フィレンツェだより
2007年12月7日



 




ウフィッツィ美術館特別展のポスター
サルヴァトール・ローザの「偽り」



§私流,ウフィッツィの鑑賞のしかた

先週,特別企画に参加するためにウフィッツィ美術館に行くと,通常展示の入口に行列がまったくできていなかった.


 今ならすぐ入れると踏んで,早速,昨日(12月6日)行ってみると,予想通り行列は無かった.ただし,通常は6.5ユーロの入場料が,現在「メディチ家コレクション収蔵17世紀ナポリ絵画」の特別展(モストラ)が開催されているので10ユーロだった.

 ウフィッツィの常設展はこれで3回目の鑑賞になるが,今回は,いままで多少学んできた知識を整理する意味もあって,いくつかのポイントを定めた.夢中になるとどれもじっくり見てしまうので,「ポイントを絞った」と言いきってしまえないところが悲しいが.

 1.中世末期からルネサンス初期の宗教画の再鑑賞(特徴の再確認)
 2.ペルジーノとルーカ・シニョレッリ
 3.ピエロ・ディ・コジモ,マンテーニャ,コレッジョなど実力者の作品の確認
 4.見た記憶が曖昧な,フィレンツェ周辺の「反宗教改革」時代の画家

 何よりも,

 5.日本出張から帰ってきて暫くになるレオナルド「受胎告知」の初鑑賞

 以上を鑑賞のポイントにして,体力を温存すべく,徒歩ではなくバスでウフッツィに向かった.



 中世末期からルネサンス初期のコレクションに関しては,ジョットの偉大さを再確認した.「オンニサンティの聖母」は圧倒的だ.「バディアの多翼祭壇画」は写真の方が状態が良く見えるように思ったが,それでもウフィッツィにただ2点のジョットをじっくり鑑賞できたのは,今日の大きな成果の一つだ.

 同室のチマブーエのマエスタ,ドゥッチョのマエスタは,ジョットの新しさを引き立てる役目を果たしているが,やはりそれ自体も見事だ.特にドッチョはシエナのドゥオーモ美術館の「マエスタ」以外では小さな聖母子が多いので,この大きな「マエスタ」(ルチェッライの聖母子)は写真で見るよりもずっと立派なものだと思った.

 ドッチョの系譜を引くシエナ派の部屋である第3室では何と言ってもシモーネ・マルティーニとリッポ・メンミ共作の「受胎告知と2人の聖人たち」の多翼祭壇画が圧倒的だ.見るのが3度目とは思えないほど新鮮で,床模様から衣の襞や色,陰影に至るまでじっくり見ることができたのは幸福としか言いようがない.

 左右の聖人は2人とも棕櫚を持っているので,殉教者であろう.右の女性が誰かについては2説(聖ジュリッタと聖マルゲリータ)あるようだが,左側の男性は,この多翼祭壇画がもともとシエナのドゥオーモの聖アンサヌスの礼拝堂にあったものだそうなので,聖アンサヌスで間違いないだろう.

 伝説によれば,聖アンサヌスはローマの高貴な家の生まれで,やはり聖人となる乳母(聖マクシマ)によって洗礼を受け,信仰を表明したことで乳母とともに処刑されるところだったが,生き残り,シエナに流刑にされ,そこで多くの人を入信させ,ディオクレティアヌス帝の命令で斬首されたそうだ.

この祭壇画の聖アンサヌスは,一歩間違うとマンガのような表現だが,シモーネ特有の若者の表情に,不羈の意思が感じられる.


 シエナの守護聖人でもある彼を描いた絵がフィレンツェにあるのは,シエナがトスカナ大公国の支配下にあったからだが,こうしてウフィッツィでじっくり見られるのは,私たちにとっては幸いである.

 ロレンゼッティ(ロレンツェッティ)兄弟の作品も複数見られるが,今回はそれほどは感激しなかった.もう少し勉強して次回を期す.

写真:(参考)
フレスコ画「キリスト磔刑」(部分)
ピエトロ・ロレンゼッティ
サン・フランチェスコ教会(シエナ)


 14世紀のフィレンツェ絵画の部屋にはオルカーニャ兄弟,ベルナルド・ダッディ,タッデーオ・ガッディ,ジョヴァンニ・ダ・ミラーノという大芸術家の作品があるが,今回サンタ・チェチーリアの親方の祭壇画「サンタ・チェリーリアの生涯」を丁寧に見て,ナルド・ディ・チョーネ(「キリスト磔刑」)の実力を再認識したほかは,次回を期したい.



 第5室と第6室に展示してあるのは「国際ゴシック絵画」と言われる一群の絵だ.フィレンツェの画家ではロレンツォ・モナコが代表的だろう.アーニョロ・ガッディの絵もこの部屋に分類されているが,この人の場合は「国際ゴシックの影響が濃い」ということだろうか.ロレンツォ・モナコから弟子のフラ・アンジェリコに引き継がれる華やかな色彩で丁寧に描き込まれた絵は,ともかく人の目をひきつける.

