以降のものだが,きれいな羊皮紙写本をみていると心和む.

 これの装飾はフランチェスコ・ディ・アントーニオ・デル・キエリコという15世紀後半のフィレンツェに工房を持って活躍していた職人に帰せられている.冒頭には「ヴェローナの人プリニウスの『博物誌』の,皇帝ティトゥスに宛てた序文が始まる」とあり,次に大きなLの飾り文字から本文が始まっている.本(リベル)という語の複数の対格という形(目的格のようなもの)の頭文字だ.本文の周縁には,人物,動物の絵があり,最下段に熾天使に囲まれたメディチ家の紋があるので,もちろん中世の修道院で書写されたものではない.人文学の大後援者であるメディチ家のピエロ(老コジモの息子で,ロレンツォ豪華王の父)のために作成された特注版写本だ.

 妻が「研究室に飾れ」と唆すので,原寸大のコピーを6ユーロで購入した.

プリニウスの写本 写真:
大プリニウス『博物誌』の
写本のコピー(6ユーロ)


 写本と言っても一番古いものは,12世紀のホラティウス作品集と13世紀の「薬草」に関する本で,後者にはケンタウロスが薬草を持っている挿絵が施されている.ウェルギリウス『アエネイス』もあったが,これも15世紀にフィレンツェの有力者のために作成された特注版だ.

 1463年頃ということなので,やはりグーテンベルク以後のものだが,プルタルコス『対比列伝』の写本もあった.「えっ」と思うのは,ラテン語で書かれていることだ.この時代のイタリアではまだギリシア古典を原文で読むことは一般的ではないが,イタリア語やラテン語の訳もほとんどなかった.これは当時の人文学者たちが訳したもので,当時14歳くらいのロレンツォ豪華王のために作成されたらしい.ギリシア古典は限られた人たちのものだったことになる.

 見せてくれているページは「テセウス伝」の冒頭で,テセウスがミノタウロスを殺す場面の挿絵がある.この絵には署名があって,作者は上述のデル・キエリコと特定されるようだ.


今や懐かし?活版印刷
 15世紀半ばからは活版印刷で本が大量生産される時代になる.刊本の展示もあった.ヴェネツィアの印刷業者アルドがラテン文字に斜字体を使ったことから「イタリック」という名称が生まれるが,そのアルド版のアリストテレス著作集第3巻『動物誌』の冒頭ページが,挿絵もギリシア文字も実に美しくて,すばらしかった.

 この版で「動物たちの」(ゾーオーン)という語の頭文字がΖ(ゼータ)ではなくΣ(シグマ)になっているのは,当時の習慣なのだろうか,それとも世紀のミスプリントだろうか.挿絵と装飾,その中の文字はおそらく印刷本に手書きで描いたと思われるので,ミス・プリントとは言えないかも知れない.本文には小文字のゼータ(ζ)がちゃんと使われている.1497年1月に印刷されたものだ.

 この本は手に入るものならほしいが,定価14ユーロを特別価格10ユーロで買った特別展カタログ英訳版で満足しよう.写真がきれいで情報も豊富だ.

 ダンテやペトラルカのイタリア語作品の写本もあった.ドミニツィオ・カルデリーニ『ユウェナリス諷刺詩注解』は,「健全な肉体に,健全な精神」(メンス・サーナ・イン・コルポレ・サーノー)という句が変に有名な詩人の作品への注釈書で,パッツィ事件で暗殺されたジュリアーノ・デ・メディチのために作成されたものらしい.たくさんのサテュロスの絵が賑やかしくて良いので,絵葉書を購入した.

 慶應義塾大学がグーテンベルク聖書を購入したのは,随分話題になったが,勤務先の大学の図書館にも立派な初期印刷本の蔵書があり,写真等が公開されている.解説にはほんの少し誤解もあるように思えるが,なるほど大きな大学というのは,いろんなものを持っていると,わが勤め先ながら,感心した.


ミケランジェロの階段

 この図書館で一般に見学が許される部分の貴重な見ものとしては,入口から閲覧室に向かう階段()ある.これはミケランジェロの設計によるもので,水が流れるような美しい形だ.見る機会があれば是非見ておいたほうが良いだろう.写真で見るより,ずっと立派だ.

 閲覧室の床模様や,窓ガラスの絵模様もなかなかのもので,書見台も古い時代の図書館の雰囲気が良く出ていて良かった.

 図書館内は写真撮影禁止なので気をつけなければならないが,回廊は良いので,2階から中庭のオレンジの木を写真に収めた.入口のある2階に向かう階段の上には無名の画家のフレスコ画「受胎告知」があったし,回廊2階には聖クリストフォロスの像があった.やはり,元来はキリスト教の宗教施設だ.

写真:
回廊2階からの風景
ドゥオーモが見える
ラウレンティアーナ図書館 キオストロ



サンティッシマ・アヌンツィアータ教会のオルガン・コンサート
 「コンチェルティ・ディ・ナターレ」の一環として,夜の9時からサンティッシマ・アヌンツイアータ教会で,オルガン・コンサートがあったので,今日もテコテコ歩いて聴きに行った.

 この教会のオルガンは1521年にルッカのドメニコ・ディ・ロレンツォによって製作されたとわざわざ教会のガイドブックに紹介されている由緒あるものなので,聴いてみたいと思っていた.

サンティッシマ・アヌンツィアータ教会 写真:
サンティッシマ・アヌン
ツィアータ教会の堂内


 オルガニストはフランチェスコ・バローニという人で,60歳くらいの演奏者だろうか.バロック音楽をよく出す複数のレーベルに録音していて,現在は母校のパルマ音楽院で後進の指導にあたりながら,演奏活動をしている人のようだ.

 クラウディオ・メルーロ,コスタンツォ・アンテニャーティ,ジョゼッフォ・グァーミ,タルクィニオ・メルーラ,ベルナルド・ストラーチェ,ジョヴァンニ・サルヴァトーレという16世紀と17世紀のイタリアの作曲家と,ゼバスティアン・アントーン・シェーラーという17世紀ドイツのバッハ以前の作曲家の曲が演奏されたが,どれも聴くチャンスがあまりない曲なので,貴重な機会だった.

 サン・レミージョよりだいぶ大きなサンティッシマ・アヌンツィアータの堂内に響き渡るオルガンの音に魅せられながら,楽しい時を過ごした.



プレゼピオ型クリスマスケーキ

寓居の近くの店で売っていた
プレゼピオ付きクリスマス・ケーキ