 フィレンツェ以外の画家ではジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「三王礼拝」がやはり圧倒的だが,今回はロレンツォ・モナコの「三王礼拝」と「聖母戴冠」が見事だと思った.特に後者は大修復を経たもののようだが,ともかく美しい絵だ.フラ・アンジェリコとマゾリーノの絵が1点ずつあるのは,次の初期ルネサンスに活躍する画家たちの過渡期の作品を見せてくれているということだと思う.

 ヤーコポ・ベッリーニの「聖母子」が1点あると「国際」という感じが一層でるのかも知れないが,「国際」という名前がつくのは,ルネサンスの萌芽もイタリアだけでなく,フランスの影響があったからということで,フランスの学者がつけた名前らしい.それにしてはフランスの絵は1点もなかった.

 「フランス」とだけ言われると抵抗のある人もいるかも知れないし,別にフランス人のナショナリズムに加担する気は毛頭ないが,南仏には先進文化があり,中世末期にはアヴィニョンに教皇庁があって,ペトラルカはそこで青春時代を過ごし,シモーネ・マルティーニもそこで活躍した.さらに,フランスではフランドルの芸術家たちが活躍していたので,国際ゴシックの「国際」の根っこがフランドルと言われれば,「フランス」よりは抵抗が少ない.

イタリアが多様なように,「フランス」も多様だ.そう思えば「国際」も納得が行く.


 オランダ系もフランス系も活躍し,イギリスとも関係が深く,ブルゴーニュなど,パリではないフランスと密接なつながりを持つフランドルと南仏が主要な要素となって,全ヨーロッパに影響を及ぼしたのであれば,まさに「国際」というネーミングも意味を持つだろう.

 ヤーコポ・ベッリーニはヴェネツィア派絵画の祖といわれるが,ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの弟子とされるようだし,ロレンツォ・モナコはフィレンツェで活躍した画家だが,シエナの出身とされることもあるし,当時はイタリアという統一国家はないわけだから,あくまでも現在の視点からではあるが,「国際」という言い方は悪くないような気がする.

 フラ・アンジェリコを「国際ゴシック」という人はいないと思うが,彼より遅く生まれたピザネッロは「国際ゴシック」と言われるようなので,空間的にも時間的にも幅を持った,的の広い,しかし一定のイメージを持つ命名で,これはこれで良いのだろう.



 初期ルネサンスの部屋は全部で6点の小さな部屋で,フラ・アンジェリコが2点,マザッチョが2点,ドメニコ・ヴェネツィアーノが1点,パオーロ・ウッチェロが1点あるだけだが,ここに展示されている作品の美術史上に持つ意味の大きさははかり知れないものだろう.

 そうした歴史的な見地はさておいて,私個人の趣味と今回の関心の在りかたから言うと,やはりマザッチョと,次の部屋にあったピエロ・デッラ・フランチェスカの作品が良かった.

 マザッチョの「聖アンナと聖母子」は,聖母子と1人の天使以外はマゾリーノの手になるものだそうだが,この絵の他に「ヴァルダルノのルネサンス」でカッシャの宗教美術館に出張していた「聖母子」が帰ってきていた.この小さな絵は技法的な斬新さなどはないのかも知れないが,マザッチョという画家を好きになるには格好の作品だと思う.ウフィッツィで大切に展示されているのをみるとホッとする.

 前回はアレッツォの特別展で見たピエロ・デッラ・フランチェスカの「ウルビーノ公夫妻の肖像画」とその裏に描かれている「2つの勝利の寓意画」もウフィッツィでは初めて見た.もちろん,もともとはウルビーノにあったものだが,現在はフィレンツェで大事に展示され,多くの人に鑑賞されている.最善ではないかも知れないが,次善の居場所を得ていると思う.

 自分の好きな絵が大切にされていて,多くの人に公開されているのを見るとホッとする.



 最初から,このようにじっくりと鑑賞していたら,たちまち時間が過ぎてしまい,1時過ぎに入館して,はや5時近くになっていた.その間にもちろんレオナルドの「受胎告知」も見ることができたし,ペルジーノとルーカ・シニョレッリ(「聖母子」,「三位一体,聖母子と聖人たち」)の絵もすべて見ることができた.

 ペルジーノの「フランチェスコ・デッレ・オペレの肖像」にはメムリンクなどフランドルの画家の影響があることがよくわかり,彼以降のイタリア肖像画の歴史にとって画期的な作品であろうことも納得できた気がする.ラファエロの肖像画もフランチャビージョの肖像画もその影響下にあるように思えた.

 肖像画と言えば,ブロンズィーノの肖像画がどれも素晴らしかったが,それは機会があれば,別のところで感想を述べたい.

ヴェネツィア派,マニエリスム,反宗教改革の時代のいずれをとっても立派なコレクションなので,やはりウフィッツィで大事なのは気力と体力だ.


 ソドマやベッカフーミ(「聖家族と幼い洗礼者ヨハネ」)などのビッグネームの作品に出会っても,それほどとは思わなくなるところがこの美術館のすごいところだ.

 今回はたっぷり時間をかけたおかげで,多くの画家の作品をウフィッツィで見られることを確認できた.それでもルーベンスはじめ見られない絵もあり,チーゴリなどフィレンツェの代表的画家の中でも,現在は展示室の修理等の関係で見せていないものも少なくない.ボナイウートやボッティチェルリの作品でも修復中のものがあった.ラファエッロの「鶸の聖母」もまだ修復中だった.各地の特別展に出張している絵が幾つもあるのも相変わらずだ.今回見たかったのは,コレッジョの「幼児イエスの礼拝」だが,これもまだ修復中だったようだ.



 マンテーニャの「洞窟の聖母」,「三王礼拝」,「キリスト昇天」と「キリストの割礼」の4つの作品が傑作であることを確認できたのは収穫だった.やはりこの画家は偉大だ.彼の作品とレオナルドの「最後の晩餐」を見るために,帰国前にミラノに行きたいと思っている.

写真:(参考)
マンテーニャ作
「聖母被昇天」
エレミターニ教会
パドヴァ


 レオナルドの「受胎告知」に関しては,今回その真価に開眼するには至らなかった.細部までしっかり見ることができたので,次回を期す.

 今回は行列しなくてすんだし,何度か団体客が来て,その時だけは鑑賞しにくいこともあったが,それでもその波が通り過ぎると,ボッティチェルリやレオナルドの作品ですら,静かに鑑賞する時間が持てた.

 団体客の多くが,わが同胞の皆さんのようである.修学旅行の高校生の団体もあった.フィレンツェ滞在中,あと何回ウフィッツィに行けるかわからないが,できるだけ機会を見て,観光客の少ない冬の時期にあと何度か行きたいものだと思う.

 いまさらだが,今回ボッティチェルリの魅力を再認識することができた.私の好きな聖母子だけでなく,「春」や「ヴィーナスの誕生」もしみじみと良い作品と思えた.


「17世紀ナポリ絵画」展
 通常展示の最後のコーナーにはモストラが待っていた.しかし,ここにたどりついたときには入館して既に4時間半が経過しており,2人とも気力も体力も使い果たし,私は足が,妻は腰が,という風に初老夫婦は満身創痍だった.そういうわけで,折角のモストラだったが,十分な鑑賞ができたとはいえない.

 通常はカラヴァッジョとカラヴァッジェスキ(カラヴァッジョ風の作品を描いた画家たち)を展示しているコーナーに,他の美術館から持ってきたカラヴァッジェスキ(バッティステッロ・カラッチョーロ,ジュゼッペ・デ・リベラ)の絵をさらに織り込み,サルヴァトール・ローザルーカ・ジョルダーノの作品を核とした立派な展示だったと思う.1月初旬までやっているので,もう少し体力を残した状態で再度見に行きたい.

写真:(参考)
「アルテミスとエンデュミオン」
ルーカ・ジョルダーノ
カステルヴェッキオ美術館
ヴェローナ


 ローザとい言えば風景画や,戦闘シーンの絵ばかりが思い浮かぶが,「カティリーナの陰謀」を主題にした絵もあり,ギリシア神話(「パリスの審判」」)やローマ史にまつわる伝説(「ルクレティアの死」)を描いたジョルダーノの絵とともに興味深かった.

 このモストラのためにグイド・レーニの「ダヴィデ」と「聖アンドレア・コルシーニの恍惚」は外してあった.カラヴァッジョの影響を受けて描かれた前者と,それを脱した後に描かれた後者の対比が面白かったのだが.

 美術館には,長所も短所もあるだろうが,イタリア絵画の素晴らしさにやっと気づいた私にとっては,注目画家の作品をある程度まとめてみることができ,その周辺の芸術家たちの作品まであわせて鑑賞できるウフィッツィ美術館の存在はまことにありがたい.



 夕方,オルサンミケーレ教会に行くと,観光客の整理を担当している係員の男性がいる.作曲家のグスタフ・マーラーに似た風貌なので,印象に残る人だ.

 この方は,夕方以外はウフィッツィ美術館でもお仕事をなさっているようで,オルサンミケーレにもウフィッツィにも何度か足を運んでいる私たちにとって,おなじみの人になった.教会などでも,美術館担当の公務員の皆さんが活躍されているということなのだなあ,と思う.

 係員にも色々な人がいるが,この方は勤勉で親切で手際が良くて,私たちにとってはオルサンミケーレとウフィッツィの顔のように思える.





1.86ユーロのダヴィデ・コーヒーと
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ついに紙パックのワインに挑戦